第七章六話 波状的群れの攻撃

文字数 4,182文字

 カツミは湖の美和村側の岸近く、林の中に立つ大きな楠の枝の間を縫うように、青い蛇体をくねらせながら登っていた。彼ら三輪の眷属は通常、他の村に入る場合、先ず中継地点を設ける。そこには、もし隠密行動している時に見つかって追い詰められた場合でも、しばらくの間、潜伏していられるように水と非常食が隠されていた。また、何らかの理由で武器を喪失もしくは破損した場合のために、鎖鎌(くさりがま)も一巻き備え置いていた。
 先ほど禍津神(まがつかみ)の首に巻きつけた鎖はすぐに引きちぎられ、破棄されて湖に沈んでしまっていた。カツミは枝葉に隠れて地上からは姿を視認されない程度まで登ったところにある枝元の(うろ)に達すると人型に変化した。そしてすぐさま鎖鎌を取り出すと急いで木を降り、湖に向かった。
 岸に達して上空を見上げる。神鹿隊(しんろくたい)の攻撃を禍津神はスイスイと空中を飛びながら軽やかに避けている。
 禍津神に向かって一斉に放たれる幾本もの矢。その軌道を眺めながらゆっくりと身体を前後左右に揺らしてそのすべてを避ける禍津神。剣を振り上げ斬りかかる春日の女眷属たち。
 禍津神は特に慌てる様子もなく、赤い目をその女眷属に()えた。この弱々しい存在を弾き飛ばしてやろう、と禍津神が力を発しようとしたその間際、両横に気配を感じた。軽く視線をやると同じように斬りかかってくる女眷属たち。その眷属たちの視線の先で、禍津神が瞬間的に移動した。片方の女眷属の目の前に現れたかと思うとすぐにその身体をぶつけて彼方に弾き飛ばした。残った女眷属が最大限身体を伸ばしながら敵に襲い掛かる。届くかどうかのギリギリの距離。しかしまたその視界から禍津神は姿を消した。上空高くに移動していた。
 逃がさない、ナミは禍津神の頭上で左手のひらを向けた。禍津神の首が一瞬、横に(かし)げたが、すぐに禍津神は横に移動して逃れた。そしてナミの方へ視線を向けようとしたが、ナミはすでに大きく飛んで移動していた。その動きを察知しようと頭上へと気を向けている間に、また飛来してくる大量の矢。それを避けているうちにまた跳んでくる女眷属。
 このような攻撃ももう何度目か分からない。もう充分だ。いい加減飽きてきた、という雰囲気を禍津神は全身に表した。そして片方の手の指先を軽く動かした。
 途端に水面から細く鋭い水の槍が次々に突き出され、女眷属たちに向かった。
 カツミは滑るように水面を駆けながらその槍を出てくる先から手に持つ鎌で()ぎ払っていった。彼は普段から水に慣れ親しんでいる。そのせいか水の動きを読むことができた。水流の変化でおおよそ次はどの辺りに槍が出現するというのが、感覚的に見通すことができた。それに確実に宙にいる女眷属を狙っているようでもあった。女眷属が宙に跳んだと同時にその進行方向についていけばほぼ間違いなく槍が現れた。それにより、伸びきる前の槍を次々と彼は薙ぎ払っていった。
 サホはカツミのそんな姿に不審を覚えた。あの者はいったい何をしている?我らに協力しようとしているのか?敵なのに?どういうつもりなのか問いただしたい思いだったが、そんなことをしている余裕も、その動きを制する余裕も自分たちには残されていない。せいぜい邪魔をされないように気をつけることぐらいしかできない。そんなことより、サホはそろそろ頃合いを感じていた。部下たちの波状攻撃では相手に有効打を与えることはやはり難しい。ナミと名乗った空飛ぶ女も上空への逃避を防ぐことで手一杯のようだ。我らの人数も少しずつ削られ減っている。そろそろ最終的な手を加えないとどう見てもジリ貧でしかない。
弥生(やよい)」サホは右手少し離れた場所の水面に浮かぶ雄鹿の背に乗って剣撃隊に指示を出していた腹心に向けて声を放った。「行くぞ」
 サホを乗せた雄鹿が前進をはじめた。弥生は全軍を見回し頃合いを計り、見定めると声を張り上げた。
「全軍、総攻撃用意。全騎、包囲の陣を敷き個別に状況に対応せよ。剣撃隊、隊長の攻撃を全方面より補佐。第三隊、剣を抜き剣撃隊と合流、第四隊は遊軍として展開。みなの者、速やかに配置につけ」
 日頃の調練の具合がよく分かる迷いのない動きでそれぞれが自らのするべきことをこなすために動きはじめた。どの兵士も急いでいるが慌てる様子は見せない。(またた)く間に各々(おのおの)配置に着いた。
 サホはじっと禍津神を睨みつけながら組んだ腕を解き、剣を抜くとその先を敵に向けながら大音声を発した。
「総員、攻撃開始」言い終わると同時に一瞬屈み込んで跳び上がるサホに他の女眷属たちが次々に続く。
 禍津神は、湖面に(うごめ)く眷属たちの陣形と群れとしての雰囲気が変化したことで、少し期待してその顛末(てんまつ)を待っていた。いい加減、同じような攻撃ばかりで飽きてきていた。そろそろこの場にいる全員を消滅させてやろうかと思っていた矢先だった。禍津神自身も以前に比べ、大きく身体も能力も進化したために、自分にいったいどんな能力があるのか、どれほどのことができるのか、手探りの状況だった。それを把握をするために眷属たちとの戦いは絶好の機会だと思っていた。ただ、あまりに手応えがない。これ以上、同じことを繰り返しても意味がない。そんな風に思っていたところに何やら変化の兆し。少しは退屈しのぎになればいいがと、その視線を跳んでくるサホに向けていた。
 サホが正面から突っ込んでくる。そして両側からも他の女眷属が跳んできている。更に背後からも。禍津神は落胆した。結局、数は増えたようだが同じような攻撃ではないか、つまらん。もう一気に片付けよう、そう思った瞬間だった。頭上に気配を感じた。とっさに横に身体をずらして避けたが、その右肩にズシリと重さを感じた。瞬間的に首を巡らしそれに視線を向けた。自分の顔のすぐ横に折り曲げた片膝が乗っていた。
 ナミはサホたちや禍津神の動きを俯瞰(ふかん)しながら、とっさに突撃していた。変わり映えのしないサホたちの攻撃ではあまり効果がないように思ったし、禍津神の様子も先ほどとは変化した気がする。このままでは味方がやられてしまう、そう察した途端、急降下した。踏みつけてやろうかと思ったが攻撃対象が横に動いたのでとっさに膝を曲げてその肩にめり込ませた。
 そのまま抑えつけておけ、サホは祈るように思いながら斬りかかった。左右と後方の眷属たちも同じく斬りかかった。しかし禍津神は冷静だった。自らの長い尻尾を大きく振るとナミと後方にいた眷属を瞬く間に払い除けた。そしてスッと後方へ下ってサホと左右から飛んでくる眷属をやり過ごした。
 禍津神の左右から飛んできていた眷属たちは急に目の前に仲間の姿が現れたので慌てて剣を引いて、そのまま空中で激しく身体をぶつけ合った。その眷属たちの身体を踏み台にして更にサホは跳んだ。もうすぐ追いつく、再び剣を振りかぶって斬りかかろうとした。しかし禍津神は更に後方へ飛び下がった。サホの剣は空しく宙を斬った。
 その様子を眺めながらカツミは、やはり空中での動きを封じない限り、いくら攻撃しても逃げられるばかりだ。我の鎖で(から)めることができれば、と思ったが、そんなことをしても、また空中に持ち上げられるだけ。彼は自分の身体の軽さを呪った。しかし、それもどうしようもないことなので、何か重りになるようなものを捜した。岸辺の木々に鎖の片方を結んでとも考えたが、距離が遠くなる。鎖が届かない。それなら他に何か、禍津神の足元にあるちょうど手頃な重り……。
 ふと、視線の先に木々の枝のように先分かれしている硬そうな突起を見つけた。いくつもある。これだ、とカツミはとっさに駆け出した。
 サホは湖面の雄鹿の背に着地すると再び跳び上がるべく膝を曲げた。その頃、再び後方へ逃げられないように弥生とミヅキは禍津神の背後に移動して、こちらもサホの動きに合わせて跳び上がるところだった。
 カツミは一際(ひときわ)身体の大きな雄鹿の背に乗ると、その大きな角に鎖を巻きつけた。雄鹿は突然何をされているのか分からず、ぶほ、と声を上げながら頭を激しく振ったが、カツミは頓着せず、分銅のついた方の鎖を頭上で大きく振り回しはじめた。
 弥生とミヅキは禍津神に向けて跳び上がった。自分たちは(おとり)でいい。真の攻撃は隊長がしてくれる、そういう思いだったが、もちろん機会があれば斬りつけて敵に致命傷を与えたいとも思っていた。しかしそんな思いを嘲笑うように二人の方へ禍津神の長い尾が向かってきた。
「副隊長」ミヅキが首を傾けながら片方の肩を弥生へと差し出した。弥生はその肩を踏み台にして更に上空高く跳び上がった。ミヅキに向かって宙を裂きながら禍津神の尾が飛んでくる。ミヅキは覚悟を決めた。これ当たったら、きっと、私、耐え切れない。そう思うと、ふと若い頃の日々が瞬間的に脳裏を巡った。そのどの場面でも睦月(むつき)の姿があった。
 いつも怒ったような顔つきをしている睦月ちゃん。いつも私の足りないところを指摘してくる睦月ちゃん。いつも競い合って慣れ合うことを嫌う睦月ちゃん。その口調のきつさから、その態度が不遜なことから、他人に厳しすぎるところから、睦月ちゃんは眷属仲間の中ではっきり言えば嫌われている。しかしいつも間違ったことは言わない。正しいことを自信をもって言う。だから誰もが認めざるを得ない。隊長だって弥生先輩だってそのことは分かってる。睦月ちゃんが人に厳しい以上に自分にも厳しいことも。睦月ちゃんがいたから私はこうしてしっかりちゃんと成長できたことも。そして本当は優しいことも。
 だから副隊長には睦月ちゃんがなったんだ、私じゃなく。それは誰よりも私が納得している。眷属によっては協調性がない睦月ちゃんは不適格だと言うけれど、そんなことはない。隊長も時々、睦月ちゃんに厳しいことを言うけれど、それは期待しているからだ。未来を託すに足る相手だと思っている証拠だ。なぜなら隊長は睦月ちゃん以外に声を荒げることはない。ただ、睦月ちゃんに対してだけ厳しい態度を取る。ちょっと嫉妬してしまうくらいに。
 目の前に陽の光に照り輝いている土気色の尾が迫っていた。ミヅキ、逃げろ、という弥生の声が聞こえた。そんなこと私には無理ですよ、と思った。思いながら恐怖でも焦燥感でもなく、ただ冷静に思った。
 睦月ちゃん、笑ったら可愛いのに、もったいないわ。
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