第九章七話 クロウと如月

文字数 4,941文字

 蝸牛(かぎゅう)が、タマとヨリモに、天満天神(てんまんてんじん)とマガとの会話について説明している間、マガは三人の周囲を歩き回ってしきりに出発を促していた。
「ねえ、早く行こう。陽も傾いてきた。時は金なり。熊野村に行こう、今すぐ」
 その時には白牛(はくぎゅう)が、足の速い眷属を二名選んで先駆けとして八幡宮(はちまんぐう)に走らせていた。普段でも他村に入る場合にはその旨、事前に通達をしていた。今回は特に禍津神(まがつかみ)を連れて入村するのだから、尚のこと事前通達は必要だった。
 それから他の眷属たちに声を掛けて遠征部隊の編成をはじめた。とはいえ、まだ(まが)い者が出現するかもしれないので留守の者がいるし、何名かは尾の(くさび)の警護に向かわせないといけない。さすがに全員で向かう訳には行かなかったが、なるべく大人数で八幡村(やはたむら)に向かいたかった。その方が蝸牛も安心するだろう。しかし、その思いは飛梅(とびうめ)によって遮られた。
「おぬしたちは何を考えておる。まだ、先方の返答もないうちからそんな大勢で向かってはいらぬ詮索を受けるぞ。今回は特に禍津神がともにいくのだ。なるべく波風を立てぬようにせねばならない。そもそも、おぬしたちが大挙して行く必要はなかろう。ここは蝸牛に任せて自分の勤めを果たさんか」
 そう言われて白牛以下、蝸牛の兄眷属たちはしゅんとうなだれた。みな末弟のことが心配でたまらなかった。それぞれが自分一人だけでも、という思いを抱いたが、そう言い出せる状況でもなかったので、みな押し黙るしかなかった。
 そんな眷属たちはさて置き、飛梅は視線を蝸牛たちに向けた。蝸牛たちも、マガの催促に耐えかねて、すぐに出発する旨、飛梅に伝えようと近寄ってきているところだった。
「やはりマガ殿について行くのか」
「はい。乗りかかった舟です。ともに参ります」蝸牛がまっすぐに答えた。
「ふむ、八幡宮に着くまでに日が暮れるかもな。明日の朝、出発する訳にはいかんのか?」
「ダメ!光陰矢の如し。歳月人待たず。今すぐ出発する」落ち着きなくそわそわしているマガがとっさに口を開いた。
「そうか、なら気をつけて行くがいい。八幡宮には必ず立ち寄り、事情をご説明申し上げるんじゃぞ。先駆けの者が行っておるから、大丈夫とは思うが、ただ熊野村へ通り抜けるだけだとお伝えするんじゃぞ。くれぐれも言っておくが八幡神は気性の激しいお方じゃ。けっして怒らせぬように。気をつけるんじゃぞ」
「はい、行ってきます」蝸牛の返答を聞くと飛梅の双眸(そうぼう)は自然と(ほころ)んだ。そしてその視線をタマとヨリモに向けた。
「稲荷神と八幡神の眷属よ、これからも蝸牛をよろしくな。マガ殿、あまりはしゃぐな。八幡神は規律正しい神じゃ。礼儀正しく大人しくしているんじゃぞ」
「はい」とタマとヨリモが答え、「大丈夫。うさぎに(しつ)けられた。マガ、いいコにしてる」とマガが答えた。
 それからすぐに一行は昨日、タマとヨリモが来た道を北西に向かって出立した。

 ――――――――――

 エボシはただ一人、熊野神社の斎館(さいかん)にいた。
 コズミは今、大神たちに、先ほど読んだ()の内容について承認を得にいっている。
 熊野神社には里宮、中宮、奥宮の三社があり、それぞれに別の神が(まつ)られている。そのそれぞれの祭神から裁可を得なければならない。少し時間が掛かる。その間に、エボシは再度、卜占(うらない)を行っていた。
 エボシは、自分が八幡宮に卦の見立てを告げにいくつもりだった。その結果がどうなるか占っておこうという思いから卜占に臨んでいた。
 その結果はおおよそエボシの思い描いていたものと似通っていた。先頃の卜占をどのお社も信用しなかった。その後ろめたさがみなにある。それがために自分の進言におおむね耳を傾けるようだ。それにしても地が揺れてから卜占する度に読み取りの難易度が上がっている気がする。読み取れる先行きの時間もますます短くなっている。かなり気になる変化だ。
 そして更に彼の気を引いたのは、天神村から伸びる複数の亀裂。
“これは誓約の子か?この太い線は、禍の気を含んでいる。もしや禍津神?東野村(とうのむら)相殿神(あいどのしん)か?”
 天神村より出で立つ禍の者、八幡村に達す、とっさにエボシは卦を読んだ。そして、これは予想外の好都合、とほくそ笑んだ。
 地が揺れてから、状況は彼の宿願を叶えるに適した方へと向かっている。ここは何としても自分の思い通りに事を進めなければならない。どんな手を使ったとしても、母上様のために……
 少しして、一羽のカラスが部屋の上部に空いた窓から、何のためらいもなく飛び込んできた。そのカラスは床に降り立つと同時に人型に変化(へんげ)し、エボシの前に片膝着くと抑えた声を上げた。
「天満宮より、八幡と稲荷の眷属一名ずつ、加えて天満宮の眷属と東野神社の相殿神が八幡村に向け出立いたしました。また先行して二名、天満宮の眷属が八幡村に向かっております」
 エボシは郷中の要所々々に部下たちを送り込み偵察させていた。思った通りの進展。卜占通りに事は進んでいる。すべてを活用し、すべてを利用してやる。
「その者たちは郷に災いなす者となる。まずは先行の眷属たちを足止めせよ。襲撃し、八幡宮に行けぬように木に縛りつけておけ。至急、我も八幡宮に行く。頼んだぞ」
 はっ、と声を上げると部下は再び変化して、入ってきた窓からすぐに飛び立っていった。
 入れ違いに玄関からコズミが入室してきた。大神様たちのお許しが下った旨、伝えてきた。すぐさまエボシは指令を発した。
 クロウを春日村に派遣する。自らはコズミを引き連れて八幡村へ。

 ―――――――――――

 春日村中央部に鎮座する春日神社、その斎館の広間にクロウはいた。奥にある格子窓の下、錫杖(しゃくじょう)を自身の右側に横たえ、正座姿のまま目を閉じて微動だにせぬ様子で待っていた。すると、
「クロウ殿、永らくお待たせいたしましたなあ。突然のご来訪、また卜占の結果でもお知らせに来たんやろかあ?」
 その、おっとりと語尾を伸ばす声に、クロウが目を開くとそこには、髪を片はづしに結い、明るい若草色の着物に菜の花色の帯を締め、全面、朱色地に花柄をあしらった打ち掛けを羽織った女眷属の姿。打ち掛けの(すそ)を引きずりながらかまちを上がり部屋に入ってくる。クロウは、ほお、と思わず感嘆詞を上げそうになる自分を抑制する。
如月(きさらぎ)殿、お忙しいところ恐れ入る。用件はお察しの通り。それにしても、本日もえらく華やかな(よそお)いだな」
 如月殿は見る度に、装束が変わっている。最初の頃は、(いにしえ)の奈良の都にいたであろう女官の礼服(ぜん)とした衣装か軍服しか見掛けなかったが、神鹿隊(しんろくたい)を引退してからは、見る度、会う度、毎回違う衣装を着ている。しかも次々に華美に、派手になっている。いったいどれだけの衣装を持っているのだろうと、別に(うらや)ましい訳ではないが、基本的に祭典の時に着る装束(しょうぞく)以外には、山伏然とした今、着ている衣装しかないクロウは少し不思議に思った。それを察したように如月が口を開いた。
「わっちらは身を引いておるから、基本ヒマでなあ。こんな楽しみでもないと毎日やっておられんのだ。だから第一眷属の肩書を残す代わりに大神様に、自分たちが着る衣装に関しては一任してもらったんじゃあ」
 さようか、と薄味に返答しながら、クロウは懐から折り畳んだ料紙を出して、自分の前に静かに座った如月へと畳の上を滑らせながら差し出した。
「では、早速、拝見させてもらうでなあ」そう言うと如月は料紙を右から左へとくるくると開き、内容をゆっくりと目で追った。その間、クロウは静かに待っていた。
 二人は旧知の仲だった。クロウは第一眷属を降りたし、如月はサホたちに外交など主な業務を任せていたので、最近はあまり会う機会もなかったが、かつては第一眷属同士、群れの代表として度々顔を合わせていた。
 読み終わり、顔を上げると如月はクロウの目にじっと視線を向けた。
「災厄の(いまし)めが消え、天から水が降り、災厄を宿す者が現れ、災厄の欲する者を(にえ)に、とな。また何ともけったいな卦よのお。これまでの平穏が嘘のように、立て続けに異変が起きておるが、更にまた起きるのかえ。難儀(なんぎ)なことよのお。して、この卦は郷内のすべての社に知らせたのかえ」
 クロウも如月に視線を返していたが、どこか生気の感じられない淡々とした視線だった。
「いや、一度にすべての村に知らせると混乱が起こるかもしれぬ。よって北方南方それぞれの大社に先に知らせることになった」
 如月はクロウの表情に何かを読み取ったのかニヤリと笑い掛けた。
「それでは、八幡宮とわっちらの社しか、この内容は知らされてないのじゃなあ、まだ」
「そういうことだ」
 如月は更にニヤニヤとしていた。
「さしづめ八幡宮にはエボシ殿とコズミ殿が向かったのだろうなあ。して、わっちらの社にはそなたが参ったのだが、何故(なにゆえ)そなたなのだろうなあ」
 話している最中、如月が相手の顔を眺めながら急にニヤつくのはいつものことなので、クロウは特に気にならなかったが、問い掛けられた内容には思わず言葉を詰まらせた。
「そなたとエボシ殿の間がうまくいっておらんことは誰もが知っておること。今回の卦も、これだけの内容やからなあ、きっと意見が合わんかったことじゃろお。そんなそなたをエボシ殿は送って寄越したとはなあ。どういうつもりなのかねえ」
 鋭い指摘にクロウは思わず苦笑した。
「さあ、我はただ命じられた通りに知らせに来たまで」
 如月はまだニヤついている。ただその視線だけは鋭さを増していた。
「で、そなたの卦の見立ては?」
 如月は正対する相手の姿を見れば、その心の内がおおよそ読めた。だから、その眼前で黙することも、嘘を吐くことも意味をなさない。クロウも思わず笑みを返した。
「相変わらず如月殿は鋭いな」
「ふふふ、わっちには今、そなたの胸の内にある淀みがはっきり見えるでなあ。まあ、そなたを寄越した時点でこういう話になることはエボシ殿も予想しておろうし、それを望んでもいるのだろうからなあ」
「まあ、そうだな」クロウは急に座り直して威儀を正した。「災厄の縛めが消えること、水が天に昇り地に降り注ぐこと、災厄を宿す者が現れること、確かに卦に出ておった。そして贄の者は東方におる。恐らくその者は民草(たみくさ)。災厄が欲する者というからには()(しろ)(すえ)なる者だろう」
 静かに話すクロウがいったん言葉を途切れさせた合間に如月が割り込んだ。
「そうそう。先ほど、尾の(くさび)の警護に向かっておった神鹿隊(しんろくたい)から伝令があってなあ。禍津神(まがつかみ)と交戦して見事打ち破ったらしい」如月は少し誇らしげだった。「そんで、そこで民草(たみくさ)三輪(みわ)山王日枝(さんのうひえ)の眷属と出くわして、その者たちを引き連れ帰還するとのことなんだがなあ、その民草が依り代の娘とか。三輪の大神も招いて姿を発現(あらわ)させたらしいなあ。その娘が贄となす民草なのだろうねえ」
「間違いないだろう。ただ、その娘を贄とすることが正しいのか、贄を災厄に差し出してどうなるのか、はっきりと卦には現れていなかった。よって我はそうするべきとは……。それにあと一つ、気になることがある」
「気になること?」
「ああ、誰かが西方に向かう。恐らく民草だ。その娘とは別の。どうもその者の動きが気になる」
「どう気になるのじゃ。それにエボシ殿の見立てにはその者のことには触れておられぬようやなあ」
「その卦は今までにない卦なのだ。はっきりと現れているが読み取ることが難しい。ただ、民草を贄とすると決めるにはかなり邪魔になりそうな動きなのだ」
「そうけ。覚えておくわあ。とりあえずはその者に会ってみんとなあ。とにかく災厄の縛めが消え失せ、災厄を宿す者が現れ、依り代の民草がこの村にやってきおる。ということは、災厄を宿す者も依り代の民草を求めてこの村にやって来るやろうなあ。その時、我らがどうするかねえ。民草を贄となすか、大神たちの分御霊(わけみたま)を集めて災厄の力を封じるか。まあ、じっくり様子を眺めながら決めようかねえ」
「とにかく、くれぐれも大神様に、この度の卦の奏上よろしく頼む」
「分かりましたえ」そう言うと如月は笑みを消した。真剣な表情で、「クロウ殿、気をつけなされえ」と言うと再び微笑んだ。
 クロウは何に気をつけるのか言われなくても分かる気がしたので、ただ、うむ、とだけ答えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み