第七章七話 一矢を報いる

文字数 3,749文字

 睦月(むつき)は第三隊を率いて剣撃隊に合流するために雄鹿の背に立ったまま前進していた。その視線の先に見えるは弥生(やよい)とミヅキの姿。弥生がミヅキを踏み台にして更に上空へと跳んだ後、ミヅキに禍津神(まがつかみ)の尾が迫る。まったく、さっさと逃げればいいのに。弥生先輩が離れた後、すぐに回避行動に移らないからこんなことになるのよ。あいつはいつまで経っても、とろいったらありゃしないわ。本当にイラつく。いつもひとに迷惑ばっかり掛けて。
 そう思いつつ、矢をつがえ引き絞っていた弓を射る。矢は一直線に禍津神の尾の根元へと飛び、突き立った。それにより、わずかに尾の軌道が変化し、頭を(かす)めたもののミヅキは直撃を避けられた。
「第三隊、突撃!全員で一気に襲い掛かれ」
 睦月はすぐさま弓を捨て剣を抜き放った。

 禍津神の眼前に、茶褐色の豊かな髪をなびかせたサホが迫る。呼応して禍津神の背後から弥生が襲い掛かる。他の女眷属たちも次々に跳躍をはじめる。その時、頃合いを見定めたかのようにカツミが頭上で大きく振っていた鎖を解き放った。
 一直線に禍津神に向かう分銅。女眷属たちに気を取られて一瞬、その気配に気づくのが遅れた禍津神の片方の足首に鎖が巻きついた。迫りくる女眷属たちの剣。先ほど弾き飛ばした空飛ぶ女はまだ戻ってはきていない。ここはとりあえず上空に移動してやり過ごそう、と思い急速に上昇をはじめたつもりだったが、動かない。足に絡みついた鎖がピンと張って上に移動できない。
 角に鎖を巻きつけられていた雄鹿は急に引っ張られて(いちじる)しく慌てた。上体が水面から浮かび上がる。突然、自分の背から叱咤(しった)するような激しい声。
「踏ん張れ。あの女たちが攻撃できるようにあいつを繋ぎ止めるんだ」
 訳が分からないまま、引っ張られ続ける状態に不快を感じて雄鹿はぐいっと首を曲げて鎖を引いた。カツミは角に巻いた鎖が解けないように手で握って固定していた。
 敵は動いていない。届く、いける。そう、サホが思った瞬間、水面から水槍が数本、彼女に向かって飛び出してきた。サホはそのすべてを身体を曲げて避けながら剣で一刀両断した。その分断して生じた水飛沫(みずしぶき)の間から禍津神の姿が見える。そしてその背後に弥生の姿。行け!と落下しながら心中叫んだ。その声が聞こえたかのように弥生が剣を振りかぶる。禍津神の身体からは離れている。しかし眼下にはその尾が大きくうねっている。これがなくなれば攻撃力の一端を削いだことになる。先ずは手はじめにその尾をもらうよ。弥生は剣を鋭く振り下ろした。
 禍津神は突然、前のめりにバランスを崩した。自分の背後で何かが無くなった。その感覚が激しく感じられた。その何かは確かめるまでもなかった。自分の背後から伸びていた太く立派な尾がなくなっている。急に自分の身体の容量の多くを占めていた部位が消えたために直立することさえとっさには難しかった。そんな禍津神の眼前にサホがいた。水面に達した瞬間、その場に待機していた雄鹿の背を蹴って再び跳び上がっていた。頭上に剣を振り上げたサホは振り下ろす瞬間、呟いた。
「くたばれ」
 その一瞬、禍津神は生まれて初めて焦りを覚えた。全身に緊張が走る感覚を初めて知った。そしてとっさに全身に(みなぎ)る力。身体中の構成部位のすべてが覚醒したかのように力を噴出させる。次の瞬間には片腕を上げて剣の切っ先を受け止めた、と同時に一気に上空に飛び上がった。
 雄鹿の身体はその力に抗えず、上空に浮かんでいく。その背にしがみつきながらカツミはただひたすら驚嘆した。何て力だ、信じられない。そして雄鹿の全身が水中から浮かび上がった途端、鎖が途中で切れ、カツミもろとも雄鹿の身体は巨大な水飛沫を上げながら水面に没した。

 ミヅキは直撃は避けられたものの尾が頭を掠った瞬間、気を失い、そのまま湖面に落ちていった。そして静かに沈んでいくその身体を、慌てて近寄った睦月が引き揚げた。その身体を抱えて上空に視線を向ける。サホも弥生も落下してきている。禍津神はそれより遥かに上空高くにいた。結果的にとどめを刺すまでには至らなかった。これ以上ない好機だと思われた。しかしそれでも倒せなかった。いったい我らに勝てる見込みなどあるのだろうか。
 う、うん、とミヅキが声を漏らし、目を開いた。睦月は一瞬ほっとしたが、続けて口を開く時には激しく(いら)ついた様子を見せた。
「あんた、本当に周囲の状況をよく視なさいよ。視野が狭すぎ。それから動きが緩慢過ぎるわよ。どれだけひとの仕事の邪魔をしたら気が済むの」
 トゲだらけのその声にミヅキは微笑みを返した。そして言った。
「笑ったら、可愛いのに」
 
 禍津神の脳裏は怒りに煮えたぎっていた。力量として遥かに自分よりも格下だと思っていた者たちが自分に傷をつけた。大勢でよってたかって自分一人を攻め立てた。どうしようもなく卑怯で卑劣で愚かな者たち、そんな者たちが我に傷を……禍津神は自分の左腕に視線を移した。ヒジの下が皮一枚残して斬られていた。次に肩越しに尾を眺めた。半分以下の長さになっていた。おもむろにぶら下がっている左腕を掴んで引きちぎった。腕も尾も傷口はすでに修復がはじまっていた。少しずつ盛り上がり復元しているよう。どの程度まで復元するものかは彼にも分からなかったが、元から痛みは感じない。しかし、そんなことは問題ではない。もうすでに許される限界を越えている。このゴミムシどもを後悔する間も与えずに、塵芥(ちりあくた)の如く吹き飛ばしてやらねば気が済まない。
 禍津神の赤く光る目の光量が急に上がった。周囲のすべてを照射するような光、視線を向けると目がくらんでしまいそうになる光が眷属たちを襲った。もう、容赦はせぬ。
 いい機会だ。自分の最大限の力を発揮してみよう、と禍津神は心中、独り()ちた。今までは強く力を発揮すればすぐに相手がいなくなってしまう予感がしていた。だから自分の能力を知るためにもそれは困るので、だいぶ抑制して力を発揮していた。しかしもう充分だ。あいつらは調子に乗り過ぎた。それなりの罰は受けてもらう。
 禍津神は瞬間的に下降した。湖面で待ち構えていた女眷属が数人跳び上がり、襲い掛かった。と思う間もなくそのすべての女眷属は赤い光に包まれた瞬間、湖を越え、周囲の林や森や田園の中に勢いよく飛ばされた。どの眷属も一瞬で気を失っていたので、呻き声の一つも上がらぬまにその姿が見えなくなった。
 続いて禍津神は残った片腕を大きく身体の前で振った。すると足元の湖面が大きな渦を巻きはじめた。
 水面に浮かんでいた雄鹿が次々に巻き込まれて渦の中心に向けて流されていく。
「撤退、一番近い岸に跳べ!」とっさにサホが叫んだ。続いて弥生や睦月も同様な叫びを上げる。流れに逆らおうと必死にもがいている雄鹿の背を女眷属たちが慌てて踏み台にしながら飛び去っていく。その間にも何人かの眼前まで禍津神が瞬間的に移動して、赤い光とともに女眷属を弾き飛ばした。

 身体中に駆け巡っている痛みの感覚が落ち着く頃合いを待ちながら、ナミは少し離れた上空で敵の雰囲気が変化し、眷属たちに襲い掛かっていく様を眺めていた。
 まずいわね、軽く弾かれただけでこの威力、それにどうやら更なる力を発揮し出している。ちょっとこの敵は強いかも。速度でも、力でも、飛行能力でも、敵いそうにない。圧縮能力も効き目がなさそうだった。なぜ、こんな存在が自我の中にいるの?やはり山崎リサの自我は尋常ではないのかしら。
 ナミはこれまでも数えきれないほどの人の自我に侵入してきた。その人の記憶や予感を元にした世界、そこには実際に存在するもの、存在していたものはもちろん、あくまで想像の産物でしかないような存在も跋扈(ばっこ)していた。本人の受け取り方ひとつでこんなに異様な存在になってしまうのか、と思うものもいた。ゲームや映画の世界にそのままそっくり出てきそうな恐ろし気な存在もいた。しかしそういったものは決まって底が浅かった。大抵は一面的だった。力が驚くほど強いけれど思考能力に劣っていたり、理知的であっても急な状況の変化には全く対応できなかったりと、突け入る隙がどこかに必ずあった。しかし目の前の敵にはそれがない。どうやったら対抗できるのか、考えても答えが出てこない。そんな思考に混じって左耳の白いピアスが着信を報せた。どうせアナからだ。私の情動が激しく動いているからすぐに戻ってこい、とでも言うつもりだろう。アナは極力、合理的で無駄を嫌う。そして何より論理的だ。だから言いそうなことがだいたい分かる。ナミは仕方なく少し場を離れながらピアスに指を触れた。
「七十三番、あなたの情動が激しさを増している。時間的にももう限界を越えている。すぐにその自我から外に出て、戻ってきなさい」
 言う通りにした方がいいのだろうけど、こんな中途半端な状況で離脱なんて、とそのままナミは応えずにいた。すると、再度、アナの声が聞こえた。
「聞こえている?もう一度言うわよ。その自我から出て、こちらに戻ってくるのよ」
 あっ、と(ひらめ)いた、というより思い出した。そうだ、私にはまだ送り霊としての能力が残っていた。
「アナ、ありがとう。また連絡するわ」と言うが早いかナミは通信を切った。
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