第五章九話 戦いには勝ったけど

文字数 3,542文字

 ナツミの鎖がヨリモ目掛けて伸びてくる。またくねくねと曲げられては面倒だ、とヨリモは槍で分銅を()ぎ払おうとした。今!ナツミは指先に力を込める。(くさり)(やり)に巻きつく。こうなると相手は武器を自由に使えない。そこを手繰(たぐ)り寄せて近づいたところを(かま)で……、そう思いながらナツミは鎖を引いた。当然、ヨリモがその力に抵抗するものだと思ったので、かなり力を込めて引いた。しかし一瞬抵抗した後、すぐさまヨリモは引かれるままに相手に向かって突進した。慌ててナツミが鎌を振ると同時にヨリモが飛び上がり、軽々とナツミの頭上を越えて、その背後に降り立った。同時に、(ゆる)んだ鎖を槍を振って払い落した。
 慌てて振り返るナツミの顔に槍の刃先が向かってきた。ナツミは頭を動かして避けようとした途端、刃先が目の前から消え、同時に横から柄が襲い掛かってきた。慌てて屈み込んで避ける。しかし、またそこに刃先が向かってくる。飛び上がって後方に避けるとそこにまた柄が現れ、槍の石突で胴鎧(どうよろい)を激しく突かれた。ナツミは前屈みになりながら思わず呻き声を漏らす、とそこへまた刃がギラリと陽光を反射させながらが向かってくる。更に後方に下がるナツミ。また横合いから柄が伸びてきてすね横を激しく打たれた。ナツミは思わずヒザを折り、その場に座り込みそうになった。しかしそこにまた槍先が向かってくる。
 ヨリモは槍を自由自在に操り、くるくると回しながら槍先と柄を交互に繰り出してナツミをどんどん後退させた。槍先を向け、慌てて避けようとするところを柄で全身くまなくしたたかに打った。次第にナツミは身体の自由が利かなくなり、やがては痛みに耐えかね、その場に力なく座り込んだ。目の前には槍をこちらに向けて構えているヨリモの姿。そして自分を見下しているその目。
「もう充分()りたでしょ。いい加減負けを認めたらどうです」
 その言葉に身体の痛みよりも口惜しさが脳天に突き上げてきた。今まで兄様やカツミ兄ちゃんが稽古をつけてくれた。時間を割いて面倒をみてくれた。それなのに、うちは、こんなに、不甲斐ない……。いいえ、まだよ、まだ負けてない。
 ナツミは歯を喰いしばり片ヒザを立て、そのヒザに手を置いて全身の力を込めて立ち上がった。身体中が小刻みに震えている。その様子を眺めながらヨリモは、鋭く自分を睨みつけている相手の双眸(そうぼう)に光るものを認めた。
「あなた、何で泣いてるんです?」
「泣いてない。汗が目に入っただけ」ナツミが涙声で言う。
「これ以上、やっても無駄です。あなた、本当に滅することになりますよ」
「うっさい!うちは負けられん。兄様を助けるために、あんたを倒す」
 そう言い終わって一歩踏み出す相手の肩を、ヨリモは槍の柄で一突きトンと突いた。ナツミはすでにふらついていたせいもあり、力なく尻餅をついてその場に座り込んだ。そして、眼前に立って槍先を自分の鼻先にピタリと着けているヨリモの姿に、勝負の終わりを悟った。
「あなたでは私に勝てません。分かりましたか?」ヨリモは睨みつけながら言った。するとナツミが突然、最大限に顔を歪め、激しく声を上げて泣きはじめた。
 穏やかな朝の静寂を打ち破って、遠慮なく辺り一面に響き渡るナツミの声。
 ヨリモはとにかく狼狽した。ちょっと、あなた、何で泣くんです?ナツミは応えない。泣いてばかりいる。背後から、あーあ、泣かしちゃった、というタマの声が聞こえた。ヨリモはキッと振り返って、タマを睨むと、どうにかしてください、と声に出さずに訴えた。タマも、何で我が、と声に出さずに表情と身振りだけで抗議した。いいから、とヨリモは小声を出した。仕方なくタマはナツミに近づいていった。
「なあ、あんた、民草(たみくさ)(さら)ったのも、ここで抵抗しているのも、何か理由があるんだろ。聞いてやるから話してみろよ」
 ナツミは身体中で泣いていた。タツミを失うかもしれない不安や寂寥感、自分の力のなさへの口惜しさ、やるせなさ、それまで()き止めていたそんな感情のすべてがない交ぜになり、あふれ出し、自分でも扱いかねて、もう泣くしかなかった。いったん泣き出すとその奔流に呑み込まれて、もう止められなかった。しかし近づいてきた眷属の問う声は聞こえたので、かろうじて答えた。
「兄様が、ヒック、禍津神(まがつかみ)に……攫われて……ヒック、返す代わりに民草の女を……連れてこいって……ヒック、だから兄様を助ける、ヒック、ために……攫った。ヒック、今、もう一人の兄さんが、女を連れて、禍津神のところに……行っている。兄様を助ける……ヒック、ために……邪魔させられない……ヒック、ヒック、フーッ」
「禍津神だと……本当に禍津神で間違いないのだな」
 タマとヨリモと蝸牛(かぎゅう)の心中はざわついていた。天満天神(てんまんてんじん)の力で倒されたはずの禍津神か?なぜ民草の女を攫う?取り込むつもりか?
「ヒック、カツミがそう言ってた。うちも見た。間違いない。ヒック……フー」
 タマは背後にいるヨリモと蝸牛に視線を向けた。二人とも沈痛な表情をしている。恐らく自分もそういった表情をしているのだろう。さて、これからどうしたものか。タマは短い時間ではあったが、考えに考えた。禍津神は倒さないといけない。しかし、この人数で対抗できるのだろうか。そうだ、あの霊体だと言っていた二人がいれば、どうにかなるかも。
「なあ、我たちをその禍津神のところに連れて行ってくれないか」タマはナツミのかたわらに片ヒザ着きながら言った。
「ダメよ、……邪魔はさせない。ヒック……兄様たちの所へは行かないで」
「大丈夫、我らを信用してくれ。そなたの兄の救出を邪魔するつもりはない。しかし、禍津神は倒さなければならない。じゃないとこの郷が大変なことになってしまう。それに連れていかれた民草の女も奪い返さないといけないしな」
「民草の女がいないと……兄様が……ヒック」
「大丈夫。きっとそなたの兄も民草の女も助け出す。そして禍津神を倒す。さあ、傷を癒してやるから、案内をしてくれ」
 タマは両手を差し出してナツミの頭の上に手のひらを向けた。すると白く輝く小さな小片がその手のひらから次々にナツミの全身に降ってきた。
 ああ、暖かい……、とナツミは感じた。とても安心する暖かさ。全身の痛みが溶けていく。心の緊張さえ解けていく。いつの間にか、あまりの心地よさに泣くことを忘れてた。
 ふと、暖かさが消え、夜明けの清々しさがナツミの身体に吹いてきた。彼女は真っ赤に泣きはらした目をタマに向けた。
「もう痛くないだろ。急ごう。そちのお兄さんを助けにいこう」
 頷いて立ち上がった。彼女の中でタマに対する猜疑心はすっかり消失していた。恐らくさっきの白い小片は彼の一部。それをうちの癒しに使ってくれた。あんなに暖かく優しく癒してくれた眷属が悪心を持っているはずがない、嘘を吐くはずがない。この眷属の言うことを信用してみよう。ナツミはそう思ったから立ち上がって思わずよろけた時も、抵抗なくタマの身体にもたれかかった。
「大丈夫か?」両手でナツミの肩を掴んでタマは訊いた。あれだけの力を与えたのだ、もう傷は癒えているはずだが、と思いながら。
「ごめんなさい。少し足がよろけただけ。もう大丈夫よ」ナツミはタマから身体を離しながら答えた。そんな二人にずんずんと歩み寄りながらヨリモが鋭い声を放った。
「何をぐずぐずしているんですか。急ぎますよ」
 何、怒ってるんだ?と思いながらタマはヨリモに向かって言った。
「ヨリモ、そなたは三輪明神(みわみょうじん)の社に向かった霊体の二人に我らと合流するように伝えるんだ。民草の女もこっちにいると言ってな。なあ、そなた、その女はどこに連れていかれたのだ?」
「この川を(さかのぼ)っていくと湖があるわ。その中心辺りに連れて行っているはずよ」
 言いながらナツミはヨリモをちらりと見た。不機嫌な様子でタマの姿を見ていた。ははあん、とナツミは察した。だからタマに身体を近づけ、その肩に手を置きながら続けた。
「そこに行くにはこの林を抜けるといいわ。そこまでうちが案内するから、ついてきて」
 言い終わってまたちらりとヨリモに視線を向けた。目を引ん()いてこちらを見ている。ナツミは少し楽しくなって思わずニヤリと笑った。
「ヨリモ、分かったな。湖の中心まで霊体の二人を連れてくるんだぞ。我らは先に向かっているから」再度、何を怒っているんだ?と思いながらタマが言った。
 ヨリモはタマを鋭く一瞥(いちべつ)するとフンッ、とそっぽを向いて近くにいた蝸牛に歩み寄った。
「申し訳ないですが、この槍を預かっていてくれませんか。大事な槍だから失くさないでくださいね」そう言いながら槍を蝸牛に渡すと、そのまま川岸に進んでタマには目もくれず小鳩(こばと)に姿を変えて飛び立っていった。
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