第十二章六話 累卵の危うき

文字数 4,687文字

 八幡宮社殿から秘鍵(ひけん)が退出し、八幡宮の眷属たちとともに社殿横の広庭に移動した。その後をマコモが続く。
 広庭には、睦月(むつき)蝸牛(かぎゅう)とマガが、八幡宮と熊野神社の眷属たちに囲まれて待っていた。これまで社殿からドタバタと騒擾(そうじょう)の音が聞こえ、続いて八幡宮の眷属に担がれてヨリモが出てきてどこかに連れていかれた。社殿内で揉め事があったことは明白だったが、それがどのようなことで自分たちにどう影響するのか分からない。クレハは何かの準備のために忙しくあっちにこっちに立ち回っているし、気になって見に行こうと思っても、エボシやコズミをはじめ熊野の眷属たちが一切の移動を許さなかった。他の眷属が警戒している中、エボシはただ黙って腕を組み、彼らのことをジッと見つめていた。どことなく満足そうな表情をして。問い掛けても答えない。だから秘鍵とマコモが社殿から退出してきて何らかの説明があるものと、期待して待っていた。
「いったい何があったのです?ヨリモ殿はどうしたのですか?」秘鍵が近づいてくると睦月が訊いた。秘鍵は沈鬱な表情をしている。何か答えづらそうだった。そんな彼らにマコモが近づいてくる。
「そなたたちは、即座に自らの村に帰られい。これは総社の神である我が大神のご宣下である」
 いったいどういうことだろう。災厄のことはどうなったのだろう?宝珠殿(ほうじゅどの)言伝(ことづ)てされたように郷中全体の神々や眷属が、合同でことに当たることになったのだろうか?自分の村に帰ることには何ら異論はないが、話し合いの結果がどうなったのかだけが睦月には気になる。
(いまし)めの解かれた災厄への対処はどうなったのですか?もちろん郷中のみなで合力して当たるのでしょうな」
 睦月は前に進み出ながら訊く。自分に力を与えて消滅していった宝珠の願いをどうにか叶えてやらなければならない。
「災厄のことは我らと熊野の眷属たちとで当たる。そなたたちは、安心して自分の村に帰れ」
 マコモが言う間にクレハが戻ってきた。他の八幡宮の眷属も御神輿(おみこし)(はた)などの威儀物(いぎもの)を手にどんどんと戻ってくる。
 睦月の後ろで蝸牛はじっと話の推移を聴いていた。自分とマガ殿は熊野神社に向かう。本当なら八幡宮に立ち寄る必要はなかったが、氏子区域内を通るのに挨拶なしでは不敬に当たるし、何よりヨリモ殿が自然とこちらに進むよう先導していた。道中、つつがなく進めるように立ち寄ったつもりだったが、逆に自分の村へと帰されようとしている。それに先行して来たはずの兄たちはどこに行ったのだろう。自分たちよりもだいぶ先に発していたし、雨の影響があったのかもしれないが、自分たちよりかは先に着いているはずだが、と思いながら、恐る恐る声を出した。
「我は天満宮の眷属、蝸牛であります。この背に負っているのは東野神社(とうのじんじゃ)相殿神殿(あいどのしんどの)です。我らは熊野神社に向かう道中です。先に仲間が、この八幡村を通過する旨、お伝えしておると存じますが、その者たちは今何処(いずこ)に?」
 蝸牛は視線の先にいるマコモの威圧感に自然と身体を小さくさせていた。蝸牛は神議(かむはか)りには神の乗る輿(こし)を引く役として現地に出向くことはある。しかし、眷属たちの中では末席に連なる立場なので、もちろんマコモやクレハと親しく話したことなどない。自然、相手のことを知らないがために何をされるか分からない不気味さを感じざるを得なかった。
「そんな者など来ておらん。この先に行くことも許さぬ。早々に自分の村に帰れ。特に東野村の相殿神については重大な神議りへの反逆行為だ。一刻たりともこの村にとどめおく訳には参らぬ」
 クレハの言葉によって、蝸牛の脳裏には疑問符が並んだ。兄たちが来ていない?足の遅い天満宮の眷属たちの中では珍しく足の速い二人だった。どこかで鉄砲水に遭遇して流されてしまったのだろうか?しかし、兄たちは聡い。そんなへまをしそうにない二人だった。だから心配だったが、違う可能性、眼前の眷属たちが何かを隠している可能性も脳裏をよぎった。そして、マガのこと。これは自分が仕える天満宮の神が認めたこと。それを一言のもとに否定されるのは眷属として許されざることだった。事情を説明して、それでも駄目なら、それなりの理由を示してもらおう。そうでないと引き下がる訳にはいかない。
「このマガ殿の腹中には、マガ殿の家族がおられます。その家族を助けるために我らは熊野神社に向かっております。我が大神様はマガ殿を神と認め、その家族を助けようとする心根を称えられ、我らを向かわせました。何かの行き違いがあったようですが、先行の者も寄越しております。どうか、貴村の通過をお許しください」
 口調はゆっくりと丁寧だったが、胸を張り、自信を持って話しているように見える。その姿を見ながらエボシはほくそ笑んだ。こいつは使える。卜占(うらない)の結果により、東野神社の相殿神に対する八幡宮の眷属たちの不信感は充分に高まっているだろう。それにこの大男、たしか天満宮の他の眷属たちにたいそう可愛がられておる末の弟だ。こやつがここで捕まれば……
「何を馬鹿なことを言っておる。我が村に(まが)の者を入れるなど本気で言っておるのか?そんなこと認められると思っておるのか?」エボシの感情を抑えた淡々とした声。続けてマコモに顔を向けて言う。「その禍の者はこの村、ひいてはこの郷に災い成す者と卜占に出ておりました。神議りに背いたことでもあるし、いい機会です。ここで滅するが良いでしょう」
 マコモは思わず、むう、と呻った。エボシの言うことももっともだし、この者たちを西に向かわす訳には行かない。八幡大神様の意に背くことになる。しかし禍津神(まがつかみ)とはいえ他の社に(まつ)られている祭神を滅するなど、我らには……
「何を躊躇(ちゅうちょ)されておられます。そなたはこの郷を統べる総社の第一眷属、この郷に、この村に災い成す者を滅するのに何をためらうことがありますか」
 エボシが更に言い募った。しかしあまりのことにマコモもクレハも二の足を踏んでいる。そのため他の八幡宮の眷属たちの動きも止まっている。
「分かりました。そなたたちが動かぬなら、我らが手を下します。そこの天満宮の眷属よ。その背負いたる者を降ろせ」
 冷徹かつ高圧的な物言い。とっさに秘鍵が間に割って入ろうとした。もう、言う通りにするしかない。ここで争えば状況が更に悪くなってしまうだろう。だから反論しようとした蝸牛の前に立ち、場をなだめようとしたが、それより先に睦月が声を上げた。
「エボシ殿、我は熊野村で中宮(なかみや)様とそなたの仲間たちが話しているのを聞いた。奥宮(おくみや)様を黄泉(よみ)から出すために、この郷をケガレで満たすべくそなたが尽力しておると言っておった。それはいったいどういうことだ?」
 エボシの目が一瞬大きく見開かれた。その表情にマコモやクレハたちの視線が刺さる。
「何の言いがかりだ。我らには何ら心当たりのないことだが」
 とぼけるつもりか。睦月はそれまでの八幡宮や熊野神社の眷属たちの有無を言わせぬ高圧的な態度に正直イラついていた。それに左腕が何やらうずいている。こいつらは戦いもしないくせに指図ばかりしおって。だんだんと我慢できなくなってきた。
「我は確かに聞いた。言い逃れてもらっては困る。ちゃんとした説明をしてもらわぬ限りは、そなたたちの言うことには耳を貸さぬぞ」
 剣の柄に手を掛けながら言う。いつもなら多勢に無勢の争いごとなどしようとは思わない。勝算の少ない戦をするのはただの無謀だと思っているから。しかし、今、左腕から沸々と力が全身へと流れ込んでいる。単身でも負ける気がしない。
 そんな睦月の姿を見ながら、これも宝珠の影響なのだろうか、と秘鍵は思った。とにかく宝珠は曲がったことが嫌いだった。正義感が強く、納得いかないことには抗おうとする。何とも不器用な性格だといつも思っていた。
「馬鹿なことを言う。知らぬことを説明しようがない。それに我らに抗うことは神議りに逆らうこと。そなたは反逆者となりたいのか?」とエボシが言う。
「そなたたちに反抗するつもりはない。そなたに問うているだけだ。エボシ殿、そなたに」と睦月が言う。
「そんな世迷言(よまいごと)に付き合っているヒマはない。もう問答は不要だ。これ以上、逆らうようならそなたから滅することになるぞ」
「ほう、神鹿隊(しんろくたい)副隊長である我を倒せるのか、そなたたちに」
 睦月はそうしようと思う前に腰を落とし、剣の柄を握った。
「おやめなさい」という秘鍵の声、
「やめんか」というマコモの声、
 同時に辺りに響いた。何とも重い、ひとの動きも戦闘意欲も一瞬にして凍りつかせるような畏怖の念さえ抱かせる声だった。二人ともにこの場で争いを起こしたくない気持ちが強かった。そんなこと何があっても止めなくてはならない。
「みな、自らの村へ帰れ。これはもう決まったこと。各々思うところはあるだろうが、ここは気を鎮めて我が大神の大御意(おおみごころ)に従うのだ。東野神社の相殿神殿もどうか自らの鎮座(ちんざ)する村に戻られますように」
 マコモがマガに向かって小さく頭を下げた。彼なりにこの場を穏便に収めたい意志の表れだったのだろう。
「何を仰います。そのような禍の者を野に放つなど。また卜占の意に従わず、この郷を危うくするつもりですか。何をそんなに怖がっておられるのか。総社の第一眷属たる者が、情けない」
 エボシは気持ちを奮い立たせてマコモを(あお)っていた。ここが自分の計画にとって最重要な転換点であることを察してのことだった。ここで状況を上手く展開できたなら、あとは自然と計画通りに物事が進むだろう。ここはどうあっても折れる訳にいかない。そんなエボシにマコモの怒りを込めた視線が向いた。正直、エボシはひっと声を上げそうになった。それほど威圧感の濃厚な視線だった。そんな重く、ひりついた空気が漂う中、気怠そうなマガの声が響いてきた。
「マガ、熊野神社の神に会う。そしてうさぎを助けてもらう。誰も邪魔しないで。本当のマガは強くて怖い。その力、使わせないで。その力使ったら、みんな消えてしまう」
 蝸牛の背中に、まるで土気色した巨大な貝殻虫(かいがらむし)のように貼りついている禍津神、とてもそんな恐ろしい力を有しているようには見えない。
「ふん、そんな姿で何ができる。口ばかり達者な禍の者など恐れるに足らん。そいつを早く引っぺがしてしまえ」
 そう仲間たちに指示を出すエボシのかたわらでコズミは少しの不安に苛まれていた。相手はどんな姿だとしても禍津神なのだ。何をしてくるか分からない。エボシ殿とてそんなことは百も承知のはずだが……
 十人ほどの熊野神社の眷属たちが蝸牛とマガのもとに駆け寄っていく。
「お待ちください。手荒な真似をすると、マガ殿がどうなるか分かりません。双方、犠牲が出るかもしれません。いったんお引きください」
 とっさに蝸牛が叫ぶ。しかし、すぐに取り囲まれる。そして後方の眷属の手に持つ錫杖(しゃくじょう)がビシッとマガの身体を打った。秘鍵が目を見開く、睦月があっと声を上げる。
「おやめください。マガ殿落ち着いてください。荒振(あらぶ)らないで、お願いします」
 蝸牛が更に叫ぶように言う。マガが、むうと呻くような声を出す。
「その背から降りよ」と言いつつ熊野の眷属の一人が更に錫杖を突く。
 秘鍵が、睦月が止めに入る、が他の熊野の眷属が立ちはだかった。
「マガ、何も悪いことしてない。悪者はあっち。悪者は退治する。それが侍……」
 呟くような声、徐々に野太く発音されていく声だった。
 一瞬のうちに無数の鋭利な突起が、太い針のように周囲に突出した。蝸牛の背後にいた熊野の眷属が数人、その針に身体中を刺されて地に倒れた。
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