第十章九話 巫女装束のリサは斎場へ

文字数 4,744文字

 マサルが出立してすぐ、如月(きさらぎ)がリサに向かって口を開いた。
「さて、雨がやんでいるうちにわっちらも行こうかねえ」
 リサは今から()(しろ)となって神々の御霊(みたま)を自らに憑依することになる、とは理解していた。しかし、それはこの社殿内で行われるものだと思っていた。だから自分がどこに連れていかれるのか少し不安に思った。
「行くって、どこに?」
「もちろん斎場(さいじょう)に行くんやえ。境内(けいだい)を出て少し北に行くと小高い丘があってなあ、そこが斎場。その場こそ我が大神様の(はふり)の力が最大限発現(あらわ)される地でなあ。そなたがそこにたどり着けば、大神様はすぐさま他の神々をお招きするえ。そなたはそこに行き、ただ静かに事が終わるまで座っておればよい。さあ、立とうか。衣装を整えたら、斎場まではわっちが連れて行ってやるよってなあ」
 それからリサは着物をまとった眷属たちに連れられて社殿を出ると、社殿横に建つ木造建築物に(いざな)われた。中の畳敷きの部屋に入ると、すぐに着ていたTシャツと半ズボンと靴下を脱がされ、真っ白い足袋(たび)襦袢(じゅばん)白衣(はくい)、それから緋袴(ひばかま)を着せられた。着物姿の眷属たちはするべきことをただ、淡々とこなしていると言わんばかりに何の躊躇(ちゅうちょ)もない様子で進めていく。その流れるような手際に、抵抗することも忘れてリサはされるがままに立っていた。
 それから千早(ちはや)という白い羽織を身にまとい、肩にかかる黒髪をうなじの上で束ね、赤い鼻緒の雪駄(せった)を履いて外に出た。そこに如月が待っていた。
「さあ、準備は整ったようじゃなあ。これから斎場に向かうえ。ここからはそなたとわっちしか行けんからなあ。普段、わっちは誰も背に乗せたりはせぬのだが、そなたは特別。(くら)など背負わぬから乗り心地は悪いかもしれんが、首にしっかり抱きついておれ、ええなあ」
 言い終わると如月の身体は白く輝く光に包まれ、すぐに大きな鹿の姿に変化した。
 真っ白い身体。雄鹿と変わらぬ大きさ。誰よりも大きく長く立派な角が雄々しく天に向かって広がっている。しかし、顔つきは細く、身体つきも雄鹿のように厳めしくごつごつした感じではなく、滑らかな線を描いて柔らかさを感じさせる。雌雄どちらとも判別がつきづらい印象。
 その神鹿(しんろく)は凛とした姿で立っている。リサは他の眷属たちに促されるままに担がれ、その背に乗せられた。鞍がないので横乗りは難しそうだったが、(はかま)は半ばから股割れしていたので(また)いで乗った。さっきのロクメイの時と比べ、鞍がないために乗りづらい。目線もだいぶ高くなっている。お尻の下が落ち着かない。仕方なく言われたままにその鹿の太い首に両手で抱きついた。すると神鹿は突然、走り出した。
 すぐに御行幸道(みゆきみち)に乗ったが、その道は社殿裏から真北にある小高い丘の頂上に向けて緩やかな上り坂となっている。その道を如月の神鹿は飛ぶような勢いで走っていく。速さも勢いもロクメイに乗っていた時とはまったく違う。大気を切り裂くように一直線に走っていく。
 眼下に村が(たたず)む。暗闇に沈んでいたためにリサには何も見えなかったが、見えていたら人よりも大きな(まが)い者たちが所々で(うごめ)いている姿を見出していただろう。災厄が発した水の渦に巻き込まれ各所に飛ばされた禍い者、今まで彼らの入れない神社境内にいたので気づかなかったが、降る雨とともに落ちた先で、取り込めるような命あるものを捜して彷徨(さまよ)い歩いていた。
 境内から出て少しいった先で、そんな禍い者が御行幸道にも何体か見えた。急に神鹿が走りながら少し跳び、着地と同時に禍い者を踏みつけ粉砕した。首に抱きついてたリサの身体も激しく波打つ。しかし、そんなことはおかまいなく神鹿はそのまま突き進んでいく。やがて何体目かの禍い者を粉砕し終えると神鹿は歩みを緩めた。そして足を止めると、首と上体を下げた。それが降りろという意味だと察したリサは恐る恐る暗い夜道に足を下ろした。
 リサが地に降り立つと如月が再び変化して、女官姿に戻った。
「はい、着いたわえ。ここが斎場。あなたのお勤めの場所やなあ」そう言いながら如月は(まき)の組まれた篝火(かがりび)台のかたわらに移動してその手を上げて薪に近づけた。バチバチと音がして閃光がその指先に走る。何度か閃光が走った後、薪にぼうと小さな火が灯った。それをもう一つの篝火台でも行った。最初は小さな火だったので、うっすらと辺りが見えるだけだったが、やがて火が大きくなるに従って周囲の場景がはっきりと見えてきた。
 鬱蒼とした針葉樹の木立に囲まれている。その中にぽっかりと開けた空間。全面に鶏卵よりも一回り小さい程度の白石が敷き詰められている。そしてその中央に、まっすぐ天に伸びている杉の大木。その幹の太さ、枝振り、悠久の時をその身に刻みながら地に根差し、空に抱かれ、ここに存在し続けた、そんな大木だった。その根元の手前に四本の小さな柱を立て注連縄を張って四角く区切っている場所が見える。
「先ずは手水で手と口を清めなされえ。それが済んだらあの注連縄の中に入るのやあ。後は大神様たちの大御心(おおみごころ)にお任せすればよいでなあ。それですべてがうまくいく」
 リサは言われた通り、水の湧き出ている小さな泉の端に屈んで手を洗い、口をゆすいだ。そして立ち上がると杉の大木の前へと歩いていった。
 近づいてみると黒々と闇に染まった巨木の威圧感が半端なく感じられた。ジッと見上げていると自分の上へ()し掛かってくるように感じる。そんな明るさや穏やかさとはかけ離れた雰囲気の中、進む。白石はごつごつと足裏に感じられ時折、足首が曲がって歩きづらかった。それでも恐る恐る歩き続け、注連縄の前にたどり着いた。そこでしばらくリサは躊躇した。何とはなしに、そこが違う世界への入り口のように感じられた。自分の知らない世界に足を踏み入れる緊張感や不安を感じていた。
「娘よ、ためらわずともよい。恐れることもない。大神様に身を任せたらいい。大丈夫。少し眠っておればすべては終わるでなあ」あまり緊張感の感じられない、穏やかな如月の声が聞こえた。もし、その声が少しでも命令口調であったなら、リサは更に二の足を踏んでいたであろう。しかしその声はあまりに軽い口調、まるで幼い子どもに初めて苦瓜(にがうり)を食べさせようとしている親のような口調だった。最初は苦いかもしれないけど、慣れれば美味しく感じるから。身体にもいいし、試しに食べてごらん、と言っているような。
 リサは袴の脇を両手で持って、(すそ)を上げながら一歩前に足を出した。注連縄はリサの(ひざ)程度の高さしかなかった。だから軽く跨いで越すことができた。
 ふっと空気が変わった気がした。その結界の中に入った途端、空気の流れも、時の流れも、停止した感じがした。外側とは違う世界。どこがどう違うのかは説明できない。でも、生き物としてのリサの感覚に、確かにそう感じられた。

 ――――――――――

 睦月(むつき)宇賀稲荷神社(うがいなりじんじゃ)表参道入口にたどり着いた時、辺りは凄惨(せいさん)な様相をていしていた。
 山の中腹から何本もの激流が生じて、一部崖崩れも発生し、麓の民家は軒並み、濁流に呑み込まれるか、流れ落ちてきた大木や土砂、岩石に倒壊させられていた。また、そんな中でも大鳥居はその大きさ故か無事であったが参道階段沿いに立ち並んでいた数多(あまた)の鳥居は大半が倒れた樹々や濁流によって押し倒され、参道を(ふさ)いでいた。
 睦月は容赦なく降り続く激雨の中、休むことなく走り続けてきたために、すでに精も根も尽き果てていた。そしてこの惨状。ふと張っていた気が切れた気がした。
 民家の並びの周囲に、稲荷の眷属たちが白い狐姿で飛び回っている。恐らく被害に遭った民草(たみくさ)の救出作業をしているのだろう。その中に、ひとり人型のまま背に数多の白く光る尾を背負い、周囲にこの雨の中でも消えることのない鬼火を漂わせながら指示を出している者の姿。ああ、あれは秘鍵(ひけん)殿。早く伝えなければ……そう思いつつ近づこうとするが、急速に自分の視界が狭まっていく。あれ?と思う間もなく気を失った。
 
 次に目を覚ました時、雨を感じなかった。あれ?と思うと同時に声が聞こえた。
「目が覚めましたかな?そなたは確か春日の睦月殿でしたな」
 はっと我に返って声のした方に視線を向けると、秘鍵が静かに座っていた。
「え?秘鍵殿?我は……」
「参道入り口で気を失っておられました。雨中にそのままではいけませんので、我が社務所までお連れいたしました」
 状況を察すると同時に睦月は自分の用件を思い出し、上体を起こしながら口を開いた。
「秘鍵殿、実は……」
「睦月殿、その左腕、宝珠(ほうじゅ)の力を与えられたようですな。そして他の仲間も戻ってこない。いったい何が起こったのでしょう」
 表情も姿勢も変わりがない。しかし、すでにそのすべてを察しているかのように、秘鍵のその目には一抹(いちまつ)寂寥感(せきりょうかん)が漂っていた。
「無念です。災厄の御霊を宿した者が現れ、なすすべもなく……」
 睦月は言葉を継げず、思わず歯を喰いしばった。
「結界が消え、(くさび)も消え、滝のような雨が降っている。我らもどうやら眷属の半数を失ったようですな。村中に大きな禍い者が現れ、家々も倒壊し、民草を救助せねばならない。我らもなかなか手詰まりな状況です。そんな我らに何用でしょう」
「宝珠殿から秘鍵殿に言伝てがあります。災厄の力が解放される。各お(やしろ)と力をあわせて急ぎ対応せよ、とのことです」
 秘鍵の身体は微動だにしなかった。しかし、その目だけが一瞬鋭く光った。
「さようですか。確かに我らが第一眷属の伝言承りました」秘鍵は静かに目を閉じた。
「それと、熊野の眷属たちに不穏な企てがあるようです」そう言うと睦月は熊野村で見た巨大な存在と眷属たちとの話を語った。これにはさすがの秘鍵も少し目を見開いた。
「それは熊野中宮(なかみや)の大神。実際、拝謁をしたことはないですが、荒ぶる神であると聞く。この郷にケガレが満ちるとは……いったい何をしようというのでしょう」
「詳細は分かりませんが、何かを企んでいる、それがすでに進行しているような口振りでした」
「そうですか。では、そのことも含め、これから大神様に上申いたします。恐らく(われ)が八幡宮へ向かうことになるでしょう」
「秘鍵殿ご自身が?」
「ええ、この雨の中、他の眷属では無事にたどり着けるかどうかも分かりません。それに、まだ災害に見舞われている民草のすべてを助けてはいないので、他に人数を割くことは難しい。我が単身行くのが理に適っておりますからな」
 それからすぐに秘鍵は社殿に向かった。稲荷神は秘鍵の上申を異論なく聞き入れ、秘鍵はすぐさま八幡村(やはたむら)に向かうことになった。
 秘鍵は出立前に、その旨、睦月に伝えにきた。どうかゆっくりとお休みになられてください、とここまでの道中の(ねぎら)いと感謝を見せながら。
 睦月としては、何とか任務を遂行し終えて、安堵の思いに包まれていた。これでやっと村に帰れる。ただ、微妙に胸騒ぎがする。このまま戻っていいのだろうか?左腕を見つめる。宝珠殿の力を受け継いだ腕。そこにその思いも宿っているような気がする。宝珠殿の望んでいること……。
「秘鍵殿、我も同行させてください」
 何か根拠があって言った訳ではない。しかし、そうせねばならない気がする。不穏な気が郷中に漂い、次第に濃厚になっている。やがてこの郷のすべてを呑み込んで消し去ってしまうような気がする。それにどう対処すればいいのかなんて分からない。しかし、こういう時だからこそ郷中の神々や眷属が和をもって動かねばならない気がする。そのためにはこの郷の精神的中枢である八幡宮に向かわねばならない、そんな気がする。
 秘鍵は、そんな疲れ切った身体で、と押し留めようとしたが、睦月のあまりに真剣な、思いつめたような表情に思わず言葉を失った。
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