第二章七話 送り霊と老犬の葬送

文字数 5,500文字

「そなたは何処(どこ)の者か、どうやって現れた?」
 タマもヨリモもルイス・バーネットの出現に気づいてなかったようで、激しく警戒して身構えていた。
「ちょっと見ないうちに、えらくかわいいツレができたみたいだね。君たち、心配しなくてもいいよ。僕は怪しい者じゃない。この凪瀬(なぎせ)タカシ君の知り合いだ」
 二人の眷属はちらりとタカシの顔を見た。タカシが一番警戒心を表情に出していた。彼はこの男に前いた世界で数回会っただけだったが、会うたびに物事がややこしくなり、それまでの苦労が水泡に帰しかねない事態に陥った。最終的には邪魔することを諦めて、多少の手助けもしてくれたようだったが、実際それがなぜなのかも分からないがために警戒を解く気には到底なれない心境だった。
「何をしに来たんだ?また邪魔をしに来たのか?」
 タカシの詰問する口調にも、ルイス・バーネットは微笑を(たた)えるばかりだった。
「邪魔なんてしないよ。協力しにきたんだ。邪魔なんてしたら、またアザミに殴られてしまうからね。それはそうと、アザミ……君たちの言うナミは何処にいるんだい?僕たちは霊力の補充のため、一緒に本部に戻ったんだけど、彼女は充填途中でこっちに来たみたいでね。てっきり、すでに君たちと合流しているものだと思っていたけど。どこかに行ったのかな?」
 タカシは黙って身構えるばかりだった。この男は気をつけないといけない。特にその言葉には。
「うーん。これ以上ないくらいに警戒しているね。何度も言ったけど、僕は君の担当の送り霊であり、守護霊でもあるんだ。君のためになることはしても、君を害することなんてするつもりは毛頭ない。安心していいよ」
 信用できるはずがない。ルイス・バーネットは穏やかな表情をして立っていたが、その能力の恐ろしさをタカシは前の世界で身をもって体験していた。もうあんな思いは二度とごめんだ、と心底思っていた。だからなるべくこの男とは接触したくなかったのだが。
「この男は何者だ?知り合いのようだが、仲間ではないようだな」
 タマもヨリモも警戒したまま。お婆さんは状況が掴めないという風にぽかんと突然現れた黒服の背中を見つめていた。
「ここに現れた目的は何ですの。私たちを邪魔するつもりならこの槍が黙ってはいませんよ」
 そう少女に凄まれて、槍の穂先をぴたりと自分の顔に向けられても、ルイス・バーネットは優しく微笑むばかりだった。
「だから邪魔はしないよ。僕はこの凪瀬タカシ君を守らなければならない義務があるんだ。それは僕の大切なひとの望みでもあるからね。だから僕は凪瀬タカシ君のことを捜していたんだ。少しの間、居場所は特定できたけど、見つけることができなかった。でも、ここに来てやっと見つけられた。良かったよ」
 その話から、彼ら送り霊でも御行幸道(みゆきみち)にいる者を見出すことができないのだろうことが分かる。今、道を外れたために見つかってしまった。それならここにいればきっとナミも見つけ出してくれるだろう。前にいた世界では地底に落ちた自分も見つけ出してくれたくらいなのだから。とにかく彼女はこの目の前の男をよく知っているようだったから、信用するのはナミが現れてからにした方が良さそうだとタカシは心中呟いた。
 そんなやりとりがつづいている間に、ふと横たわったまま身動(みじろ)ぎもしなかった犬の鼻がひくひくと動き出した。そして、微かにくううんという鳴き声が聞こえた。そこにいた全員が犬に視線を向けた。
「きっと、その服にあの人のにおいが染みついていたんだろうね。背格好も同じくらいだし、きっとあんたのことをあの人だと思ったんだろう。このコはあの人に一番懐いていたからね」
 そう言いながら老婆は犬小屋に近づいていった。そして屈むと優しくその頭を撫でてやった。
「そうか、そうか、ウリオ、お前、あの人がいなくなって寂しかったんだな。急に元気がなくなったと思ったら、すぐにこんなになってしまって」老婆は少しだけ顔を横に向けた。「あんた、すまないけど、このコのこと撫でてやってくれないかい」
 それがタカシに向けられた言葉だということは明白だった。だから、ルイス・バーネットを警戒しつつも、分かりました、と答えると老婆と入れ違いにウリオの鼻先に膝を着いた。ウリオの顔が少し動いた。白く濁った目でしっかりとタカシの姿を見ようと、ほんのわずかでも近づこうとしているようだった。タカシは悪臭に耐えながらも手を伸ばし、茶色い毛に覆われた頭を撫でてやった。ごわごわとした手触り、温もりの感じられない毛並み、その感触だけでもう死期が近いことが分かる。何度か繰り返し撫でているうちにウリオの目がとても穏やかに、何かから解放されたような喜びの色を帯びてきた。
「このワンちゃんはすでに息絶えるべき段階を迎えている。でも、身体に取り憑いているその生き物が何かの作用で一体化してそれを許さなかったみたいだ。だからそのワンちゃんは死ぬこともできず、身動きも思考することもできず、ただ息をしているだけになっている。しかし、今、情動が揺れ動いた。もう、これでこのコはこの状態から解放されるだろう」
 ヨリモは、そのルイス・バーネットの話に心当たりがあった。以前、誰かから聞いた、(まが)い者は取り憑いた相手を取り込めないと分かると取り込めるまで自分が成長できるように相手の気を吸い続ける。相手に死なれてはそれが適わなくなるので、相手に気が残っているうちはその身体に禍を注ぎ込んで死なせない、という話。取り憑かれた方は禍で身体が侵されるために思考も行動もままならなくなる。自分で生きることもできず、ただ死なないだけの状態になってしまう。
 ウリオは最期の力を振り絞るように必死にタカシの方へ鼻先を伸ばしている。タカシは更に膝を進めて両手で頭と喉を撫でつづけてやった。すると、ふと、ウリオの身体から力が抜けた。
「もうすぐ魂の分裂がはじまります。お婆さん、どうかこのコが安らかに眠れるようにお別れをしてあげてください」そう言いながらルイス・バーネットは胸ポケットから金属片を取り出し、犬小屋に近づくと屈み込んでクリップ状になったその金属片でウリオの耳の先を挟んだ。そのとたん、犬小屋の入り口付近にぼうっと白いもやが現れた。それは、ひと固まりになって揺蕩(たゆた)うようにそこにあった。やがて、その白い固まりに色がにじむように浮かび上がってきた。
 年月に(さら)されて染まった縁側や柱の古色。所々に生える雑草の生命力を湛えた緑色。遠く見える山々の数えきれないほどの樹々が重なり合い色を成した深緑。眼下には陽に照らされて輝いている大地の薄茶色。そんな茫漠とした色たちの中で白いシャツ姿に濃い灰色のスラックスを履いた男の姿が浮かび上がってきた。それは今、その犬が見ているタカシの姿なのだろうことは、つづけて浮かび上がってきたお婆さんやルイス・バーネットの立ち位置からも明白だった。しかし、そこにタカシの姿はなかった。タカシのいる位置には陽に焼けた顔に深いシワを刻み、頭髪も半ば以上が白くなっている老人男性の姿があった。
 その場にいた者たちは全員、黙ってその映像を眺めていた。すると、老人男性の顔のシワが急に浅くなり、髪の毛の色が濃くなった。そして満面の笑みを湛えながら、両手を差し伸べ、口を開いた。
“こいつ、丸々としてまるでウリ坊みたいだな。よし、お前の名前はウリオだ。どうだ、いい名前だろう”
 その音声を聞きながら老婆が声を発した。ああ、これはこのコがうちに来た時のことだね。もう、十五年も前のことだ。つづいて十五年前の老婆の声が聞こえてきた。
“また、そんないい加減な名前を。そのコだっていつまでも小さいままじゃないんですよ。丸いのは今のうちだけですよ。そもそも、そのコは雄なんですか?”
“まあ、いいじゃないか。こいつも気に入っているみたいだし。な、ウリオ”
 急に老人の顔が画面一杯に広がったのは、その時のウリオが老人に飛び掛かったせいだろう。
“ほら、こんなに喜んでる。それにしてもお前、元気いいな。はははは……”
 それから、老人の走っている姿、農作業をしている姿、頭や顔を撫でてくれている姿、身体を洗ってくれている姿、その時々の色々な場面が浮かんでは消えた。ひとつの場面が消える度に白いもやに分裂が起こり、小さなそれが離れて宙に浮かんで、そして消えた。画像を映しているもやは段々と小さくなっていった。そして、老人が現れなくなった。どの場面にもいない。画像の色が次第に寒々しくなっていく。冬枯れたように乾燥して、命の息吹が衰えたような色に。そんな場面がつづいていく。
「最近、腰やヒザが痛くて散歩にも連れていってやれなかった。本当にごめんな」老婆がか細く言う。ウリオの目が少し大きく開かれた気がした。
 そして、ふと、ごく小さくなったもやの中に、老婆と老人の並び立つ姿が浮かんだ。とても暖かい色合いに包まれていた。もや全体が柔らかく優しく穏やかに見えた。そして画像が消えた。白いもやは一瞬強く輝いて、弾けて消えた。
「自我が未発達な動物は死の間際にそれまで蓄積した記憶が分裂して消えていきます。このコの記憶は、とても幸せに満ちたものだったと思います。その(あかし)に、このコは今、穏やかに新しい命に向かいました。間もなく新たな命として再びこの世に生を受けるでしょう」
 ルイス・バーネットの低い声が穏やかに周囲に響く。タカシはもう何の像も映していないウリオの目を見ながらその冥福を祈った。すると犬小屋の奥からごそごそと動く音が聞こえた。間もなく禍い者が老犬の(むくろ)を伝って小屋の外へと這い出てきた。タカシはその様子をじっと見つめた。怒りはない。恐れもない。ただ、やるせない思いで満ちていた。生けとし生けるものは皆、何かの犠牲の上でその生を成り立たせている。そう思うとその禍い者の行いも自然の法則に則った当然の行いなのだろう。でも、それでも、許容できない、したくない存在に思ってしまう。これは、単なる自分勝手な思いでしかないのだろうか。
 突然、タカシや犬小屋の周囲にキラキラと輝きながら舞う白い粉が降ってきた。それがタマの身体を構成する欠片たちであることは振り返らなくても分かる。その粉たちは舞い落ちながらその場の(けが)れのすべてを吸い取りながら地に落ちて消えていった。周囲に漂っていた悪臭が弱まった気がした。どよんと淀んだように重かった空気がふっと軽くなった気がした。小屋から出てきた禍い者が(もだ)えながら消えていった。
 それから一行は裏山にウリオの骸を埋めに行った。毛布にくるまれた亡骸をルイス・バーネットが抱え、スコップを肩に担いだタカシが老婆の手を引きながら小高い山の麓に向かい、辿り着くとタマやヨリモも加えて、他の動物に掘り返されることがないように深めに穴を掘った。そこは老婆の家が見渡せる場所だった。死しても老婆と自らの過ごした家が見守れるようにその場所がいいだろうとタマが提言したことで、一際(ひときわ)大きな山桜の根元に埋めることにしたのだった。
 埋め終わってからしばらく老婆は手を合わせて祈っていた。そして立ち上がると再びタカシに手を引かれながら自らの家に帰っていった。
「通りすがりのあなたたちには本当に迷惑を掛けたね。でも、とても助かった。ウリオの最期も看取れたし、ちゃんと埋めてやることもできた。本当にありがとう」
 そう頭を下げる老婆のことが少し心配になってタカシは訊いた。
「いえ、お役に立てて良かったです。しかし、お婆さん、これからどうするんです?お一人で……」
 少しの間が空いた。そのことに関しては老婆もこれまでとても悩んでいたのだろう。しんみりとした口調で答えた。
「あの人にもウリオにも先立たれた。ご近所さんもほとんどいなくなったし……。嫁に来てからずっとここに住んでいたけど、もう潮時かもしれない。娘が大阪にいるんだけどね。一緒に住まないかって言ってくれているんだ。孫もいるし、その方がいいのかもしれないね」
 タマとヨリモは黙って老婆の言葉を聴いていた。こうして自分たちの守っている村々から人が減っていく、その現実をしみじみと感じているようだった。
 老婆を家に送り届けると、お別れもそこそこに一行は旅立った。日は中天に居座っていたが目的地の東野村(とうのむら)はまだ遠い。急がねば日が暮れてしまう。
 一行にはルイス・バーネットが加わっていた。先ほどの様子から彼が本当に自分の邪魔をしにきた訳ではなさそうな気もした。ほんの少しだけ同じ行動を同じ目線で行う仲間意識も芽生えた気がした。しかし、それは今、わずかに胸中に湧いてきた感情に過ぎない。とりあえずは道を同じくするタマやヨリモにも意見を訊いてみないと、と思い訊いてみると、
「この男は不思議な技を使うようだし、我々の姿も見えるようだし、正体が分からない面もあるが、(よこしま)な気は感じられない。悪い者ではないのだろう」
「そうですね。私たちの道中を邪魔する気もないようですし、このまま帯同してもらっても支障ないのではないでしょうか」
 という意見だった。何か二人ともすぐにひとを信用するな、と思いつつそれを否定するのも気が引けてとりあえずルイス・バーネットの同行を許すことにした。何より、彼には能力がある。本気でついてくる気ならこちらの許しがなくても力尽くででもついてくるだろう。
 ルイス・バーネットを含めた一行四名はそれから御行幸道(みゆきみち)に入り先を急いだ。やがて、ヨリモが前方の林を指さしながら、あそこが村境です。あそこから天神村に入ります、と告げた。
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