第三章八話 東野村の白ウサギ

文字数 5,789文字

 それからナミは飛梅(とびうめ)に促されるままに自分が見たこと、体験したことをすべて伝えた。
「やはりか……」聞き終わると沈鬱な表情をして飛梅が呟いた。「おぬしらが言う崩壊が現実味を増したな。動くなら急がねばならんぞ。もう、おぬしらに訊くこともない。早々に出立するがいい」
「飛梅様、やはりその者らが見たというのは……」ヨリモの問いに飛梅が淀むことなく答えた。
「うむ。禍津神(まがつかみ)で間違いないじゃろう。しかし大神様の大御力(おおみちから)に撃たれたのじゃ。そのまま消滅したかもしれんし、消滅せんまでも無事では済まんじゃろう。まだ多少、時間の余裕はありそうじゃ。とはいえ、おぬしらは早う東野村(とうのむら)に行け」
 そう言われてタカシたちは一礼してその場を立ち去ろうとした。すると飛梅が再び声を掛けた。
「おう、そうじゃ。おぬしら、この蝸牛(かぎゅう)をつれていけ。こやつはのんびりしておるが、腕力だけは並外れておる。役に立つじゃろう」
 そう言われて飛梅の後ろに控えていた蝸牛は驚いたが、それよりも脇にいた天満宮の眷属の方が驚いていた。
「飛梅様、なぜ蝸牛なのですか。この者はまだ経験が浅く、思慮も足りません。そのお役は私が承りましょう。私であれば過不足なくお勤めを果たすことができます」
 先刻から感じていたことだったが、この蝸牛という眷属は、かなり他の眷属から未熟者扱いされている。確かにおっとりとした感じは見受けられたが、先ほどは智慧を働かせて、存分に己の膂力(りょりょく)を使い、ルイス・バーネットの言霊能力がなければ思い通りに自分たちを退けていただろう蝸牛が、他の眷属の言うような劣った存在とはタカシには思えなかった。
「おぬしらはそれぞれ勤めがあるじゃろう。それに我は蝸牛であれば立派に役目を果たしてくれると信じておる。それともおぬしは我の見立てが間違っているとでも?」
 いえ、そんなことは……と言ったきりその眷属は返答できなくなった。少し間を空けた後、急にタカシたちに向かって頭を下げた。
「申し訳ない。出立を少し待ってくれぬか。すぐに戻ってくるゆえ」そう言うが早いかその眷属はどこかに駆けていった。
 やがて言葉通りその眷属は戻ってきた。他にも数名の眷属を引き連れて。眷属たちはタカシたちには目もくれず蝸牛の周りに集まった。
干飯(ほしいい)だ。そちは大食いだから、間食分にもならぬかもしれんが持っていけ」と一人の眷属が袋を蝸牛に差し出した。
御神水(ごしんすい)だ。暑いからな。こまめに水分摂るんだぞ」と他の眷属が竹筒を差し出した。他にも、
「干魚だ。我の秘蔵の(さかな)だったんだが、やる。道すがら(かじ)ってろ」
「弓の弦や矢の予備は用意しているのか。俺のを持っていけ」
「そなたは汗かきだからな。手拭いを風呂敷にまとめて持ってきてやったぞ」
「道中長くなると雪駄(せった)の替えがいるだろう持っていけ」等々。
 見る間に蝸牛は両手に大荷物を抱えることになった。その様子をはた目に飛梅がスーッとタカシの傍らに近づいた。
「あいつらは弟思いでの。教育熱心で、世話を焼きたがる。いつまでも弟一人では何もできないと思っておる。熱心が過ぎて厳しいことも多々あるが、基本は末弟のことが可愛くてたまらないのじゃ。蝸牛もそれを当然と思って、兄たちがおると自分ではろくに考えもせず、兄たちの言うことに、正しいかどうか疑いもせず、従うばかりじゃ。今回のことはいい機会じゃと思っての。兄離れ、弟離れのいい機会じゃ。まあ、そういう訳でひとつよろしく頼む」
 はあ、とタカシが答えたすぐ後に、
「そなたたち見苦しいぞ。この郷内を移動するだけだ。そんな荷物などいらぬ。蝸牛もちゃんと断らんか」という白牛(はくぎゅう)の声が聞こえた。一際大きな体躯を揺すりながら歩み寄り、蝸牛と正対する位置に立った。
「そなたが一人で村を出るのは滅多にないことだな。まあ、しかし我は心配しておらぬ。そなたならちゃんと勤めを果たしてくるだろう。他の方々に迷惑を掛けぬようにするんだぞ。それからそなたは寝相が悪いからな。ちゃんと布団を掛けて寝るように。暑いからといって冷たいものばかり飲んでいると腹をくだすから気をつけろ。それから食べ過ぎはいかんぞ、腹八分目だ。あればあるだけ食べようとするな。それから落ちているものは食べてはならんぞ。それから……」
「白牛、もういいじゃろう」という飛梅の言葉に天満宮の第一眷属は、(いか)つい顔に心残りがにじみ出ているような表情を浮かべながらグッと言葉を呑み込んだ。そしてタカシたちに向き直ると深々と頭を下げた。
「どうか、ふつつかな弟ですが、よろしくお願い申し上げる」
 タカシも思わず頭を深く下げた。
 それから蝸牛は荷物を風呂敷でまとめ、背に負い、弓を手に持つと兄たちへの別れもほどほどに、タカシたち一行の旅路に加わった。

 先頭は変わらず、タマとヨリモが勤めた。二人ともブスッとした表情をして時々ちらりちらりと後方にいる蝸牛に視線を送っている。どうやら二人とも一度、生き埋めにされかけたために蝸牛のことを信用しきれていないし、わだかまりも解消しきれていないようだった。
 二人の後ろには蝸牛が続いていたが、そんな視線は意に介さないように晴れやかな表情をして、大股でズンズンと歩いている。どう見てもこの状況を楽しんでいる様子だった。その理由はきっと前の二人と同じようなものなのだろうと思いながら、そのすぐ後ろをタカシが進んでいた。
 タカシの後方にはナミが続き、その両脇にマコとルイス・バーネットが並び立っていた。
「ルイス・バーネットさんは、ナミさんとどういったご関係なんですか?」
 ナミを挟んで二人の会話が弾んでいた。ナミはそれを聞きながらルイス・バーネットに対して、またこの人は、すぐに人と打ち解ける。初対面の人だろうがなんだろうが関係ない。何か喜んで話を聴いてくれそうな、そんな懐の深さを感じさせる。それはすごい長所なんだろうけど……と思っていた。
「そうだな、彼氏という肩書ではあまりに軽薄に過ぎるな。幼馴染ではほんの一面しか言い当てていないし。()いて言うなら、複雑な人生のあらゆる局面で共鳴し合える最良のパートナーと言ったところかな」
 にこやかに話すルイス・バーネットに、ふーんと、楽しそうにマコが返した。
「何言ってんのよ。あんたなんて単純にあたしの人生のあらゆる局面でまとわりついてくる最悪のストーカーでしかないわよ。自信満々に根拠のないことを言わないで」と強い口調でナミが割って入る。
「こう見えてけっこう照れ屋さんなんだよ。ツンデレってやつかな」ニコやかにルイス・バーネットがマコに言う。マコは、ナミさんの意外な一面が見れてちょっと嬉しい、楽しい、といった表情をしつつ聞いている。
「だからいいかげんなことを言うのはやめて。知らない人が聞いたら信じちゃうでしょ。それからいいかげんその長ったらしい名前、名乗るのやめたら」
「そう言われてもこの名前は僕のアイデンティティだからね。簡単にはやめられないさ。君こそアザミっていう美しい名前があるじゃないか。君が本当の名前を名乗るなら僕も考えてみるよ」
「あたしはこの魂の中ではナミって名前にするって決めたの。このミッションにおけるコードネームみたいなものね。だからナミって呼んで」
「分かったよ。じゃ僕のコードネームはルイス・バーネットで」
「勝手にすれば」
 マコがくすくすと笑って言った。
「お二人は本当に仲がいいんですね」
「そうだね。限りなく仲がいいね」とルイス・バーネットが、
「何言ってんのよ、どこがよ、冗談じゃないわよ」とナミが答えた。
 そんな楽し気な会話が後方で繰り広げられていると、急にタマが、あっ、と小さく声を上げ、道の脇に進んでいった。タマが立ち止まると一羽の白ウサギが茂みの中で丸くなっていた。季節的に白い毛色はあり得なく思えたが、それよりそのウサギの左足には矢が一本突き立っていた。
「可哀そうに。誰がこんなことを。苦しまないように一息にとどめを刺してあげましょう」とヨリモがタマの横に並んで言った。その手に持つ槍の先は白ウサギに向いていた。
「ちょっと待ってくれ。この矢は兄者の矢だ。たぶんここら辺で兄者たちが(まが)い者を狩っていた時の流れ矢だろう。兄者の犯した罪は私の罪だ。私が面倒をみるよ」ゆっくりそう言うと蝸牛は返答も聞かずに道端に屈み込んでウサギに手を伸ばした。
「おお、可哀そうに。こんなに震えて。怖かったな。もう大丈夫だからな。安心して」そう言いながら伸ばした手があと少しでウサギに触れるその瞬間、ウサギの身体が急に光り出した。見る見るうちに光は盛り上がり、人の形をなし、光が収まる頃には、そこに全身真っ白い一人の若い男が姿を現した。そして、いきなり怒鳴りはじめた。
「気安く触ろうとしてんじゃねえよ、このボケナス!」
 短い白髪に色白の肌、真っ白い作務衣の上下を着て座り込んでいるその男は蝸牛の差し出した手を払い除け、その赤い目でキッと睨みつけていた。
「俺が震えていたのは怖いからじゃねえ、怒りで煮えたぎってたからだよ!矢を撃ったのはお前の仲間だな。そうだな。そう言ったな。じゃ、お前に落とし前つけてもらうぞ、いいな」
 後方でその様子を見ながら、ああ、また変わったのが現れた、とタカシは思った。
「そなたは、東野神社(とうのじんじゃ)の眷属ウサギじゃないか?何でそなたがこんな所におるのだ」
 タマにそう言われて若い男はグイっと胸を張りながら答えた。
「おう、ここ数日この村の眷属たちがどたばたと走り回っていたから、あんまり騒ぐなと文句言いにきたんだが、来てみたら稲荷や八幡の眷属はおるし、人間はおるし、けったいな奴もおるしで、何事かと思って見てたら見つかって、追いかけまわされて、挙句の果てに足撃たれちまったんだよ。それで身体を小さくして身を隠しているところにお前たちがやってきたっちゅうこった」
「つまり、こっそり覗き見してたら見つかって、逃げて、射られて、小動物になって震えてたってことですか」ヨリモの遠慮ない横槍が飛んだ。
「まあ、覗き見するつもりはなかったんだが、結果的にそうなっちまった。そもそもお前たちは何の集団だ?どこに行くつもりだ?」
「我らは、最近この郷に起こっている異変を正すためにいろいろと探っているところだ。今は、いったん東野村に向かっている」とタマが言う。
「我が村に。何用だ?」若い男の言葉にタマとヨリモは振り返ってタカシに視線を向けた。
「君は、東野村の神社の眷属なんだね。じゃ、東野村にいる山崎という人は知っているかな」
 若い男は一瞬固まった。そしてタマとヨリモに順に視線を向けた。眷属として人間と直接話をしてもいいのかどうか、少し迷っているようだった。タマもヨリモも、大丈夫と言うように軽く頷いた。
「我が村にいる人間は山崎姓の者ばかりだ。ひと昔前までは山崎姓の者しかいないくらいに山崎だらけの村だからな。山崎姓以外の者ならすぐに分かるが、ただ山崎と言っても分からん」
 少し離れた所にいたマコには若い男の姿は見えていないようだった。ただ、先ほどまで確かにいた白く丸いウサギが急に消えて、他の人たちが誰もいない方向に向けて話をしている様子を不思議そうに眺めていた。そんなマコにナミが声を掛けた。
「ねえ、お婆さんの名前は、何て言うの?」
「お婆ちゃんの名前ですか?エミって言います。恵に美しいと書いてエミです」
「そう、分かったわ」と言うと、ナミは若い男に声を掛けた。「ねえ、山崎恵美って名前の人は知ってる?」そう言い終わって、更に横でキョトンとしているマコの表情から察して続けた。「それからあなたの姿、このコには見えていないみたいだから、姿を現してあげて」
 するとマコの視線の先にスーッとすらりとした体形の若い男の姿が現れた。マコは、えっ、また?と思いつつ、しばらくの間、目をしばたかせた。
「山崎恵美ねえ、うーん、聞いたことがある気がする。恐らく山手の健介が家の隣に住んでいる婆さんじゃないかな。ただ、うろ覚えだから、はっきりしたことはうちの神に訊いてみた方がいい」
「そこまでは遠いの?」
「いや、歩いて二時間かからねえくらいだ。日没までには充分間に合う」
「じゃ、そこまで道案内を頼めないか。聞いた話では東野村には御行幸道(みゆきみち)が通っていないとか。あまり民草(たみくさ)に見つからないように行きたいからな」タマの言葉に若い男は笑った。
「そんな心配せんでも、人間なんてもとからいねえし、いてもボケた爺さん婆さんだけだから見つかったってどうってことねえよ。でも、まあ、俺もそろそろお社に帰ろうと思ってたから先導してやるよ。ただ足がな、この傷じゃ歩けねえ」そう言いながら若い男の視線はじーっと蝸牛に向けられていた。
「分かったよ。我に乗っていけ。それでよかろう」そう言い終わると急に蝸牛の身体が白く光り、見る見る膨れ上がると、光りがやむ頃には、陽光に黒光りする毛色の大きな体躯の牛が一頭その場に立っていた。マコが突然現れた雄牛に、ええっ?と声を上げつつ、更に目をしばたかせていると、その視線の先を横切るように、タマが蝸牛の傍らを通って若い男に歩み寄った。そして唐突に足に突き立っている矢に手を掛け、引き抜いた。
「痛ーっ!お前、何すんだよ」という若い男の声を無視して、タマは上に向けた手のひらをキラキラと輝かせはじめた。そしてスッとその輝きを若い男の足の傷に当てた。するとタマが手を離した時には足の傷はすっかり癒えていた。
「これで歩けるだろう。さあ、出発しよう」タマの言葉を受けて、若い男が少し興奮気味に声を発した。
「すげー。傷がすっかり治ってる。稲荷の眷属に()けの御力(みちから)を操る者がいるとは聞いていたが、お前だったか」
 若い男が喜んでいる様子にタマもつられて微笑んだ。若い男は続けて全員に向けて言った。
「よし、お前たち、ここからは俺が先導してやる。もう少しで村境にいたる。そこで御行幸道は終わり、人道を行く。ちょっと道が悪くなるが遅れずについてこいよ。それから俺の名は玉兎(ぎょくと)。玉に(うさぎ)と書いて玉兎だ。東野村に鎮座する東野神社の唯一無二の眷属だ。よろしくな」
 玉兎と名乗った男は、え?せっかく変化(へんげ)した我の立場は?という顔つきをしている雄牛の様子を気にもせず、そのまま意気揚々と一行を先導していった。明るく、朗らかに、そして楽しそうに。
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