第七章二話 タツミの最期の願い

文字数 4,026文字

 ヨリモと蝸牛(かぎゅう)は連携して、(まが)い者たちを次々に退(しりぞ)けた。
 まだ後から後から湧いて出てきてはいたが、余裕をもって対処できるくらいには勢いに陰りが見えてきた。だから疲労を感じはじめたヨリモはいったん結界の外に出て、蝸牛のいる川岸に上がり、一息吐いた。蝸牛は大石を一擲(いってき)し、新たに現れはじめていた禍い者たちのど真ん中に落とすと晴れ晴れとした表情で口を開いた。
「禍い者たちの勢いがだいぶ弱まってきているな。数自体が減ったのか、それともここは無理だと諦めて、どこか他所(よそ)に移動していったのか」
「どちらかは分かりませんが、このままいけばこの結界は守れそうですね」
「もう、ここは我一人でも大丈夫だろう。そなたは早く先に行ってくれ」
 もうすでに大石をいくつも投げているにも関わらず疲れている様子も見せずに蝸牛は背筋を伸ばして立っている。なるほど、まだ余力は存分に残っていそうだった。
「何を言っておられるのですか。どう状況が動くか分かりません。まだしばらく様子を見る必要があります。それに勢いが衰えたとはいえ、まだあなた一人では手に余るでしょう」
「しかし、そなたはタマ殿の所に行かなくてもいいのか」
 ごく自然に蝸牛は言う。突然、タマの名前が出たのでヨリモは少し怪訝(けげん)に思った。
「え?どうしてあの人の所に?」
「いや、いつも一緒にいたがっていたから、すぐにでもタマ殿の所に行きたいんじゃないかと思ってな」
「べ、べべ、別に一緒にいたがってなんかいません。何を言っているのです。まったく」
「勘違いなら申し訳ない。我はてっきり」
「てっきり何ですの?」
「いや、別に、何でもない」
「気になります。言ってください」
「いや、何、ヨリモ殿はタマ殿のことが……」
「やめてください。何を言っているのです。それ以上言ったらいくら天神様の眷属でもただでは済みませんよ」
「いや、自分が言えって……」
「そんなこと言ってません。私はタマ殿のことなど何とも思っておりません。これ以上、馬鹿なことは言わないように、いいですね」
 ヨリモの首から上が真っ赤に染まっていた。うむ、このコは本当に分かりやすい。蝸牛は思わず微笑んだ。
「何をそんなにニヤついているんですか」
「いや、別に」
「さあ、また禍い者が出てきましたよ。行きましょう」
 そう言いながら走り出すヨリモの背を見送って、蝸牛は再び崩れた石垣の大石を持ち上げた。

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 その頃、タマはタツミの身体の上に両手をかざして自らの欠片(かけら)を注いでいた。しかし、傷口が塞がらない。あまりにもその数が多く深すぎる。それぞれの傷口から極々小さな粒子がふわりと浮かび上がって空気中に溶けて消えていた。タマは苦慮した。とても良くない状況だった。微量だとはいえ、傷口から出てくる粒子を今のうちに留めておかないとそのうち身体を構成する力まで失って、(つい)には消滅してしまう。
 タマはすでにかなり消耗していた。身を削って他の眷属の傷を治している。治療に使った分の回復には時間がかかる。立て続けに治療ばかりしていては、回復が追いつかず自身の身体を構成する力さえ失なわれていく。自分の体調と患者の状態をあわせ(かんが)みる。まだ自分は大丈夫。しかし、この者が助かるかどうか、可能性はごく少ないように思われた。もし、何とか一命を取り留めることができたとしても、元に戻るまでに何十年何百年掛かることか分からない。しかし見捨てる訳にはいかない、できるところまでやる。タマは覚悟を決めた。自分が消滅してしまわないギリギリのところまで治療を続ける。やるだけやって駄目なら仕方ない、そういう思いだった。

 ……ふと、意識が戻った。
 目を開いてみる。少しの間を置いて、自分が林の中で横たわっていること、すぐ近くに誰かが座っていること、その誰かが自分の身体の上に手をかざして、きらきらと輝く何かを降り注いでいることを認めた。
 ああ、自分はまだ消滅してなかったんだ、とタツミは心中、独り()ちた。ああ、我はみんなに助けてもらったんだ。ほっと安堵が胸中に広がった。しかし身体はまったく動かない。意識もぼやけている。自分がまったく正常ではないことが自分で強く意識された。全身に空いた穴という穴から力が漏れ出ているような気がする。時間の経過とともに自分という存在が薄く、軽くなっていく。
 頭のすぐ上の方で、兄様、という涙声が聞こえてきた。ナツミの声だ。またこの妹は泣いているのか。泣き虫の甘えん坊。いつまでも子どものままだ。
「な……つ……み」タツミは気力を振り絞って弱々しくか細い声を発した。
「兄様、良かった。戻ってきてくれて、本当に良かった」
 顔を(ゆが)めて大粒の涙を流している妹の顔が視界に入ってきた。このコは何て顔をしているんだ。まったく眷属としての威厳も何もあったもんじゃない。
「どなた……だ?」タツミはゆっくりとタマに視線を向けた。
「この方は、お稲荷様の眷属、タマ殿です。うちや兄様を助けてくれている方です」
「タマ殿……」タツミは呼び掛けながら起き上がろうとしたが、身体が言うことを聞いてくれなかった。かろうじて無理矢理腕に力を込めて上げ、その手でタマの手首を掴んだ。「妹や……我を助けて、くださった……こと、衷心より、感謝申し上げる。もう……治療の必要は、ございません」
「いえ、まだ充分、回復されてはおられません。今しばらく続けねば」タマの言葉にナツミが続ける。
「そうです。兄様、タマ殿の言うことを聞いて大人しくその(すべ)に身を(ゆだ)ねてください」
 タツミは意識的に厳しい顔つきをしてナツミに視線を向けた。
「ナツミ、起こして……くれ」タツミは自分でも力を込めて上体を起こそうとした。しかし力が入らない。仕方がないのでナツミは背中を支えて起き上がらせた。
「まだ、動いてはいけません。無理をなさらぬように」そう言うタマに向けてタツミは微笑み掛け、頭を垂れながら口を開いた。
「タマ殿……本当に、ありがとう……ございます。我は、もう、助かりません。もう分裂がはじまっております。こうなったら、いくらそなたでも、治すのは無理でしょう。だから、無駄な力は、お使いに……なられるな」
「兄様、何を言ってるの。大丈夫、助かるから。きっとタマ殿が助けてくれるから」背後から悲痛な声が聞こえる。自分の両肩を掴む手に力がこもる。やるせない思いがその手から伝わってくる。
「そうです。まだ、無理かどうかは分かりません。今しばらく()しておいてください」
 そう言うタマの手首を握っている手に、タツミは意志の力を込めた。
「タマ殿、我は三輪明神(みわみょうじん)様の、眷属である……この身、この命に代えても、大神様とこの村を守らねば、ならぬ。そのために、いつでも命を投げ出せるよう、日頃から覚悟しておる。だから、心配は無用……」
「兄様、もうやめて。そんなこと言わないで」絞り出すようにナツミが言う。兄様らしい言葉、(いさぎよ)く覚悟を決めていることが分かる。もう誰の言葉でもその決意は変わらないだろう。
「ナツミ、最期に……頼みがある」
 ナツミは返答することをためらった。兄が死出の旅立ちを画策している気がする。そんなことに手を貸したくない。
「我を、お社まで、連れていって、くれないか。無理だとは思うが……大神様に、お目通りを願いたい。その御許(みもと)に、戻りたい。兄の、最期のわがままを、聞いて、くれぬか」
 ナツミはますます言葉を出せなくなった。いくら兄様の願いでもこればかりはすぐに(うなず)けない。そのかたわらで、タマは動けなくなっていた。覚悟を決めた者の最期の願い。なるべくなら、その望みを叶えてやりたい。しかし他人の自分がとやかく言うべきことではない。兄妹の間で決まったことに協力してやるしかない。
「タマ殿」覚悟を決めたせいか、タツミの表情は穏やかな透明感に包まれていた。その顔にタマは、はい、と返事をした。
「このようなこと、そなたに頼むのは、筋違いかも、しれませんが、我が弟妹を、これからも気に掛けてやってはくれませぬか。まだまだ半人前で、ご迷惑ばかり、お掛けするかとは思いますが、これも御縁と(おぼ)()されて……どうか、よろしく、お願い申し上げる」
 タツミが小刻みに震える頭をゆっくりとタマに向かって下げる。
「分かりました」としかタマは言えなかった。

 一方その頃、ナミは湖面上を右に左に飛び回っていた。
 彼女に向けて、槍のような先の鋭く尖った細長い水が、次々に湖面から勢いよく突き出てくる。そのすべてを避けながら更に速度にのって飛び続ける。反撃の機会を窺いながらの飛行ではあったが、攻撃をかわすばかりに終始している。仕方なく、水槍から逃れるために空中高く飛び上がろうとした、その時、頭上から怒涛(どとう)のような気配を感じた。とっさに振り返りもせず、横に避けた。それは上空から一直線にナミに向かって飛んできていたが、かわされてそのまま激しい水音とともに、宙高く波涛(はとう)を上げながら水面に没した。ナミが上昇を止めてその場所に視線をやると上がった水飛沫(みずしぶき)が落ちるよりも早く、湖面から細長い土気色の固まりが出現し、あっという間もなくナミの目の前まで飛翔してきた。
“前よりも速くなってる”と思いながら慌てて後方に飛び退(すさ)った。まずいわね、速さで勝てなかったら他に手がないじゃない。どうする?逃げようにもすぐに追いつかれる。どう見ても手詰まり。
 禍津神(まがつかみ)は続け様に攻撃に移りはしなかった。ただ、空中に静かに浮かんだまま、片手を上げてナミのヒジ打ちででき、今はすっかり復元している傷の跡をゆっくりと指先でさすった。そして赤い目でじっとナミの姿を眺めていた。
 それは強者の余裕に満ちた視線。これ以上、傷つけられる心配など皆無だと言わんばかりの上から目線。ナミにとっては最上級の屈辱的な視線。そんな余裕を見せつけられても何ら対抗策を講じ得ない自分に苛立ちを覚える。
 どうにかしないと、マコを助けられるのは私だけ。何かいい手立ては……
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