第八章六話 東野村の戦い

文字数 4,797文字

 状況が掴めず呆然と眺めている眷属たちの視線を浴びながら、アナはサホの眼前まで草や低木を掻き分けながら近づいた。
「これお返しします。ご協力、感謝します」
 アナはそう言いつつ剣を返すと、サホの慌てて呼び止めようとする声を無視してそのままナミに向けて、足に絡みついてくる草木に辟易(へきえき)しながらも移動をはじめた。その眼前にナミが飛んで移動してきた。
「助かったわ。けっこう手こずっていたから」
「いいのよ」と言いつつアナは手のひらに画像を浮かび上がらせた。画面上にはナミに関する履歴やグラフがびっしり浮かんでいる。ナミの耳についた白いピアスが点滅していた。
「だいぶ落ち着いているようね。あなたの今回の激しい情動はさっきの変な生き物が原因ということで間違いないみたいね」
「ええ、そうね」そう言いながらナミはそれまで余裕がなく一旦保留して頭の隅に追いやっていた疑問が浮上してくるのを感じた。だから、これだけは確かめないと、と思い、
「それじゃ、百二十五番を回収して本部に戻るわよ。もちろんあなたもね」というアナの言葉を慌てて制した。
「その前に気になっていることがあるの。教えてほしいんだけど」
「気になることとは?」
「あたしには妹がいるんでしょ。あなたたち、私の記憶に何をしたの?教えて」

 マガの放った咆哮(ほうこう)は周囲を圧し、誰の耳にも猛々しく聞こえた。しかし、(いちじる)しく肥大している(まが)い者たちはそれに(おく)するつもりはない様子で逆にこの地を(ぬし)から奪わんと欲しているかのようにマガに向けて一直線に押し寄せてきた。
 マガとしては変化すればこんな相手など難なく倒せる自信があったが、今、それができない。極力、自分を抑えつけながら対峙(たいじ)しなければならない。
 禍い者たちは鈍重そうな見た目にそぐわず動きは速かった。(またた)く間にマガの元にたどり着いた。マガは再び口を大きく開き激しい咆哮を放つとそのまま先頭の禍い者に食らいついた。そして両手の先端を鋭く尖らせて急速に伸ばして続けてくる二体を串刺しにした。自分の後ろには神がいる。禍い者たちにとっては垂涎(すいぜん)の取り込む対象だろう。神もすぐに取り込まれることはないだろうが、この群れが一気に押し寄せてはどうなるか分からない。だからここから先は一匹も行かせない。マガは激しく決意していた。
 そんなマガの様子を遠目に眺めて、タマが前方を跳ねながら禍い者たちに攻撃を加えているヨリモに声を掛けた。
「ヨリモ、右側に恵那彦命(えなひこのみこと)様やマガ殿がいる。交戦しているようだ。助けにいくぞ」
「分かりました」そう言うとヨリモは右手に跳ねた。タマも続いて右手に駆けた。「蝸牛(かぎゅう)、俺たちは恵那彦命様たちを助けにいく。そなたは、これ以上、禍い者が広がらないようにこの場で防いでいてくれ」
 言われた蝸牛は身体に絡みついてくる禍い者たちを、手や足を激しく振って払い落としていた。とっさに「分かった」と言ったものの、二人がいなくてこれだけの数の禍い者に対応できるのかどうか。しかし、希望はある。前方、北側から禍い者の群れが合流してきたがその後方からその禍い者たちを追ってきた存在を感じていた。そちらから来たということは兄者たちである可能性がとても高い。兄者たちがくればそれだけで安心、どうにかなる。
 やがて、前方に眷属たちの姿が見えた。「兄者!」と思わず蝸牛は声を発した。すると天満宮の眷属たちも末弟の姿に気づいたようで、とたんに手に持った弓矢や剣で眼前の禍い者の群れを斬り伏せ、射り倒して一直線に蝸牛の元へと突き進んできた。
「蝸牛、状況を報告せよ」先頭に立って蝸牛の眼前まで進んできた白牛(はくぎゅう)(こぼ)れそうになる笑みを押し殺しながら声を発した。
「お疲れ様です。我ら先刻より、美和村に現れた禍い者たちを追い立ててここまで参りました。しかしこちらにも禍い者が湧いており、この地で合流、加えて何らかの原因で結界が破られ、只今、東野村(とうのむら)に多数の禍い者が雪崩(なだれ)れ込んでいる状況です。禍い者が向かう先には恵那彦命様もおられるようで現在、稲荷、八幡の眷属が征伐に向かっておりますが、敵の数が多過ぎます。我らも加勢しましょう」
「よし、分かった。事は緊急を要するようだな。まだ、後から禍い者が湧いているようだから、半数をここに残して()き止め、残り半数で東方に向かおう」
「分かりました。では、私は東方に参ります」
 白牛はそれから他の眷属たちを二手に分け、自身はその場に残り、蝸牛に半数をつけて東方に向かわせた。他の眷属たちは蝸牛に声を掛けながら各自の新たな持ち場に移動した。蝸牛は他の眷属たちから矢の補充を受け、それまで使わないまでも肩に担いでいた大弓を手にして何(てき)も放った。彼の放つ矢はうなりを上げながら確実に禍い者に向かい、何体も一度に破裂させるほどの破壊力を見せた。他の眷属たちもそれに従ってありったけの矢を放った。ひとしきり放ち終えると蝸牛は剣を抜き放ち、他の眷属たちに声を発した。
「兄者たち、突撃します。遅れないように」
 その声に、ほんの一日会わなかっただけなのに、いつの間にか成長した弟の姿を見た気がした。今まではいつも自分の考えなど言わない、いつも兄たちの言うことに従うばかりだった弟が自分たちに指令を発している。嬉しいような、少し寂しいようなそんな複雑な心境を抱えながら眷属たちはその声に従い、剣を抜き放って、蝸牛を先頭に禍い者たちの群れに突き進んでいった。
 後から後から湧き出てくる禍い者たち。斬っても射っても一向に減らない。白牛をはじめ結界が張られていた跡付近に残っている天満宮の眷属たちはその圧に屈して下がることはなかったが、押し返すこともできない状況だった。後方には別動隊がこちらに背を向けて戦っている。ここを突破されるとその仲間たちが挟み撃ちに遭ってしまう。だから、ここを死守することは現在、何より重要な任務だった。しかしそれだけではとうてい満足などできない白牛だった。ここには天満宮の眷属たちの主力が集まっている。我らが禍い者程度の相手に苦戦するなど天満宮の名折れになる。ここは一気に殲滅(せんめつ)する。白牛は姿勢を正し、(あご)を上げて層となって襲い掛かってくる禍い者たちを見渡すと自らの両側に展開する弟たちに声を掛けた。
「みなの者、変化(へんげ)するぞ。横一線に並び突撃する。禍い者を一匹残らず殲滅せよ」
 言い終わると手に持った剣を投げ捨て白牛は変化した。その場にいた他の眷属たちもそれに(なら)う。禍い者たちの眼前に身体の大きな牛たちがずらりと並んだ。そのどれもが猛りをその身に濃厚に宿しているかのように鼻息荒く、前足を掻きながら突進の時を待っている。その中央には一際大きい、真っ白な体色で大きな角を生やした白牛。突如、ぶもーお、と吠えると頭を低くして角を前面に押し出して、一直線に禍い者の群れに突っ込んだ。他の牛も遅れじと続く。牛たちの進撃は誰にも止められない勢いでただ直進した。禍い者たちは押されて退きながら、圧迫され、踏まれ、角に刺され、次々に潰され、消されていった。
 そんな白牛たちの後方でタマとヨリモは次々に禍い者たちを排除しながら恵那彦命たちに向かって進んでいた。それにしても倒しても倒しても禍い者たちの群れの勢いは収まらない。ただ本能に従っているようにひたすら突き進む。東の方向に一直線に進んではいるが横に広範囲に広がっており、そのすべてに対処することは二人だけでは不可能だった。またヨリモにしても長時間の戦闘による疲れが見えていたし、タマには攻撃に自分の身体を構成する力を使っている分、更に衰弱の色が表れていた。
 ヨリモは禍い者たちを突き倒している合間にもタマの様子に視線を送って気にかけていた。すると急にタマの動きが止まった。固く目を閉じ痛みが治まるのを待っているように苦し気に立ち止まっていた。そこに後方や横合いから何体もの禍い者が襲い掛かる。
 二人の間は少し離れていた。何体かの禍い者もいる。ヨリモはとっさに高く跳躍すると、そのままタマを取り囲んでいる禍い者たちの中に空中から一直線に突っ込んでいった。
 ヨリモは最高潮に、高揚していた。
 全身が鋭敏な神経となり、周囲のすべてをはっきりと感知した。もう、疲れも痛みも感じていない。ただ、タマを取り囲む禍い者のすべてを駆逐する、それだけを指向した。最高度の速度で立ち回り、一切の加減なく力を発揮する。躊躇(ちゅうちょ)も戸惑いも思考の一切もそこにはない。ただ、タマを助ける、その意志の塊になっていた。
 ヨリモがタマの周囲にいた禍い者たちを一掃するまでの、その短い間にタマは身体の何か所かを噛みつかれていた。装束(しょうぞく)はいたる所が破れ、左手の先が手のひらの半ばからなくなっていた。その他にも所々に傷ができていた。
「タマ殿。大丈夫ですか。いったん退()がりましょう」ヨリモはすぐにでもタマに寄り添って傷の手当をしたいところだったが、まだ周囲から禍い者が迫ってきていたので警戒を(おこた)る訳にもいかず、槍を構えたままとりあえず声を掛けた。
「申し訳ない。みっともないな、こんな姿を見せるなんて。ちょっと立ちくらみを起こしただけだ。心配ない。傷もすぐ元に戻る。気にしないでいい。それよりも恵那彦命の所に行かなくては」そう言いながら立ち上がりかけたタマにヨリモは慌てて手を貸した。
「無理しないで。あなたがいなくても私一人いれば充分です。後ろに退(しりぞ)いてゆっくり回復に努めてください」
「むちゃを言う。小さなそなたに任せたとあっては我の名折れになる。そなたこそ退いておれ」
「こんな時に強がり言わないでください。それにあなたも私に劣らず小さいですよ」
「そんなことはない。我の方がほんの少し大きいはずだ。とにかく、そなたが残るのなら我も残る。ともに戦う」
 ヨリモがふと笑顔になった。つられてタマも微笑んだ。そんな二人に蝸牛の声が聞こえた。
「おーい、大丈夫か。兄者たちが来てくれたぞ。もう大丈夫だ」
 二人が声のした方へ視線を向けると蝸牛を含めた天満宮の眷属六名が横並びになり、行く手の禍い者たちを剣で斬り伏せながら突き進んできていた。天満宮の眷属たちは自分の村からここまでほぼ禍い者たちの移動する後をついてきただけだったので、激しい戦闘はしておらず、まだ充分に体力が残っている。また、蝸牛はここまでずっと戦い続けだったが、もとから体力には自信がある。日頃から兄たちが心を鬼にして怠けることを許さなかったために一日二日働き通しでも疲れを感じることはなかった。そんな彼らがタマやヨリモほどの速度はないにせよ、着実に(とどこお)ることなくまっすぐに進んでくる。おまけに結界が張ってあった付近には他の眷属が控えており、新たに出現する禍い者たちの流入を防いでいる。気づけば周囲の禍い者たちの数はあっという間に減っていた。
 タマとヨリモは一気に好転した状況に、気を取り直して恵那彦命やマガのいる方向に駆け出した。
 マガの身体には何体もの禍い者が貼りついていた。それぞれがその大きな対象を取り込むべく大口を開けて呑み込もうと苦心している様子だった。マガは、何とか情動を抑制しつつ、その一体々々を払い落とし、叩き落し、逆に噛みつき、粉砕し、倒していった。足元は濃く土気色に染まり、数多(あまた)の禍い者がその場で溶解して地中に戻っていったことを物語っていた。
 そんなマガのもとにやっとのことでタマとヨリモがたどり着いた。
 二人とも無意識のうちに緊張し、警戒していた。眼前に禍津神(まがつかみ)がいる。先頃会った時は穏やかな雰囲気を(かも)し出していたが、今は戦闘中である。もし禍津神であるマガが荒ぶれば、それは即、彼らにとってもこの郷にとっても脅威となり得る。二人は恐る恐るその視界に入っていった。すると、マガはくわえていた禍い者をぺっと吐き出して声を発した。
「うさぎと一緒にいた眷属だ。助けて。神とうさぎを助けて」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み