第四章八話 大事なことを忘れている

文字数 4,206文字

「お姉ちゃん?何、え、小さくなってる?どういうこと?」
 マコのその声にリサもすぐ応じた。
「え?マ、マコなの?本当に、マコなの?あなた、なんで、そんなに、大きくなってるの?まるで、大人みたい……」
「何言ってんの?訳が分からない」
「そんなこと言われても、あたしにも分からないわよ」
 その会話をマコの後ろで聞きながらタカシは、この世界も一筋縄ではいきそうにないな、と独り()ちた。そして目の前のリサが確かに過去のリサで、自分のことを覚えていない、というより間違いなく知らないのだろう現実に一抹(いちまつ)の寂寥感を抱いていた。
「マコ、お客さんに上がってもらいなさい。リサ、その白兎(しろうさぎ)とキツネはどうしたの?」
「分からない、自分から近寄ってきて、懐いてきたの」
 そうかい、そう言うと恵美さんは交互に、玉兎(ぎょくと)とタマに視線を送りながら先にかまちを上がっていった。マコがタカシとナミとルイス・バーネットにかまちを上がるように促した。あら、ヨリモさんと蝸牛(かぎゅう)さんは?
 ヨリモも蝸牛も新しくこの場に登場した人間にその姿を見られぬように気配を消しているようだった。実際、タカシや送り霊たちにはその姿が土間の奥に見えていた。
 それからマコは恵美さんを手伝って、冷えた麦茶をちゃぶ台の周りに座ったタカシたちに配膳した。
 マコと恵美さんが座るとタカシがここに至るまでの経緯を語りはじめた。到底信じられるような内容の話ではないだろう。自分でも何をどう説明したらよく理解してもらえるのか分からないまま、言葉を慎重に選びながらとにかく話した。
 その間、リサは少し離れた所で畳の上に直に座り、玉兎を膝の上に乗せてその毛を撫でていた。タマはリサの周囲をぐるぐると回り時々、俺にもかまってくれ、と言わんばかりに頭でリサの腕や腰を押したり横顔を擦りつけていた。
 その、変に玉兎に対抗心を燃やしてリサの気を引こうとしているタマの様子を見ながらヨリモは、何やってんだか、すっかり犬みたいになってるじゃない、と思いつつ不機嫌な顔つきをしていた。
 一通りタカシの状況説明が終わった。まだ不足な点が多くあるような気がしたが、とりあえずこれで納得はできなくても、こちらが不審な者ではないことだけでも分かってもらえれば、と内心期待した。タカシもナミもルイス・バーネットも恵美さんの反応を固唾(かたず)を呑んで見守った。
「ふふ、変な話だね。面白い話。まあ、とにかくあなたたちは私のかわいい孫を助けるためにここにいるってことだね」
「そうです。……信じてくれるんですか?」恐る恐るタカシが訊いた。老婆の視線がタカシのそれと重なって止まった。柔和な表情の中に一抹の鋭さが向けられていた。
「あなたたち、この世界の人じゃないだろ。そこのキツネと白兎も。それから土間にもあと何人かいるね。他界の者の言葉を信用するも何もないだろう。ただそういうものだと受け入れるだけさ」
 恵美さんの返答にそこにいる誰もが言葉を失っていると、一人マコだけが無邪気に祖母に向かって声を掛けた。
「お婆ちゃん、昔っから霊感強かったもんね」
「これは血筋だよ。母方の流れだけど我が家は神降(かみお)ろしの血を受け継いだ一族なんだよ。昔から人でない者たちとの付き合いは多かったからね」
「我らの姿が見えていたのですね」土間からヨリモと蝸牛が姿を現した。
「見えている訳ではなかったのだが、ただ気配を感じただけだよ」
「ねえ、血筋なら私やお姉ちゃんも霊感があるのかしら」
「さあ、どうかな。難しいかもしれないね」
「どうして?」
「ここは、たくさんの神々が鎮まるところ。山があり、川があり、人もいれば、動物もいるし、虫もいる。たくさんの生き物がいる。たぶん都会より、量でも種類でもくらべものにならないくらいたくさんの生き物がいる。神々の息吹に包まれながらたくさんの生き物の魂に囲まれていると分かってくるんだよ。目に見える生き物も、目に見えない、例えば霊のようなものも変わりない。違いはあるけど、存在は同じなんだって。それに気づくことができれば、お前にも見えるだろうけど。それにはこの郷は最適な場所なんだけど、お前たちは都会に行ってしまった。都会にいては見ようとしても見ることは難しいかもしれないね」
「ふーん」というマコに微笑みを向けてから恵美さんはタカシたちに向き直った。
「とりあえず、リサに会うことはできた。これからあんたたちはどうするつもりなのかね」
「この世界の崩壊を止めないといけません。そのためにどうすればいいのか、まだ、はっきりとは分かっていません。でも、これまで回ってきた村々に鎮座する神々や眷属たちの話を総合すると、この郷の中心に鎮まっている“災厄”がこの世界の崩壊に何か関わっているのではないかと思われます」
「災厄か。この郷の古い伝承だね。もしその話が実際あったことだとしても、もう千年近くも昔の話だといわれている。その間、この郷は常に平穏だった。恵那郷八社の神々に守られて、災害もなく、穏やかで、とても豊かな土地であり続けた。その“災厄”がもし生きていたとしても、もう復活する力もないだろうし、復活したところで神々がお守りくださっている。何の心配もないかと思うのだけれど。まあ、確かにここ数日でめったにない地震が起きたり、臥龍川(がりゅうがわ)から水が噴き出て湖ができたりと異変が起きているね。もしかしたらそれが“災厄”が復活する前兆なのかね」
「分かりません。でも、復活させてはいけない、ということだけは言えると思います。また禍津神(まがつかみ)も出現したようです。だから予断は許さない状況だと思います」
「ふむ、そうかい」と言いつつ恵美さんは考え込んだ。そしてふと思い出したように顔を上げて、その場にいるみなに向かって声を発した。
「みんな、これからどうするんだい?もう日が傾いてきている。もし急ぎの用がないなら、今晩はここに泊ればいい。広くはないが、雨露だけはしのげる」
 タカシは、これからどうするか、はっきりと方針が決まっていない現状、夜間に動き回る必要も感じられなかったので、お婆さんの申し出を受けたいと思った。ただ、返事をする前にチラリとナミを見た。ナミは軽く頷いた。
「では、お言葉に甘えて今夜一晩お世話になります。本当によろしいのですか?」
 恵美さんはニコリと笑った。その笑みはリサやマコに通ずる笑みだった。タカシはとても親しみを感じた。
「そうと決まればみんなの分の夕飯と夜具を用意しないとね。みんな手伝ってくれるかね」そう言いながら立ち上がりかける恵美さんに送り霊たちは、自分たちには食事も睡眠も不要だと言いかけたが、マコに、お婆ちゃんの料理はおいしいんですよ。楽しみにしてください、と言われて口をつぐむしかなかった。
「マコ、全員で何人だい?」
「お婆ちゃんとお姉ちゃん含めて十人よ」
「じゃ、五人分の布団はあるから残り五人分の布団を借りなきゃいけないね。みんな健介さん家に布団借りに行くからついておいで」
 立ち上がりかけてタカシは大事なことに思いいたった。だから恵美さんに、お仏壇にお参りさせてもらってもいいですか、と確認し、了承を得ると急いで奥にある仏壇の前に正座した。そして一礼し、リサの祖先の御霊に向かって両手を合わせた。その後ろ姿をリサがちらりと見た。何となく、見覚えがあるような気がする後ろ姿……。

 それから一行は、何だかんだとそれぞれがどたばたと動き回った。
 タカシはルイス・バーネットや蝸牛とともに健介さん家から布団や食材を運び込んだ。健介さんは恵美さんより老齢な男性で、タンクトップに薄色の甚平姿でくつろいでいたが、恵美さんから事情を聞くと急に張り切って、よく日に焼けた顔に気さくな笑顔を浮かべながら男性陣を差配しだした。健介さんの奥さんも家にいたが、健介さんに何か言われてすぐにどこかに行った。布団を運び終えた頃、奥さんが戻ってきたがその両手にビニール袋に包まれたものを持っていた。
「光雄んとこの山で罠にイノシシが掛かっててな、肉くれる言うてたんや。わしらには固うて食べれんって断ってたんやが、あんたらなら食えるだろう。持ってけ」
 タカシは受け取った瞬間、ズシリとした重量を感じた。赤ん坊の頭くらいの塊。後から袋の中を見てみると赤身の肉の塊だった。血抜きはしっかりとされているようで、うっすらとビニール袋が薄く朱に染まっていたが、溜まるほどには出ていない。
 台所に食材を持ち込む。農家である健介さんから大量のオクラやキュウリやゴーヤ、それに大きなスイカを丸のまま一玉もらった。あとから奥さんが追加で日本酒を一升(いっしょう)持ってきた。どうやら健介さんはその酒瓶を持参してみんなと酒盛りをしたかったらしい。しかし、先日の検診で医者に飲酒を止められたため、奥さんが押しとどめ、未練を断つために一升瓶を持ってきたとのことだった。
 台所は玄関から土間続きで奥に伸びており、昔ながらのかまどもあった。ただしその横にちゃんとガスコンロもあり、かまどを使うことはもはやないようだった。
 恵美さんは台所でリサとマコの姉妹と一緒に料理の準備をはじめた。恵美さんに用事を言われて、少しマコがその場からいなくなった隙に、リサが祖母に訊いた。
「ショウタ兄ちゃんは?」
「ショウタなら今朝、帰っただろ。会わなかったのかい」
 そう言われてリサは固まった。じゃ、さっきいたのは誰?あれは夢だったの?記憶が混乱している。訳が分からない。考えれば考えるほど、記憶を辿ろうとすればするほど“本当”が遠のいていく気がする。戸惑いが深くなっていく。そんなリサをジッと見つめながら恵美さんが訊いた。
「ショウタと何かあったのかい?」
「ううん、別に」とっさにごまかした。
「そうかい……」と恵美さんはそれ以上、訊くのをやめた。
 リサはうつむいて手に持ったキュウリをジッと見つめていた。その脳裏に怖い気持ちが(よみがえ)ってくる。とても怖かった。あれは誰?確かにショウタ兄ちゃんに見えた。見た目は確かにそうだった。でも、あの目とあたしにしたことはとても人間のそれだとは思えなかった。本当は何だったのだろう?とにかく、さっき、あたしは助けられた、知らない男の人に。あの人はあたしの名前を知っていた。あたしのことを知っているみたいだった。でも、あたしは知らない……。本当に?あたしは、とても大事なことを忘れている、そんな気がする……
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