第六章十二話 睦月とミヅキ

文字数 4,042文字

 タマが立ったまま、両手を湖岸に横たわるサホの身体の上にかざしていた。
 無数の白く小さな輝きを、サホの全身に降り注いでいく。
 それは彼の身体を構成する欠片たち。あまり使い過ぎると自分が消耗してしまう。それは分かっているが、それでも傷ついた者がいれば助けなければ、という気持ちの方が強く働く。まだ多少余裕はある。しかしそろそろ目覚めてもらわないと、立っているのもつらくなる。そんな彼のすぐ横の水面から突然、タツミを抱えたナツミが浮上した。
「タマ殿、お願い、兄様を助けて」
 ナツミは、タマの足元にタツミの身体を横たえ、今にも泣きそうな顔つきをしてタマを見上げていた。明らかな懇願の表情、そんな風に見つめられたら自身の身体の状態とは無関係に助けなければと思ってしまう。タマはサホとタツミの状態を見比べた。サホはもう充分回復しているだろう。それに比べてタツミの状態は見るからに緊急を要する状態だった。かろうじて身体の形を保っているだけで、いつ、その力が途切れてしまっても不思議ではないように見える。タマはサホにかざしていた手を引き、タツミの上に開いた。再び小さな輝やきが舞い落ちる。キラキラと、タマの存在を削りながら。
「おい、そなたは何をしている。それは三輪(みわ)の眷属ではないか。そんな者を助ける前に、早く隊長を助けろ」弥生(やよい)が起き上がりながら苦々しい声を上げた。かたわらでミヅキがよろけながらもその身体を支えていた。
「そなたたちの隊長はもう大丈夫だ。もうすぐ目を覚ます」タマはとっさに声を上げたが、その声に被さるように睦月(むつき)が怒声を上げた。
「そいつらのお蔭で我らがどんな目に遭ったと思っている。それ以上、そいつらを助けるのなら問答無用だ」
 言い放つが早いか、睦月が剣を抜いて跳び上がり、タマに向かって斬り掛かった。
 睦月としてはタマが治療を投げ出して逃げ出すと思い、半ば(おど)しのつもりで斬り掛かったのだが、タマとしてはタツミの状態を(かんが)み、治療を中断することを一瞬ためらった。その一瞬の間に、ナツミが飛び上がり、その剣を(かま)の刃で受け止めた。
「邪魔すんな!」
 ナツミは最上級の憤怒の表情を相手に向けていた。兄様とその回復をしてくれているタマ殿に刃を向ける奴は(まが)い者だろうが眷属だろうが関係ない。うちが相手になる、絶対に邪魔はさせない。
 いったん飛び退(すさ)った睦月の表情も憤怒の表情に彩られていた。いい加減、我慢の限界だった。もう三輪の眷属やそれを助ける者たちなど、すべて滅してやる。甘い対応ばかりしているからこんな目に遭うことになった。我がこの者たちを滅してやる。
「みんな手ぇ出すんじゃないよ。我がこのくそ生意気な小娘を退治してやるんだから」言い終わると睦月は跳んだ、上空高く。そして剣を振り上げながら一直線に落下してきた。
 ナツミがその剣目掛けて分銅を投げつける。睦月が剣で分銅を払う気配を見せたので、瞬間的に分銅の進行方向を曲げて、剣に(くさり)を巻きつけた。そしてタマやタツミから離れた場所に連れていくために鎖を引きながら走り出した。睦月は引っ張られて体勢を崩しかけたが、空中で立て直して着地した。そこを目掛けてナツミが走り込んでいく。迎え討とうにも睦月の剣は自由に使えない。いったん下がる。そう思って睦月は再び跳び上がろうとした。しかし、その頃にはナツミは鎖を走った分、手繰(たぐ)り寄せていた。足が地面から離れたが、手に持つ剣が動かない。そこにナツミが鎌を構えて突っ込んでくる。睦月はとっさに再び地に足をつけると剣から手を離し、後方に跳んでかろうじて難を逃れた。
 このコ、意外と強いわね。睦月のこめかみに油汗が流れた。くそ、しょうがない。そう思うが早いか周囲の部下に向かって指令を発した。
「三番、四番隊、射撃用意。目標、三輪の眷属」
 部下たちは慌てて矢を弓につがえて引いた。ナツミは身構えた。全方位に春日の眷属がいて弓を構えている。逃げられない。そもそも兄様やタマ殿をおいて逃げる訳にもいかない。とにかく二人からこいつらを遠ざけないといけない。迷っている暇はない。
 覚悟を決めてナツミは走りはじめた。タツミやタマから離れるように。しかしその方向に春日の眷属が二人現れて道をふさいだ。くっ、逃がす気はないようね、そうナツミが思った時、突然、樹間を貫くように威厳のある声が響いた。
「やめろ!射撃中止。弓をおろせ」
 その場にいた全員が声の発せられた方向に視線を向けた。そこには凛とした姿でサホが立っていた。すぐに弥生に向けて(めい)が下る。
「速やかに状況報告せよ」
 その声に弥生は慌てて足を引きずりながらサホのかたわらまで移動して、小声で話しはじめた。
 弥生の報告が終わると、サホはゆっくりと首を巡らし、タマに視線を向けた。タマはまだタツミの治療中だった。ああやって自分の命を削って他の者の傷を癒しているのか、その様子を眺めながらサホは思った。そして自然と頭が下がった。
「稲荷大明神の眷属殿、我をお救いいただき感謝申し上げる。そなたの望みは承った。これからこの神鹿隊(しんろくたい)禍津神(まがつかみ)討伐に向かう。どれだけのことができるか分からぬが死力は尽くすつもりだ。それとそこの娘眷属はそなたの連れか?」
「ああ、ここまで一緒に参った。仲間だ」
「三輪の大神もその眷属も神議(かむはか)りに背いたこと、間違いない。それでもその者を仲間だとおっしゃるのか?」
「事情はよくは知らぬが、彼女はただ自分の兄を救いたい、その一心で行動したに過ぎん。身内を助けようとする者を責めることは我にはできぬ。当然、仲間だと思っている」その言葉にナツミの目頭がじわりと熱くなった。やっぱりこのひとは、とても優しい。
「分かった。そなたに免じてこの娘のことは見逃す」サホの言葉に対して、なっ、と驚きの声を上げた者がいた。サホはその方へ視線を向けながら鋭く声を投げつけた。
「睦月、そなた、先ほどこの娘と戦っておったようだが、なぜ途中から他の者の手を借りようとした?自分から一対一の勝負を挑み、眷属同士、正々堂々と渡り合っていたのではないのか?」
 えっ?そこ?隊長はいきなり何を言い出すの?こんな反逆者に我がやられてしまうことよりも、そんな些細なことを気にするの?そんなことをしたら、謀反人を取り逃がしてしまうかもしれない。その方が重大なことなんじゃないの?そんな思いが脳裏を駆け巡っていた睦月の表情は自然と苦渋に満ちたものに変化していった。
「神鹿隊に卑怯者は必要ない。今後また、そのようなことをしたら野に放つ。忘れるな」
 冷たく言い放つサホの声に睦月はぐっと唇を噛みしめた。そして、目を上げ、隊長のかたわらに立つ、ミヅキに視線を向けた。あいつが余計なことを言ったに違いない。きっと心中、嘲笑(あざわら)っているのだろう。
 睦月の胸の内で、ミヅキに対する鬱屈とした念が沸々と湧き起こっていた。

 睦月とミヅキはほぼ同じ頃に生み出された。そのせいか、いつも何かにつけて比べられた。
 睦月はとにかく負けず嫌いだった。相手が誰だろうと負ければ人一倍悔しがった。そして負けないように日々、自分を高めることに邁進した。
 ミヅキは他人と競うこと、争うことを好まないたちだった。大抵のことは一歩引いて勝ちを譲ってしまう方だった。
 そんな二人だったので、どのような場面でも、おおむね睦月の方が評価は上だった。長ずるに従い睦月はめきめきと隊の中で頭角を現していった。
 ただ、睦月は負けず嫌いが高じて、場の雰囲気や状況を考えずに、すぐにムキになることが多かった。そのためだろうか、能力の割に周囲からの信頼は得られていない、そんな気がしていた。
 一方、ミヅキは我が強くなく、誠実かつ温厚だった。自然と周囲と打ち解けていつも場を和やかにした。当然のようにみんな、ミヅキのことを信頼した。
 結果的に、睦月は能力を認められて副隊長の一人に任命された。同時にミヅキも今後を有望視されて、もう一人の副隊長である弥生の補佐役とされた。これは、あまりひとに指示を出したがらないミヅキの矯正のために、隊の中で一番、細々(こまごま)とした指示を出すことが多い弥生の身近で学ばせるためであった。
 神鹿隊はどんな作戦行動でも弥生の統括する、攻撃能力や機動能力の高い一、二番隊が主に動く。睦月の統括する三、四番隊はそれを補助する役目を担っていた。だから、作戦によっては睦月は徹頭徹尾、待機するだけ、ということもよくあった。
 それに比べてミヅキはいつも忙しく立ち回っていた。弥生の指示に従って休む間もないほどに。
 弥生の意志を伝えるために隊員たちの間を縦横無尽に駆け巡る。指示を伝え、必要なら細々と説明する。手が足りていない箇所には自分が手を貸し、隊全体の行動に支障がないようにする。頭の回転が早い弥生の矢継ぎ早に繰り出される指示に対応できるように、作戦中、目まぐるしく動き回っている。
 そんな感じだったので当然のこと、作戦中、隊の中ではミヅキの方が断然、目立っていた。そして隊の運営上、ミヅキの方がより貢献し、信頼を勝ち得ているような雰囲気ができあがっていた。
 睦月としては、そんなミヅキの存在を殊更(ことさら)に意識するつもりはなかった。
 自分の方が立場が上だし、それぞれに持ち場があり、役割がある。それをもちろん理解している。理解はしているがその上で尚、何かおもしろくない気持ちがもんもんと胸の中に渦巻いている。
 気にするべきではないとは思っている。しかし、自分の精神状態が快調ではない場合、どうしても気になってしまう自分を抑制できない。そんな自分がとても矮小(わいしょう)で、性悪(しょうわる)に思えてしょうがない。それが更に不満を募らせる。どんどん溜まっていく一方で自分でもどうしていいのか分からない。そんな鬱屈とした思いを抱えながら、睦月は必死に自分を抑えつけ、かろうじて途切れ途切れに声を絞り出した。
「申し訳……ありません……以後、気を……つけます」
 あいつには負けたくない。あいつにだけは……
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