第五章五話 力無き創造主

文字数 4,754文字

 ナミはしばらく周囲を飛び回りながら(さら)われたマコと攫っていった者たちの姿を捜した。しかしどこにも動く者の姿を見出せない。捜索範囲を広げてみても同じだった。そもそもまだ暗中だった。いくら神経を研ぎ澄ませても捜索は困難だった。苦渋の表情を浮かべながら彼方の空を見上げた。山々の稜線はまだ色濃く佇んだまま。ただ、空気が夜明け前の静謐さを増していた。夜明けは近いはず。とにかく、人を一人抱えて移動している分、まだそう遠くには行っていないはず、そう見当をつけて、更に捜索範囲を広げて低空で飛び回った。
 その頃、タカシたちは全員、異変に気づいて玄関先に集まっていた。家中の灯りが点けられ、玄関先にも煌々と灯りが漏れている。
 いったい何が起きたんだ?という男性陣からの声にヨリモが答えた。
「マコさんが攫われました。(へび)を引き連れた者たちに」
「蛇?ということは三輪明神(みわみょうじん)の眷属か?」タマの声にヨリモが続ける。「恐らく」
 みな厳しい顔つきをしていたが、中でも一層不機嫌な顔つきをあらわにしていたのは蝸牛(かぎゅう)だった。普段、あまり感情を表に出さない方だったのでより目立っていた。
「三輪明神の眷属は(くさり)を使う。我も足に鎖を巻きつけられた。三輪明神の眷属で間違いない」
「三輪明神って何だ?」と問うタカシの声に、
「隣村の鎮守様だ。ここから南西の方角にある三輪神社に鎮まっている」と玉兎(ぎょくと)が答える。
 ルイス・バーネットは無数の星が(またた)く暗い空を見上げていた。きっとアザミはろくに見えない中、必死になってマコちゃんのことを捜しているのだろう。しかし、この暗闇では捜索は不可能、夜明けを待つしかない。どちらにしてもアザミは情報ほしさに一度ここに戻ってくるだろう。その時のために今できることは、と思案しながら、ちらりと恵美さんの顔に視線を向けた。
 恵美さんは眉間に深くシワを刻んで深刻な表情をしていた。なぜ、マコが……、そう小声で呟いていた。恵美さんは、目を覚まして状況を察すると、慌てて警察に電話したが繋がらなかった。そもそも電話回線自体が通信不能になっていた。孫のことが心配だが、どうしていいか分からない、そういう表情をしている。ルイス・バーネットがその場にいる全員に向かって声を発した。
「僕はこれからアザミと一緒にマコちゃんを捜しにいく。みんな協力してほしい。君たちはお婆さんに一宿一飯の恩義があるだろう。それに、みんなの仕える大神様も、民の苦境を自らの眷属が見過ごすことを良しとはしないだろう。みんなの力が必要だ。一緒に来てくれ」
「分かった。協力する」早速、蝸牛が声を上げた。彼の中には先ほどの雪辱を晴らさねばという思いが満ちていた。蝸牛に続いて次々に眷属たちが同意の声を上げた。そんな中、リサは眷属たちの背後で眠気と困惑が混ざり合ったような表情をして、ただ傍観していた。その様子を見てタカシは口を開いた。
「リサは、どうしたい?」
 どうしたいも何も、そんなことは分からない。とにかく状況が掴めない。周囲の喧騒に目を覚ましてみるとマコがいなくなっていた。そしてみんなが慌ただしく駆けまわっていた。そして考える間もなく今に至っている。そもそも、何をするべきか、何ができるか分からないあたしが関わっても邪魔にしかならないだろう。
 リサは黙ってうつむいてしまった。その様子を確認してからタカシはみんなに向かって言った。
「俺はリサと一緒にここに残る。リサを危険な目に遭わせる訳にはいかない」
 その時、ナミがルイス・バーネットの予想通り戻ってきた。彼女はその場に降り立つと同時に声を発した。
「マコが攫われた。蛇を引き連れた男に。どこにもいない。誰か、どこに行ったか分かる?」
 ナミらしくない慌てた様子だった。すぐに玉兎が口を開いた。
「恐らく隣村だ。その者たちは隣村の鎮守社の眷属たちだ」
「隣村?どっち?隣村のどこに行ったの?」
「ここから南西の方向に行って臥龍川(がりゅうがわ)を越えた先、きれいな円錐形をした山がある。その麓に三輪神社がある。そこがあいつらの根城だ」
「そう。じゃ、すぐに向かうわよ。急がないとマコがどんな目に遭わされるか分からない」ナミは言いながら右手のひらにこの周辺の地図を表示した。おおまかな見当はついた。
「君一人を行かせる訳にもいかない。僕も眷属のみんなも一緒に行くよ」ルイス・バーネットの落ち着いてはいるが断固とした口調の声が聞こえた。
「勝手にすればいいわ。おおよその場所は分かったからあたしは行くわよ」
「待つんだ。この闇の中で空中から探しても見つからない。夜明けを待とう」
「バカ言わないで、こっちは急いでいるのよ」
「いいから、こういう時こそ落ち着いて冷静になるんだ。相手は蛇とその親玉のようだ。蛇嫌いの君だけでは分が悪いだろう。みんなで力を合わせて捜索するんだ」
 街中で生活している分にはほぼ影響がない蛇嫌いだったが、こんなところで支障をきたすことになろうとは、そもそもさっき飛び掛かってきた蛇たちに気を取られなかったらマコを見失うこともなかっただろう。悔やんでも悔やみきれない。
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ。私は行くわよ」そう言うが早いかナミは飛び立とうとしたが、その刹那、視界の端にリサの姿を認めた。寝間着姿でうつむいている。何をしようとする風でもなく、何かを考えている風でもなく。ただ、漫然と時が過ぎるのを待っているかのような姿。眺めているとぐらぐらと沸き立つ思いを感じた。そして、思わず、すっとその目の前に移動した。
「こんな状況なのに、よくそんなに落ち着いていられるわね」ごく冷たい声。優しさや暖かみなど欠片さえ含まれていないように聞こえる。
 リサは突然声を掛けられて戸惑った。声を出すこともできず、ちらりとナミを見て、また視線を下に向けた。
「あなたの妹が連れていかれたのに、あなたは動かないの?何もしようとしないの?」相手の性格や諸々の事情や主義主張、そういったすべてを考慮に入れないという声。ただ、その行動や姿勢に対してのみ評価を下そうとする声。
「ナミ、やめてくれ。彼女は子どもだ。危険な目に遭わせられない」とっさにタカシはリサとナミの間に割って入った。
「子ども?ハッ、この世界を創ったのはこのコなのよ。それだけの力をこの世界では持っているの。それなのに妹の一人も助けられないの?それでもあなた、姉なの?」
「やめろ、何言ってんだ。ナミ、君らしくない。何か変だぞ。ちょっと落ち着け」
「言われなくても落ち着いているわよ。ただ、そのコが力の出し惜しみをしているからイラついているだけ」
 ナミの目は冷たく光っていた。その光には、もうすでに慣れていたが、その身体中から発する感情の気配が今までとは異質な感じがした。その理由が分からないがために、タカシはただ戸惑うしかない。
 アザミ、と背後からルイス・バーネットが呼び掛けた。そのとたんナミは(きびす)を返し、すぐ宙に浮かんで、行くわよ、とルイス・バーネットに声を掛けるとそのまま南西方向に向けて飛び去っていった。
「じゃ、僕たちは先に三輪神社に行っているから。君たちもすぐに来てくれ。うまく先回りして、挟み撃ちにできたらいいのだけどね」
 そう眷属たちに言うと、ルイス・バーネットはすぐさま変化しようとした。しかし、思い直してリサの前に進み、意識的にいつもの微笑みを浮かべた。
「大丈夫、僕たちがマコちゃんを必ず連れ帰ってくるから。安心して待っててね」
 言い終わると白く輝きながら、一匹の大きなコウモリに変化し、そのまま暁闇(ぎょうあん)の中に飛んでいった。
「さあ、我らも出立しよう。三輪の眷属たちがどの道を通っていったのか、分かるか?」タマが玉兎に向かって訊き、玉兎がすぐさま答えた。 
「そうだな。どうせあいつらは蛇の道を通っているはずだ」
「蛇の道?」タマもヨリモもこれまで自分の村から出たことがない。他の村の眷属たちのことについては殊更(うと)かったので訊き返した。
「ああ、普通の道とも御行幸道(みゆきみち)とも違う、あいつら蛇たち独自の道だ。民草(たみくさ)はおろか眷属でもそれを見つけることは至難の業だ。この村にも蛇の道があるのだろうけど、それは俺にも分からない。ただ、美和村に行くだけなら近道を案内することはできるぞ」
「では、案内してくれ。我らはついていく」タマが代表して言った。
「分かったよ。ただ道が悪いから、くれぐれもはぐれないようにな」
 話がまとまって眷属たちが出発しかけると、ヨリモは自分の横で沈痛な表情をしながら立っている恵美さんに極力優しく声を掛けた。
「きっと、お孫さんを連れて帰りますから、待っていてください」
「何であの子がこんな目に。これは、いったいどういうことなんだい」
「私にもよく分かりません。しかし、お婆さんがこれ以上悲しむことがないように最善を尽くします。心穏やかにお待ちください」
 ヨリモは続けてタカシに視線を向けた。
「本当に、一緒に行かないのですか?」
 タカシは静かに頷いた。

 それからすぐに一行は出発した。玉兎を先頭に蝸牛、タマ、ヨリモの順につづいた。歩き去っていく一行の背中を恵美さんとタカシとリサが見送った。タカシはふとリサの顔を見下ろした。うつむいている。何か強く、重く、自問自答を繰り返しているような表情だった。

 通りに出て、砂利道を歩きはじめるとすぐに、タマは自分の(はかま)に違和感を感じた。振り返るとヨリモが袴のひだを片手で握っていた。
「何してんだよ」とタマ。
「私、鳥目なんです。暗いと足元が見えなくて、ちょっと持たせてください」
「ち、しょうがねえな……」タマは急に胸がざわついてそれ以上、言葉を出せなくなった。ヨリモも黙っていた。少しうつむいてタマに歩調を合わせて進んでいく。
 それから一行は草を掻き分け、崖を登り、谷を降り、普段は気づかないような道をひたすらに歩き続けた。
 玉兎は軽快に進んだ。たぶん後続がいなければもっと速く進んでいるのだろうと思わせる軽やかさで。蝸牛は大木の根や自然の段差に足を取られながらも先導に遅れないように、彼にとっては全速力に近い速度で続いていく。その背を追うタマは、次第に歩きづらさに閉口しはじめていた。
 眷属たちは夜間、灯りの(とぼ)しい山中や林間で暮らしているせいか、月明かりがあればそれほど夜道も苦にならなかった。しかし、ヨリモは本当に極度の鳥目のようで、恐らく足元はおろか周囲の一切、何も見えていないようだった。だから何かにつまずいて体勢を崩すことが何度もあった。その度に袴が引っ張られた。引っ張られ過ぎて段々と下がってくる。足元に(すそ)が引っ掛かり歩きづらくなる。仕方がないので、タマは振り返りヨリモに向かって手を差し出した。
「袴を引っ張ると脱げてしまう。手を貸せ。引いてやる」
 急にそう言われて、ヨリモはえっ?と動きを止めた。とたんに(ほお)が上気していく。どうする?どうしよう?ほぼ何も見えない状況が彼女の想念を強く躍起(やっき)する。何か答えなきゃ、でも何て?胸の高鳴りがかまびすしい。少しの間、結ばない想念を持て余して一人うろたえた。そして、その挙句(あげく)、手にもっていた(やり)の柄をタマの手にポンと乗せた。タマは、ふん、と言いつつ前を向き唐突に槍を引っ張った。
「あ、急に引っ張らないでください。つまずいてしまいます」
 そう言われてもタマは黙ったまま先に進む。ヨリモは、ああ、言われた通りに手を差し出しておけばよかった、と後悔した。そして沈む気持ちのまま槍に引かれて足を運んだ。
 そんなこんなで、一行はしばらく歩いた後、高台に達した。ここが村境だ、と玉兎が振り返りながら言った。ちょうど朝陽が山際から顔を出しはじめていた。サーっと場景が明るくなった。
 大きな川が眼下に横たわっていた。 
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