第十章三話 不穏極まりない
文字数 4,401文字
「では、仰せのままに、集 い給いし大神たちの大御神意 もちて、災厄を宿せし者を祓いやるか、依 り代 の娘を贄 となすか定め給うべく、郷の内に鎮まる大神たちの御霊 を依り代の娘に招 ぎ奉る御祭 りを斎行いたします」
如月 は、額 の上にみずらを結い金銀宝玉で飾りつけ、紫がかった暗い赤色の大袖 に、裳 には段だらに何色もの襞 を垂れ、肩に白い領巾 を掛けた、古 の都にいたであろう女官 が着ていた礼服 に身を包んでいた。その口調は、普段の語尾を伸ばすのんびりしたものとは違い、威儀を正した張りのある声で滔々 と語るよう。
本殿の階 の下、板敷きの間で、武装したままのサホと並んで座し、頭を下げている。高い所から声が降ってくる。
――結界が破られ、楔 も消えた。他の神々との繋がりが露 と消えた。このような折りには郷内に鎮まる神々は依り代の民に分御霊 、寄させ集いて、災厄を鎮めること、神議 りにすでに定まれることなり。
脳の中心に直接、響いてくるような重々しい声。二人は身動 ぎもせず拝聴している。それにしても、やっと大神の裁可が下りた。クロウが卜占 の見立てを伝えにきて、すぐに如月は拝謁してその内容を伝えていた。しかし、普段と違い、なかなか卜占の内容と刻々変化していく状況にどう対処していくか、結論が示されなかった。神々の力を結集して再度、結界を張るか、復活した災厄に依り代の民草を献上して荒御魂 を鎮めてもらうか。もちろん現状、間違いなくこの郷はじまって以来の一大事。どのような禍事 がこの郷に、我々に降り掛かってくるのか皆目見当もつかない。大神様とて慎重にならざるを得ないのだろう。そして、尾の楔が消滅した今となって、ようやく大御神意が示された。
結論としては、いったん依り代に神々の分御霊を降ろし、状況によってその後の対処を決める。恐らく総社の神である八幡神の裁可によって事が大きく動く。神々の力を和して結界を張ることになれば異論は出ないだろうが、熊野の眷属による卜占の見立てに従い、依り代の民を差し出すことになれば、当然異論は出るだろう。そうなれば、まったく予断を許さない事態になるかもしれない。如月のそんな思考を察してか再び重々しい声が響いた。
――災厄を宿す者、この村に向かってきておるようじゃな。その者に依り代の民を与えたところで災厄を鎮めることができるのかは分からぬ。しかし、災厄を宿す者を祓いやり、再び結界を張ったところで、解き放たれた災厄の力は、その力の及ぶ範囲であるこの郷のすべてを壊しつくそうとするかもしれん。依り代の民が手に入らぬなら、邪魔な我らもろともこの郷を消滅させてしまうかもしれん。ただ、我ら八社の神々の御霊を集いてその和でもって応じれば、何とかこの郷を守ることもできるかもしれん。そのために、依り代の民に我らの御霊を降ろす必要がある。サホよ、そなたが連れてまいった民草の娘、真に依り代の民なのだな。
その問いに平伏したままでサホが口を開いた。
「恐れながら申し上げます。昨夜、我らが連れ帰りました民草の娘、先ほども申し上げましたが、三輪 の大神の御霊もお招きしたとのこと、神々の依り代となれる者で間違いありません」
――ふむ。その娘を如月、そなた視たか?
「はい、昨夜」
――どうであった。依り代になれそうか。我らがその娘に天降 って力を発現 すことができそうか?
「はい、恐らく」
――そうか、それでは会ってみよう。サホ、その娘を連れてまいれ。
「はい、間もなく隊の者が連れてまいります。しばしお待ちを」そう言い終わる寸前で社殿横扉の開く音が聞こえた。
失礼します、と言いつつ弥生 が拝殿に入り、後方からサホに、連れてまいりました、と声を掛けた後、リサたちに入室するように促した。
「ご苦労。山崎リサ殿と申したかな?こちらへ」サホは身体ごと振り返りながら落ち着いた声を上げた。リサに続いて参入したタカシやマサルに視線を向けたが、特に気にしていないようだった。男二人は弥生に制されて拝殿 に残り、リサだけがサホたちのいる幣殿 に向かった。
春日神社 の社殿は本殿と幣殿と拝殿の三棟が一続きになって建っており、拝殿は石畳が敷かれていたが、幣殿は拝殿より若干高い位置に板張りになっていた。リサは靴を脱いで、三段、階段を上りそのまま如月に促されるままに幣殿中央に正座した。そして三輪神社でしたように二回深く頭を下げた。その横でサホが声を上げる。
「大神様、この民草 が依り代の血筋に連なる娘でございます」
頭上に渦巻く雲の層は、全天をおおう勢いで更に広がっていく。やがて、闇夜に抗っていた月光も間断なく瞬 いていた星々もその姿に暗色を塗られ、辺りはただの漆黒の闇と化していった。更には気圧の変化によるものか大量の湿気を含んだ生温い風が四方八方から吹きつけてきた。
そんな落ち着かない心情を喚起するような状況の中、雌鹿姿の眷属が春日神社境内 に走り込んできた。そして人型に変化 したかと思うと荒い息を繰り返しながらその場にへたり込んだ。
その女眷属の様子に、社殿前に集合していた眷属たちの中からミヅキが走り寄っていく。このコは四番隊のコだわ。睦月 ちゃんからの伝令かしら。それにしてもとても慌てて走ってきたみたい。何か胸騒ぎがする。
「大丈夫?睦月副隊長からの伝令なの?慌てなくてもいいから、呼吸を整えて」
その言葉を聞いて、その女眷属は数回、深い呼吸を繰り返し、やがて落ち着くと一気に、託された伝令と走りながら見た凄惨なる有り様を告げた。
「尾の楔付近に民草の女が出現。ただならぬ力を有している様子にて援軍を要請するため我、伝令を仰せつかって参りました。……ただ、三、四番隊、及び稲荷並びに天満宮の眷属によりその民草の女を迎撃するも、その力、甚大にして水を操り、恐らく……三番隊、四番隊、そして稲荷、天満宮の眷属、いずれも全滅した模様……」
目を大きく見開いたままミヅキは固まっていた。そんなバカなことが……。
低く垂れこめた黒雲はその密度を最大限にまで高め、今にも崩れ落ちそうに、重い身体をかろうじて維持している状態だった。そんな上空から、身動 ぎもできず立ちすくんだままのミヅキの身体に水滴がぽつり、ぽつりと落ちてきた。
その頃、社殿内では春日神社の祭神が、周囲の空気さえ重苦しくさせるほどの威圧感を振りまきながらリサたちと向き合っていた。
--ふむ、どうやら本当に依り代の民のようだ。娘、そなたは自らの血筋を担う者として我らの分御霊をその身に降ろさねばならぬ。そなたの身体を使わせてもらうぞ。
リサはただ、目の前の状況が恐ろしく、ジッと身を縮こまらせて耐えていた。マサルも平伏したままジッと神の御言 を聴いていた。この娘に、この郷に鎮まる八社の神々の御霊を天降らせるのか、と驚きながら。
人に祀られる神々はそれぞれ鎮座する土地に縛られている。木々が地中に根を張り、広げていくことで巨大化することができるように、神々もその土地に根付き鎮まっているからこそ力が発揮できる。もしその土地から離れる場合は分御霊が本体から遊離することになる。無論、力も分御霊のままでは少量でしかない。しかし分御霊をまとめて大きな一つの力とすれば、災厄を封じ込められるほどの巨大かつ強力な結界が張れる。そうするにはやはり依り代となる民草に天降るしかない。依り代は言うなれば鉢植えの土。根を大きく張ることはできないが、一定の木々なら受け入れることができるし、自由に移動することもできる。しかし、一度に八社もの神々の分御霊を寄せ集めて、この娘は大丈夫なのだろうか。普通に考えても民草の耐えられる状況ではない気がする。
マサルがそんな心配をしている中、タカシもリサの身を案じていた。リサの定めとして神々の依り代とならなければならないのは分かった。彼が知りたいのは依り代となって彼女に何も影響がないのかどうか、ということだった。人智を超えたことだった。その結果が想像もつかない。しかし、それだけはちゃんと確認しておかなければならない。
「依り代となって神々の力を使っても、リサは大丈夫なんですか?無事に元の状態に戻れるんですか?」この数日で、神に対して直接質問をしてはならないと散々言われてきた。だから、タカシは自分たちと神の鎮まる本殿との間に控えている如月に向きを変えて声を発した。
「ふむ……訊きづらいことを訊く民草よなあ。まあ、その娘がどうなるかは、やってみないと分からぬなあ」
案外と正直に答えられてタカシは一瞬、面食らった。しかし、すぐに話の内容に不快感を顕 わにした。
「それは命の危険もあるということですか?」そんなことなら絶対に阻止せねばならない、そういう思いを込めた声をタカシは発した。
「まあ、確かに神々の分御霊をその身に宿すということは、大変なことやからなあ。場合によっては魂魄 が耐え切れず自らの身体から弾き出されてしまうとか、神々の御霊に抵抗して我が身から追い出されてしまう、なんてこともなきにしもあらずやなあ。そうなれば神々の分御霊が去った後はただの抜け殻になってしまうえ」
「そんな……そんなことをリサにさせる訳にはいかない」身体は如月の方へ向けているが、声はここにいる全員に聞かせるつもりで発していた。
「まあ、待ち。その娘は依り代の民草やからなあ。他の民草に比べたら苦痛は遥かに少ないはず。少しの間、何も考えずに無になっておれば、すぐに済むえ」
「いや、危険がともなうのならダメだ。リサはしない。させられない」
その声にサホが鋭く冷たい視線をタカシに向けた。
「そなたの許しなどもらおうとは思っておらぬ。これは大神様の大御言葉 だ。民草ごときがそれに異を唱えることなどあってはならぬ」
タカシはその視線に抗うためにしっかりと視線を重ねた。するとまた如月の穏やかな声が聞こえてきた。
「娘、そなたはどう思うのかえ。ほんの少し危険はあるが、この国の多くの民草を救うために依り代となり災厄と対峙するか。それとも恐れおののいて縮こまっているか」
リサはただうつむいて黙っていた。そんな初めて経験するようなことを、考える間もなくするかどうか決めろと言われても正直困る。世の中のためにはした方がいいような話だけれども、危険がともなうような話でもある。軽々 に判断を下せるものではなかった。それに、リサはもとから好んで自己主張をする方ではなかった。自分の意見など積極的には言いたい方ではなかった。だから、なるべく周囲の話の流れで決まってくれればいいのに、と思っていた。
リサが黙っていると眷属たちがはっと何かを察知して天井を見上げた。一瞬、すべての音が消えた。
「災厄の力が、あふれた」
如月が呟いた瞬間……
“どおんっ!”
と社殿はおろか周囲すべてのものが、激しい衝撃とともに叩きつけるような音に包まれた。
本殿の
――結界が破られ、
脳の中心に直接、響いてくるような重々しい声。二人は
結論としては、いったん依り代に神々の分御霊を降ろし、状況によってその後の対処を決める。恐らく総社の神である八幡神の裁可によって事が大きく動く。神々の力を和して結界を張ることになれば異論は出ないだろうが、熊野の眷属による卜占の見立てに従い、依り代の民を差し出すことになれば、当然異論は出るだろう。そうなれば、まったく予断を許さない事態になるかもしれない。如月のそんな思考を察してか再び重々しい声が響いた。
――災厄を宿す者、この村に向かってきておるようじゃな。その者に依り代の民を与えたところで災厄を鎮めることができるのかは分からぬ。しかし、災厄を宿す者を祓いやり、再び結界を張ったところで、解き放たれた災厄の力は、その力の及ぶ範囲であるこの郷のすべてを壊しつくそうとするかもしれん。依り代の民が手に入らぬなら、邪魔な我らもろともこの郷を消滅させてしまうかもしれん。ただ、我ら八社の神々の御霊を集いてその和でもって応じれば、何とかこの郷を守ることもできるかもしれん。そのために、依り代の民に我らの御霊を降ろす必要がある。サホよ、そなたが連れてまいった民草の娘、真に依り代の民なのだな。
その問いに平伏したままでサホが口を開いた。
「恐れながら申し上げます。昨夜、我らが連れ帰りました民草の娘、先ほども申し上げましたが、
――ふむ。その娘を如月、そなた視たか?
「はい、昨夜」
――どうであった。依り代になれそうか。我らがその娘に
「はい、恐らく」
――そうか、それでは会ってみよう。サホ、その娘を連れてまいれ。
「はい、間もなく隊の者が連れてまいります。しばしお待ちを」そう言い終わる寸前で社殿横扉の開く音が聞こえた。
失礼します、と言いつつ
「ご苦労。山崎リサ殿と申したかな?こちらへ」サホは身体ごと振り返りながら落ち着いた声を上げた。リサに続いて参入したタカシやマサルに視線を向けたが、特に気にしていないようだった。男二人は弥生に制されて
「大神様、この
頭上に渦巻く雲の層は、全天をおおう勢いで更に広がっていく。やがて、闇夜に抗っていた月光も間断なく
そんな落ち着かない心情を喚起するような状況の中、雌鹿姿の眷属が春日神社
その女眷属の様子に、社殿前に集合していた眷属たちの中からミヅキが走り寄っていく。このコは四番隊のコだわ。
「大丈夫?睦月副隊長からの伝令なの?慌てなくてもいいから、呼吸を整えて」
その言葉を聞いて、その女眷属は数回、深い呼吸を繰り返し、やがて落ち着くと一気に、託された伝令と走りながら見た凄惨なる有り様を告げた。
「尾の楔付近に民草の女が出現。ただならぬ力を有している様子にて援軍を要請するため我、伝令を仰せつかって参りました。……ただ、三、四番隊、及び稲荷並びに天満宮の眷属によりその民草の女を迎撃するも、その力、甚大にして水を操り、恐らく……三番隊、四番隊、そして稲荷、天満宮の眷属、いずれも全滅した模様……」
目を大きく見開いたままミヅキは固まっていた。そんなバカなことが……。
低く垂れこめた黒雲はその密度を最大限にまで高め、今にも崩れ落ちそうに、重い身体をかろうじて維持している状態だった。そんな上空から、
その頃、社殿内では春日神社の祭神が、周囲の空気さえ重苦しくさせるほどの威圧感を振りまきながらリサたちと向き合っていた。
--ふむ、どうやら本当に依り代の民のようだ。娘、そなたは自らの血筋を担う者として我らの分御霊をその身に降ろさねばならぬ。そなたの身体を使わせてもらうぞ。
リサはただ、目の前の状況が恐ろしく、ジッと身を縮こまらせて耐えていた。マサルも平伏したままジッと神の
人に祀られる神々はそれぞれ鎮座する土地に縛られている。木々が地中に根を張り、広げていくことで巨大化することができるように、神々もその土地に根付き鎮まっているからこそ力が発揮できる。もしその土地から離れる場合は分御霊が本体から遊離することになる。無論、力も分御霊のままでは少量でしかない。しかし分御霊をまとめて大きな一つの力とすれば、災厄を封じ込められるほどの巨大かつ強力な結界が張れる。そうするにはやはり依り代となる民草に天降るしかない。依り代は言うなれば鉢植えの土。根を大きく張ることはできないが、一定の木々なら受け入れることができるし、自由に移動することもできる。しかし、一度に八社もの神々の分御霊を寄せ集めて、この娘は大丈夫なのだろうか。普通に考えても民草の耐えられる状況ではない気がする。
マサルがそんな心配をしている中、タカシもリサの身を案じていた。リサの定めとして神々の依り代とならなければならないのは分かった。彼が知りたいのは依り代となって彼女に何も影響がないのかどうか、ということだった。人智を超えたことだった。その結果が想像もつかない。しかし、それだけはちゃんと確認しておかなければならない。
「依り代となって神々の力を使っても、リサは大丈夫なんですか?無事に元の状態に戻れるんですか?」この数日で、神に対して直接質問をしてはならないと散々言われてきた。だから、タカシは自分たちと神の鎮まる本殿との間に控えている如月に向きを変えて声を発した。
「ふむ……訊きづらいことを訊く民草よなあ。まあ、その娘がどうなるかは、やってみないと分からぬなあ」
案外と正直に答えられてタカシは一瞬、面食らった。しかし、すぐに話の内容に不快感を
「それは命の危険もあるということですか?」そんなことなら絶対に阻止せねばならない、そういう思いを込めた声をタカシは発した。
「まあ、確かに神々の分御霊をその身に宿すということは、大変なことやからなあ。場合によっては
「そんな……そんなことをリサにさせる訳にはいかない」身体は如月の方へ向けているが、声はここにいる全員に聞かせるつもりで発していた。
「まあ、待ち。その娘は依り代の民草やからなあ。他の民草に比べたら苦痛は遥かに少ないはず。少しの間、何も考えずに無になっておれば、すぐに済むえ」
「いや、危険がともなうのならダメだ。リサはしない。させられない」
その声にサホが鋭く冷たい視線をタカシに向けた。
「そなたの許しなどもらおうとは思っておらぬ。これは大神様の
タカシはその視線に抗うためにしっかりと視線を重ねた。するとまた如月の穏やかな声が聞こえてきた。
「娘、そなたはどう思うのかえ。ほんの少し危険はあるが、この国の多くの民草を救うために依り代となり災厄と対峙するか。それとも恐れおののいて縮こまっているか」
リサはただうつむいて黙っていた。そんな初めて経験するようなことを、考える間もなくするかどうか決めろと言われても正直困る。世の中のためにはした方がいいような話だけれども、危険がともなうような話でもある。
リサが黙っていると眷属たちがはっと何かを察知して天井を見上げた。一瞬、すべての音が消えた。
「災厄の力が、あふれた」
如月が呟いた瞬間……
“どおんっ!”
と社殿はおろか周囲すべてのものが、激しい衝撃とともに叩きつけるような音に包まれた。