第十三章二話 秘鍵の反転攻勢

文字数 5,892文字

 秘鍵(ひけん)たち一行は、八幡村(やはたむら)と稲荷村の境を越えた。勝手知ったる自村の中、秘鍵にとっては多少安心感が芽生えたが、熊野の眷属はいまだ追ってきている。八幡宮(はちまんぐう)境内で何人かは倒してきたが、それでもまだエボシを含め六人が空から追ってきている。ここまでに何度か襲撃してきたが、その度に迎撃した。熊野の眷属たちは秘鍵の攻撃力を警戒して深追いはせず、すぐに空中に逃げる。そのため引き連れるようにここまで来たが、どんな不測な事態が起こるかも知れず、自分の村に帰ってきたこともあり、そろそろ退ける時機かもしれない、と秘鍵は思い、いったんそれまで通っていた御行幸道(みゆきみち)を外れ近くの人道に向かった。そこはより樹々が生い茂る林の中だった。そこで立ち止まると、
睦月(むつき)殿、もう二人を包んでいなくても大丈夫でしょう」と穏やかに言う。
 睦月は自分の広がった左腕の中の二人がもはや大人しくなっていることを確かめると左腕に開けと命じた。正直、自分の思う通りに動いてくれるか半信半疑だったが、果たして左腕は開いて元の左腕に戻っていく。
 それまで、腕の中で蝸牛(かぎゅう)とマガがずっと暴れていたので、かなり走りづらかった。睦月は正直ほっとした。と、いきなり蝸牛が後ろに跳んで自分の背に貼りついているマガを近くの大木の幹にぶつけた。
「貴様、兄者に何をしてくれた。これまでそなたを背負ってきたがもう、やめる。そなたなぞ勝手にすればいい。もう知らん。大切な兄者を傷つける者などもう、二度と助けん。早く降りろ、我が背から降りろ」
 そう言いながら再度、同じ大木にマガをぶつける。拍子にその大木の全体が揺れて葉音がさわさわと降ってくる。
 蝸牛の顔は憤怒の表情をていしている。そして目から流れ出ずるもので顔中を濡らしていた。
「早く降りろ」
 突如、マガの身体から何本もの突起が伸びて周囲の樹々を掴んだ。再度、蝸牛は大木の幹にマガの身体を打ちつけようとするが、もう動かない。
「我は敵を倒すつもりだった。そなたの兄を傷つけるつもりはなかった。すまない。我はもう、降りられない。すまない」
 何て理不尽な、なぜ我がこんな奴を背負い続けねばならんのだ。悔しい、許せぬ……心中そう叫んでいる蝸牛の前面に、秘鍵は静かに立ち、言い聞かせるように声を出した。
「蝸牛殿、これから追手を撃退する。しばらくの間、お静かに。いいですか、そなたの気持ちはよく分かる。しかし、今、嘆いている場合ではない。しばし、我慢なさい」
 しっかりと自分の目を見ながらそう言う秘鍵の声に蝸牛はぐっと歯を喰いしばった。
「それに、白牛(はくぎゅう)殿なら大丈夫。我はそなたが生み出される前から白牛殿は知っておるが、頑健さだけなら郷内の眷属随一だ。時間は掛かるかもしれぬが、きっと元の姿に戻られるだろう。そなたも長兄のことを信じてお上げなさい」
 自分を見る秘鍵の目に嘘はない。必ず白牛が復活することを信じている目。それは弟である自分よりも確かに兄を信じている目だった。そんな目を見せられては、
「分かりました……」と蝸牛は答えるしかなかった。
 秘鍵は微笑むと、睦月も含めて声を掛けた。
「では、これから森の奥に向かう。足もとは悪いが遅れずについてくるように。それとなるべく静かに、音を立てないように。さあ、参りましょう」
 そのまま四人は更に道を外れ、山麓の森の中に分け入っていった。
 エボシは空中に浮かび、その様子を眺めていた。ただ、樹冠に邪魔をされてはっきりとは後を追えなくなってきた。部下が飛びながら森の中を追っているので見失うことはないだろうが、相手が身を隠す意志があるのは明白だった。
 状況は彼の予定通りに推移している。このまま秘鍵たちを逃がしても大勢に影響はない気もする。しかし、他の稲荷神社の眷属たちと合流されて邪魔をしにくるかもしれない。ここからがすべての仕上げなのだ。不確定要素はすべて取り除かなければならない。ここで奴らを足止めする。取り囲み、進退させないようにする。それくらいなら部下だけでもできるだろう。自分はその間、太占(ふとまに)を試みるつもりだった。最後の指針を得るために。
 コズミは太占の用意のために先に帰している。我もそろそろ、と思っている所に、一人の部下が飛んできて、慌てた様子で声を発した。
「追っておりました一行の姿が消えました」
 何?とエボシは思わず不機嫌な表情をした。木々が生い茂っているといっても飛びながら追っていてどうやったら見失う?しかも四人同時に。見失うはずがない。
「まだそこら辺にいるはずだ。すぐに捜し出せ」
 言われた眷属は、はっ、と返答するとすぐに森の中へ降下していった。変な胸騒ぎがする。エボシもその後を追った。

 いくら上から探しても見つからないので業を煮やした熊野の眷属の一人が地に降り立った。錫杖(しゃくじょう)を構え、辺りを警戒しながら四人が姿を消した辺りを探っていく。彼らは日常的に山中で修行をしている。上隠山(かみかくしやま)の峰入りも済ませている者ばかりだったから、山中での移動は苦にならないし、そこに何が潜んでいようと対応する自信はあった。
 なるべく音を立てないように、周囲を警戒しつつ進む。そんな彼の横合いの風景が突然、変化した。大きく白色に染まった、と思う間もなく、秘鍵の尾が伸びてきた。その尾は彼の足と羽を突き刺し、貫いた。彼は叫び声を上げながらその場に倒れ伏した。その視線の先にふさふさとした数多(あまた)の大きな尾をなびかせた白狐がさっと横切った。
 仲間の叫び声を聞いて、他の眷属たちがそちらに目を向けると疾走している秘鍵の変化(へんげ)した狐の姿。慌てて飛びながら後を追う。しかし、少し追った後に目標がぱっと姿を消した。
 訳が分からない思いで、低空で辺りを捜索する。二人の眷属が錫杖を構え旋回しながら捜し続ける。と、その二匹が空中で接近した刹那、眼下に白狐の姿が突如現れ、眷属たちの羽に向けて尾が一斉に伸びた。
 熊野の眷属たちがどさりと地に落ちる。呻き苦しむ彼らの足へと更に秘鍵の尾が伸び刺し貫く。
 そんな秘鍵を見出し、他の二人の眷属を引き連れたエボシが宙を飛びながら迫る。白狐は再び疾駆した。エボシたちは後を追う。樹々の間を縫い、蛇行しながら駆けていく秘鍵を追っていく。そして、ふと目標を見失った。
 そんなバカな、と三人の眷属たちは最大限の緊張感を抱きながら周囲を見渡した。稲荷の眷属に姿を消す能力があるなど聞いたことがない、必ずこの辺りにいるはず。エボシは周囲を見渡す、と部下たちの背後に揺らぎながら浮かぶ青い炎の存在に気がついた。おい、と彼が声を掛けると同時にその炎は部下たちの衣に着火し、見る間に二人は炎に包まれた。二人ともに地を転がりながら火を消そうとする。エボシは慌てて部下の一人のもとに駆け寄る。ようやく二人ともに鎮火した矢先、部下の横で腰を屈めていたエボシの前に人型の秘鍵が立っていた。背後に数多の尾を伸ばし、その先をエボシに向けて。
 友好的な色の見出せない目でじっと見下ろしている。エボシは思わず言葉を失くした。そんな彼の頭上から声が降ってくる。
「そなたの策謀にまんまと乗せられたな。ひとえに我らがいたらぬせいであろう。しかし、ここは稲荷村。我が村で勝手は許さぬ。これ以上、傷つけられたくなければ、早々に我が村から出よ」
 喉が乾いている。エボシはかろうじて声を絞り出した。
「我らは総社(そうしゃ)の神の意志によって動いている。これは神議(かむはか)りへの謀反であるぞ。こんなことをしてただで済むと思っておられるのか?」
 静かだが、断固とした秘鍵の声が刺さるように聞こえてくる。
「我らは神議りを尊重するが、臣従しておる訳ではない。そなたたちがこの郷に良からぬことをしようとしているのなら、総力を上げて抵抗する。それが我が稲荷神社がこの地に存在する意義である」
 これは、説得など先ず無理な雰囲気だ。エボシは観念した。もう相手方の意志は決している。これ以上の議論は無駄でしかない。
「分かりました。何かと誤解があるようだが、ここは不問に付しましょう。仲間はまた引き取りに参ります。では」
 そう言うとエボシはさっと羽を広げ、全速力で飛び去っていった。秘鍵はその後を追うべきかとも思ったが、それより先にすることがある。先ずは仲間たちを穴の中から出さないと。
 防衛意識の高い宝珠(ほうじゅ)の方針でこの稲荷村には無数の横穴が掘られていた。それは身を隠すためでもあり、奇襲攻撃を繰り出すためでもあった。それぞれの横穴はそれほど深くなく、二メートルから深くても五メートルくらいの穴ばかり。狐姿になればそのくらいの穴を掘るのは稲荷の眷属たちにとっては造作もないことだった。そしてその穴はすべて絶妙に樹々や植生の死角に掘られていて、すぐには入り口が分からないようになっていたが、稲荷の眷属は磁場を感じるために容易(たやす)くその位置を把握できた。
 秘鍵はそんな横穴に身を隠しながら熊野の眷属たちに奇襲を加えたのだった。秘鍵は横穴の一つに近づき声を掛ける。
「もう大丈夫、出ておいで」
 すると奥から睦月とマガを背負った蝸牛が出てきた。睦月が訊く。
「熊野の眷属たちは?」
「ふむ、すべて撃退した」
 事も無げに言う稲荷神社第二眷属に対し、睦月は感嘆の念を抱いた。自分には対抗しようもない存在だと思っていると、ふと西の方角から近づいてくる気配を感じて、とっさに警戒姿勢をとった。
「大丈夫。あれは我が仲間。異変を感じて駆けつけてきたのだろう」
 事実、少し待つと狐姿の眷属たちが八人ほど姿を現し、近づいてきた。秘鍵は人型に姿を変えた仲間たちに手短に説明すると睦月と蝸牛に向き直り言葉を掛けた。
「我らはこれから郷の中心に向かう。どうにかして災厄の復活を防がねばならない。そなたたちはいかがする?」
 その問いに対し、睦月は即答した。
「我もともに参ります」
 一方、蝸牛は沈鬱にうつむいて黙っていた。
「蝸牛殿はいかがされるかな?」
 そう訊かれて蝸牛は顔を上げた。
「我はこの禍津神(まがつかみ)と離れたい。この者の願いを叶えるために熊野神社に向かいます」
 微かに声が震えていた。感情的には納得がいかないが、状況からそうせざるを得ないと判断したのだろう。
「分かった。清瀧(きよたき)、この方を熊野神社まで案内しなさい」
 秘鍵にそう言われた若い女眷属は驚いて、え、あ、はい、と答えると不満そうな顔をしながら蝸牛のかたわらに進んだ。
 秘鍵はそれから二名を残し、傷ついた熊野の眷属の手当をさせ、残りの五名と睦月を引き連れてすぐさま出立した。
 目指すは、災厄の鎮まる、郷の中心。

 ――――――――――

 ――ほんま、さっきから地揺ればっかりでかなわんわ。
 振動が収まると黄泉大神(よみのおおかみ)は嘆息混じりに呟いた。宮殿内は所々破損して若い女人姿の醜女(しこめ)たちが右往左往している。
 ――このまんまやったら、ここもいつ崩壊してまうか、分かったもんやないわ。
「この地揺れは……」サホは神に対しての質問を避けるために言葉を濁した。それを察して黄泉大神が答える。
 ――郷の中心に災厄がおるやろ。どうやら(いまし)めが解かれたようやな。でも奴は身体がない。縛めが解かれたのに、動けんから地団駄踏(じだんだふ)んでいるんやろうな。ただ、地団駄言うてもさすが災厄、このままやったらこの宮が壊れてしまう。ここは根の国と底の国の境。この宮が壊れてしもうたらすべてが底の国に呑み込まれてしまうかもしれん。どうにかせんといけんのやけど、生憎(あいにく)、わてはこの宮から出られんのや。
 サホはかつて如月(きさらぎ)から聞いたことがある。
 黄泉の国は大別して根の国と底の国に分かれている。根の国は黄泉の国の上層、通常の亡者たちが集まる場所。そこには肉体がある者も行く事ができる。一方、底の国は黄泉の国の下層にあたる。ここは完全に無の世界。そこにいたると肉体はおろか魂も霧散するという。そこはただひたすらに暗黒しかないこの世の最底辺。また、黄泉大神がこの宮から出られないのは、夫神により幽閉されているかららしい。
「それでは……」というサホの声の内容をまた黄泉大神が察した。
 ――せや、あんたらちょっと災厄のとこ行って、暴れるのやめえ言うてきてくれんか。うまくいったら仲間たち返したるよ。
 サホはあまりの提案内容に言葉を失う。そんなことできる訳が、と思っていると、横合いからカツミが発言した。
「分かりました。我々が災厄を説得してまいります。聞き入れられなければ力づくででも」
 サホは驚いてカツミの顔を見る。何だ、この蛇男は、さっきから。どうも黄泉大神にすっかり魅せられてしまっているようだ。
「つきましては一つお願いがあります」
 ――何やろか。
「そこにいる者を一緒に連れていくことをお許しいただきたいのです」
 カツミの視線の先にサホは目を向けた。そこにはどこかで見たことのある娘の姿。あれは、この蛇男が災厄に献上しようとしていた民草(たみくさ)の娘ではないか。
 カツミは醜女たちの集団の端、部屋の隅で縮こまったように立っているその娘の存在に早々に気づいていた。そして、自分が(さら)った後ろめたさを思い返していた。
 ――ええ?そのコ、来たばっかしやで。そのコの歓迎会しよう思うてごちそう用意しとったのに。
「その娘は()(しろ)の一族に連なる者。災厄を説得するのに有効かもしれません。どうかお許しを」
 ――しゃあないな。終わったらまた連れてきてな。あんた、この人らについていき。
 言われたマコの魂はすっかり怖気(おじけ)づいた様子でカツミとサホの前に進み出た。気づいたらこんな場所に来ていた。訳が分からない内にまたどこかに連れて行かれそうになっている。しかも自分を誘拐した張本人とそれと戦っていた長身の女性に。もう、ストレスなんてレベルの話ではない。頭がおかしくなってしまいそう。
「それから道案内してくださる方もお一人お付けくださると有難く存じます」
 ――一人でええのか?もっと大勢で行った方が良くないか?
「いえ、狭い地下のこと、あまり大人数で行っても災厄を刺激するばかりでしょう。お一人で充分かと愚考いたします」
 ――さよか。ほな、あんた一緒に行ってやり。
 と、黄泉大神はすぐ横にいた先ほどカツミたちの道案内をした醜女に言った。その醜女は、ええ?と反論したげだったが、黄泉大神に、
 ――(いや)なん?ねえ、嫌なん?この人ら自分が連れてきたんやん。最後まで責任持たんの?まあ、安心しい。あんたこれ以上、死ぬことないんやから。さあ、さっさと行き。
 醜女は渋々、承諾し、先導をはじめた。カツミとサホは黄泉大神に別れを告げ、マコを引き連れ向かった。災厄の鎮まる、郷の中心へ。
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