第十三章七話 魂呼ばいと力の発現

文字数 6,649文字

 二振りだった。
 エボシの大振りな一撃を、身体をずらしてかわすしたクロウは錫杖(しゃくじょう)の先でエボシの腹を突き、更にくの字に曲がったその背に向けて錫杖を振り下ろした。
 そのままエボシは地面に落下した。そして気を失ってピクリとも動かなくなった。

 そこから少し離れた所で蝸牛(かぎゅう)は座り込んでいた。背負ったマガから放たれていた突起や針はすべて元に戻っていた。ただ、背後のマガからみしみしと何か(きし)むような音がしている。大丈夫だろうか?蝸牛は少し心配になっていた。そう言えば、マガが我を忘れて荒振(あらぶ)ってしまうと腹中に宿した玉兎(ぎょくと)を取り込んでしまうかもしれない、と恵那彦命(えなひこのみこと)が言っていた。ここまで何度も困難な状況を回避するためにマガは攻撃を繰り出してきた。その時々、どの程度、荒振っていたのか、はっきりとはしないが、あまり良い状況ではないのではないかと思う。そんな彼のもとに清瀧(きよたき)が走り寄ってきた。
「あなた、すごいわね。何、その背中の。びっくりした。あんな攻撃ができるなんて」
 先ほど自分はもうダメだと諦めた。しかし、マガに救われた。兄者を傷つけたマガに。だから素直に喜び感謝することができないでいる。目の前で、目を輝かせて満面の笑みを(たた)えながら話す清瀧に、蝸牛は複雑な心境を抱えたまま微笑んだ。その微笑みを見て、清瀧は急に不機嫌な顔つきをしてそっぽを向いた。
「まあ、今回はたまたま助けられたわね。礼を言うわ。次はあたしが助けるから。安心していいわよ」
 そんな清瀧の言葉を聞いて蝸牛もとりあえずマガに礼を言わねばなるまい、と思った。助けられたのは事実なのだから。それで肩越しに背後を向いた。ん?何か様子がおかしい。
 それまでマガの土気色の身体は柔らかく、流動的に内部が動いているようだった。しかし今、その動きが感じられない。より見やすいように背を逸らし首を巡らせて背後を見る。一部が見える。何か硬質化しているような……
「我の背に負う者、どうなっている?」
 言われて清瀧は訳が分からないながらも見える場景をそのまま伝えた。
「そうね、固まって縦に高く盛り上がってる。さっきまで泥の固まりみたいだったのに全然動かず土壁みたいに固まってる」
 いったいどういうことだろう?もしかして力を使い果たして干からびてしまったのだろうか?自分の背中で?兄の(かたき)とも思っていた相手であるが、瀕死の状態ならそうも言っておられない。助けてやらねば、そう蝸牛は思うと立ち上がりそのまま駆け出した。
「ちょっとどこ行くのよ」清瀧が言いながらついてくる。
「里宮様の所に行く。我が背負いし者を助けてやる」
 二人はすぐに御行幸道(みゆきみち)に乗り、駆けていった。
 
 その頃、クロウやコズミをはじめ熊野神社の眷属たち八名が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の眼前に並んで対峙していた。
「大神様、どうか我らを信用されてお社にお帰りください。きっと大神様の宿願が果たせますよう尽力いたします」
 クロウが一言々々に力を込めて言う。しかし素戔嗚尊もこれまで長い年月を待ち続けた。そして今回、ついに宿願が叶うかもしれないと大きな期待を抱いていた。待った歳月分だけその期待は大きかった。だからすんなり、そうか、と引き退がれない気分だった。黙ったままだったが、いまだ動こうとはしない。そんな神に向かってコズミが静かに声を発した。
「大神様、すでに災厄の力は解放されております。身体が腐り果てておるため、まだ地中深くから出られないようですが、()(しろ)の民を得ようと今、苦心しておるようです。ただ、依り代を得ようと、得まいと災厄はこの地を破壊し尽すでしょう。それは奥宮様のおられる黄泉(よみ)の宮とて同じです。いえ、黄泉の宮が破壊されれば底の国への境がなくなりすべてが呑み込まれてしまいます。更に状況が悪くなります。ですので、我らは災厄を倒すしかないのです。これから我らは災厄討伐に向かいます。どうか向後は我らにお任せいただきお社へお戻りください」
 ――災厄が悪いのなら、我が退治してやろう。
「いえ、災厄がいるのは境内の外、地中深くです。そこに行くまでに大神様の力はかなり弱くなってしまうでしょう。大神様はこの地でこの村を、この郷をお守りいただきたく慎みて申し上げます」
 少しの間が空いた。やがて、むう、と素戔嗚尊は呻くような声を上げると、やおら立ち上がり、
 ――帰る。
 とだけ言って来た道のりをズシン、ズシンと戻っていった。
 クロウたちはほっとした。ぐったりと全身から疲労感があふれてくる気がした。しかし、まだやらなければならないことがある。すぐにでも災厄の元へ向かわねばならないが、とりあえずは里宮様に奉告せねば、と眷属たちはそのまま飛んでいった。
 その少しの間にクロウはコズミに声を掛けた。
「そなた、なぜ、我の味方をした?それから先ほど話しておったことは、どういうことだ?」
「いや、なに、我は強い方の味方をしたまでですよ。エボシ殿が自分で馬脚を(あらわ)しておったので見限ったまでです」
 コズミは少し照れくさそうに、申し訳なさそうに話している。
「それから先ほど中宮(なかみや)様にお話しした件は、もちろん斥候を放って集めた情報でもありますが、我とて熊野神社眷属の端くれ、卜占(うらない)くらいはできるのです」
 コズミは少し得意そうな顔をしている。彼が卜占をできることくらいは長年ともに卜占をしてきたクロウにはよく分かっている。クロウやエボシほどではなくてもしっかりと卦を読み取ることはできる。そして、決して適当なことは言わない。クロウたちに比べて劣っていることを自覚して確かなことしか言わないようにしていたから、その点、信用があった。
「それで、卜占には今後のことは何と?」
 少し間が空いた。
「それは……あまりに難しく、我に読み取れたことと言えば、我ら八村の眷属が郷の中心に集まり、その一部が民草(たみくさ)たちとともに災厄のもとへ向かい、その先にはただの無。それが何を意味するのか分かりませんが、我らが災厄のもとへ向かうのは間違いないようです」
「そうか」とクロウが呟く時には里宮の社殿はすぐそこにあった。
 熊野の眷属が社殿に入った時には内部に二つの影があった。先行していた蝸牛と清瀧だった。彼らもまだたどり着いたばかりのようで、里宮祭神である伊弉諾命(いざなぎのみこと)に対し拝礼しているところだった。

 ――――――――――

 タカシが上隠山(かみかくしやま)の麓にたどり着き、山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の社殿前で、無事、行が満願した御礼のための拝礼を済ませ、いよいよリサのいる場所に向かおうとしたその矢先、どこからか、
“マコちゃーん……おーい、山崎マコちゃーん……マコちゃーん”
 という聞いたことのある声が聞こえた。これはルイス・バーネットの声?正直、リサが今、どこにいるのか彼には分からない。もしかしたらルイス・バーネットと一緒にいる可能性もある。ともにいなくても何らかの情報を知っているのではないかと思い、その声のする方へ向かった。
 マコを呼ぶ声に導かれて麓の小道を行くと、かつて自分が治療された洞窟に向かう脇道にいたった。そこからは、洞窟前に立ち、マコの名を呼ぶルイス・バーネットと三人の婆たちの姿が見えた。
「おい、ちゃんと腹から声を出せ。そんな細い声じゃ亡者には聞こえんぞ」と言う口婆(くちばあ)に、
「そんなこと言われても、いつまでこれ続けないといけないんですか?少し恥ずかしくなってきたんですが」
「ここら辺じゃ、民草が亡くなるとどの家でも必ず魂呼(たまよ)ばいをしておったものだ。一晩中、長い時は一日中、死者の名を呼ぶ。それに気づいても誰も邪魔をしてはならない決まりになっておる。気づいた者がおったとしても誰も変には思わん。安心しろ」
 そんな話が続く中、タカシは近づいていった。
「ルイス・バーネット、いったい何をしているんだ?リサは?ナミはどこに?」
 眼前の夜会服を着た送り霊はいつもの微笑みを彼に向けた。
「やあ、凪瀬(なぎせ)タカシ君、早かったね。もう、修行は終わったのかい?」
「ああ、でも、もう何日も経っているだろう。リサは、ナミはどうなった?大丈夫なのか?今、どこにいる?」
「うん?君が修行に出掛けてからまだ三、四時間しか経っていないよ。山崎リサ君もアザミもまだ郷の中心にいるはずだ」
 え?そんなはずは、とタカシが思っていると口婆が口を挟んだ。
「これが大神様の御力(みちから)じゃ。峰は現世(うつつ)から隔絶され、時の流れも異なっておる。長い者では何年も行を続ける者もおるからな。そんな者たちが安心して、お社を離れることができるようにそうなったらしいが。まあ、その峰もすっかり崩壊したようだな」
 タカシは少し悲痛な表情を浮かべた。
「ええ、私が行を満願したすぐ後に。恐らく猿山(えんざん)殿も……」
 三人の婆たちがすすっとタカシのもとへ進んだ。
「それで、そなた何か力を得たのか?」
「ええ、たぶん」
 力を得た感覚はある。と言っても、それがどの程度のことまでできる力なのかは分からない。ただ、何かができる予感はする。
「そうか……そなた、その力を使い、この郷を救ってくれ。猿山殿はきっとそなたに宿るだろう力に期待を寄せたのだ。だから、そなたの行が終わるまで三峰が崩壊せぬように力を使って支えた。自らが逃げる力も使い果たすほどに」
 タカシは目を見開いた。そんなことはまったく気づいていなかったから。
「我らの期待を裏切るでないぞ。民草に頼らねばならないとは情けない話じゃが、そなたは特別な民草なようじゃ。きっとこの郷を救うことができるじゃろう」
 少しの静寂が辺りを包んだ。タカシはただ、はい、必ず、と答えた。そのために今ここにいるのだから。
「じゃ、僕は送っていきますね。その方が早い。その間、魂呼ばい、でしたっけ?交代しててもらっていいですか。あのコの名前は山崎マコです」
「代わるのは構わんが、亡者が知っておる者が呼ぶ方が効果がある。そなたは言霊の扱いもうまいし、送っていったらまた戻って続けるのじゃぞ」という口婆の言葉に続けてタカシが訊く。
「魂呼ばい?何をしているんです?」
民草(たみくさ)が死ぬとな、その魂が幽世(かくりよ)に行く。ただ、その間、彷徨(さまよ)ってたまに地上近くに来ることがある。滅多にないことじゃが、たまたま地上近くに来た時に名前を呼ぶ声が聞こえるとその魂が身体に戻ってくることがある。洞窟の中にその娘の身体がある。その娘がまだ自分が死んだと思っておらんうちに、魂を呼び戻す。そしてこれは旧友の頼みでもあり、その娘が依り代の民と関係があり、そのためにもなるようじゃから我らは協力しておるのだ」
 え、マコちゃんがいるのか?と言うと洞窟の中にタカシは向かおうとする姿勢を見せたが、それを口婆が(さえぎ)る。
「今、あの娘はただの抜け殻だ。香も焚いておるし、行ってもしょうがない。そなたは災厄のもとへ行け。それが最善じゃ」
 タカシはとっさにルイス・バーネットに顔を向けた。その視線の先で静かに頷く姿が見えた。
「それじゃ、行こう。お婆さんたち後を頼みます。すぐに戻ってきます」
 そう言いながらルイズ・バーネットはタカシに手を差し出した。かつて信用できずにその手を拒んだ時もあった。しかしともに旅をするうちに信頼を置ける仲間だと思えるようになった。タカシはためらわずに手を取った。そのとたん、二人の姿は消えた。後には口婆の哀し気にマコの名を呼ぶ声だけが響いていた。

 ――――――――――

 恵那彦命は災厄の分御霊(わけみたま)の猛攻に次々に風を削られていた。自分が徐々にやせ細っていく気がする。現に身体を構成する風の威力は次第に弱くなっている。早く祓いの力を使いたいが守るばかりでそんな余裕もない。
 そんな様子を見ても、ナミも如月(きさらぎ)も決定的な攻め手を欠いていた。ナミが空中から圧縮能力を使って攻撃する。如月が高く跳び、水龍たちを跳び越えて一気にリサを乗せた大型水龍に迫る。しかし何体もの水龍が伸びてくる、水槍や水の刃が飛んでくる。終いには羽と鋭い牙の生えた魚のような形をした水の固まりも飛んでくる。その力を削ろうとしても無尽蔵に攻撃が迫ってくる。自分たちの方が先に音を上げそうになるが、何とか気力で繋ぎ止めている状態だった。
 ナミや如月でさえそんな状態だったので、ミヅキやナツミは前に進むことさえ難しい状態だった。かろうじて二人の後方支援らしいことをするにとどまっていた。
 確かにミヅキは自分の力のなさを痛感していた。睦月(むつき)の仇が目の前にいるのに、何ら有効な手を打てない。どう考えても、どう足掻いても、自分では何の力にもなれない。そんな苦悶に満ちた思いを抱えているうちに、突如、視線の端に何者かが現れた。
「君に任せても大丈夫かな?」ルイス・バーネットがタカシに訊く。
「ああ、たぶん、大丈夫だと思う」タカシが答える。相手の目をしっかりと見ながら。
「うん、今の君なら大丈夫そうだね。じゃ、この世界のことも、アザミのこともいったん君に任せるよ。じゃまた後で」微笑みながらそう言うとルイス・バーネットは消えた。
 残されたタカシは周囲を見渡した。
 ナミが空中にいる。如月やナツミやミヅキがいる。そして大量の水の龍や飛ぶ魚たち。更にその奥に巨大な水龍の頭の上に乗っているリサの姿。白衣に緋袴姿(ひばかますがた)のまま立っている。その視線はじっと前方の空洞に向かっている。
 とりあえずリサの所に行かないと。そう心中呟きながら彼は進んだ。一歩々々水龍の群れに近づいていく。それを見ていたミヅキは、この民草は何をするつもりだ?危ない、それ以上近づいては、と思いタカシを止めるために声を掛けようとした。ちょうどその時、タカシがすっと手を上げた。
 ナミも空中で攻撃を避けているうちにタカシの姿に気がついた。水龍の群れの眼前に迫っている。何をするつもり?そしてタカシが伸ばした手から(ほの)かに何かが輝きながら伸びていく様子にも気がついた。あれは何?
 群れる水龍たちを凝視しているうちに、タカシの目には、その身体の中に黒く輝く光の線を見出した。更によく見るとその線のすべてが巨大水龍に繋がっているように見えた。それなら、全部一気に退治できるんじゃないか?そう思い、一番近くで鎌首もたげている水龍に手を差し出していた。
 自分の手の先から新たに白く輝く手が伸びていく。その白い手が眼前の水龍の黒い線を掴んだ。群れのすべての水龍が身体をびくんと震わせ、一斉にタカシに視線を向けた。同時に掴まれた水龍が大口を開けて苦悶の様子を見せた、と思うと瞬間的に水に戻ってパシャと地に崩れ落ちた。
 ミヅキには水龍の黒い線もタカシの白い手も見えていない。だから何が起きているのか、訳が分からなかった。
 水龍たちが一斉にタカシに身体を向け、襲い掛かっていく。タカシは更に白い手を出し、その両手で黒い線を手繰り寄せるように引く。と、近くにいた水龍から次々に水に戻って地に落ちていく。
 何だ、あの民草は?その頃には如月もナツミもタカシの存在に気づいていたが、彼が何をしているのかは分からなかった。ただ、水龍が(またた)く間に次々に消えていく。自分たちが攻勢に出られる機が巡ってきたことは間違いない。
「あなた、何やってんの?その白いのは何?」飛ぶ水魚をあらかた退治するとナミがタカシのかたわらに降り立った。それと同時にタカシの白い手の動きが止まった。その先からピンと張った黒い線が巨大水龍の頭まで伸びていた。ここまで芋づる式に大した抵抗も受けずに黒い線を引くことができたが、ここに来て抵抗に遭った。重い、引けない。
「説明は後だ。俺の身体を後ろに引っ張ってくれ。あの巨大な龍が抵抗してる。一気に引っこ抜く。手伝ってくれ」
 ナミがリサと巨大水龍の方へ目を向けると、リサは今まで通り空洞の方を向いていたが巨大水龍は首を巡らし彼らの方を向いていた。
「また、あなたは、いつもいつも説明を端折(はしょ)んないで」そう言いながらナミはタカシの背後に回り、そのベルトを掴んで後ろに引いた。巨大水龍が大口を開けて地を揺るがすような咆哮(ほうこう)を放つ。タカシとナミは力の限り、黒い線を後ろに引っ張る。しかし相手も手強い。頑強に抵抗している。なかなか引っこ抜くことができない。
 その間、やっと災厄の分御霊からの大量多重な攻撃がやんで、恵那彦命はほっとしつつ、周囲から風を呼びはじめた。最期に決定的な息吹(いぶき)を放てるように力となる風を集めていた。先ほどまで緩やかに渦巻いていた身体が徐々に速さを増し、大きく激しい渦巻きとなっていく。
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