第十三章十三話 希望の灯り

文字数 7,008文字

 自分に向かって飛んでくる剣をタカシは寸でのところで()ける。そのまま地に突き刺さった剣は再び宙に浮いたかと思うと更に刃先を向けて飛んできた。
 まさかこんな攻撃をされるとは思っていなかったが、それほど細かい動きはしてこないので、集中していれば避けられないことはない。しかし実際にそこで誰かが柄を握って剣を操っているかのように繰り返し、彼の身体の中心に向けて刃先が襲い掛かってくる。マコモも少しずつタカシの避け方に慣れてきた。更に集中して、軽く突いたかと思うと横殴りに斬り掛かってきたりする。やがてもう少しで身体をかすめるかと思うほどの攻撃が増えてきた。
 その一方的に攻撃されているタカシの姿に周囲の眷属たちは、やっぱりな、と思うしかなかった。先ほどは臆することなくマコモとの対戦を承諾した民草(たみくさ)が、多少なりとも善戦するのではと、わずかに期待を寄せたが、それが儚く消えていく。マコモ殿の性格からしたら相手を無駄にいたぶるようなことはしない。そろそろ相手の力量も判明した頃だろう。間もなくこの催しも終焉を迎えることだろうと多くの者が予想した。
 状況を眺めながらナミは、やっぱりね、と思いつつ、止める時宜を計っていた。もう彼我(ひが)の力の差ははっきりとしている、当然止めてもいいタイミングだった。しかしタカシの性格上、とことんやれるところまでやらないと自己嫌悪に(さいな)まれて落ち込んでしまうだろう。いい年をした成人男性を慰めるなんてなるべくならしたくない、などと思っていると、剣が横一閃にタカシの身体を薙ぎ払うべく襲い掛かった。
 タカシはとっさに避け切れない、と察した。そして無意識に身を固めた。その瞬間、右半身から白い光が発せられた。その光に剣が当たる、と剣の動きそのままにタカシは左横に飛ばされ、地に倒れながら滑っていった。
 やられた、タカシは思いつつ、全身から湧き起る痛みを瞬時に意識から切り離した。そしてすぐさま全身に動かない箇所がないか、調べた。大丈夫、すべて動く。
 立ち上がりながら剣の刃が当たった二の腕を確認する。斬られていない。きっと白い光が防御して刃が肉まで達しなかったのだろう。ただ、剣の動く力までは抑えきれずに自分の身体が吹っ飛ばされた。どっちにしろあんな攻撃を受け続けていたら身がもたない。
 ナミはいったんほっとしながら、相手の眷属が本当にタカシに対してなんら手加減していないことを察した。やばいわね。止めないと本当に殺される。そう思っている間にも剣が次々に攻撃を加えていく。そしてまたタカシの身体が飛ばされた。地に倒れたがすぐにまた立ち上がる。そこへ剣が一直線に刃先を向けて飛んでくる。またとっさに避ける。
「バカ、攻撃しなさい。避けてばっかりじゃ勝てないわよ」と思わずナミは声を上げた。その声にタカシは、そうしたいのは山々なんだけど、と思いつつマコモを見る。悠然と直立し、手を軽く振って剣を操っている。距離がある。剣の攻撃をかいくぐって到達するにはちょっと遠い。しかしそうも言っておられない。それから何度か剣の攻撃を避けながら近づく頃合いを見計らっていた。そして、剣が大きく横一閃に攻撃してきた際、とっさに屈んで避けると、そのままマコモに向かって全速力で駆けた。背後から剣が飛んできそうな気配。しかしもうマコモに到達することだけを目指した。そしてその身体の内部に集中した。
 中心に白い固まり。全身に向かって白い光が線となって伸びている。他の眷属たちと変わりないが、少し硬そうに見える。その固まりを攻撃すれば勝てるはず、と走りながら右手を前に差し出す。その先から別の手が伸びていく。その手が間もなくマコモの白い固まりに触れる、とその時、マコモが大きく前に踏み出した。タカシがあっと思い、踏みとどまろうとした時には遅かった。彼の目にマコモの右手が大きく後ろに引いた所から一瞬にして自分に向かってくる()が見えた。
 大きなマコモの手、彼の顔にまともに正面からぶち当たった。
 マコモの繰り出した張り手によってタカシの身体はかなりの距離を飛ばされた。地に落ち、滑った所はナミたちの足もとだった。
 タカシは当然のように気を失った、がそんな彼に向かっていくつもの声が降ってくる。
凪瀬(なぎせ)タカシ、起きなさい。すぐに次の攻撃がくるわよ」
「凪瀬タカシ君、起きるんだ。早く」
「起きてください。(ぎょう)はもっと苦しかったでしょう。こんなことに屈しないで」
「おい、おい、こんなところで終わるのか。もう少し頑張れよ。なあ、目を覚ませ」
 そんな折り重なった音の中で、一つ心に浸透してくる声。ただ自分の名を呼ぶ声。
“凪瀬さん、凪瀬さん、凪瀬さん……”
 彼ははっと目を開いた。そこに剣の刃先が宙高くから襲い掛かってきていた。とっさに彼は両手でその刀身を掴んで止めた。
 マコモは武人としての倫理観から、最後まで手を抜かないつもりだった。だから前に出した手に集中して磁力を発した。タカシの掴んだ剣がぐんと重くなる。
 タカシの胸に刃先がより近づいてくる。彼の手から血がにじみ、流れ落ちる。よく見ると白い別の手が伸びて実際の彼の手の上で剣の降下を防いでいた。それがなければ彼の指はとっくに斬り落とされていただろう。四つの手で何とか攻撃を防ぐ。しかし更にマコモは右手を下げる。剣が更に下がり、彼の胸にその先が刺さる。薄汚れたシャツに血がにじむ。
「もう、勝負はあったわ。剣をどけて。代わりに私が相手になるわ」左手を前に差し出した状態でサホが言う。相手が聞き入れなければ剣をへし折るつもりだった。そもそも彼女としてはもっと早く止めるつもりだった。しかしタカシの目が決して屈しないという色に濃く染められていた。それを見るとどうしてもまだ何かしてくれるのではないかと期待して止めることをためらっていた。しかしどう見てももう潮時だ。これ以上すれば確実に契約者が死ぬ。
 そんなナミの声にもマコモは何の反応も見せなかった。だから仕方がないとルイス・バーネットは命じの言葉を発しようと決めた。束の間でも攻撃を止めてその間にタカシを救う。
 その言葉が発せられるより前に、リサは思わず叫んでいた。
「もうやめて。お願いだから、もうやめてあげて」
 自分の目の前で凪瀬さんが傷ついていく。それを見るのがとてもつらく苦しい。自分が傷つく方がまだまし。今までにもこんなことがあった気がする。思い出せないけどきっとあった。だから尚更、つらく苦しく思える。だから何もできなくても止めなければと思う。だから叫ぶ。
「もう、やめて―!」
 あからさまに涙まじりの声。またリサを泣かしてしまっている。俺が情けないから。ちゃんとできていないから。俺が強くなれていないから。ぐっと歯を喰いしばる。悔しかった。自分を罵倒(ばとう)してしまいたい気分。どんなに決意を固めても、どんなに覚悟しても、力が足らずにリサを心配させ、泣かせている自分が許せない。早く立て。これまでしてきたことを無駄にしてもいいのか、リサの笑顔を見られなくてもいいのか。さっさと、立て。
 更に歯を喰いしばる。自分に対する憤怒の感情を隠すことなく(おもて)に表しながら、両の(かいな)に力を込める。こんなところにとどまっていてはリサを救うことなどできやしない。
 じりじりと剣を押し返す。じわりじわりと上体を起こしていく。そして叫びながら剣を遠くに投げ飛ばした。
 剣の刃で切れた手のひらや地に打ち付けた背中や足から痛みが脳髄に駆け寄ってくる。それを意識から遮断して立ち上がる。怒り、情けない自分に対する怒り、力のない自分への怒り、そんな思いを足に乗せてマコモに向けて歩いていく。
 リサやナミをはじめその場にいた者たちは一様に驚いた。もう間違いなくタカシの敗北は決まったと思っていた。その状況を押し返した。それどころか更に挑みに行くその姿に感嘆の声が自然に上がっていた。
 そんな中でマコモも驚いていた。あの状況を脱するとは。眷属でも難しいだろうに。これは本当に本気で倒しに掛からねばならぬな。そう思い、自分からもズンズンと前に進んで行く。その間にも剣を操り、攻撃する。
 自分の横合いから剣が飛来してくる。腕を振る。白い腕が現れ、剣をはたき落とす。
 二人は更に近づく、やがて先ほどと同じほどの距離に達すると先ほどと同じようにマコモは右腕を後ろに引き、タカシは両腕を前に差し出した。
 今度はわずかにタカシの白い手が先にマコモの中の白く光る固まりを掴んだ。と、ほぼ同時にマコモの張り手が彼の顔目掛けて飛んできた。それは手のひらにも関わらず驚くほど硬い。まるで岩石にまともにぶつかったかのような衝撃。瞬間的にタカシの上体が後ろに大きくのけ反る。そのまま首から上が飛んでいってしまいそう。掌底(しょうてい)に当たった場所が粉々に砕けてしまいそうだった。痛みを感じる間もなく一瞬、意識が飛んだ。しかし、すぐに取り戻す。感覚が鈍い、まともに身体が動かない。それでも、けっしてマコモの体内に入った白い手は開かない。何があっても掴んだまま開かない。
 マコモは急に自分の根本に異変を感じた。それは肉体ではない。もっと深淵にある自分自身を構成する気の固まり。身体には何ら異変はない。しかし突如、全身に行き渡る気力が動きを止めた。気力を湧出させているその源泉が急に堰き止められたような感覚。この民草、何者だ?いったい何をした?これは、少し、まずいかも、早く倒さないと。思うと同時にマコモは両手でタカシの首を絞めながら身体が浮くほど持ち上げた。
 タカシは一瞬にして呼吸困難に陥った。マコモの大力が首を絞め上げる。足が浮いている。体重が首に掛かる。もう数秒も持ちこたえられない。しかしタカシは伸ばした白い手を開かない。更に念を送って強く握り締める。絶対に、けっして離さない。この手だけは何があっても……
 マコモの足がふらつきはじめた。身体が揺れはじめた。首を絞める手の力が弱くなった。そしてするっとタカシの首がマコモの手からすり落ちた。地に(ひざ)を着きながらタカシは激しく咳き込む。その間もけっして白い手を開かない。加えてじわりじわりと握り締めた手を引き寄せていた。
 マコモは力の入らない身体を持て余しながら眉根を寄せてタカシを睨んでいた。タカシも喉の苦しさに耐え、大きな呼吸を繰り返しながら睨み返す。もう少し、もう少しでこの相手を倒すことができる。その時、深層から聞こえてくるような重厚な声。
 ――もうよい。やめよ。
 タカシの身体から力が抜けた。同時に白い腕も消えた。呼吸が次第に楽になっていった。マコモの青ざめた顔に生気が戻ってきた。ただ二人とも睨み合ったままだった。お互いに命を賭けて戦った相手を前にまだ気が許せなかった。
 自分を呼ぶ声にクレハが急ぎ御神輿(おみこし)の前へと駆け寄る。八幡神の宣下(せんげ)する声に何度か短く答えた後、御神輿の前面の扉を開け、御簾(みす)を上げた。そして陽光を浴び光り輝いている(ぎょく)をあずき色の座布団ごと中から取り出した。
 クレハは他の眷属に命じて御簾を下げ、扉を閉めると玉を目通りに捧げ持ちながら座り込んでいるタカシの前まで進んでいった。
「大神様からの宣下である。(つつし)みて拝聴せよ」クレハはタカシの前に(ひざまず)くと厳めしい顔をして言った。「そなたは命を()し、我は玉を賭けた。その誓約(うけい)により、我はそなたに玉を授ける。そなたは我に誓った通り災厄を倒せ」
 周囲の眷属たちから、おおおお、という感嘆の声が上がった。タカシはぎこちなく頭を下げながら玉を座布団ごと受け取った。そして立ち上がり、周囲を見渡した。
 どの眷属も驚嘆の表情をていしている。その中で蝸牛(かぎゅう)やマサルやクロウやサホが称賛の意を込めた笑みを(たた)えている。ルイス・バーネットが微笑みながら健闘を称え拍手をしている。ナミはその横で仏頂面のままだった。ただ、笑いたいのをこらえているのかプイッとそっぽを向いていた。
 そんな中、タカシにヨリモが駆け寄った。
「お願いです。その玉を私に、タマ殿を私に渡して、お願いします」
 タカシはその通りにヨリモに玉を差し出した。ヨリモは槍を地に置くと震える手で(じか)に玉を受け取り、ゆっくりと抱きしめた。ひんやりとした冷たさが手に腕に感じられる。でもその中にほんのりとしたぬくもり。けっしてただの鉱物ではない(あかし)のぬくもりが感じられる。
「タマ殿は、どうすれば元の姿に?」
 ヨリモはすぐそこに背筋を伸ばし、目を閉じて座しているマコモに向かって呟くように言った。マコモは生まれてはじめて受けた敗北の味を仕方なく受け入れている最中のようだった。だから返答などないかとも思った。しかし静かにマコモの目は開いた。
「どうすれば元に戻るかは分からん。誓約の時のように大神様に気を注いでもらえば眷属として戻ることができるかもしれん。しかしそれがタマのままかどうかは分からん。別の眷属になってしまうかもしれん。望みは薄いが長い時間を掛ければ少しずつ元の姿に戻ることができるかもしれん」
 ヨリモはクレハに視線を向けた。クレハは、その通りだ、と言わんばかりの不機嫌な顔をしていた。そんな……この二人で分からないのなら誰に訊いても無駄だろう。ヨリモの双眸(そうぼう)が湿り気を帯びた。ここまで必死にタマ殿を救うために現状に抗ってきたのに。どれだけの時間を掛けたらタマ殿に会えるの?本当に、会えるの?
 そんなヨリモが持つ玉をじっと眺めていたタカシの目に、白い光の固まりが見えた。玉の中に光る球体。もしかしたら、どうにかできるかもしれない、とそんな気がした。だからヨリモの玉を持つ手に自分の手を下から添えた。
「この位置で持って動かさないようにしてくれ」
 ヨリモは玉を頭の上に捧げ持つように上げている。その中をタカシはじっと見つめる。一個に凝縮した固まり。これをほぐせば本来の形に戻るのではないだろうか、そんな気がした。だから差し出した両手から白い手を再度出して、玉の中へと差し入れた。
 それはとても硬かった。一気に形を変化させることはできない。しかし、何度も何度もこねくり回しているうちに少しずつ形が変わっていった。もっとじっとよく見てみる。微かに亀裂が見える。そこへ慎重に自分の白い指を差し入れていく。すると少し割れた。更に指を差し入れ、まるでみかんを割るようにぱかっと開く。更に亀裂を見つけると更に指を差し入れ広げていく。そうして段々と輝く固まりをほぐしていった。やがてその広げられた白い輝きが玉一杯に広がった頃、その端々がぴくっと動き出した。更にほぐしていくと少しずつ大きく動くようになった。それにつれて玉自体の形が緩やかに変化していく。
 ヨリモはしばらく頭の上に玉を差し上げていたので、次第に腕がきつくなっていた。それでも眼前の民草が何かをしようとしている。実際、何をしているのかは分からないがきっとタマ殿の復活のために行動してくれている。そう信じてけっして玉を動かさないように耐えていた。すると玉の方が少しずつ動きはじめた。そして激しく光りはじめた。
 見上げるヨリモの視線の先に白い足が伸び、白い手が伸びていく。彼女はただ眼前の信じられない光景を呆然として眺めていた。するとタカシが、ほぼ人型になっている白い光の脇を抱えて地面に横たえた。ヨリモはその様子をただ静かに目で追っていく。
 やがて白い光は浅黄色(あさぎいろ)(はかま)と水色の狩衣(かりぎぬ)へと変化し、それからそれぞれ伸びる手や足に変化し、烏帽子(えぼし)を被ったタマの顔になっていった。
「タ、タ、タマ、タマ殿?タ、タマ、タマ殿……」呟くようにヨリモが声を掛ける。大きな声を出すとすべてが掻き消されそうで怖い。でも、呼ばずにはいられない。期待せずにはいられない。
「タマ殿、目を開けて。目を開けてください。どうか、お願い、目を開けて。お願いです。お願いですから、目を開けて。ねえ、ねえったら、ねえ……」

 真っ白に包まれている。すごく意識がぼんやりとしている。思考は曖昧。ただ薄っすらと感じている。微かに聞こえる声を。
 嬉しくなる声。楽しくなる声。いつまでも聴いていたい声。そんな声が、自分のことを呼んでいる。
 もっとこの声をしっかりと聞きたい。
 そのために目を開かないといけない。早く、早く。
 そして白い世界の一部が薄っすらと開いていった。
 もっともっと声が流れ込んでくる。とても心地が良い。

 目を開けると覗き込んでいるヨリモの表情が見えた。いったい何て顔をしているんだ?タマは思わず笑いそうになった。その視線の先に、驚きながら喜びつつ泣くのを必死に我慢しているような顔。
「ヨリモ」と、か細くタマが声を掛ける。ヨリモは両目にあふれるものを感じて、とっさに顔を横に向けた。そしてしきりに(まばた)きをした。
「何ですか?」
 ヨリモは顔を横に向けたまま。タマは柔らかく微笑み掛ける。
「ただいま」
 ヨリモは固く目を閉じた。そして小さくしゃくり上げながら言った。
「お帰り、なさい……」

 そんな二人の様子を眺めながら、二人の思いを知っている蝸牛は、苦難の末に再会できた二人のことを素直に良かったと思った。
 そして自分の心にも周囲の眷属の心にも、微かに灯りがともった気がした。
 八幡宮と稲荷神社との誓約はまだ存在している。この郷の和はまだ保てるかもしれない、そんな微かな希望の灯り。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み