第九章五話 男たちの名前

文字数 4,824文字

 リサははっとして顔を上げた。そして、とっさに声を出した。 
「ダメ、行けない。あたしはマコを捜さないといけない」
 絞り出すようなその声を、サホの冷静な声が何の躊躇(ちゅうちょ)もなく否定する。
「それは無駄だと言っただろう。それにそなたの意見は訊いていない。大人しくついてくればいい、それだけのことだ。十三番騎こっちにその娘を連れてこい」
 リサを背に乗せた鹿姿の十三番騎ことロクメイは顔を逸らしたまま動かない。
「どうした十三番騎。こちらに来い」
 春日の眷属たちがざわついた。あやつはどうしたのだ?
「十三番騎、どうした?その者たちに何かされたのか?」
「何か言え、黙っていては分からん」
「早くそこから逃げてこい。のろま」
 春日の女眷属たちが口々に(はや)し立てた。耐え切れずロクメイはタカシに顔を向けた、と同時に白く光って変化(へんげ)した。タカシはロクメイの目くばせの意図を察して、即座にリサの腰を掴んで地面に降ろした。人型に変化したロクメイはうつむいてボソボソと呟きはじめた。
「何だ?聞こえぬぞ。十三番騎、はっきりと言え」また春日の眷属の声が聞こえた。ロクメイはその声に腹をくくって、声を張り上げた。
「我は十三番騎ではない。我には我の名がある。そなたたちの中で我が名を知っている者はいるか。我を知らぬ者の(めい)を我は受けぬ」
 春日の眷属たちの中に沈黙が漂った。やはり誰も知らぬか。ロクメイの胸中に寂寥感が漂った。更には一抹の(いきどお)りも。我はそなたたちの道具ではない。我は意思を持つ、一人の眷属だ。
 サホは必死に眼前の眷属の名前を思い出そうとしていた。彼女は神鹿隊(しんろくたい)に所属する眷属全員の名前を知っている。ただ、普段、男眷属の名を呼ぶことがまずなかったので、思い出すのに時間が掛かった。しかし、ようやく思い出した。ほっと安堵してその名を呼ぼうとした間際、背後から声が聞こえた。
「十三番騎、生意気を言うでないぞ。男たちの中で一番若輩のそなたが名前などおこがましいとは思わんのか。名を呼ばれたくば、まずそれに見合う働きをせよ」
 周囲を圧する大音声だった。振り返らなくても分かる、弥生(やよい)の声。サホのかたわらに移動しながら抑えた声音を発した。
「遅くなりました。北側におりました隊員をまとめて連れてまいりました。負傷者九名、消滅した者は今のところおりません」
 弥生は周囲を見渡して、逃げたはずのカツミの姿を認めてほっとした。これで先ほどの失態を帳消しにすることができる。それにしても先ほどといい、今の十三番騎といい、男眷属たちはどうしてしまったのだ?隊の規律の問題なのだろうか?編成も見直さないといけないだろうか?とりあえず負傷者が多い、村に帰って体勢を整えなければ。
 ご苦労、とサホは言ってから、再びロクメイに声を掛けようとした。が、同時にまた弥生が声を発した。
「ミヅキ、早くその謀反人(むほんにん)どもに縄を掛けぬか。村まで連れ帰るぞ」
 そう()き立てられてミヅキは慌てた。カツミやナツミが大人しく捕縛(ほばく)される訳がないとは思ったが、弥生が珍しく語気を荒げている様子なので、何も行動しない訳にもいかない。仕方なく部下たちを連れて包囲網を縮めていく。その眼前にマサルが薙刀(なぎなた)を構えたまま進み出ていった。
「春日の眷属たちよ。よく事情は知りませぬが、我は三輪(みわ)の眷属たちに恩義をいただいた者。そなたたちが三輪の眷属に手を出すのならこの薙刀が黙ってはおりません。それでも歯向かうというなら覚悟して掛かってきなさい」
 なぜ山王日枝(さんのうひえ)の眷属がここに?と弥生は怪訝(けげん)な表情を露骨に表した。そして何か言おうと口を開きかけたが、今度はサホが先に声を発した。
「マサル殿、そなたと争う気はない。その三輪神社の眷属は民草を(さら)い、禍津神に献上し、あまつさえ我らに攻撃を加えてきた。我らはここに神議(かむはか)りの要請により参っておる。その我らの行動を邪魔することは神議りへの反逆である。よってこの場で捕縛し我が村で大神様の裁可を仰ぐ」
 ふむ、詳しいことは知らぬが、民草を攫ったことは、いくら情状酌量の余地がある事情があったにせよ、眷属として賛同しかねる、らしからぬ行動だ。しかも、よりによって神鹿隊(しんろくたい)に逆らうとは、しかも単騎で。三輪の眷属はなかなか無茶をするものだ。とマサルは心中、独り()ちた。まあ、どういう事情があるにせよ我のするべきことはただ一つ。
「そなたたちの事情は分かりました。されど我にも事情があります。何と言われようと三輪の眷属たちに縄を掛けさせる訳にはいきません」
 仕方ない、とサホは心中呟いた。
 現在、自ら率いる隊には負傷者が多い。負傷していないまでも、みな疲労を抱えている。ここで争い事を起こして更に犠牲者を出すことはためらわれた。先ほど、この眷属たちは民草(たみくさ)の娘を守護しておると言っていた。いったいどういう経緯でそうなったのかは分からぬが、それなら娘を連れて行けばこやつらもついてこざるを得ないだろう。
「分かった。ここで三輪の眷属を捕縛することは諦めよう」
 神鹿隊々員は全員驚いた。それほど激しさを表には出さないが、勝気で頑固な隊長がこれほどあっさり、すんなりと身を引くとは思っていなかった。
「ただ、そなたたちにはぜひ我が村にお越しいただきたい。もちろん客人待遇でだ。娘、そなた神降ろしの(すえ)だと申しておったな。それなら我が大神に拝謁するべきだ。我が大神様は斎主(いわいぬし)の神でもある。そなたの力を使いこなせるよう大御力(おおみちから)をお貸しくださるかもしれん」
 リサはそんなサホの言葉を(うつ)ろな気分で聞いていた。まるで自分とは関係のないことのように。マコがもうどこにもいないかもしれない、そう思うとどうしても気もそぞろになっていたが、次にサホの発した言葉はしっかりと彼女の頭に響き渡った。
「それに、もしそなたの捜しておる者が禍津神(まがつかみ)や災厄の()(しろ)となるために攫われたのなら、もしかしたら助けられるかもしれん」
 禍津神との対戦中、サホの脳裏にはずっと一つの疑問が浮かんでいた。なぜ、禍津神は民草の娘を攫っていったのか。ただ殺すだけならわざわざ攫う必要はない。どこかに、何かの目的で連れていく必要があったのではないか。そのどこかとは?その目的とは?一つの可能性として考えられることとして、依り代にするために災厄のいる湖の底へと連れていったのではないか。
「えっ」リサは思わず声を上げていた。「それは本当ですか?」
「ああ、もし依り代にするために攫われたのなら、その娘はまた我らの前に姿を現すだろう。その時、我が大神の力とそなたの神降ろしの力が必要となる。うまくいけば攫われた娘を助けることができるかもしれん」
 リサの目に希望の光が宿った。他に望みがないなら微かでも可能性がある方向に歩み出すしかない。
「どうだ。我らとともに我が村に参らぬか」
 サホは常に胸を張り前を向いて語る。とても自分の言葉に自信があるように見える。とても嘘を()いているようには見えない。思わずリサは、行きます、と答えていた。その言葉を聞いて、あちゃー、とカツミは思った。客人待遇といっておったが本当かよ。我はあれだけ追い回されたんだぞ、こっちの身にもなれよ。と思いつつふと妹の顔を見るとごく険しい顔つきをしている。神鹿隊の(おさ)の言葉を素直に信じることはできないが、さりとて娘から離れる訳にもいかないという葛藤の表情。それを踏まえてカツミは声を発した。
「春日の眷属よ。我ら三輪神社の眷属も客人待遇なのだな。間違いないな」
「ああ、それは、どうだろう」
「何だと?やはり捕まえる気か?」
「いや、そなたたちが逃げなければ捕まえはせぬ。そなたたちも申し開くことがあるのなら、我が大神様に奏上してはどうだ。どちらにしてもそなたたちは神々の裁可を仰がなければならない。それだけのことをしたのだ。なら我が大神様にまず事情を申し上げろ。大御神意(おおみごころ)によっては我らが他の神々に取りなしてもよいし、そもそも今回のことをなかったことにしてもよい」
 サホとしてはもとから三輪神社の眷属を自分の村まで連れ帰り、自らの仕える春日明神の判断を仰ぐつもりだった。大神の独断で罰を下すと言うならそれもよし、神議りに掛けるというならそれもまたけっこう。
「我はそなたの言を信用ならぬ。何をもって信用すればよいのか」
「それなら、我が大神様に誓って、そなたたちを大神様に取りなそう」
「なら、よし」
 眷属が自らの仕える神に対して誓うことは何にも増して守らねばならぬ誓いだった。けっして破ってはならない誓いだった。だからカツミもナツミも不安をすべて払拭(ふっしょく)できた訳ではないが、一抹(いちまつ)の安堵感を抱くことはできた。。
「それと、ロクメイ」
 サホから突然、名前を呼ばれて驚いたのなんの。ロクメイは思わず裏返った声で返答した。ひゃい!
「我はそなたの名を知っている。そなたが生まれ時からずっと知っておる。だが、そなたがそんな風に思っておったとは知らなんだ。便利なのでつい番号で呼んでしまっていた。許せ」
 あ、いや、その。ロクメイとしてはまさか隊長が自分の名前を覚えているとは夢にも思わず、更に普段めったに直接話す機会などないので、ろくな返答ができなかった。
 サホは更に弥生の後方にいた男眷属の名を呼んだ。
「ロクオン、今からそなたたち男眷属をそれぞれの名で呼ぶ。よいな」
 それまで一番騎と呼ばれていたロクオンはじめ男眷属たちは、ハッ、と返答しつつ深く頭を下げた。

 ――――――――――

「全体、止まれ。この者たちを取り囲んだまま待機。蝸牛(かぎゅう)、我についてこい」そう声を張ると白牛(はくぎゅう)は、前方にいた蝸牛と合流して、飛梅(とびうめ)の前面にいたって深く低頭した。
「ご苦労。(まが)い者はうまく追いやったようじゃな」穏やかな飛梅の声が頭上から降ってきた。
「はい。蝸牛と行動をともにしておりました、あちらに控えております八幡神の眷属と稲荷神の眷属、そして東野村(とうのむら)に鎮座する大神の相殿神であられるマガ殿の御尽力もあり、東野村に寄せ集まっておりました禍い者を一気に殲滅することに成功いたしました」(かしこ)まりながら白牛は報告した。
「そうか。先行の者たちから事情は聞いた。あの相殿神殿(あいどのしんどの)の腹中に恵那彦命(えなひこのみこと)の眷属がいるのだな」
「はい、その通りでございます」
「禍津神の腹を消滅しかけた眷属の器にな。恵那彦命も面白いことを思いつかれるものだ。して、その禍津神殿を大神様に拝謁させると」
「はい、その通りでございます」
 そろそろ飛梅が決断を降しそうな雰囲気を白牛は察した。何かマガ殿の願いが叶えられるように補足の言葉を発しなくては、とは思ったが、飛梅の身体から発する威圧感のせいか、声を出しづらい空気が周囲に満ちている。一歩踏み出すためには何かのきっかけが必要な雰囲気。焦りつつも白牛が二の足を踏んでいる合間に横合いから蝸牛が声を発した。
「飛梅殿、我はマガ殿に大神様へのお目通りを約束いたしました。我に免じてマガ殿の社殿への参入をお許しください」
 白牛は姿勢を崩しはしなかったが、唐突なその発言に驚き、首を巡らせて末弟を見た。蝸牛が積極的に意見を言う姿を初めて見た飛梅も少なからず驚き一瞬、目を大きく見開いたが、すぐに平静な表情に戻った。蝸牛はすでに直立している。もちろん飛梅よりも格段に背が高い。見下ろすような形になっていた。バカ、頭を下げろ、という白牛の言葉を制しながら飛梅が続けた。
「おぬしに免じるほどの価値があったかな?それに大神様へのお目通りを勝手に許すなど、おぬし程度の力量で僭越(せんえつ)だとは考えなんだか?」
 空気の質が変化した。と同時に鼻腔(びくう)にかぐわしい香りが漂ってきた。これは梅の花の香り。境内には梅の木が所狭しと植えられていたが、今は夏。もちろん花の時期ではない。その香りは飛梅の身体から発せられていた。まずい、と白牛は身震いした。飛梅は普段から芳香を発しているが感情がたかぶるとそれが強くなる。そして今、その香りは普段よりも強めに発せられていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み