第一章七話 村境を越えて 

文字数 4,262文字

「またか、仕方ないな、それー」と言いながらタマがまた白い欠片(かけら)を投げつけて目の前に這って出てきた(まが)い者を消し去った。しかし、なんだって今日はこんなに禍い者が出てくるんだろう。ひとがせっかく羽を伸ばそうと思っているのに。鬱陶しいな、と思いつつ、ふと同行しているタカシが襲われていないか気になった。留守番をしていた仲間たちが掃討していたお蔭なのだろう、あまり大きな禍い者は現れてはきそうになかったが、ふと心配になって振り返った。
 案外と離れた所にタカシはいた。
 膝と腰を屈曲させた姿勢で眼前の禍い者に手を伸ばしていた。いったい何をしているんだ?とタマが思っていると、禍い者の背中が横にぱかりと開いて、すぐそばにあったタカシの指先をぱくっとくわえた。
 タカシは驚いたのだろう瞬時に手を引く動きを見せた。しかし禍い者はくわえたまま。更にタカシは腕を引いた。それでも禍い者はくわえたまま。ただ、その身体がぐいんと伸びた。
 思わぬ展開に焦ったのかタカシは禍い者を振り払おうと激しく手を振った。繰り返し、繰り返し。しかし、逆に禍い者は更に身体を伸ばして、指から手へ、手から腕へと辿っていった。その様子に、ひい、と声を上げるタカシを眺め、いったいあいつは何がしたかったんだ?と思いながらタマは近づいていった。そして、手を差し出し、白く輝く粉をタカシの腕を包んでいる禍い者に振り掛けた。
「このくらいの大きさじゃ、民草(たみくさ)を取り込むことはできん。しかし、こいつらはいったん取りつくとけっして離れん。いつまでも身体にしがみついて、少しずつその気を奪っていく」
 身体が溶け、タカシの腕からずり落ち、そのまま地中へと染み込んでいく禍い者の姿を眺めながらタマがつづけた。
「ごく小さい、(こぶし)程度の大きさなら、踏みつけるくらいで滅することができるが、今くらいの大きさの者になると民草には退治するのは難しかろう。だから大きな禍い者に出会ったら逃げるか我を呼ぶんだ。いいな」
「ああ、分かった。ありがとう」
 禍い者が溶け落ちて軽くなった手を眺めながらタカシは呟くように言った。期待はずれな自分を少し残念に思いながら。
「それにしても今日はよく禍い者が湧いて出てくる。まだ道のりは長い。禍い者はもちろんだが、掃討に出ている眷属たちも気が立っているだろう。もしものことがないように気をつけてくれ」
「禍い者って、いつもはそんなに出てこないものなのか」
「ああ、特にこの道は御行幸道(みゆきみち)だ。ここには民草や他の生き物は迷い込んでこない限り入り込めない。禍い者はこの場所に出入りはできるんだが、あいつらは民草や他の生き物のいない場所にはあまり現れぬ。あいつらは生き物を取り込むことしか考えておらぬからな」
「取り込む?食べるってことか?」
「ああ、お前たち民草のように食べるわけではないが、その生き物の命を自らに取り込んで、自ら命になろうとしているのだ」
「命になる?」
「ああ、あいつらは命ではない。動いてはいるが、思考もない。ただ本能だけで動いている。生きているように見えるが、実際はただの動く土くれだ。命の偽物にすぎん」
「生きていない?命の偽物?そもそも何でそんなものがいるんだい?いったい何なんだ、禍い者って」
「うーん、そうだな。簡単に言うなら時間の(おり)みたいなものかな」
「おり?」
「ああ、川の流れにも、その流れの横に淀みができることがあるだろう。そこにはゴミや泥が溜まっていく。それと同じようなものだ。悠久の時の流れの脇にできた淀みの堆積物。それが禍い者だ」
 話が抽象的でよく分からなかった。そういう雰囲気をタカシは発していた。タマは続けた。
「時の流れは基本的に穏やかだ。何もせず、何の手も加えなければ、それは淀むこともなく真っ直ぐに流れつづける。しかし、たまに災いが起こる。時の流れの中で築き上げてきたものが壊れることがある。それは自然の災害であることもあれば、人間の殺し合いの時もある。神々の手による場合も時にはある。時の流れが育んできた何かが消失または変化する。その時、流れは変化する。わずかだが折れ曲がり、そこに淀みができる。その淀みに悠久の時の中で生じた、生き物たちの無念の思いや、人間の冷酷因業(れいこくいんごう)な思考や行い、そして憎悪や悲哀、そんな濁りが少しずつ堆積し、凝り固まり、長い長い時の流れを経て、やがて禍い者となる。ただ通常、それは地中深くに沈んでいる。あふれたものが少しずつ地表へと現れるくらいなものだ。それがこんなに一度に大量に現れることは未だかつてないことだ。けっして良い兆候ではないだろう」
「とにかく人にとっては良くないものなのだろうから、退治しないといけないよな」
「もちろんだ。我ら眷属にとってもそれは大切な務めである。めったにないことだが、あいつらの中で、大量に命を取り込んだ末に変異を起こし、禍津神(まがつかみ)となる者がいる」
「まがつかみ?」
「ああ、民草と民草の住む村に抗えない災いをもたらす神だ。禍い者は基本的に思考能力はないが禍津神は思考する。その力は強大で、我ら眷属でも太刀打ちできない。中には大神様方と拮抗する力を有する者もいるようなのだ。そんなものが生じれば、絶妙に力を及ぼし合っている大神様方の関係に齟齬(そご)が生じる。郷の土地の鎮めに支障が生じる。だからそうなる前に、禍津神が生じないように禍い者は退治しないといけないのだ」
 そんなことを話しながら田んぼの間を抜け、林を過ぎ、緩やかな上り坂を進んで行った。しばらく上っているうちに高台の頂上が見えてきた。道の脇に背の高い一本の松の老木が立っている。タマがその老松を眺めながら、ふと足を止めた。タカシもならって足を止めた。タマはジッと視線を固定したままだ。その様子をタカシはいぶかしんで声を掛けた。
「どうした?また禍い者か?」
「いや、八幡宮(はちまんぐう)の眷属だ」そうタマが答えたとたん、老松の曲がりくねりながら道の上に伸びていた長い枝から何かが飛び立った。
 その鳥は彼らの目指す東方向へ飛んで行った。遠目にその鳥が何の鳥かタカシには分からなかったが、それを察してかタマが続けた。
「八幡宮の眷属は(はと)の姿に変化することができる。八幡宮はこの郷の郷社である。その地位が故に、郷内の各村をああやって監視しておる」
「ごうしゃ?」
「この郷に鎮座する神社を統括する(やしろ)のことだ。格も一番高い。ただ、多分に民草の政治的な思惑によって決まる。だいたい、その郷の一番、民草の多く集まる場所に鎮座する社が定格される。けっして神様自体のお力の強弱で決まるわけではない」
「へえ、じゃ宇賀稲荷神社は?」
「村社だ。この稲荷村の鎮守だからな」
 ふーん、と言いながら老松の根元に辿り着いた。そこから東方向に視界が開けており、先の道のりが見渡せた。視界の中にはやはり、田園風景。しかし、民家は稲荷村に比べて格段に多く見える。これまでとは遥かに多く人の息吹が感じられそうな風景だった。
「ここが村境だ。ここから八幡村(やはたむら)に入る。ほら、あそこ、家が立ち並んでいる所に鳥居が見えるだろう。あそこが八幡宮だ」
 タマが指し示す先、強い陽射しを受けて赤茶色に照り輝いている民家の屋根の中にポツンと大きな石造りの鳥居が見えた。
「八幡様は感情の起伏が激しいお神様だ。情け深い神様でもあるが、怒らせたら一族郎党まとめて灰燼(かいじん)に帰すくらいのことはやりかねん。しかもお力が強い、というより激しい。するとなったら一瞬だ。だから決して失礼のないように」
 再び歩きはじめたタマの全身が少しばかり緊張感を帯びた。タカシは思わず生唾を呑んだ。
「分かった。でも、まだ会ってくれるかどうかも分からないよな」
「それは大丈夫。我がついている。郷社の神といえど宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)様の眷属である我を無碍(むげ)には扱えぬ」
「そうなのか」
「そうなのだ」
 二人はそのまま下り坂を進み、林を抜け、平地に入った。両側には青々とした稲の群れ。ところどころに民家が点在している。それが進むうちに増えていく。タマは次第に口数少なくなり、周囲を警戒するようになった。特にそこかしこに鳩の姿を見出しては警戒心を高めていた。もちろんタカシにはその鳩たちが八幡宮の眷属なのか、本当の鳩なのかは分からなかった。が、気にし出すと、うずくまっていたり、何かをついばんでいたり、歩いていたりする鳩たちすべてがこちらを監視しているように見えてしょうがなかった。
 そんな中、一羽の小鳩が道の先を歩いている姿が見えた。足を前に出すごとに、小刻みに首を前後に振りながらふらふらと歩いていたが、彼らが近づくと道のかたわらに寄ってぼおっとどこか遠くを見るように(たたず)んでいた。ふと気になってタカシがその姿を眺めていると、小鳩の方も時折、ちらりちらりと彼らの方へと視線を向けてくる。そこに何かの感情がにじみ出ているようで少し違和感を感じていると、タマがすれ違いざまに立ち止まり、その小鳩に向けて口を開いた。
「ヨリモ殿、こちらは凪瀬(なぎせ)タカシ殿だ。我が大神様の御宣下(ごせんげ)によりこの者を八幡大神様のもとへとお連れしておる。どうか、八幡大神様にお取次ぎ願いたい」
 小鳩は今度はしっかりとタマの方へと顔を向けると、そのままじっとタマの顔を見つめた。その顔は柔らかく、目が微笑んでいるような和んだ色をにじませていた。そして唐突に一度大きく頷くと反転して飛び立った。
「知り合いだったんだね」
「ああ、昔からの知り合いだ」
 知り合いにしては、よそよそしかったような、と思いつつタカシはただ、ふうん、とだけ言った。それを察してかタマがつづけた。
「あいつは人見知りなのだ。そなたがおったし、我とも久しぶりだったからな。ちょっと気後れしたのだろう。ただ、あいつはああ見えて頑固で負けず嫌いだ。槍の使い手で怒らすと怖い。気をつけた方がいい」
「そうか」
「そうだ」
 タマはヨリモと呼んだ小鳩が飛んで行った先を指し示した。その顔はほのかに嬉し気だった。
「ほら、あそこに石鳥居と楠の大木が見えるだろ、あそこが八幡宮だ」
 そこには鬱蒼と枝葉を茂らせている楠の威容。遠目からは何本もの樹々が重なり合って生えているような繁り方だったが、その実、一本の老木の姿だった。 
 その方向に進んで行くと、民家が立ち並ぶ一画に、石垣の上に石柱状の奉献碑が並んでいた。石垣の間に幅の広い三段の石段があり、上るとそこに大きな石の鳥居が立っている。その下から奥まで幅の広い石畳が伸びている。その先に楠の樹冠を背負うように八幡宮の社殿がでんっと建っていた。
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