第十二章七話 騒乱益々収まらず

文字数 5,021文字

 突然、それまで脱力していたリサの身体がすっと背筋を伸ばした。そして周囲の何ものも関知しない様子で、そのまま郷の中心に向かって歩きはじめた。
「ちょっと、あなたどこ行くつもり」と言いかけてナミは口を(つぐ)んだ。その身体から妖気と言っても差し支えないような異様な雰囲気が漂っている。これは山崎リサではない。すでに乗っ取られている。両手に抱えているマコの動かない姿を見る。もう、諦めるしかない。この世界の崩壊を防ぐためには、今はそれどころではない。でも、山崎リサは、マコが黄泉(よみ)の国にいると言っていた。どういうことなのだろう。

三輪(みわ)の眷属よ。いい加減放してくれんかねえ」
 朱色の蛇姿のナツミはこれでもかと如月(きさらぎ)を締め上げているつもりだった。実際、如月は身動きがとれなかった。ただナツミの細い身体ではそこまで圧迫はされていなかったが。
 ナツミは蛇姿だったので口が利けなかったが、その目で、うちはこの民草(たみくさ)の娘を守らないといけないの、あなたを解放する訳にはいかない、としっかりと伝えていた。すると、バチッと音がしたと同時に一瞬、身体中に電流が走った。(しび)れたナツミの締め上げていた身体が思わず(ゆる)んだ。
 その瞬間、如月が跳んだ。ナツミの身体は()り所を失い、そのまま太縄のように地に伏した。
 あ~あ、また使っちゃったわねえ、と思いつつ如月は地に降り立つ。先ほどと比べて少量ではあったが、やはり見た目の加齢には影響がある。襲撃も失敗したし、散々だわねえ。溜め息混じりに心中呟く。するとその視線の先で、先んじて閃光に撃たれ、仰向けに倒れて気を失っていたルイス・バーネットがむくりと上体を起こした。
「ああ、びっくりした」と呟きながら。
 あれ、もう起きた。と如月は驚く。なかなか厄介な相手みたいだねえ。
「ねえ、大丈夫?」ナミが、何ら力感のないマコの身体を両手で抱えた状態で、ルイス・バーネットのかたわらに降り立ちながら訊く。
「ああ、もう大丈夫」と答えながら立ち上がる。その視線は如月から離さない。気を許すとやられてしまう。何とも厄介な相手だ。
 ルイス・バーネットと如月は相手の能力を警戒して無闇に動けず、そのまま少しの間、対峙していた。その間に()れたナミが声を上げる。
「ねえ、黄泉って地獄のことよね。どこにあるの?どうやって行くの?」
 何を突然、と思いつつも、質問してくる以上は、そうそう攻撃してこぬだろう、と如月は両手に持った剣を下げて警戒を(ゆる)めた。
「確かに地獄と言えば地獄かねえ。端的に言えば亡者の国かなあ。通常、民草(たみくさ)身罷(みまか)れば常世(とこよ)の国に行くが、多量のケガレを身に着けた者は常世の国まで行けず、地に潜り黄泉の国に行く、と言われておる。黄泉の入り口はこの国の至る所にあるというが、この郷では、西の熊野村にあると聞くなあ」
 話を聴いていてルイス・バーネットが、どういうことだ?とナミに訊く。如月への警戒心は解かないままで。
「もう、力を抜いてもいいわえ。今、そなたに攻撃するつもりはないえ。もう、手遅れだ。うまく邪魔されたものやなあ」
 如月にそう言われてもルイス・バーネットは警戒を解く気にはなれなかった。先ほどは警戒を解いた途端に攻撃されたのだ。ともかく、再び彼はナミに向かって訊いた。
「どうして今、黄泉の国のことを訊いたんだ?」
「山崎リサが、マコが黄泉にいるって言ったのよ。マコのことを助けてほしいって」
 少し言いづらそうなナミに向かってルイス・バーネットはしっかりその目を見ながら静かに首を振った。ナミは言葉を継げられない。この世界に再度入る際に、しっかり言われたことだった。山崎リサと凪瀬タカシのこと以外は極力関知しない、と。
 ルイス・バーネットは再び如月に視線を向ける。
「現状が、どうなっているのかよく分からない。山崎リサは今、どういう状況で、これからどうなるんだい?教えてもらえるとありがたいね」
「あの()(しろ)の娘には、すでに災厄の分御霊(わけみたま)(うつ)っておるえ。その分御霊が遷る間際だけが依り代の娘を(ほふ)る唯一の機会だったんだがねえ。もう、このままあの娘は災厄のもとに向かう。そして、災厄を宿し、身体を得た災厄はその力を顕現させることだろう。そなたたちが邪魔をしたために、この世は混沌に呑み込まれてしまうなあ。もう、我に出来ることはその時間を少しだけ引き延ばすこと、それだけだねえ」
「どうするつもりだ?」
「何とか依り代の娘を足止めする。大神様の大御意(おおみごころ)だからな。心配しなくてもよいわあ。今となっては我一人では時間稼ぎにもならんからなあ」
「他に手はないのかい?」
「ないねえ。もう、ないねえ」少し考えこんだ後、如月が答えた。すると背後から震える声。
「また、大神様たちに集まってもらったら?また依り代の娘に天降(あまくだ)ってもらったら?」人型に戻ったナツミが小刻みに震える身体をなんとか起こそうとしていた。
「もう、無理だねえ。大神様たちの和が壊れてしまったからねえ。我が大神様とて今は、御神体だけ。しばらく力が出せぬ。今、他の神々を()ぎ奉るのは無理だねえ」
 口を開くごとに如月の顔に深い諦念の色がにじみ出す。
春日(かすが)の眷属って意外と諦めが早いのね。うちはあの娘を守らないといけないから、あの娘を害するって言うんなら何度だって抵抗する。それ以外の方法を考えてくれない?」
 振り返りナツミの顔を見る如月の顔は、急に老け込んだように見えた。そして幾重にも思考をし尽したという苦悩の跡。恐らく第一眷属として神の意向を汲み、この郷のため、民草のため、ここまで懊悩(おうのう)を繰り返し、苦渋の決断をして、実行してきたのだろう。
 そんな声が重なる中、ナミは必死に感情の(たかぶ)りを抑えつけていた。両手に抱くマコをどうにかしてあげたい。何とか、助けたい……

 ――――――――――

 マガの身体から太く鋭い針が幾本も発出され、逃げ惑う者たちを追って伸びていった。
 更に数人の眷属が倒れた。背中から、グルルルという獣の唸り声のような音が聞こえる。まずい、マガ殿が獣化している、そう思った途端、蝸牛(かぎゅう)は仰向けに跳び、地面にマガを押しつけた。これ以上、マガが眷属たちを傷つけないように。
「そいつらを取り押さえろ」
 マコモが指令を発した。正直、東野神社(とうのじんじゃ)相殿神(あいどのしん)をこの村にとどめ置いたり、征討することには反対だった。個人的には自分の村を通過するくらいはかまわないと思っていた。しかし、それでは大神様の意に反する。それに大神様の鎮まる境内でこんな騒ぎを起こしたのだ。もう、見過ごす訳にはいかない。それぞれ手に槍を持った八幡宮の眷属が駆け寄る。マガの、あまりの攻撃力に怖気(おじけ)づいて腰が引けている熊野の眷属たちの前に進み、蝸牛たちを取り囲んだ。
 八幡宮の眷属たちの心に恐れはなかった。それは八幡宮の眷属たちが人一倍、怖い者知らずだからではない。それはマコモに命令されたから。マコモはこの郷の眷属たちを統べるべき立場。それぞれの社は独立して存在していたが、何らかの理由で各社合同で軍を発する場合、その総大将となるべき立場の者だった。そのためか彼の発する軍令には一種の抗えない力が含まれる。その指令を聞くことが何より正しく、何を置いても最優先で実行しなければならない、と指令を受ける者の心を発奮させ、邁進させる力があった。そこには不要な感情を差し挟む余地などない。だから指令を受けた者はためらいがない。手加減がない。
 マガは重い蝸牛の身体の下敷きになってもがいていた。次々に突起を発してこの状態を脱しようとしている。当然、蝸牛の身体は激しく波打ち、右に左に、上に下に、のたうち回る。
「マガ殿、落ち着いて、それ以上、獣になれば玉兎(ぎょくと)殿を取り込んでしまう。落ち着いて」蝸牛はマガに向かってそう言い、八幡宮の眷属たちに「おやめください。これ以上、マガ殿を刺激しないでください。もう、大丈夫、もうすぐ落ち着きます。だから」
 八幡宮の眷属の一人が、うるさい、静かにしろ、と言いつつ槍の柄で激しく蝸牛の身体を打つ。更に数人の槍の柄が音を立てながら蝸牛の身体を打った。
 その様子を見ながら睦月(むつき)は我慢しきれなくなった。多勢で無抵抗な一人を打つ。こんなところ隊長が見たらきっと、どっちが正しいかなんて関係なく、(いきどお)って止めに入るだろう。それは我も同じだ。睦月は剣を抜いた。
 眼前にいた熊野神社の眷属はとっさに錫杖(しゃくじょう)で剣を受けた。とその瞬間、睦月の蹴りが相手のみぞおち付近に入り、蹴られた者は後方に飛ばされた。たちまち周囲から熊野の眷属が集まり錫杖を睦月に向けて突き出してきた。その途端、睦月の左腕が白く発光して、急速に膨らみ、その錫杖のすべてを受け防いだ。
 宝珠(ほうじゅ)殿、それがそなたの意志なのか?そう思いつつも秘鍵(ひけん)は逡巡していた。これ以上、騒乱が広がれば郷内の和は取り返しのつかないほど乱れてしまうだろう。調和がなりを潜め混沌がこの郷のすべてをおおうだろう。混沌が……そうか、そういうことか。と秘鍵は独り()ちた。
 エボシが射すような視線に気づいて秘鍵を見ると、そこには普段の穏やかさの欠片さえない冷酷な獣の目があった。とっさにエボシは羽を広げて空中に浮かんだ。この郷中の眷属の中でも随一の攻撃力を誇る秘鍵の殺意さえ込められた目を見た瞬間、身体が勝手に逃避していた。
 我ら、こやつにまんまと騙されてしまったようだ。羽ばたくエボシの姿を見ながら秘鍵は苦々し気に呟いた。あの者はこの郷を混沌の地にするつもりだ。黄泉の国と通ずるように。そうなれば、奥宮(おくみや)様の座を黄泉から現世に遷し奉れる、ということだろう。そして混沌にするためには和を乱す、これで事足りる。そのためにエボシは我らはおろか、神々や災厄さえも利用した。まったく驚くべきことだ。なぜに、やつは、ここまで……
「やめてください」と言う蝸牛の声。八幡宮の眷属たちが無慈悲にその身体を打つ音が、鈍く辺りに響く。蝸牛は抵抗もできずただ苦痛に顔を歪める。睦月は多数の熊野の眷属を引き付けながら、その攻撃をすべて左腕で受け防いでいた。しかし、なかなか相手を倒す事ができなかった。もともと彼女は集団で攻撃することが基本の神鹿隊(しんろくたい)にいたのだ。だから、なかなか個で戦う機会がなかった。防御については現状、申し分なかったが、攻撃についてはなかなか決定打を打てない状況で、蝸牛を(かば)うことにまで手が回らない。
 蝸牛の苦痛の声が辺りに響く。何度も何度も身体をしたたか打たれている。身体の下でマガが更にもがいている。次々に重なってくる痛みに気がおぼろになってくる。
 ああ、やっぱり我は何もできないただのでくの坊なのか。みんなの言うことを聞いて大人しくしていれば良かったのか。でも、それは、悔しい。自分の力のなさに歯噛みする思いが込み上げてくる。ここまでの道中、少しは兄たちや飛梅(とびうめ)殿の期待に応えられたのかも知れないと思っていた。しかし、この(てい)たらく。けっきょく自分はただの甘えん坊なのか。やっぱり兄たちがいないと何もできないのか……痛い、身体中が痛い。誰か助けて……
 その時、境内東側が突然、騒がしくなった。
「お待ちください。今、上の者たちは立て込んでおります。しばし、あちらでお待ちください」
 慌てる声が近づきながら聞こえる。
「やかましい。こっちは上の者に、早急に問いただしたいことがある。寸暇(すんか)も待てぬ。邪魔をするなら容赦せぬぞ」
 兄者、その声を聞いた途端、蝸牛の心に一筋の光明が。兄者が助けに来てくれた。もう、これで、大丈夫……
 白牛(はくぎゅう)は、これでも自制してきたつもりだった。本当なら境内に入るや否や暴れ回りたい気分だった。何せ伝令で走らせた者たち、可愛い弟たちを傷つけられたのだ。けっして許せることではない。ただ、ここは八幡神の鎮まる境内。かろうじて自制する理性は保っていた。しかし、社殿付近まで進むと、何やら眷属が集まっている。その中央からこちらを見ている視線。甘えん坊な末っ子が、いつも自分を頼りにして向けてくる無垢な視線。傷だらけの身体、もう、立つことも難しいような打ちのめされた状態で、しっかりとこちらに希望を宿した視線を向けている。
 蝸牛……
 それまでも厳しい目つきをしていた。近寄りがたい気を発していた。しかし、一瞬にして、鬼神をも避けかねない憤怒の表情が顔をおおい、恐怖心しか与えない殺伐とした気がその体躯を包み込んだ。
 貴様ら、我が弟に、何をしておる!
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