第六章三話 八艘の陣

文字数 3,636文字

 サホの視線の先で、三輪(みわ)の眷属は黙っていた。もう疑いようがない、間違いない、三輪明神は寝返った。もとから三輪明神はこの郷の神議(かむはか)りに融和的ではなかった。何かと理由をつけては非協力的な態度を示していた。
 この郷を守護する八社は互いに交流があった。連絡を取り合う必要も度々あり、その度に眷属が伝令として発せられた。だから他の社の眷属たちとも(おおむ)ね顔見知りで、中には親しく交流している者もいる。しかし三輪神社に限っては祭神にお目通りが叶ったこともないし、眷属も(おさ)であるタツミ以外には会ったこともない。謎が多い、何を考えているのか分かりづらい一族だった。そんな感じだったので、いつしか噂が立った。三輪明神は自身と似通った災厄と気脈を通じている、寝返るための時宜を見計らっている、と。それはもちろん眷属たちの間の他愛もない噂でしかなかったが、それを否定できる者もおらず、否定する材料もないので、誰もがまさか、とは思っていたがあり得ないこととは思っていなかった。
 そんな、かねてからの噂と現状を鑑み、サホにはもうこれは決定的と思わずにはいられなかった。先ずは我が大神様にお知らせして、他の神々の眷属と隊を編成して、三輪明神の眷属と相対し、亡き者にせねばなるまい。先だっては目の前の眷属を滅し去る。
睦月(むつき)、大神様のもとに伝令。三輪明神、叛意(はんい)あり。急ぎ討伐隊を編成、差し向けを乞う」
 雄鹿の背に乗り、カツミの背後に回り込むため移動していた副隊長の一人である睦月は、即座に岸に布陣していた一騎に向かって指示を出した。指示された女眷属はすぐさま雄鹿にまたがり背後の森の中に姿を消した。
 く、まずいな、もたもたしているうちに囲まれた。思ったよりこいつら統制が取れていて機敏に動く。そうカツミは思いつつ、脇に抱えたマコの姿を見た。両手両足をぐったりと垂らしている。どうやら気絶している。それほど重いとは思わなかったが、これから戦うには邪魔に感じられた。しかし手放す訳にもいかない。先ほどのように放り投げたら、周りを囲んでいる春日明神(かすがみょうじん)の眷属たちが、すぐさま自分に向かって攻撃を加えようとするだろう。抱えながらどうにか戦い、どうにか逃げるしかない。
 それにしても、とカツミは改めて思った。兄者はよくも軽々と捕まったもんだ。まったく日頃、我をあれだけ(いまし)めておきながら、油断し過ぎだろう。そしてふと日常、よく言われていたことを思い出した。
“我らはこの村を守護する大神様の眷属だ。この身、この命に代えても大神様とこの村を守らねばならぬ。いつでも命を投げ出せるように日頃から覚悟しておけよ”
 もう、兄者は覚悟を決めているのだろう……。それなら他の神々の眷属と争ってまで禍津神(まがつかみ)のために動くことはないのではないか。ふと、そう思ったが、その途端、ナツミの悲しむ顔が脳裏に浮かんできた。ああ、ダメだ。ナツミを悲しませる訳にはいかない。
 隊長、とサホの耳に横合いから声が聞こえた。サホがそちらを向くと雄鹿の背に乗った、もう一人の副隊長である弥生(やよい)が頷いた。準備完了の合図だった。周囲の雰囲気が変化した。それを感じてカツミは、来る、と察した。とたんにサホは腰に差した剣を抜き放って宙高く跳躍した。
 大丈夫、届かない。カツミはその跳躍を見て感じた。いくら驚愕するほどの跳躍力をもっていても彼我(ひが)の距離はそれよりまだ離れている。それでも念のためカツミは後方を警戒しつつ後ろに下がった。自分の後方には雄鹿に乗った女眷属たちが剣に手を掛けて待ち構えている。そして両岸には弓に矢をつがえた女眷属たち。
 サホは宙高く跳んだ後、湖面に落下した。その落下地点には雄鹿の背があった。サホはその背に落下し、水しぶきを上げながら水中に沈みかける雄鹿を踏み台にして更に前方に跳んだ。
「三番騎右に。一番騎前進。八番騎そのまま動くな」弥生が雄鹿の背に立ち、片手を前方に差し出しながら指示を出していた。その先には十二頭の雄鹿がその背を湖面に出しながら点在していた。サホはその背中を踏み台に次々にカツミに近づいていった。
「ミヅキ、行くぞ」頃合いを見計らって、弥生は横にいる小柄な眷属に声を掛け、自身も雄鹿の背を蹴って跳んだ。跳びながらも雄鹿に向かって指示を出し続けた。「十番騎、動くな。七番騎右に展開。一番騎、衝撃に備えよ」
 これは春日明神の眷属たちが編み出した陣形だった。彼女たちの跳躍力を活かしづらい沼地や草むらなどに足場として雄鹿を展開し、その背中を伝って目的地に向かう、または敵に襲い掛かる。これを彼女たちは全体で移動しながら行う。通常は弥生の指示に従って縦横無尽に雄鹿たちは動き、女眷属たちがその背を跳ねながら移動する。戦闘面では恵那郷八社の眷属の中でも随一の統率力を誇る彼女たちならではの陣形だった。
 カツミにとってこの、春日の眷属たちが“八艘(はっそう)の陣”と呼ぶ陣形のことは聞いたことはあったが、見るのは初めてだった。だから驚いた。実際こんな風に向かってくるとは。だからとっさに(きびす)を返して後退した。先には三人の女眷属、滑るように水面を移動して、そのうちの一人に近づいた。
「来るぞ、三番隊集合、壁を作れ。迎撃せよ」剣を抜き、カツミの行く手に立ちはだかって睦月が声を上げた。周囲の雄鹿に乗った眷属たちが集まってきた。
 少し手前で水面から飛び上がり、カツミは(かま)を睦月に向けて振り下ろした。睦月がそれを剣で受けたためガキンという金属音が周囲に鳴り響いた。カツミはすぐに後方に跳び下がった。そして即座に左方向に移動しようとした。こいつらの動きは遅い。一か所に集まったこいつらの横を抜けていく、そうとっさに判断していた。しかしその瞬間、背後から激しい殺気。瞬時に振り向いて上方に目を向ける。そこにはサホの姿。頭上から今にも両手(もろて)で剣を振り下ろそうとしていた。慌ててカツミは鎌でその刃を受けた。衝撃で腰辺りまで水中に沈む。
 サホは、そのままカツミの体勢を崩そうと剣を押し込む。カツミが何とか踏ん張ってこらえていると、くそ、とサホは小さく呟き、相手の胸部を蹴って後方へ飛んだ。
 その時、弥生はカツミの右横にいた。しかし斬り掛かるには今一歩足りない、その途中に雄鹿を配しているはずだったが、移動が間に合わなかった。とっさに弥生はすぐ横でともに移動しているミヅキの名を呼んだ。
「はい」と柔らかく答えたミヅキは宙を飛びながら姿を変え、雌鹿になると数歩水面を駆け、そのまま水面に半身を沈めた。その背中を蹴って弥生は更に跳んだ。そしてサホと離れたばかりでまだ迎撃態勢が整っていないカツミに向かって剣を袈裟(けさ)に振り下ろした。
 カツミは後方へ下がりながら鎌で剣を受け止めようとした。しかし間に合わず、剣の先が彼の肩先を切り下げた。
 ぐあ、と叫び声を上げると同時に衝撃で思わず抱えていたマコの身体から手を離した。水しぶきを上げながら湖面に落ちるマコの身体。しまった、と思うと同時にカツミはマコを救うべく水中に向かう、とそこにまたサホが斬り掛かった。
「くそ、邪魔をするな。そなたたちには関係のないことだ。手出しをするな」再び鎌で剣を受けながらすぐ目の前にいるサホに向かって言い放つ。
謀反(むほん)を企てている者を見逃すほど、我らは臆病者でも怠け者でもない。そなたこそ神妙に我らの軍門に降れ」
 そんな二人の傍らで弥生は水中に潜り、マコの身体を捜した。(まが)の者たちのせいか水は濁っている。しかし沈んですぐだったためにマコの身体はすぐに見つかった。手を伸ばし、捕まえる、とその瞬間、水が動いた。目の前にあったマコの身体が瞬間的に消えた。弥生が、えっ、と思う間もなく周囲の水が激しく流れ、渦巻きはじめた。
 サホは慌ててカツミから身体を離し、足元まで移動していた雄鹿の背に乗って前方を見上げた。
 睦月たち湖面にいる女眷属たちも、ただ唖然とした表情で見上げていた。
 その足元にいる雄鹿たちも顎を上げて見上げていた。
 岸にいた女眷属たちも弓矢を持った手を降ろして呆然と宙空を見上げていた。
 彼女たちの視線の先には高く盛り上がった水面、そしてその上に威風凜然と立つ見たことのない、得体の知れない存在。
 全身土気色、禍い者か?筋骨隆々とした身体は人のようだが、顔が馬のように長く、鹿のような角を生やし、太く長い尾がうねりながら伸びている。龍か?サホの脳裏はけたたましく動き回っていた。突然現れた存在を計りかねていた。ただ、その存在はとんでもない威圧感を周囲に放っていた。それだけでもただ者ではないことが分かる。そして恐らく味方ではないことも。
 禍津神の両脇には水が柱状に立っており、その上にマコとタツミの姿があった。マコは未だ気を失っているようだったが、タツミは水の縄で身体を拘束されているものの意識はあるようで、微かに呻き声を漏らしながら、顔を上げて弟の方へと向けた。
「兄者」カツミが発したとっさの叫びが虚空を打った。
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