第九章六話 示される指針

文字数 4,522文字

「我は大神様の眷属として正しい行いをしたと信じております」
 蝸牛(かぎゅう)は胸を張り、毅然とした態度で飛梅(とびうめ)と正対していた。その脳裏には昨日、聴いたルイス・バーネットの言葉が浮かんでいた。
“ちゃんと相手に正対して、しっかりと言葉に自分の魂を乗せて発するようにすれば、相手により強く言葉の力を作用させられるよ……”
 実際に言霊を使役(しえき)できる者の言葉、それを信じ、そして自分の判断を信じて、思いを込めて言の葉を発したつもりだった。その目に飛梅の射るような視線が刺さる。
「神々の間で問題視されている禍津神(まがつかみ)を我が村に招き入れて、あまつさえ大神様に拝謁させようと言うことが正しい行いだと?」しわがれてはいるがしっかりと芯のある声が周囲に響く。
 これはまずい、と白牛(はくぎゅう)はとっさに顔を上げた。
「蝸牛の至らない点は、指導する立場の我らの落ち度。また今回のことも我が許し、同行したこと。責めは我が負いまする」
 長兄がいつものように自分のことを(かば)おうとしている。これまでは大抵それに甘えてきた。しかし今、それを自分に許してはならない気がする。飛梅殿の説得は何としても自分がしなければいけない気がする。蝸牛は息を大きく吸い込み胸に溜めると再度、声を発した。
「この度のことは我が無理を言って兄者たちを巻き込んだこと。責めは我にあります」
「責任の所在うんぬんは今はよい。蝸牛、なぜ、その禍津神(まがつかみ)をここに連れてきたことを正しい行いだと思ったのじゃ?」
「それは、マガ殿が心から家族を救いたいと()い願われたからです」
「家族?身の内に宿した眷属のことか」
「そうです。マガ殿にとって玉兎(ぎょくと)殿は家族であり、その消滅しかねない状況をどうにかしたいと一心に願われました。その願いを無碍(むげ)にすることはできません」
「それは東野神社(とうのじんじゃ)の問題であろう。我らが口出しすべきことではない」
「しかし、恵那彦命(えなひこのみこと)様でも玉兎殿を元の姿に戻すことはできないとのことです。だから我が大神の智慧にすがるしかないのです。家族のことを思われるマガ殿のお気持ち、大神様にならお分かりいただけるはずです」
「なぜ大神様にマガ殿の気持ちが分かると?」
「大神様は家族を何より大切であると思し召されておられます。我らは大神様とも飛梅殿とも、もちろん眷属同士も同じ社に住まう家族として育てられてまいりました。これは大神様の家族を思う心が何より強い証しではないかと拝察いたします。この郷の他のお社でも眷属を家族と見なしておる社はありますが、それは眷属の数が少ない社に限られます。我が社の眷属の数は八幡宮や天満宮に比べても遜色ないほどにおります」
 飛梅はじっと蝸牛の目に視線を送った。そこには信念に従って行動した者の揺るぎない自信が映っていた。ほんの少し間、兄たちと離れただけでこのように変貌するとは、と飛梅は心中呟いた。そして、生まれた時からずっとその成長を見守ってきた、日々生活をともにする家族に対する愛おしさがあふれて、思わず笑みとなってこぼれてくるのをかろうじて抑制した。
「蝸牛、よくそのことに思いいたった。おぬしの言う通り、大神様は誰よりも家族を大切にされる。それは大神様が都に家族を残したまま赴任地に行かねばならず、遠く都を見遥(みはる)かして思いを馳せておられた。しかし(つい)に相まみえることなく()の地に果てられた。その無念が大神様の荒魂(あらみたま)顕現(あらわ)させ、祟り神とさせた。今、大神様は荒魂を顕現させないために、ひとと接することを拒まれている。そして、この地で新しく育まれた家族、心より信頼の置ける家族とのみ接することにされている……」そこまで言って飛梅はしばし考え込んだ。飛梅のそのような姿など滅多に見られないことなので、白牛も蝸牛も飛梅が何を考えているのか分からず、ただ次の言葉を待っていた。
「今、結界が破られ、この郷は、更なる不測の事態に見舞われる危険をはらんでおる。一眷属のことにかかずらっている場合ではないのだろう。しかし、大神様はマガ殿の気持ちに共感される気がするのう……。蝸牛、おぬし、マガ殿とともに大神様の御神前(ごしんぜん)に進み出よ。マガ殿、我が大神の大前でおぬしの願いの向きを奏上(そうじょう)してみよ。もし、大神様の荒魂が発現されたとしても、禍津神であるおぬしならばよもや消滅することもあるまい。粉微塵(こなみじん)となっても我らで掃き集めておいてやる。何百年後かまた復活できるじゃろう」
 マガは無表情のまま、ただお腹を大事そうにさすりながら聞いていた。そして穏やかに答えた。
「うん、マガ、天満宮の神に会ってみる。玉兎を助ける方法を訊いてみる」
「うぬ。よし、なら、おぬしら潔斎(けっさい)せよ。そんな旅塵(りょじん)のついた姿では失礼にあたるでな」
 白牛は思いの外、すんなりと飛梅が彼らの進言を聞き入れた様子に、少しの間、唖然としたが、すぐに我に返るとかろうじて問い掛けた。
「と、飛梅殿。本当によろしいのですか?」
「まあな。我とてそなたたちのことを家族だと思っておる。家族が心の底から正しいと思って言うておる言葉を否定などできん。それが正しいかそうでないかは別として、どうにかそれに応えてやりたいと思ったまでじゃ」
「ありがとうございます」白牛は低く頭を下げた。蝸牛も続けて感謝の言葉を述べながら頭を下げた。マガだけは特に気にしていない様子でお腹をさすっていた。

 蝸牛とマガは斎館(さいかん)の裏手にある手動ポンプの設けられた井戸の()に移動して、水を汲み上げると勢いよく身体に掛けた。傾きかけた陽の光が水飛沫(みずしぶき)に反射して細かく空中を輝きながらあちこちに飛んでいく。マガも気持ちよさそうに、蝸牛が(おけ)を使って全身に掛けてくる水の冷たさを味わっていた。その後、綿布で全身をくまなく拭いてから蝸牛は新しい衣装を着、二人並び立って白牛の先導で社殿へと進んでいった。
 社殿前にはタマとヨリモが彼らを見送るために待っていた。二人は社殿内に招かれていない。ただ、結果を待つしかなかった。白牛が斎館の中で待つようにと促してくれたが、蝸牛とマガを見送りたい気持ちがあったので、待っていた。二人とも蝸牛たちが天満宮の大神に拝謁し、どういう結果をもたらすのか不安だった。
 神々は数多(あまた)いる。それぞれが別々の特徴を有し、別々の個性を持っていた。神議(かむはか)りの際に遠目に天満天神の御姿(みすがた)を見かけたことはある。しかし直接、声を聞いたこともなければ、拝謁したこともない。何か用がある場合は必ず飛梅か白牛以下の眷属が取り次ぎをすることになっていた。だから、どのような気性の神なのか分からないし、これからの展開も予想できなかった。そんな不安気な二人の視線を受けて蝸牛は微笑みながら軽く会釈(えしゃく)をした。そしてマガと連れ立って社殿内に入っていった。

 すっかり年月の色合いに染められた白木の柱が立ち並ぶ殿内。蝸牛とマガは白牛に促されるままに石敷きの拝殿中央に進み出て神前に向かって並び立った。
 社殿の奥側、(きざはし)の上に本殿の御扉(みとびら)がある。御扉はあらかじめ開かれており、御簾(みす)が下がっている。その奥がぼんやりと光り、単座の人型の影が御簾に映っていた。その御簾の前に飛梅が威儀を正して座っていた。恐らくこれまでの経緯を奉告(ほうこく)していたのだろう。彼らが社殿内に進み入る頃に飛梅は、階を音もなく滑らかに降りてきて、彼らと本殿との間までくるとさっと座り直した。
「ほれ、蝸牛」と飛梅が彼らの姿を見ながら奏上を促した。飛梅は本殿向かって右側の壁沿いに座っている。蝸牛は視線を斜め下に向けていたが、大神との間には(さえぎ)るものは何もない。緊張感が(いや)が上にも高まってくる。
 蝸牛は、二回大きく頭を下げると一度大きく息を吸い、心を定めて声を発した。
「掛けまくも(かしこ)き大神の大前に(かしこ)み恐みも(もう)さく。今日の生日の足日に大前に参来(まいき)たる東野神社が相殿神(あいどのしん)鹿自物膝折(かじものひざお)り伏せ、鵜自物宇奈根突(うじものうなねつ)き抜けて拝み奉る状を()ぐしとみそなわし給いて乞い()ぎ奉る事の(よし)御心穏(みこころおだ)いに平らけく安らけく聞し召せと恐み恐みも白す」
 ――頭を上げよ。
 けっして大きな音量ではなかったが、しっかりと耳に残る声だった。思わず引き寄せられるような心地よい声。殿内にいた三人は頭を上げた。
 ――東野神社の相殿神殿(どの)、近う。
 唐突にそう促されて、蝸牛は慌てて先に立ち、拝殿と本殿の中間にある板敷きの間にマガを先導して移動して座した。移動すると同時に蝸牛が平伏したのでマガも見倣(みなら)った。
 ――相殿神どの。頭を上げなさい。なんじは(まが)の者とはいえ神となった者。神というものは(こうべ)を垂れるものではないぞ。
 マガがすっと頭を上げた。その自然な様子に、特に平伏することに意味を感じていないことが分かる。身分の上下や貴賤(きせん)の違いなど考慮の外にしかなく、ただ、しなくてはならないなら頭も下げる。しなくていいなら特にしない。そう言っているようにも見える態度だった。
 ――事情は今しがた聞き及んだ。そなたの腹中にある眷属を助けたいのだな。
「そう、マガはうさぎを助けたい。天満宮の神は頭がいい。だから、どうしたら助けられるのか教えて」
 ――……その眷属を元に戻すのは、なかなか難しいことではある。
「そう。で、天満宮の神はうさぎを助ける方法を知っているの?知らないの?どっちなの?」
 蝸牛のこめかみに冷や汗が流れる。今までマガに対してはその形状から禍の者としての意識が強く、その力の強さを感じてはいたがほとんど神として見たことはなかった。またその親しみやすいのほほんとした雰囲気から敬うという感覚を抱くこともなかった。しかし今、マガは大神と正対し、頭を上げたまま毅然とした態度で威圧感さえともなう横柄(おうへい)さで対峙している。この者もやはり神なのか、蝸牛は改めてそう思い知らされた気分だった。
 ――そなたの腹中の眷属を切り刻んだ娘は、何の依り代になっておったのか。
「たぶん、災厄。神が言ってた」
 ――神々の眷属は身体が焼けても切れてもひとまとまりになっておりさえすれば、時間を掛ければ元に戻る。しかし、禍の者の力によってその身を断たれると、その身体を繋ぐ力が失われてしまう。一つにまとまることができなくなる。まとまらなければもう消えて滅するまでだ。よって元に戻すのは難しかろう。
「難しいかどうかは訊いてない。方法があるのか、ないのか聞いているの」
 ――……
「……」
 ――思い当たることがない訳ではない。
「それを教えて」
 ――本当にできるのかどうかは分からぬが。
「いいから教えて」
 ――そなたの腹中の眷属は禍の力によってその身を分断された、その身体を一つに固め成すことができればあるいは。
「それは、どうすればいいの?」
「それは、あるいは熊野の神なら成し得るかもしれん」
「ほんと?」
「ああ、熊野村に鎮座する夫婦神(めおとしん)はこの国のはじまりにすべてを固め成し、生み出した神だ。もしかしたら成し得るかもしれん」
「熊野?どこにあるの?どうやって行くの?」
 ――熊野神社はこの郷の西方に鎮座しておる。ここからなら八幡村(やはたむら)、稲荷村を通っていけばよい。
 すっとマガが立ち上がった。全身に英気をまとっているかのような立ち居姿だった。
「やっぱり天満宮の神は頭がいい。訊いてよかった。ありがとう。マガ、これから西に行く。熊野村に行ってくる」
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