第二章六話 道すがら妹と 

文字数 4,953文字

「お婆さんの家ってどこにあるの?お姉さんは先に行っている可能性はない?」
 ナミの言葉が聞こえていないのか、マコはずっと周囲をきょろきょろと見回していた。そして、あれー、とか、おかしいな、とか独り言を発していた。
「どうしたの?」その様子にナミは、少し()れながら訊いた。
「あのー、この辺は見覚えがないんです」
「どういうこと?」
「ごめんなさい。確かにお婆ちゃんの家に行っているはずなんです。お姉ちゃんと一緒にいたはずなんです。でも、あたし、なぜ、ここにいるのか分からないんです。本当にごめんなさい」マコは申し訳なさそうにうつむいていた。ナミはそんなつもりはなかったが、自分の言葉が冷たく、責めるように聞こえたのだろうと思った。だから今度はなるべく優しく聞こえるように声音を変えた。
「いいのよ。ここは人智では計れない世界だから。不思議なことが通常なの。あなたが悪いわけじゃない。気に病むことはないわ」
 マコは上目遣いにナミに視線を向けて微笑んだ。ナミさんって見た目はすごくクールだけど、けっこう優しいのかも、と思いながら。
「ここは初めて来た所?見覚えのある場所はない?」ナミも努めて微笑んだ。
「はっきりと見覚えのある所はないです。でも、たぶんここは恵那郷(えなごう)だと思います」
「恵那郷?」
「ええ、祖母の家、父の実家がある場所です。今、祖母が一人で住んでます」
「お婆さんの家はどこら辺にあるの?おおよその方向でも分かれば助かるんだけど」
「方向は分からないんですけど、東野村(とうのむら)っていう村の中の、祝森(いわいのもり)っていう所にあります」
 ナミはすぐに手のひらに地図画像を浮かべて検索をはじめた。リサが知っている場所なら検索して地図上のどの場所にあるのか特定することができるはずだった。すぐにその場所は判明した。現在地から南東の方向、郷全体で見ればちょうど東の端。
 場所を特定できた。飛べばすぐにその場所に行ける。しかし契約者と合流するためには道の上を行かなければならない。更にその場所に達する道順を検索した。大きく二つに分かれていた。現在地から東に向かい、郷の中心部分をぐるりと回るように進む順路。または現在地から真南に向かい、郷の中心を北西から南東に向かって流れる川に沿って進み、途中から東に折れて向かう順路。
 距離的にはあまり違いがないようだったが、タカシが東方向へ進んでいるようなので、ナミはそちらに向かう道を進むことに決めた。
「とりあえず、お婆さんの家に行きましょう。もしかしたらお姉さんは、そこで待っているかもしれないし、途中で会えるかもしれない」そう言い終わる前にナミは歩きはじめていた。容赦なく照りつける陽射しをわずかでも避けるために小さな木陰から木陰へと辿りながら進んでいく。
「そうですね。分かりました」マコはその背中を追った。

 先ほどまで、そよと吹いていた風もいつの間にかやんでいる。大振りな麦わら帽子を被っていたが、その下で脳が溶けていくような気がする。ただ呆然とナミの足元を見ながら、その後を追っていく。暑い……時間が経てば経つほど、周囲に満ちている、全身にまとわりついてくるような熱気と湿気に、頭の中がその言葉で埋め尽くされてくる。そんな想念の中にふと何かが混じってきた。誰かに呼ばれているような気がした。
 マコは顔を上げて自分の右側に視線を向けた。そっちから声がした気がした。しかし、誰もいない。ただ、周囲に草いきれを漂わせながら雑草の群れが茂っているばかり。ああ、あまりの暑さに幻聴が聞こえたのね、マコはそう結論づけてまた前傾姿勢になりつつナミの後を追った。
 ナミは手のひらの地図画像を眺めながら歩いていた。先ほど動いていた点が今は停止している。もう、だいぶ近くにタカシはいる。マコの歩みに合わせていたために中々距離が縮まらなかったが、好機到来、今のうちに合流してしまおう。無意識のうちにナミの足取りは速度を増していた。そのまましばらく行ったが、ふとマコが人間という足の遅い種だったことを思い出して振り返った。
 案の定、疲れ切ったような前傾姿勢のマコの姿が離れた場所にあった。気づかぬうちにだいぶ先行していたみたいだ。ナミはすぐにマコのいる場所に道を戻っていった。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。ちょっと暑くて、喉も乾いてしまって……」
 身体があると何かと不便よね。そう思いつつ周囲を見渡すと道を外れた場所にいくつかの民家が立ち並ぶ一画を見つけた。他に店舗も自動販売機も見当たらないので、いずれかの民家で飲み物をもらうしかなさそうだった。ナミは一度、向かっていた道の先に視線をやった。もうすぐ合流できそうだけど……でも、妹がつらそう、と思うと見過ごすこともできなかった。
「あそこに行って少し休ませてもらおうか」
 近場の民家を指さしながら、そう言って振り返ったナミの視線の先で、マコがふらふらと道を外れて右側の草原へと歩き出していた。その草原の先には青々とした稲穂の群れが生い茂っていた。慌ててナミは近づいた。
「あなたどこ行くの?そっちは道じゃないわよ」
「あっち、あっちに行かないと」ふらふらと歩きながらぼそぼそと言う。その足元を見ると膝上の高さまで(かや)が茂っている。マコはサンダル履きだし、ワンピースの下には白いふくらはぎが露出している。このままではたくさんの小さな傷が白い肌についてしまいそうだった。
 暑さにやられて幻覚でも見ているのかしら?と思いつつ、仕方がないわね、と呟いてから、ナミはマコの腰に手を回した。そしてそのままふわりと飛び上がった。
 そこまで高く浮上したわけではなかったが、眼前、マコが向かおうとしていた南側方面が見渡せた。田園の中に所々小高い山や林がある風景。その先にちょっとした湖がある。ちらりとマコの顔を覗くと一心にその湖に視線を向けている。
 マコは自分が空を飛んでいることを別段驚きもしなかった。そんなことは気づいてもいないかのようにただ前方の湖だけを見つめていた。あっちに何かあるのかしら?ナミは他の人に見られると面倒なことになりそうだとは思ったが、あまり高く飛ぶとマコが怖がるかもしれないと思い、すぐに降下できる程度の高さを保って湖に向かって飛んだ。
 二人がそのまましばらく飛んでいると突然、ナミの傍らからキャーという叫び声がした。
「え、え、え?何で、私、飛んでいるの?いや、助けて」そう言いながらマコは手をバタつかせてナミの身体にしがみついた。
 ちょっと、やめなさい、離しなさい、と言いつつ、ナミはふらふらと地上に降下していった。そして無事に足から降り立ち、高く飛んでなくて助かったわ、と独り()ちた。
「ねえ、飛行中にしがみついたら危ないわよ。もう大丈夫だから離れて」地上に降り立ってからもまだ自分の身体から離れようとしないマコに少し強めな口調で言った。
「あ、ごめんなさい。でも、何で飛んでたの?どうやって」
 慌ててナミから身体を離しながらマコが言う。
「あなたが生足のまま草の中に入ろうとしていたから、切れたら嫌でしょ。だからあなたの腰を掴んで飛んだのよ」平然と、飛ぶことが当然のような口調でナミが言う。
「何で飛べるんですか?どうやって」
「それは私が霊体だから。飛ぶことは私の霊体としての能力なのよ」
「霊体?」
「ええ、霊体」
 マコは思わず数歩後退(あとずさ)った。恐ろしいものを見る目をしていた。その表情からナミは察した。
「言っておくけど、私は霊体。幽霊とは違うわよ」
「でも、霊なんでしょう?」
「いい、通常、人の魂はその核にあたる部分と自我と意識とで構成されているの。人が死ぬとその三つの構成要素が分離して、自我は更に分離して消滅するわ。そして意識のとても深い層の働きによって核にあたる部分が次の命へと姿を変えるの。幽霊っていうのは、新しい命になり損ねた魂の姿。何かの原因で、意識に問題があったり、核を見失っていたり、自我がうまく分裂しなかったり、そんな不具合を抱えた魂のなれの果てよ。それとは違って私たち霊体は核も自我も意識も完全な形で持ち合わせているわ。人間とは身体があるかないかの違い、それだけ」
 マコは理解したのかしてないのか、困ったような表情をしていた。とりあえずこの人は幽霊ではないけれど、人間でもないみたい。安心していいのか、警戒したらいいのか分からない、そんな表情。
「幽霊ではないんですね?というか幽霊って本当にいるんですか?」
「ええ、けっこういるわよ。あなたの後ろにも一人……」
「えっ!」とマコは驚いて振り返った。
「ごめん、冗談よ。幽霊なんてめったにいないわよ。死んで幽霊になる人なんて百万人に一人くらいのものよ。逆に珍しいから会うことができたらラッキーかもしれないわね」
「もう、やめてくださいよ。どんなに珍しくても幽霊には会いたくないです」
 このコは、すぐ人の言葉を信用するわね。純粋というか、世間知らずというか。きっと周りから優しくされ、守られて育ったのね。
「そうね、会っても特に良いこともないから、会わない方がいいわね。それはそうと、身体は大丈夫?そこに飲み物をもらいに行こうか」
 ナミは自分の視線の先をアゴで示した。道の先、右の脇が高台になっており、その上に薄緑色の鋼板に壁面が覆われた細長い大きな建物があった。
 二人は道を進み、坂道を少し上ってその建物のそばに辿り着いた。大きな薄緑色の建物は二棟並んで建っていた。畜産に使う建物だろうか。中に何がいるのかは分からないが生々しい動物臭は漂っている。加えて多数の生き物が蠢き合っている気配。ただ、鳴き声も聞こえないし、騒々しさはなかった。少し気にはなったが、こういう場所に馴染みの薄いナミはそんなものなのだろうと思い、引きつづき人の姿を捜すことにした。
 大きな建物の脇に灰色の鋼板に壁面を覆われたこじんまりとした建物があった。きっと事務所か何かだろう、ナミはそう思い、周囲に人の姿が見えないこともあり、そちらに向かってみることにした。
 入り口の扉の前で中に声を掛ける。しかし返答はない。仕方がないのでドアノブに手を掛けてみると鍵が掛かっていなかった。
「こんにちは。誰かいませんか?」外見よりも奥行がある屋内に向けてナミが声を掛けた。しかし返答はない。
 困ったわね、誰もいないみたい。そうナミが思っていると屋外から、キャッ、というマコの叫び声が聞こえた。ナミは慌てて外に出た。
 扉の横に水道があった。その水道の蛇口にホースが接続されていて、そのホースの先のノズルをマコが片手で持ってしゃがんでいた。顔も前髪も服も水に濡らした状態で。
 どうやら水を飲もうと思ってホースノズルのレバーを握ったら、勢いよく水が流れ出たようだった。ナミは思わずクスリと笑った。
「貸して」と言いつつマコからノズルを受け取り、その先端部分を回転させた。回しつつ少し水を出して水勢を調節した。何度目かで普通に水が出てきたのでそのままノズルをマコに渡した。本当に妹って手が掛かるわね、と思いつつ。
 妹?何か脳裏に引っ掛かるものがある。忘れてはいけないことを忘れているような……。私の知っている妹、私の周りにいた妹、私の、妹……
「冷たーい。この水、とても冷たいですよ。ナミさんも飲みませんか?」 
 マコは立ち上がりながらにこやかな表情をしていた。ナミは、私は霊体だから飲食は必要ないのよ、と言い掛けたが、その表情を見て、うん、と思わず言った。
 はい、どうぞ、と言いつつマコがナミの身体の前に水を流しはじめた。ナミは両手でその水を受けた。本当に冷たい。たぶんこの水は地下水をくみ上げている。一口含んでみる。身体中に清涼感が一瞬にして行き渡り、頭の中がさあっと晴れ渡っていくような感覚を抱いた。
「本当に冷たいわね。それにとてもおいしい」
「ですよね。何か生き返ったような気がします」
 マコの言葉にナミが、そうね、と答えた瞬間、細長く大きな建物の一つからガタンという大きな音が聞こえた。中に何かがいる。そう思ったが、ナミの鋭い感覚でもその内部に何がいるのかは分からない。もしかしたら人がいるのかしら?
「ちょっと待ってて」そう言ってから、ナミは一人でその建物に向かっていった。
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