第四章二話 恵那郷縁起

文字数 4,105文字

 タマの声に、えっ、とタカシが意表を突かれた瞬間、社殿の中ほどにある木製の格子状窓がピターンと激しく音を立てながら開き、土気色した大きな丸い何かがポーンと彼らの方へ向けて飛び出してきた。
「うさぎ、遅い。うさぎ、待ってた。うさぎ、何して遊ぶ」
 そう言いながら軽快な足取りで彼らに近寄ってくるその姿は、全身土気色で、頭はまん丸で、目や口もあるが同じくただのまん丸で、首に続いて胴体と手足があったが、凹凸が少なく、指などもない簡素な作り。まるで泥人形のように見えた。
 な、何?マコが小さく声を上げた。その立ちすくんだ身体の前にナミが立って、自分と背丈が変わらない土気色の何かに向けて左手を上げた。その横でルイス・バーネットも身体を正対させて、いつでも攻撃ができるようにしていた。そしてタマもヨリモも姿勢を低くして、いつでも飛び掛かれる態勢を整えていた。ただ、蝸牛(かぎゅう)だけはのんびりとした様子で緊張感なく突っ立っていた。
「お前、またそんな格好で外に出てきやがって、すぐに姿変えろ。それから窓から出てくるな。扉があるだろ。いったい何百年同じことを言えば分かるんだ」と玉兎(ぎょくと)が土気色に向かって上げる声に続いて、このお社の祭神が一行に向かって慌てた様子で声を発した。
「君たち、ちょっと待って。大丈夫、このコは大丈夫だから。おとなしいコなんだ。君たちから攻撃を加えない限り、決して君たちを傷つけることはない。だから落ち着いて」
「その者は禍津神(まがつかみ)ではないのですか」ヨリモは、社の祭神に対して問いを向けることは(はばか)るべきと思い、とっさに玉兎に向けて声を上げたていにした。しかし、その答えはすぐ目の前から発せられた。
「ああ、確かに禍津神なんだけど、違うんだ」神らしくなく少し慌てた様子で言う。
「何が違うのですか。(まが)の者なら今のうちに退治しておいた方がよろしいのでは」ヨリモは顔だけ玉兎の方へ向けている。
「いや、このコは他の禍津神とは違うんだ。気を鎮めることができる、荒ぶらない禍の者だ。現にもう千年以上も私とこの社で共存している」と神がしっかりと問いに対して返答している。
 ヨリモは横にいるタマの姿をちらりと見た。そこには険しい表情の中にも困惑の色が見えた。
「まあ、こんなところで立ち話もなんだから社務所にどうぞ。ゆっくり事情を説明するよ」
 そうまで言われるとそれ以上、抵抗する訳にもいかないタマ、ヨリモだった。二人ともちらと禍津神に視線を向けた。くだんの禍津神は身体をくねくねさせながら少しずつ姿を変えている。やがて禍津神はちょんまげを結った貧乏侍といった姿になっていった。泥っぽい質感はそのままだったが、紺や黒色で着流しに皺だらけの(はかま)が表現されていた。腰には刀が差さっている。
「何で侍なんだよ」語気鋭く玉兎が言った。
「この前、和子さんの家でテレビ観た。侍カッコイイから好き。マガも侍になる」
「え、お前、また勝手に境内(けいだい)の外に出ていったのか。いつもダメだって言っているだろ」
「うー、神がいいって言ったんだもん」
「マガ、嘘はいけないよ」にこやかにそう言うとそのまま鎮守神(ちんじゅしん)は一行に向き直った。「さあ、みなさんお茶でも()れますから、どうぞ中に」
 タマもヨリモも釈然としない、気持ちの整理がつかないままだったが、その社の社務所なのだろうプレハブの扉を開いて先に中に入っていく神に仕方なくついていった。その間、ふとタマは自分の背後から緊張感のないのほほんとした雰囲気を感じて、振り返って蝸牛の姿に視線を向けた。ん?という感じで蝸牛は首を傾げた。
「そなたは、なぜそんなに平然としていられるのだ。禍津神がすぐそこにいるのに」思わずタマが小声で訊いた。
「え、それはこの社に禍津神様がおられること、知っていたからな。そのくらいみんな知っているだろ」そこまで言うとタマがちょっと怪訝(けげん)な表情になった。蝸牛は「もしかして……」知らないの、と言いかけてやめた。自分は兄たちが事細かく何でも教えてくれたから当然この隣村の状況もよく知っていたが、この二人は一族の眷属たちとそんな話はしていないようだ。
 そんな蝸牛の様子がタマには何となく面白くない。しかし気取られないように、なるべく平然とした風を装いながら屋内に入っていった。
 中は八畳程度の一間で、中心にちゃぶ台が置いてあり、壁際に流しとガスコンロと小さな冷蔵庫と食器棚があった。全員が入るとほとんど歩く余地もない。鎮守神が北側と南側に設置された大きめの窓を全開にした。そして窓の外に一息ふうと吹くと風が動き出し、南側窓にぶら下げてあったガラス製の風鈴がチリーンと控え目ながらも涼やかな音を響かせた。
「さて、このマガのことはこの郷の祭神のみなさんには伝えてあったのだけど、まだ眷属のみなさんには伝わりきってなかったみたいだね。民や異界の人たちもいるみたいだからちょっと説明させてもらうよ」
 鎮守神に促されるままに、みんながちゃぶ台の周りに座ると話がはじまった。
「このコはお察しの通り、禍津神だ。マガ、みなさんにご挨拶を」
 そう言われて侍姿の禍津神が厳しい顔つきをして少し頭を下げつつ言った。
「拙者、マガでござる。以後お見知りおきを」
「いいかげん、侍やめろ。普通に話せ」流し台で全員分のお茶を淹れていた玉兎が言った。
「私たちがこの社でなぜ共存しているのか、それを説明するには、私がこの里に鎮座した当時まで遡らないといけない。私は千有余年前、鎮座するに適した場所を探して各地を放浪していたんだ」鎮守神が少し姿勢を正して言う。
「兄神たちのいじめに耐え切れず逃げ出して、放浪していたんだよな」お茶の入った湯呑みをちゃぶ台に並べながら玉兎が言う。
「ある時、僕が歩き疲れて山の中で休んでいると、目の前に一匹のうさぎが現れた。そのうさぎが僕にこっちに来いと手招きをしたんだ」と神が言う。
「山の中で、あまりの空腹で動けなくなっている時にたまたま丸々と太ったうさぎが通りかかって、それを執拗に追い回したんだよな」と玉兎が言う。
「そのうさぎを追っていくといつしか開けた場所に出た。それがこの恵那郷だったんだ」
「うさぎは必死に逃げたけど、落ちぶれたとはいえ相手は神だ。けっきょく逃げ切れず、ここで捕まっちまったんだよな」
「木々が生い茂り、風薫る、穏やかに時が流れるこの土地が一目で気に入ってね。すぐにここに鎮座することにしたんだ」
「たまたま他の神々の縄張りになってなかったから、ここに居座ろうと決めたんだよな」
「でも、この土地には先に存在している者がいた。それがこのマガだったんだ。もちろん禍の者は民に、大地に害をなす存在だ。鎮めないといけない。ただ、このコはとても大人しかったんだ。禍の者とは思えないくらいにね」
「こいつも空腹の極地にあって、ほぼ動けない状態だったんだよな」
「だから私たちは話し合った。私は社を造る。その社にともに鎮座しよう。その代わり、一切荒ぶることがないように、常に和んでいること。そう私たちは約束したんだ」
「お前、あまりの空腹にマガのことはさておき、俺を美味しくいただいたんだよな。それで物欲しそうにしているマガに俺の足一本くれてやった。自分に服従することを条件に。俺を誓約(うけい)のだしにしやがった。しかも足一本。最低かよ、お前」
「もう、うさぎ、うるさい。人が話している時に横から邪魔しないで」
「お前が話を美化して、都合の悪いことを避けて話そうとするからだろう。真実を語ることを恐れるな。ありのままを話せ」
 全員の間に、変な空気が流れていた。鎮守神は一度咳払いをしてから話を続けた。
「そんなこんなでこの里に鎮座し、それ以来、私は恵那彦命(えなひこのみこと)と名乗りこの恵那郷の地主神としてこの地域を守護し続けてきたんだ。マガと一緒にね。ちなみにこの国全体を見渡しても禍津神を(まつ)っている社はけっこうあるんだよ。害をなす神を逆に丁重に祀って、その御魂(みたま)を鎮めて荒ぶらないようにしてもらうためにね。私たちはこののどかな里で、ゆったりとした時の中に存在してきたんだ。それがいつまでも続くと思っていた。でも、およそ千年前、災厄がこの地に舞い降りた。いや、民によってもたらされた、と言った方が正解だろうね。もともとこの郷の中心の川沿いに我が社は建っていたのだけれど、時の権力者たちのお達しで現在地に遷座させられた。そして跡地に災厄が鎮められた。どうやら卜占(うらない)で、この郷のその場所が最適だと示されたようだ。そして、他の神々が次々にやってきた。災厄を鎮めるために。この村にも本来なら奈良の春日大社の御分霊(ごぶんれい)が鎮座する予定だったんだ。そして我らはそこに合祀(ごうし)される予定だった。私は時の権力者の決めたことなら仕方がないと思った。抵抗してみても良いことはひとつもないと思ったんだ。でもマガは違った。遷座(せんざ)は仕方ないと納得しても、他の神社に合祀される、自分たちの社がなくなることは許せなかったみたいだ。だからこの里以外の民の出入りを拒絶した。天変地異を起こして社殿建設どころか資材搬入さえできなくさせた。だからこの社は残ったんだ。今、春日神社は南の方に鎮座しているけど本来はここに鎮座しているはずだったんだよ」
 タマとヨリモには知らないことだらけだった。二人とも前のめりになりながら話を聴いていた。一方、蝸牛も知っている話もあったが知らない話もあったので、よく聴いて、しっかり覚えて、兄者たちに教えてやろうと思った
「ちなみに俺は、こいつらに命を取り込まれてから数十年後、眷属として生まれ変わったんだよ」
「うさぎ、誰も君のことは興味ないと思うよ」
「いや、喰われたまま残酷な話で終わらせたら可哀そすぎるだろ、俺。ちゃんと取り込まれた命が眷属として復活したって話してやらなきゃ。それからうさぎって呼ぶな。俺の名前は玉兎だ。ちゃんと呼べ」
「えー、玉兎って何か、かわいくないんだよな。うさぎの方がいいんじゃないかな」
「お前がつけた名前だろ。ちゃんと責任持て」
 二人の掛け合いを聞きながら、どうやら悪い人たちではなさそうだ、とタカシは思った。信用してもよさそうだ、と。そろそろ本題に入ろう。
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