第三章一話 仁王立ちの蝸牛

文字数 4,479文字

 目の前に並んだ兵士たちが、弓を引きしぼって今にも矢を放たんとする姿勢を見せている。
「私は八幡宮(はちまんぐう)が眷属、ヨリモです。我ら一行、八幡大神様の(めい)によりこの恵那郷(えなごう)の往来をしております。我らに弓を引くは八幡大神様に弓引くことと同義。それを分かった上での所業(しょぎょう)でありますか」
 鋭い視線を兵士たちに向けながらヨリモが一喝した。しかし目の前の兵士たちはひるむ様子を見せないまま、おもむろに真ん中にいたこの一団の長であろう男が口を開いた。
「今、この村には(まが)い者が数多(あまた)現れておる。よってこの村への出入りは我が大神様の命によりとどめ置かれておる。我ら眷属が禍い者のすべてを祓い清め終わるまで、しばし待て」
「我らはそちらの大神様の取り決めに従ういわれはありません。あくまで通さぬのなら押し通るまでです」 
 そう言うヨリモからもタマからも殺気が漂っていた。そして目の前の兵士たちからも。
「我らはこの郷の鬼門を警固する者。罪穢(つみけがれ)はこの地より郷に入る。よって神議(かむはか)りにより、この地の往来の可否は我が大神様に一任されておる。その取り決めをないがしろにするつもりか」
「我らはそちらの邪魔をするつもりはない。ただこの地を抜けて東野村(とうのむら)に行きたいだけだ。そう天神様にお伝えいただきたい」
 タマはなるべく威圧感を与えられるような口調で言ったつもりだった。しかし効果はほぼなかったようで一言のもとに拒絶された。
「ならぬ。我らの勤めはただ、ここから先へ誰も通さぬ、それだけだ」
 息苦しいほどの緊張感が周囲を包み込んだ。
「なら、仕方ありません」
 そう言うが早いかヨリモが兵士たちに飛び掛かっていった。すぐにタマも同じく飛び掛かった。そして一瞬のうちにそれぞれ手近な兵士を打ちのめした。
 二人の移動速度は兵士たちとは段違いに速かった。タカシの目にはその姿が視認できないくらいに。
「どうする?まだ歯向かうか?」
 睥睨(へいげい)しながらそう言うタマの言葉に兵士たちは答えられなかった。が、長らしき兵士がヒュッと一声合図を送ると一斉に背後の林の中に退散していった。
 その姿を見ながらタマとヨリモはほっと一息吐いた。そんな二人にルイス・バーネットが声を掛ける。
「君たちは案外と強いんだね。驚いたよ」
 タカシもその言葉に賛同した。
「まったくだ。見直したよ。同じ眷属なのに君たちは段違いに強いじゃないか」
 タマが嬉しそうな表情をしながら応じた。
「それは当然だ。我らは誓約(うけい)で生まれたからな。他の眷属とは出自が違う」
「うけい?」というタカシにヨリモの解説がはじまった。
「通常、眷属は民草(たみくさ)の願いから生まれ()ずるのです。氏子や崇敬者たちが財であったり、食物であったり、自らの大切なものを献じて願う。その願い事を叶えてやるために、献じられた物を(かて)にして、生み出されるのが眷属なのです。そして眷属は民草の願い事を叶えてやるために、大神様の名代(みょうだい)として行動するのです。よって数多(あまた)の民草が願えば願うほど、捧げ奉られた物が多ければ多いほど眷属は増えていくのです。ただ、そういった通常の発生とは別に、大神様たちによる誓約によって生まれる場合があります。誓約は二柱以上の神々が互いに誓いを立て、その証しにお互いに大切な物を交換し、それを糧にして眷属を生み出すのです。約百五十年前、我が大神様と稲荷の大神様は私心を捨て、この恵那郷を協力して鎮めていくことを誓い合いました。その誓約によって、タマ殿は八幡大神様の宝玉から生じ、私は稲荷大明神様の勾玉(まがたま)から生じたのです」
「誓約と言えば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)の間にも行われていたね。互いの剣なんかを噛み砕いて、そこから神様が生まれ、男神女神の違いで素戔嗚尊の叛心(はんしん)がないことを証明した、というような話じゃなかったっけ?」と言うルイス・バーネットの声に、タマが少し感心したように答える。
「そなた、意外とよく知っているな。高天原(たかまのはら)の神々が誓約をすると新たに神々が生ずるのだが、地上のお社にお(まつ)りされている神々が誓約をすると我ら眷属が生ずるのだ」
「ふーん、そうなんだ。面白いね」
 先を急ぐ中、小難しい話が続きそうな雰囲気だったのでタカシが割って入った。
「じゃ、先を急ごうか。あまり歓迎はされていないみたいだけど、ここでとどまっている訳にもいかない」

 一行はそのまま道を進んだ。少し行くと道は林に入る。平坦な道の両脇に次第に木々が茂りはじめすぐに鬱蒼としてきた。道の左側は緩やかな斜面となっており、少し行った所で山の傾斜に合流する。背の高い(ひのき)が群生しており、暗く湿っている。道の右側は広く平坦で、高木は点在する程度で中低木が多く生え、比較的明るく感じられた。
 周囲を樹々に覆われているために、全体的にこの林道は日陰の中だった。道の右側から木漏れ日がコロコロと落ちてきて肌の上で小躍りしている。背後からそよ風が優しく吹いて一服の清涼感を与えてくれる。ルイス・バーネット以外、林の中で生き返ったような気分だった。ルイス・バーネットだけは平然と見た目、暑苦しい服装のまま、汗の一滴もかかずに歩いていた。
「暑くないのか?」あまり暑さを感じていないようなので、タカシが訊いてみた。
「そりゃあね。僕には身体がないから。それに人の魂の中では基本的に温度ってないんだよ。君が暑いって感じているのは、君の脳が勝手にそう思っているだけなんだ」
「そうなのか?じゃあ今からでも……」
「無理だね。いったん暑いと感じてしまうと、周囲の場景が一変しないかぎり脳は受け入れてくれないよ。脳ってけっこう頑固だからね」
「あ、そう」とタカシが残念そうに呟いた。

 その眷属は大量の弓や(えびら)や剣を乗せた荷車の横で、大きな身体を微動だにせずにじっと立っていた。周囲は遥か頭上に葉を茂らせている太い竹の群生に囲まれている。その竹林に風が吹くたび枝葉がしなり、さやさやと頭上から大量な葉擦れの音が降ってくる。風がやむと離れた林からセミの声や鳥の甲高い鳴き声が聞こえてくる。そんな音たちの中で彼は次にどこに行くべきか考えていた。
 他の眷属は(まが)い者の討伐に忙しく立ち回っていた。彼はその村のほぼ全域を荷車を引きながら歩いて武具の補充任務に当たっていた。何人かの組に分かれて村の各地に散らばっている仲間たちの所を漏らさぬように回っていく。現場に着くとそこは大抵の場合、殺気立っていた。だから彼はよく叱責された。急げ、だとか、もたもたするな、とか。
 実際、彼の足は速くなかった。走ってもドタドタと音がするばかりで、他の眷属ほど速くは動けなかった。ただ、彼は動き続けることができる。その大きな身体に無尽蔵の体力を蓄積させているのか、命じられれば二日でも三日でも歩き続けることができた。そしてその膂力(りょりょく)も人一倍強かったので、荷物持ちは自然と彼の勤めとなっていた。また自分の仕える神が外出する場合などは、その輿車を一人で引いたりした。
 そんな自分の立場を彼は当然だと思っていた。自分には智慧もないし、何かの技術もない。ただ力が強いだけのでくの坊でしかない。小さい時から目上の眷属に叱られてばかりだったし、自分でもそれは自覚している。だから仕方ないことなのだ。それは学問の神として人々の尊崇を集める自分の仕える大神様に対して大変申し訳ないことであり、恥ずかしいことだと思っている。でも、他の眷属のように理知的に振る舞い、勇敢に戦うことなど自分にはできない。自分のような愚鈍な者が何かしようとしても、それはただ他の眷属にとっての邪魔にしかならない、と諦めていた。
 そんな彼に向かって、前方から他の眷属たちが一目散に駆けてくる。何事かと思っているうちに眷属たちは彼のもとに走り着き、
「おい、蝸牛(かぎゅう)。北西から侵入者だ。なかなかの手練(てだ)れによって我らは大神様に奉告(ほうこく)して、仲間を集めてくる。そちはすぐに林の中に武具を隠して退却しろ。もし、隠すのが間に合わなければ捨て置いてもよい。すぐにお社まで退却するのだ。よいな」と言うが早いかそのまま駆け去っていった。その中には負傷して抱えられた者もいる。どうやら戦闘があって、敗れて逃げてきたようだ。
 蝸牛と呼ばれた眷属は、さて、困った。と独り()ちた。侵入者が今、どこら辺にいるのか分からなかったが、荷を見つからないように隠して、それからお社に戻っている内に追いつかれてしまうのではないか。あまり自分の足に自信がないので少し心配になった。といっても普段から他の眷属に物を大切にするように厳しく指導されてきた身であった。荷を放置して行くことにも強い抵抗がある。それに荷が侵入者の手に渡り利用されるかもしれない。それは輜重役(しちょうやく)としての自分の落ち度でしかないだろう。何とかこの荷を守ることはできないだろうか。少しの間、頭をしぼって考える。ただ、他の眷属でも敵わない相手に自分一人で、と思うとなかなかいい案が浮かばない。しかし、この竹林を抜けると大神様の鎮まるお社までそう遠くない。そちらに侵入者を向かわせる訳にもいかない。どうにか時間稼ぎをしていたら、そのうち他の眷属たちが助けにきてくれるだろう。
 さて、どうしよう。竹林を眺めているとふと、ひらめいた。これはちょっと面白いかもしれん。そう思いつつも、勝手なことをすると兄者たちにまた叱られるかも、とも思い、少し躊躇(ちゅうちょ)したが、今、他の眷属たちはいない。自分に指示を出す者も、叱責する者もいないのだ。そう思うと、試してみたい衝動に激しく駆られた。うまくいけば兄者たちに褒められるかもしれぬ。すぐに蝸牛は荷台に乗せてある(くわ)(すき)を手に取り、急いで道の真ん中を掘りはじめた。その鍬と鋤は道に木の根や岩があって荷車の通行が困難な場合に、その邪魔になっているものを掘り起こすために常備してあった。
 蝸牛はその力強さに任せてどんどんと掘り進めていく。地中には竹の根が縦横に張り巡らされていたが、そんなことはお構いなしに一気に掘り進め、やがて彼の身体がすっぽりと隠れるほどになると、手を止め、穴から這い出て、続いてノコギリを手にすると道端の背の高い竹を、道を塞ぐように数本()り倒した。そして枝の中から長いものを探して伐り穴の上に渡した。その上から枯れ葉を布き、土を被せた。やがて、ぱっと見た目は分からない落とし穴が完成した。
 侵入者たちがやってくる前に完成してよかった。蝸牛は一つやり遂げた満足感にひと時浸っていたが、待てよ、他の村の眷属たちの中には空を飛べる者もいるし、飛ばないまでも恐ろしく高く跳べる眷属たちもいる。そう思いいたってすぐにのそのそと竹林の中に分け入って、しばらく探し回った挙句、どこからか自分の身体よりも大きな岩を肩に担いで戻ってきた。その頃には道の先、竹林の入り口辺りに数人の人影を認めたが、もう逃げるつもりは毛頭なかった。逃げても追いつかれるだけだし、自分の思いついた作戦を遂行してみたい欲求にも駆られていた。
 大岩を背後に置き、箙を腰に着け、彼にしか引けない大きな強弓を手にして、落とし穴を前に仁王立ちして侵入者を待った。
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