第十二章九話 黄泉の国の大神様

文字数 4,958文字

 サホとカツミは暗く、湿った地中の一本道を歩いている。
 道中、サホもカツミも身体中に痛みを抱えていたため、通常のように歩くことができず、かなり時間を要した。先導役の醜女(しこめ)はそんな二人を見て、好機と途中、逃げ出そうとしたが、カツミの鎖によって簡単に捕らえられ、そのまま繋がれて先導することになった。
「大丈夫か?」
 途中、激しい足腰の痛みにカツミが足を止めるとサホも立ち止まって声を掛けた。
「ああ、大丈夫だ」と答えつつもカツミはかなり意外な思いを抱いた。何せサホを隊長とする神鹿隊(しんろくたい)にはここまで謀反人扱いされ、追い回されたのだ。置いてけぼりを喰らっても心配されるとは思ってもいなかった。もしかして、このような状況で少しは仲間意識でも芽生えたのだろうか。
「そなたには、我が大神様に拝謁させると約束したからな。我は約束は守る。だからこんな所でくたばってもらっては困る。ともに地上へ戻るぞ」
 なかなか律儀な奴だな、と思いつつカツミは再び歩きはじめた。このような初めての場所、初めての状況でともに歩む者の存在に改めて安堵した思いだった。
 やがて二人の視線の先に白く浮かび上がる光が見えた。
「あそこが、黄泉(よみ)の宮。あそこに大神様いる。もう逃げない、鎖解け」
 醜女が不機嫌そうにしわがれた声を発した。カツミも、確かに他の者たちに敵対心を抱かせないためにもそうした方がいい気がして、言われた通り鎖を解いた。
 
 道の先の壁が一部白く輝いていた。そこを醜女がすっと通っていく。サホもカツミも後に続いた。
 そこは内部も白く輝いていた。壁も床も天井も光り輝き、(まぶ)しいほどだった。その光に包まれた途端、醜女の常時、猫背で屈み込んでいるような姿勢だった身体がすうっと上に伸び、振り乱していた頭髪は、さらりと輝く黒髪となって豊かに垂れ、長すぎた両腕も短かすぎた両足も痩身な女性の適度なそれとなり、肌は白く透き通るような艶を放ち、目鼻立ちも一瞬にして整い、全身くまなく若さにともなう瑞々しさをたたえた(さま)に変化した。
「大神様~」
 衣服も染み一つない白装束へと変わった醜女は、すでにしわがれていない若い女性らしい声を大きく上げながら、裸足でぺたぺたと音を立てながら大理石のような光沢の床の上を部屋の奥へと小走りに駆けていった。
「お帰り、って、あんた、どこほっつき歩いてんねん。こんくそ忙しい時に」
 醜女が駆けていった先の部屋の奥には、天井から絹のように輝く、薄く白い布が一面に垂れ下がっている。その奥から聞こえる声は口調はきついが、どこか親しみが感じられた。
「そこの眷属たちに捕まっていたんです。あたしがお肉探してたら、あいつらが急に現れて邪魔してきたんです。大神様、あいつら()らしめてやってください」
 布の奥から、ふーん、と声がしたかと思うと中の人物がすっと立ち上がる様子が布越しに分かった。そして歩み寄り、白布を中ほどから左右に開いて姿を現した。
「あんたら誰ね。わての醜女ちゃんに何してくれたんやろか。あんまりおいたが過ぎるようなら、わてが許さへんで」
 背中を覆うほどの豊かな黒髪、周囲の白さに負けない白い肌を包む白い衣は丈が長く、足もとは見えず後方に長く引きずっている。それほど背は高くはないが、何にも負けない存在感が周囲を圧している。その現れた姿を見て、カツミは思わず美しいと感じた。
 それは初めて抱く感覚。もちろん彼も四季折々に変化する山々の情景や朝夕の陽の輝きを見て美しいと感じることはあった。しかし、それとは全然違う驚嘆するような感覚。普段、ナツミ以外の女性と接する機会がほとんどないカツミはそんな感覚があること自体、今まで知らなかった。だから、ただ呆然とその眩しいほどの姿に見惚れていた。その横でサホが頭を下げる。
「我は春日神社(かすがじんじゃ)眷属、サホ。黄泉の大神様とお見受けいたします。お初にお目に掛かります。我ら神鹿隊(しんろくたい)、災厄と交戦中、災厄の起こした水害に巻き込まれゆくりなくもこの国まで参りました。我らは仲間を探しております。そちらの方が知っておるとのことでしたので、案内をお願いしてこちらに参りました」
 極力落ち着いた様でそう言うサホと対照的に醜女がギャンギャンと言い募った。
「嘘()き。お願いなんてしてない。あんたら思いっ切りあたしのこと脅してここまで道案内させたじゃない。鎖で縛りつけて剣を突きつけて。大神様、怖かった。本当に殺されるかと思いましたよ」
「はいはい、怖かったな、可哀そうに。ってあんたもう死んでるやん。これ以上、殺されようがないやろ」
 そのツッコミに醜女は、あっそうでした、と笑いながら返していた。その様子をぽかんと眺めているサホに黄泉の大神が向き直る。
「そう、わてが黄泉の大神や。春日神社、神鹿隊、知っとるで。あんたらは鹿の眷属やったな。あんたの探している仲間はここにおんで」
 そう話している間に、周囲から白装束の若い女性がぞろぞろと神のもとへ集まってきていた。見た目が醜女とほぼ同じなので、恐らくみんな醜女の変化(へんげ)した姿なのだろう。
「その仲間たちが今、何処(いずこ)にいるのか知りたく思います。どうか会わせていただきたく恐みて()()ぎ奉ります」
 集まってきた醜女たちがサホたちをちらちらと見ながらクスクスと笑っている。サホはちょっと不快に思いながら頭を下げた。
「会わすのは構わんけど、連れてったらあかんよ。わてらの大事なごちそうやけんね」
 サホは心臓を鷲掴(わしづか)みにされた気がした。眼前の神がどのような力を有しているのか分からないが、彼女でも気圧(けお)されるほどの気配を振り撒いている。醜女たちは大して戦闘能力はなさそうだったが、数が多い。武力で仲間を奪還するのは難しいと思わざるを得ない。それにそもそもここは黄泉の国なのだ。一度入ったら帰ることはできないと言われている。それでもあえて帰るためにはこの者たちの協力が不可欠だろう。
 醜女たちが更に抑えた声で囁き合いながらこちらを好奇の目で見ている。どこか小馬鹿にしているような視線にも見える。更に不快に思ったが、なるべく気にしないようにして、これからどうしようかと(わら)にもすがる思いで、横に立つカツミに視線を向けた。
 するとカツミはまだ眼前の大神の姿に見惚れていた。何だその顔は、無性にサホは腹が立った。
「おいっ」と呼ぶ。しかし反応がない。「おい、この蛇男」と言いつつヒジでその横腹を突いた。うっと言いつつカツミは我に返った。
「ほな、行こか」と言うと黄泉の大神は先導して奥へと向かって歩いていった。その後にサホとカツミがついていき、醜女の集団が続く。室内は広い、幾本も柱が並び、気づくと他の部屋に続く扉がいくつもある。そのうちの一つの前に大神が立つと音もなく溶けるように扉が消えた。
「ほら、そこにお仲間がおる」(あご)で黄泉の大神が指し示す先を見ると、そこには四本の足を縛られ木の棒に宙吊りにされた鹿姿のロクメイと、縄で縛られ調理台の上に横たえられている弥生(やよい)の姿があった。
「弥生、十三ば……ロクメイ」言いながらサホは駆け寄ろうとした。しかしその間に醜女たちが立ちはだかる。サホは振り返り、その場に膝をついて平伏しながら言った。
「大神様、どうか仲間をお返しください。(つつし)(かしこ)みて()()(まつ)る」
「うーん、どないしようかねえ。みんな楽しみにしてるさかい」困ったという顔つきをしながら黄泉の大神が言ったその時、突如、轟音が鳴り響き地が激しく揺れはじめた。

 ―――――――――――

 白牛(はくぎゅう)が、蝸牛(かぎゅう)を取り囲む八幡宮の眷属たちの群れと接触した瞬間、その数体が宙に飛んだ。
 そのあまりの勢いに八幡宮の眷属たちはさっと後退(あとずさ)り、槍を構え直そうとしたが、白牛はそれを許さぬ勢いのまま更に数体の眷属を弾き飛ばした。
「白牛殿、何の狼藉(ろうぜき)か。このようなことをしてただで済むとお思いか」と怒鳴るクレハの声、
「白牛殿、お待ちください。ここは冷静に、お下がりください」と秘鍵(ひけん)の慌てた声、八幡宮の眷属たちの呻き声や叫び声に重なってその空間を飛ぶ。
 これは本当にまずい。秘鍵は仕方なく白牛に走り寄る。白牛は天満宮を代表する立場の第一眷属なのである。祭神(さいじん)の意向を世に示す一番の存在である。その彼が、剣を抜いてはいないものの他の社の眷属に対して攻撃を加えているのである。これは止めなければ(やしろ)同士の仲違いに即、繋がってしまう。秘鍵は宝珠(ほうじゅ)のいない現状、稲荷神社を代表する立場。極力、争いを回避するように自重して動かずにいたが、これは見過ごす訳にいかない。
「秘鍵殿、手を貸してはなりません。手を貸すことは、それすなわち我々への反逆と見なしますぞ」
 エボシが空中から言い放つ。こんな好機を邪魔されてなるものか、と心中の(たかぶ)りそのままに部下たちに、秘鍵を取り囲むように指示を出した。
 睦月は自分を囲んでいた熊野神社の眷属たちが秘鍵の方へと移動していったので、手が空いた。ただ、白牛のあまりの剣幕とその強さに気圧されてただ、呆然と眺めていた。
 白牛は、蝸牛を取り囲んでいた包囲網を突破すると、すぐさま蝸牛のかたわらに駆け寄った。蝸牛は八幡宮の眷属たちにしたたか打たれていたものの、そこは頑健そのものな身体のお蔭で、しっかりと意識は保っており、白牛に向かって笑みを向けていた。ただ、その背のマガがいまだ態勢を復そうともがいていたので、蝸牛の身体もかなり波打っている状態だった。
「兄者、近づいてはいけません。危ないです」
 とっさに言う蝸牛の声を聞いて白牛は立ち止まる。蝸牛の背にあるのは何だ?あの色、東野神社(とうのじんじゃ)相殿神(あいどのしん)か?いったいどういうことだ?
「白牛殿、これはいったいどういうことだ?説明してもらおう」
 動きの止まった白牛にクレハが歩み寄る。手には剣を持って。いったん平静な顔つきに戻っていた白牛の顔が再び憤怒の色に染まった。
「説明してほしいのはこちらの方だ。我が社からの伝令の者を襲い、傷つけ、縛り上げたこと。そして今、弟を傷つけたこと。ちゃんと理由を話してもらおう」
 そのあまりの気迫に他の八幡宮の眷属たちは後退った。しかしクレハは仏頂面のままでその場にとどまっている。
「伝令の者?先ほどその者も言っておったが、そんな者など来てはおらぬ。またその者は我が大神様の大御神意(おおみごころ)に背き自らの村に帰らず、我が仲間を傷つけた。それにより取り押さえておっただけ。言いがかりもほどほどにしてほしいものだ」
 怒髪天を衝く様で白牛は立っていた。言いがかりだと?
「しらばっくれるのもいい加減にしろ。我は八幡村(やはたむら)の東の森で襲われた者たちに会った。そなたたちが襲ったのは間違いない。そなたたちがどのように言い逃れようとしても無理だ。我は弟たちの言うことを信じる」
「言い逃れるも何も、心当たりがないのだ。弁明のしようがない」
「まだ言うか。いい加減にしろ」
 その様子にクレハは一息吐いて、振り返りマコモに視線を向けた。マコモは両腕を組み、立ったまま動かない。恐らく自分が出て話がこじれると第一眷属同士抜き差しならない状況に陥ってしまう。それを避け、かつうまく場を取り(つくろ)うことができるよう、白牛が落ち着く頃合いを待っているのだろう、クレハはそこまで了解して、再び白牛に向き直った。
「とりあえず落ち着きなされ。ここは境内(けいだい)である。これ以上争うことは許されぬ」
 クレハの落ち着いた雰囲気が白牛をさらに(いら)つかせた。しかし彼も第一眷属という立場である。これ以上争いを広げたくない理性は持ち合わせていた。
「そなたたちに思うところも、言いたいことも山ほどあるが、災厄の(いまし)めもなくなった現状、我らで争う訳にもいかぬ。またいずれ落ち着いてから弁明してもらう。この者は我が連れて帰る。邪魔をするなよ」
 白牛は苦々し気に言うと蝸牛に近づいた。兄者、ダメだ、近づいてはいけない、という末弟の言葉は聞こえたが、それでもそのままにしておく訳にも行かない。どうにかこの苦境から助けてやらなければ。
 それまで波打っていた蝸牛の上体がふと宙に浮かんだ。それだけ激しくマガが暴れていた。そして一気に身体を起こすほどにマガの針が突き出された。その針の幾本かが周囲に伸びる。八幡宮の眷属、更に白牛の身体に伸びていく。
 そして避ける間もなく突き立った。
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