第七章五話 美和村を北上中

文字数 4,216文字

 その頃、恵那郷(えなごう)の南東に位置する美和村の結界付近で、巨大な(まが)い者相手に繰り広げられていたヨリモと蝸牛(かぎゅう)の戦闘が漸く収束を迎えていた。
 もう陽は高く昇り、容赦なく日射しが降り注ぎ、湿気は重さをもって身体中にまとわりついてくる。そんな中、出現する禍い者の数が減ってきた。ただ、それはこの河川周辺に限ってのことで、結界に沿って北方向、隣接している東野村(とうのむら)方向に群れが移動していく気配を二人は強く感じていた。

 タマは美和村北西部、尾の(くさび)を眼前に臨む湖の岸近くで、ナミや神鹿隊(しんろくたい)禍津神(まがつかみ)と戦う様子をじっと見守っていた。それまでサホやタツミの治療で使った力の回復を期するためにも待機していた。そんな彼の左側、南方向の林の中から何かが接近してくる気配を感じた。
 突然、激しく()ぜるような音が辺りに響き、頭上に結界の姿がはっきりと現れた。その時、タマは自分が結界の真下に立っていたことを知った。それから結界は何度も姿を現した。そして近づいてくる、更に強くなる何かの気配。その何かが結界に危害を加えようと何度も試みていることは明白だった。
 結界は禍の者以外にはその力を現わすことのないものだった。だから今、迫ってきている何かは間違いなく禍の者。それにしても通常の禍い者ならば結界に触れただけで消滅してしまう。それなのにこれほど立て続けに結界が力を発動させているということは、よほど大量の禍い者がいるのか、よほど強靭な禍い者がいるのかのどちらかだろう。どちらにしても更なる不穏な状況が推測された。
 じっと気配のする方向を眺めていると次第に雑多な音が聞こえはじめた。樹木が折れ、草を掻き分け、岩を砕き、爆ぜて、地に落ち、(うごめ)く、そんな音の集合体。視線の先に立っている木が傾きズシンと一気に倒された。土気色の固まりが上方へ伸びている。そして結界が姿を現わした瞬間、上に伸びていた土気色が弾かれて飛んだ。それでも動きは治まらず再び上方へと伸びている。そしてそれをこちらの方へ移動しながら繰り返していた。更に近づいてくる。もうはっきりと視認できる。それは今までにないほどに巨大な禍い者の集合体。
 神鹿隊にちらりと視線をやる。しかし、すでに戦闘に入っている。こちらに兵を割く余裕はないだろう。それでも岸近くにいた数人の弓兵がその存在に気づきはじめた。
「南の方向から巨大な禍い者の群れ、こちらに接近してます」
 南側にいた弓兵の一人が叫ぶように声を上げた。
「何?」サホの後方にいて弓兵たちに指示を出していた睦月(むつき)が反応して声を上げつつ、その方向に視線を向けた。確かに何かが近づいてくる気配。大きな木々が次々と倒され、時々爆ぜるような激しい音が聞こえる。睦月は前方、湖面上にいて全体の指揮をしているサホに視線を送った。その右側に展開する弥生やミヅキたちにも。彼女たちは禍津神との戦闘に集中している。まだ後方の異変に気づいていない。こちらで対処するしかない。しかし第三、第四隊も戦場を囲うように広く展開している。それほど人数を割ける状況でもない。
「そなたたち、南方面より接近する禍い者を退けよ」睦月は腰まで湖に()かっていたが、岸に向かいつつ自分の両側面に展開する兵士に向かって声を上げた。そんな睦月に近づきながらタマが声を掛けた。
「そなたたちは禍津神との戦闘に集中した方がいい。ここは我がどうにかする」
 禍津神との戦況をじっと眺めていたタマには神鹿隊に人数を他に割く余裕などないことがよく分かっていた。だから自分の力で何とか対処するしかないと思っていた。どうにかなるかどうかはやってみないと分からなかったが。
 睦月はじっと睨むようにタマを見つめていた。本当にまかせても大丈夫なのかどうかと、値踏みするように。こやつは三輪の眷属の味方だ。信用できない。しかし我らはすでに作戦行動に移っている。もう、他の戦線に対応する余裕はない。そんな逡巡を察してタマが言う。
「我は(さら)われた仲間を救わねばならない。そのためには禍津神を倒さねばならぬ。だから、そなたたちの邪魔はさせぬ。我が大神様の名に懸けてそなたたちの背後は我が守る」
 相手は先ほど自分に斬り掛かってきた眷属だったが、現状、そんな私怨(しえん)にこだわっている場合ではない。タマはぐっと自分を抑制して相手にごく真剣な表情を向けた。
 眷属たちの間では、神の名に懸けて誓う行為は自らの命を懸ける行為より格段上の誓いだった。それを言われてしまえば、以降、疑義(ぎぎ)を差し挟む行為は相手への欠礼でしかない。
「分かった。よろしく頼む」睦月はそう言うしかなった。再び湖面に向き直りながら指令を発した。「南側の敵は捨て置け。構う必要はない。我らは禍津神討伐に集中する」
 そうしている間にも禍い者は次々に辺りのものをなぎ倒しながら、結界に沿うように道を造りながら急速に近づいてきていた。
 タマはただ静かに(たたず)んでいた。自分の力がどれだけ接近してくる敵に通用するのか、試してみたい気もしていた。自分の力が他の眷属たちよりも強いことは何となく気づいていた。しかし、それを試す場がなかった。だから本当に自分が強いのかどうか、彼自身も自信がなかった。だが、今回は相手にとって不足はなさそうだ。思いっ切り自分の力を発揮しても構わない状況なのだ。ただ、もうすでに治療で多くの力を消費してしまっている。どこまで力がもつか分からない。それだけが不安材料だった。しかし、力が足りなければ、それはその時のこと、運がなかったと諦めるしかない。そういう覚悟を一瞬のうちに固めた。
 タマはただ待っていた。その群れの接近してくる様子を、ただじっと見つめながら。と、急にその群れの後方で、なぎ倒されたものだろう一本の大木が再び立ち上がった。ん?とタマが(いぶか)しく思う間もなく、その木はそのまま禍い者の群れに向かって倒れていった。ずずううん、と音を立てながら大木が倒れたその上に、何か小さな存在が飛び乗った。そして幹の上を駆けながら両側にいる禍い者に向けて次々と槍を繰り出している。
「あいつ、何やっているんだ?」思わずタマは微笑んだ。そしてその方向に走り出した。

 河口付近に出現していた禍い者の群れが、北に向けて移動しはじめたことを察すると、ヨリモと蝸牛は慌ててその後を追った。そのまま北に行けば、やがて東野村に達する。そこは美和村よりも一層守りの薄い区域。恐らくそこに向かっているのだろう、禍い者たちの動きをこのまま見過ごす訳にはいかなかった。
 禍い者たちは結界沿いに移動していく。林の中を、田畑の上を、民家の上を、途上にあるあらゆるものを破壊しながら移動し、頃合いを見計らって結界に憑りつきその力を奪おうとする。その都度(つど)、ヨリモが突き崩した。禍い者たちの動きはそれほど速くはなかったので蝸牛も追いつくのにそれほど苦労はしなかった。彼もヨリモに負けじと足元に転がっている岩や木々を膂力(りょりょく)に物を言わせて持ち上げては投げつけて禍い者の群れを押し潰し、分断させた。
 そんな二人の働きもあってなかなか禍い者たちは結界に憑りつくことができず、移動を繰り返すばかりになっていた。
 もうすでにけっこうな距離を移動し、大量の禍い者を駆逐していた。しかしその数はなかなか減る様子を見せない。次々に追い立て、攻め立てるが破裂したり潰されたりした禍い者の破片はすぐに他の禍い者に取り込まれ、巨大な禍い者が更に巨大になっていく。また、行く先々で新たに現れる禍い者が群れの中に次々に吸収されていく。場所を移動すれば移動するほど北に行けば行くほど逆にその群れの規模は増大しているようにさえ思えてきた。
 いくら攻めても好転しない膠着状態の戦況にヨリモも蝸牛も焦燥感を覚えはじめた。いつまでこんなことを続ければいいのだろう。自分の体力が限界を向かえる方が先なのではないか。
 禍い者たちの群れの圧力に屈して、根こぎに押し倒された一際(ひときわ)大きな杉の大木の前に蝸牛は立ち、その幹に取りついた。そして満身の力を込めて持ち上げた。矢の残りがない今の状況では、こうして大力を使って対抗するしか自分には手がない。いったん元のていに杉の大木を立て、そして前方に群れている土気色の集団に向けて押し倒した。ざざざ、と葉音を立てながら大木は一気に土気色の中に倒れていった。
 ズシンと地を揺らしながら、土気色の群れを分断する大木。その上にひらりと飛び上がるヨリモ。幹の上を駆けながら両脇に(うごめ)いている禍い者たちを次々に槍先(やりさき)で突き、()ぎ払い、したたかに打ち砕いた。
 全身が緊張感の固まりとなっている。全方位を警戒しながら高速で身をひるがえし次々に敵を打ち砕いていく。時々、下から突き上げるように禍い者が伸びてくる。ヨリモのその小さな身体を取り込もうと襲い掛かってくる。その一体々々を確実に仕留めていく。しかし、一歩大きく踏み込んだ瞬間、足元に生えた苔が滑った。彼女の体重は軽い、おまけに不安定な足元なのでなるべく軽く刻むように歩を進めていた。しかしその時だけ、思わず(くせ)で力んで踏み込んだ。ほんの少しだけ足元がずれた。体勢が少しだけ傾いた。一瞬、間が空いた。それと同時にすぐ横から数体の禍い者が伸びてきた。そのすべてを察知した。瞬間、彼女は大きく後ろに飛び退(すさ)った。しかし、ほっと息を()く間もなく今度は着地点辺りで伸びる禍い者の気配、複数いる。身体を反転させながら、槍を構え直した。すべて対応しきれるだろうか、一瞬不安が胸の中をよぎる。しかし、対応するしかない。迷いを一瞬で払拭した。空中で槍を大きく引き、今にも突き出そうと構えた。
 ヨリモの視線の先に、白く輝く小さな光が鋭く飛来してきて、辺りにいた禍い者に次々に刺さった。見覚えのある光。白い光を身に宿した禍い者たちは、数秒間、身を(よじ)り、(もだ)えるような様子を見せた後、次々に破裂していった。
 ヨリモは木の上に降り立つと振り返った。同じ木の上をタマが小走りに駆けてきていた。
「相変わらず危なっかしい戦い方だな」微笑交じりにそう言うタマに向かって、思わずヨリモは満面の笑みを向けた。しかし、自身それに気づいてすぐさま真顔に戻ると不満気に声を発した。
「別に本気で戦っている訳ではありません。あんまり相手が弱いから色々と槍術(そうじゅつ)の型を試しながらやっていたんです」言いつつヨリモは胸の底から込み上げてくる嬉し笑いを抑えるのに必死だった。
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