第十四章五話 地を這うこと数百年

文字数 4,689文字

 一団の前方で何かと騒乱が繰り広げられている間、ヨリモはタマの横に並んで歩調をあわせて進んでいた。
 本来なら八幡宮の眷属である彼女はマコモたち仲間の群れの中にいるべきだったのだろうが、先ほどその仲間たちに対してあれだけ暴れ回った後である。その群れに入る訳にも行かず、何となくタマのかたわらにいて、そのまま災厄討伐隊の一員として地下深くへと潜っていた。
 そんな彼女、先ほどの暴れっぷりを、自分の短慮のなせる(わざ)と反省しているかと思いきや、今現在、まったくそれどころではなかった。
 ヨリモの手をタマが握って引いている。それはこの洞窟に入る時からだった。
「ほら、中は暗いから手を引いてやる」洞窟に入る時にタマが言いながら手を差し出した。
「あ、いや、その」とヨリモは躊躇(ちゅうちょ)した。何せ周囲にはたくさんの眷属がいる。タマのことを異性として思いっ切り意識している彼女としては、照れくさいことこの上ない。
 一方、タマとしては暗い中ではヨリモが歩きづらいだろうと思って、特に深い意味もなく手を差し出したのだが、そうやってためらわれると急に恥ずかしさが湧いてくる。
「いいから、手を出せ。もうみんな進みはじめているだろ。遅れるぞ」
 タマは照れ隠しにつっけんどんな言い方をする。特に小声でもないので周囲のひとたちにこのやり取りが聞かれているだろうと思うと更にヨリモは恥ずかしく思う。現に、すぐ近くにいる秘鍵が気を使ってこちらを見ないようにはしていたが、嬉しそうに相好を崩している。ヨリモは顔がほてって上気する感覚を抱いた。すると、タマがヨリモの手を掴んでそのまま先行の者たちの後に続いて洞窟へと引っ張っていった。
 ヨリモは正直、嬉しかった。だから、磁場を感じられるようになったから、たぶん暗い場所は私の方が足もとよく見えると思うわよ、とはもちろん言わない。そのまま手を引かれるままに洞窟に入っていった。
 そして今のいままで、幸福感に満たされていた。ああ、私のしたことは間違いじゃなかったんだ。たくさん仲間を倒しちゃったけど、たぶん結果として良かったのよね、などと思いながら、この道中がいつまでも続いたらいいのに、と願わずにはいられなかった。
 そんな彼女の耳に、大量のかさかさと何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
 それは一気に押し寄せてきた。足もとに、壁に、ネズミやムカデや蜘蛛(くも)やゴキブリ、そんな地を這う生き物が大量に迫り、瞬く間に彼らの周囲を取り囲んだ。そして一瞬間を置いた後、各人の足もとから次々に這い上ってきた。
 タカシたちの周囲にいた者たちは()(しろ)の民を守るべく必死に抵抗を試みるが、大量な相手のすべてを倒せるはずもなく、次々にリサに向かって這う者たちが迫っていく。ナミは圧縮能力を使って何十匹かまとめて球体にするものの追いつかず、秘鍵は尾を繰り出し迎撃するが、相手が小さく大量なためにそのすべてを倒せない。タマもとっさにヨリモから手を離し、輝く粉を発するがそれは効かなかったので、そのまま足を何度も振り上げて這う者たちを踏みつけていた。その背後にいるヨリモは手を離されて面白くない。しかしこのような状況なので仕方がない。と思っている間に自分の足もとにも這う者たちが迫ってきて慌てて足を振って払おうとする。しかし地に着けた方の足から次々に登られる。いや、ちょっと待って、と他の眷属たち同様ちょっとしたパニックに(おちい)っているとそれまでちょこんと肩の上に乗っていた豆吉と豆蔵が、キッと厳しい顔つきをし身構えた。するとボンっと急に彼らの身体が一回り大きくなった。そしてそのまま彼女の足もとを登ってきている這う者たちに突っ込んで、凄まじい速さで撃退していった。他のネズミを踏みつけ、ムカデを噛み砕き、蜘蛛を潰す。やがてぽっかりとヨリモの周囲に這う者たちがいなくなると二匹はチュチュウともう一匹を呼んだ。するとヨリモの束ねた髪の中から白ネズミの豆助がひょこっと顔を出し、そして彼女の肩の上に移動すると先ほどの豆吉や豆蔵と同じように集中して身体を一回り大きくさせた。その顔つきは今までと形は同じでも、普段の愛らしい小動物のそれではなかった。見るからに獰猛な獣のそれになっていた。
 そして豆助は突如、キイヤアアーと洞窟内に響き渡るように奇声を発した。何度も繰り返して。
 三匹の声の内容をヨリモは長い時間を掛けて判別できるようになっていた。しかし、その奇声は普段の彼らの声とは違い、聞き取りづらかった。どこかおどろおどろしく、まるで呪詛(じゅそ)を聞いているかのように思われた。
“我らは、大黒様すなわち、この地を()べる国津神(くにつかみ)が王、大国主命(おおくにぬしのみこと)が眷属である。地を這う者たちよ、これから先も地を這いたければ、我に従え。従わねば二度と地を這うことができぬと知れ”
 要約するとそんな意味かと思われた。自分の耳元でそんな奇声を発せられたヨリモは耳の奥のジンジンとする痛みに思わず目を閉じたが、再び開いた時には周囲の地を這う者たちの動きがピタリと止まっていた。えっ?と思っていると足もとから、
“何をぼーっとしておる。早く道を空けんか”と豆吉の声。
“命が惜しい者は早々に立ち去れ。さっさと消えろ”と豆蔵の声。
 すると一瞬の静寂の後、かさかさと小さな音が聞こえ、やがて一気に這う者たちは地中深くへと消えていった。
「あなたたちはやっぱり眷属なのね。こんな力があるなんて」とヨリモは、豆蔵や豆吉が再び自分の肩に登ってきて三匹揃うとそう声を掛けた。
「当然だ。我らが何百年、地を這ってきたと思ってる。昨日今日生まれたような奴らなど一喝するだけで充分だ」
 豆吉が楽しそうにそんな感じのことを言う。三匹ともに後ろ足で立ってどことなく嬉しそうな様子だった。もちろんその頃には三匹はまた元の愛らしい姿に戻っていた。
 その姿を少し離れた所で見ながら八幡宮の眷属たちは驚いていた。自分のお社の境内社にすぎない大黒社の眷属たち、普段から(さげす)んできた者たちがこんな力を有していたとは、とすっかり見直した気分だった。
 さて、自分たちにまとわりついていた這う者たちが消えて、眷属たちはみな一様にほっと一息()いた。タカシも必死になってリサにまとわりついてくる虫たちを払い除けていたが、その追いつかない焦りから解放されて安堵していた。それにしてもリサはずっとぼおっとした半睡状態だった。時々、呼ばれている、と呟く。もうこれ以上、進むのは無理なんだろうかと思いつつも、彼女が進むのは彼女の意志だ。それに反することはなるべくならしたくない。迷ったあげく、これ以上、少しでも彼女がつらそうだったり、危険だと思ったら引き返そう。そう心に決めて更に先へと進んだ。
 そこからまたしばらく進んだ。どこまで行っても終わりが見えない。本当にたどり着けるのか次第に不安が募ってくる。そしてまた更に悪臭が濃くなっていく。気を張っていないと卒倒してしまいそうなほどにねっとりと身体に、鼻孔にまとわりついてくる。
 不快が募る。同時に言い知れぬ怒りが込み上げてくる。なぜ自分がこんな不快な目に遭わないといけないのだろう。誰のせいだ?誰が悪い?次第々々に怒りのはけ口を誰もが探しはじめていた。するとふと僧兵姿の眷属の脳裏に、
“マサルの奴、言うことを聞かない我らを(おとし)めようとわざとこんな所に連れてきたんじゃないか?いつもは我らとなるべく関わろうとせぬあいつが今日に限って執拗に(から)んできた。もしかしたらこれには裏があるのではなかろうか。いや、きっとそうだ”
 そんな思念が浮かぶ。また、総社の眷属の中には、
“我らは熊野神社の眷属たちに騙された。ここに来たのも、もしかしたらあやつらの策謀かもしれん。我らを騙して亡き者とし、自分たちが総社の座に就くつもりか。いや、まさか、そんな。いや、こいつらならもしかして……”
 と脳裏に思う者もあり、また、修験者姿の背に黒い羽を背負った眷属の一人は、
“何で我はこんな所にいるのだろう。地上を混沌とさせるために尽力していたはずだが、今は災厄を討伐しに向かっている。何が正しかったのだろうか?もしかしたら我はクロウ殿にうまく騙されたのか?本当はエボシ殿が正しかったのではないか?もしかしたら我らは間違っているのか?”
 と想念を飛躍させていた。
 一行の間を縫うようにそんな猜疑心(さいぎしん)が漂っている。それぞれの心の弱い部分を探してうろついている。そして各個の心の中を覗き見て、宿れる場所を見つけるとそこに鎮座して、見る見るうちに肥大していく。やがてその心の大半を占有するに当たって宿主の手足を思うがままに動かしていく。
 八幡宮の眷属の一人が、前を行く熊野神社の眷属たちを眺めていると、その中の一人がくるりと振り向き、自分の後ろにいたクロウに視線を向けた。クロウの胸中もざわついていたがそれを必死に抑えつけていた中で、異変を感じてその眷属に視線を向けた。熊野神社の眷属同時視線が重なった。その時、ふと他の視線を感じて二人が後方を見た。その視線の先にいた八幡宮の眷属は、その視線にたっぷりと敵意が乗っている気がした。そしてすぐにでも自分たちに向かってその眷属たちが攻撃を加えてくる、とっさにそう感じた。もう躊躇(ちゅうちょ)できない。すぐに対抗しなければ、とその眷属は槍を構え、そのまま前方に踏み込みながら繰り出した。
 クロウがとっさに錫杖(しゃくじょう)を振って払う。その際、他の眷属にその先が当たり、当てられた眷属はやはりと思い、クロウに向かって錫杖を振り上げる。クロウはとっさに後方に跳んで避けるが、その際、他の眷属に身体がぶつかる。その眷属が慌てて攻撃に移ろうとする。
 そんな後方の喧騒にマサルは振り返ると、自らの内に渦巻くざわついた心を抑えつけながら騒乱を押しとどめようと途中にいる仲間の身体を手で押してそちらに向かおうとした。しかし、押された仲間が今度はマサルに憤怒の表情を見せ、薙刀を振りかぶった。
 その殺気にマサルは寸でのところで切っ先を避けた。するとその眷属は更に斬り掛かる。後方に退きながらマサルは必死に、やめさない、と怒鳴り続ける。しかし更にその眷属は薙刀を振るう。狭い洞窟内のこと、周囲にいた何人かが呻き声を発しながら地に倒れた。
 限られた空間の中、眷属たちは入り乱れ、(またた)く間に収拾がつかなくなっていく。
 マコモは何とか暴れる仲間たちを押しとどめようとするが、騒乱は増すばかり。秘鍵もとっさに前方に進み出て止めようとするが、秘鍵たち稲荷の眷属を油断がならない相手と心の底で思っていた八幡宮の眷属たちがその様子に逆に攻撃をされると思い先手を打ってくる。
 自分の後方には依り代の民がいる。この騒乱に巻き込む訳にはいかない。とっさに秘鍵は、攻撃してくる八幡宮の眷属たちの足を狙って尾を繰り出した。何人もの眷属がその場に倒れ伏した。
 その様子を見ていたマコモの、自制心で抑えつけていたはずの猜疑心が、一気に抑制できないほどに膨らみ、そして弾け飛んだ。剣を抜くと伸びている秘鍵の尾を数本斬り払った。
 秘鍵は驚き、マコモの姿に目を向ける。その全身に殺意が宿っている。これは倒さなければ倒される、そう察した秘鍵がとっさに攻撃を繰り出す。その何本かがマコモの足に突き刺さる。更に伸びてくる尾を剣を捨てたマコモが両手で掴み、秘鍵の身体を一気に引き寄せた。そして秘鍵目掛けて張り手を繰り出す。
 その瞬間、秘鍵は観念した。これを喰らったらひとたまりもない。しかしもう逃げられない。
 やがてくる衝撃に備え秘鍵はぐっと目を閉じた。
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