最終章四話 渦巻いて溢れ出す

文字数 6,585文字

 地下空間からの一団が地上に脱すると、すぐに、ぽっかり空いていた洞窟の口が崩れ落ちた。もう二度と来た道を戻ることはできない。そして残してきたタカシたちとも、もう会う術がなくなった。その場にいる全員が、悲痛な感情を抱きながらも、何とか崩落から逃げ切ったことに安堵した。
 そんな彼らのもとに、地上に残っていた眷属たちやマコモをはじめ途中で離脱していた者たちが駆け寄ってきた。
 地上へ出て、思わず座り込み、倒れる者たちの中で、蝸牛(かぎゅう)は立ったまま顔を上に向けて息を整えていた。疲れ切っていた。体力的には一昼夜でも走り続けられるが、他の眷属たちに置いていかれるのではないかと、比較的足の遅い彼は気が気ではなく、結果的に、他の眷属たちがおおむね怪我を負っており、それほど速度を出せなかったのが幸いしたものの、道中ずっと焦り、不安に(さいな)まれていたために精神的に疲れ果てていた。
 そんな彼の周囲にすぐに兄たちが駆け寄ってきた。他の眷属たちより遅れて地底へと向かった天満宮の眷属たちは道のりの途中で多くの傷ついた眷属たちと合流し、その者たちの地上への帰還を手助けした。それを終え、再度地底に向かおうとした矢先に地が揺れ出し、郷の中心部分が陥没をはじめて地下に残っていた者たちの身を案じていたところに蝸牛たちが戻ってきたのだった。末弟の無事な姿に兄たちが何よりも喜んだのは言うまでもない。更に弟から事の顛末(てんまつ)を聞き及ぶにいたっては、立派に勤めを果たした弟を褒めちぎり、口々に称賛の言葉を浴びせかけた。
 清瀧(きよたき)は、そんな大柄な眷属たちを掻き分けて蝸牛の前に姿を現した。その姿に気づいた蝸牛が、ただいま、と破顔しながら言う間に彼女はいきなり蝸牛の腹部に抱きついた。
「え?清瀧殿、何を?」と蝸牛は戸惑う。彼の腰に回した清瀧の腕に更なる力が込められる。
 地上に残っていた禍い者をあらかた殲滅(せんめつ)して、地底に向かった者たちの帰りを他の者たちと待っていた。するとマコモをはじめ多くの者たちが戻ってきた。それも傷だらけ、戦闘ができない状態で。その者たちの中に蝸牛はいない。天満宮や八幡宮の眷属たちに蝸牛の消息を訊くと更に地底へと向かったと言う。清瀧はもう不安でたまらなくなった。力は強いけど動きは遅い。あんまり才気煥発には見えないけれど、ひとが危険に(おちい)っていると必ず助けようとする心の優しいあのひとが、危険極まりないだろう災厄のもとへ、少人数になった一団の一人として向かった。きっと無事に戻ってこれないだろう。そう思うと、もう少し優しくしてあげれば良かったと自分の今までの言動を後悔した。もし、もう一度、会えたなら、その時はきっと優しくしてあげよう。
 清瀧は黙ったまま、しばらく動かなかったが、突然、蝸牛から身体を離すとうつむいたまま、くるりと向きを変えた。優しい言葉を彼に言う、そう思うと急に照れくさくなった。思わず抱きついたことも、恥ずかしくなった。とっさに、逃げるように去っていった。その背中に蝸牛が声を掛ける。
「清瀧殿、約束通り帰ってきたぞ。ただいま」
 清瀧はくるりと振り向いた。優しい言葉、優しい言葉、と心中唱えながら。でも蝸牛の顔を見たとたん、その思いは消し飛んだ。
「ただいまじゃない。遅すぎるわよ。待ちくたびれたわよ。今度、あたしのことを待たせたら許さないからね」そう口では言いながら、心の中では、おかえり、と呟いていた。蝸牛は嬉しそうに笑っていた。清瀧もつられて笑いそうになったが、顔を背けてそそくさとその場を立ち去った。
 
 サホは気を失って地面に仰向けになっていた。全身傷だらけで身体の構成要素も流れ出ている。いつ分裂をはじめてもおかしくない状態に見えた。先ほどからミヅキは大きな傷に手を当てその流出を抑えようとしていた。そのうち、これも気を失っていた睦月(むつき)が目を覚まし、状況が分からないながらも、左腕から白く輝く粒子を注いでサホの傷を治療した。
 基本的に(まが)の者に負わされた傷は治らない。分裂が起きない限り、あまりにひどい状態でなければ傷をふさぐことはできるが、奪われた機能を回復することはできない。サホの左腕は根元を貫かれている。もう二度と動かすことはできないかもしれない。左目は目尻に裂傷があり、腫れて目が開かないようだった。もしかしたら傷が癒えたら回復するかもしれない。とにかく構成要素の流出を防がなければと集中して睦月は粒子を注ぎ続けた。その間、ミヅキがかたわらで時々声を掛けてきた。
「睦月ちゃん、大丈夫?」
「睦月ちゃん、あんまり無理しちゃだめよ」
「睦月ちゃん、自分もまだ完全に回復してないんじゃないの?」
「睦月ちゃん、焦らなくてもいいのよ。隊長ならこんなことで消えないわよ」
 正直、気が散る。だから言った。
「うるさい、ちょっと黙ってて。横でぎゃあぎゃあ言わないで」
「ぎゃあぎゃあ何て言ってないわよ。心配しているだけでしょ」
 ダメだ、こいつ。と思いつつも睦月は自分がほどよく力を抜いて治療していることに気がついた。それまで宝珠(ほうじゅ)から与えられた力を使う時は、慣れないこともあって、無闇に力を込めていた。いつも最大限の出力で発していた。しかし今、ミヅキの言葉に集中力を削がれると何となく力がうまく抑制されて流れ出ているように感じた。制御しているつもりはなかったが、結果的にうまく調整できている気がした。
 やがてサホの身体から構成要素の流出がやみ、しばらくして目を覚ました。
「隊長」と睦月とミヅキが声を揃えて言う。
「ここは?」
「地上です。戻ってきたんですよ」睦月とミヅキが自分を覗き込んでいる。二人の後ろに茫漠と広がる青い空。
「そうか……」サホの脳裏には、黄泉(よみ)の宮に残してきた弥生(やよい)とロクメイの姿が浮かんでいた。自分だけが戻ってきてしまった、という思いが去来した。
 黄泉の宮に行って以来、彼女の脳裏には常に二人の姿があった。常に気にかけていた。そして何とか二人を取り戻そうとその機会を見計らっていた。しかし常時そんな状況ではなく、彼女自身もそんな余裕などなかった。二人を助けるどころか自分が地上に戻ってこられたことが不思議なほどだった。
 ただ、それでもサホとしては二人を見捨ててしまった思いが拭い去れない。自分にもっと力があれば、如月殿のような強さがあれば、二人を助け出すことができたのではないか……。身体はまだ重く動かしづらい。意識もぼんやりとしている。まとまらない想念の中、同じ思考を繰り返す……

 カツミとナツミは並んで座り込んでいた。
 改めて兄の全身に視線を送る。よくぞ、ここまで戻ってこられたものだ、と思うほどに全身傷だらけ。特に左足の傷が深くて大きい。本当によくこんな足で走れたものだ、とナツミが思っていると苦痛のために呻き声を上げる合間に、微笑みながらカツミが言った。
「ナツミ。お兄ちゃん、ちゃんと帰ってきただろう。お兄ちゃんはお前との約束は必ず守るんだ。見直しただろ。遠慮なく褒め称えてくれていいぞ」
 正直、ナツミは喜んでいた。今となっては唯一の身内を亡くさずに済んだ、一人残される心細さに(さいな)まれずに済んだ。身内が、家族がいてくれることの有難さを噛み締めていた。
「うん、兄者はよくやったよ。戻ってきてくれて、ありがとう」
 妹の予想外の言葉にカツミは高揚した。全身の傷の痛みを忘れた。ここまで辛苦を耐え忍びながらも必死に勤めを果たした甲斐があった。全身漏れなく達成感に包まれていた。
 ナツミはちらりと兄の顔に視線を向けた。ニコニコとした満面の笑みが、そこにはあった。ああ、これは褒めすぎたかな?調子乗らなければいいけれど、とちょっと心配になった。

 それから眷属たちは自然と、情報を共有するためにマコモを中心として一つ所に集まった。
 その集まっていく段階で、マサルは山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の眷属たちと並んで移動した。マサル以外の眷属たちは少し申し訳なさそうな顔つきをしている。
「みなさん、あまり気にしないでください。みなさんに不信な思いを抱かせていたのは我の落ち度です。これからはもう少しみなさんに信用されるように気をつけます。だからもう先ほどのことは気にされないでください」
 マサルも地底への道中で仲間から斬り掛かられたことは、災厄の力によることだと分かっている。それに普段から交流のない仲間たちから特に信用されていないことも。だから彼は、これからはなるべく仲間たちと親睦を深めようと反省していた。
 山王日枝神社の他の眷属たちも自らの意思による行いではなかったので、悪かったとは言わない。ただ、そんな自分たちの態度に理解を示すマサルに対して少し仲間意識が芽生えた気がした。何となく第一眷属としてのマサルを少し信用してみようという気になっていた。

 地上に戻ってからリサはしばらく崩落した洞窟の入り口を呆然と眺めていた。
 タカシがまだ地底にいる。どうやって戻ってくる?戻ってこられるの?状況からして戻ってこられるはずがない。しかしそれを認めたくない。だから思考がしばらく停止していた。
 その横でルイス・バーネットが立ち姿で左手のひらに浮かび上がったこの世界の地図画像を操作していた。その顔は青ざめている。
 おかしい、アザミの位置情報が出てこない。地下世界の表示もない。これはいったい……そう思っているところに通信機器に着信が入った。先ほどまで辺りを照らすために服の外に出していたネックレスの先の白い玉に指先で触れる。
「ねえ、あなた73番と一緒にいるわよね。彼女の位置情報が途切れているの。いったい何があったの?機械の故障?それとも彼女の身に何かあったの?」
 アナからだった。本部でも位置情報が掴めないとしたら、これはいよいよアザミの身に何かあったということ。更に彼の顔から血の気が引いた。
「いや、今、調査中なんだ。事情が分かり次第、報告するよ」
「そう、分かったわ。逐一連絡して。応援は必要かしら?」
「ああ、二、三人優秀な者を待機させておいてくれ。必要になったらすぐに連絡する」
「分かったわ。頼むわね」
 ああ、と言いつつルイス・バーネットは通信を切った。恐らく応援を頼むことはないだろう。彼らのチームの中では、事務員であるアナは別として、ナミと彼が一番能力も高く仕事もできる。そんな彼らで解決できない事案なら他のメンバーがいてもあまり意味がない。彼はちょっと、いや、かなり困っていた。これからどうすればいいのか最大限に悩んでいた。すると横合いから視線を感じた。目をやるとリサがじっとこちらを見ている。何かすごく期待するような、懇願するような目つき。きっと、これからタカシたちがどのようにして地上に戻ってくるのかを聞きたくて待っているのだろう。しかしその期待に応えられない。彼はそっと目を逸らした。
 この人から解決策が提示されないなら、もう希望がない。リサは絶望の淵に突き落とされた気がした。でもそんなこと認めたくない。何か微かでも手掛かりがないか、タカシに繋がるヒントでもないかと無意識に周囲を見渡した。
 少し離れた所で眷属たちが集まっている。これまでの経緯(いきさつ)を災厄のもとにたどり着いた者たちが説明している。説明が終わり情報が共有されると誰もが犠牲になった民草(たみくさ)と正体不明な霊体とクロウに対して哀悼の念を抱いた。この郷のため、大神様のため、自分たちのため、そして民のために犠牲になってくれた者たち。もう二度と、会うことはないだろう者たち……
 リサはその様子を眺めていてはっと気がついた。その集団の中に熊野神社の眷属たちがいた。その黒い羽に見覚えがある。タカシやナミさんとともに黄泉の国へと向かった眷属が黒い羽を生やしていた。あの人たちなら黄泉の国のことを知っているんじゃないかしら。
 そう思うとリサは立ち上がり、歩き出していた。
 眷属たちは、更に話し合いを続けていた。そこにリサが声を掛ける。
「あの……」
 コズミは背後から近寄る気配に振り返った。
「あなたたちは、黄泉の国に行く方法を知っていますか?」
 コズミは怪訝(けげん)な表情をせざるを得なかった。この()(しろ)の民はいったい何を言い出すのだろう?そんな方法などない、そう言って話を打ち切ろうかとも思ったが、今、聴いた話ではこの依り代の娘も災厄討伐に貢献したようだし、無碍(むげ)にもできない、そういう思いで、コズミは答えた。
「黄泉の国は死んだ民草の魂だけが行く場所なのだ。我々、眷属でも行けないし、まして生きた民草が行くことなどできない」
 そう言われてリサの身体は小刻みに震えた。息苦しくなってくる。
「それじゃ、タカシは、ナミさんは二度と戻ってこられないんですか?もう二度と……」
 今にも感情があふれてきそうだったが必死に抑えつける。
「心中お察しする。しかしこればっかりは……」
 コズミも他の眷属たちも沈痛な表情を浮かべた。
「道は、道はないんですか?黄泉の国に繋がっている道は?どんな道でもいいんです。行けるなら、私は行きます。だから……」
 もう感情が抑えられない。自然と顔が(ゆが)んでいく。
「道がないことはない。しかしその道は大神様の結界により閉ざされている。中には入れないのだ」
 リサは瞬間、目を見開いた。真っ暗闇にただ一点の灯りを見出した気がした。
「じゃ、その大神様にお願いして結界を解いてもらったら中に入れるんですね。その大神様はどこにいるんです?どう行ったらいいんです?」
 リサはコズミに歩み寄りながら願いを声に乗せて発していた。
「バカな。そんなことはしてはならない。黄泉の入り口を開けばケガレがこの世に噴き出してくる。それにこの地に我が社が鎮座して以来、一度も結界は開かれたことがない。そうしてこの郷を守ってきたのだ。何があろうと結界を保つ、それがけっして破ってはならない我が社の掟なのだ」
 そんな……、リサは必死に考えた。どう言ったら説得できるのだろう?しかし元来、彼女は会話が得意ではない。ひとを説得するなんてこと、今までにそんなにない。だからいい言葉がなかなか浮かんでこなかった。
「我も黄泉の国に行かねばならぬ。我からも大神様に結界を解くようにお願いしたい。どうか、大神様への取り次ぎだけでもお願いしたい」
 黙ってリサとコズミの話を聞いていた眷属たちの中から、サホが唐突に口を開いた。サホはジッとコズミに視線を向けている。何があってもこの願い聞き届けてもらう、という意志を乗せて。
「あ、いや、それは……」と突然のことで思わずコズミは言い淀んだ。そこにリサが畳みかける。
「タカシもナミさんもこの郷のために、みなさんのために犠牲になったんです。そんな人たちを見捨てるんですか?みなさんはそれでいいんですか?私は助けるためにできることは全部したい。諦めたくない。だから教えてください、その神様はどこに」
 リサは胸の中からあふれ出てくる感情を抑えきれない。こんなところでジッとしているなんてできない。とにかく彼を助けられる可能性がわずかにでもあるのなら何でもしたい。動き出したい。
 コズミは黙っていた。返答できずにいた。彼は基本、保守的だ。変化を好まない。昔からこうと決まっていることを変えることなど極力したくない。更に自分から波風を立てることを好まない。責任を背負い込みたくない。誰かの下について上の者の言うことを聞いていたい。その方が自分に向いているし、そもそも自分はひとの上に立つ器ではないと思っていた。しかし、そんな態度が、性格が今回、エボシの暴走を引き起こした。自分が思考を停止させずに、ちゃんと判断して、もっと状況に対応できていたら、と自責の念がずっと胸中で渦巻いていた。渦巻いて、渦巻いて、あふれ出た。
「分かった。我らもクロウ殿を助けたい。我らもともに大神様に頼んでみよう」コズミは観念して言った。するとマコモが賛同の意を表明しようと口を開きかけたところに飛梅(とびうめ)が口を割って入った。
「これはみなで参らねばなるまいな。その民草たちはこの郷のために命を懸けてくれたのだ。これはひとえに熊野神社だけの問題でもない。八社の眷属全員で願わねばなるまい」
 年長者の言葉に誰も異論はなかった。事の経緯を共有した眷属たちは、タカシたちを助けたい思いも、みな共有していたから。
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