第七章八話 東野村の忌々しき事態

文字数 3,975文字

 それー、と声を上げながらヨリモが槍を繰り出した。その様子を眺めながら、やっぱりこのコは分かりやすい、と蝸牛(かぎゅう)は独り()ちた。
 先ほどまでは疲れからか、終わりの見えない戦闘に辟易(へきえき)としていたのか、その身に倦怠感(けんたいかん)さえ漂わせていたヨリモが今はやる気の塊のように次々に敵を討ち倒している。
 タマは先行するヨリモに続いて、いつでも応戦する心づもりで進んでいた。しかしあまりにヨリモが鋭く速く攻撃を繰り出し、行く手の敵を倒していくので一向に出番が回ってこなかった。
 三人は群れ成す(まが)い者の最後尾について追い立てるように進んでいた。集団の行く手に立ちはだかって進行を(さえぎ)ることも考えたが、湖面や地中からも次々に出現している現状では、いつ取り囲まれてしまうか分からないため、とりあえず対禍津神(まがつかみ)の戦場に近いこの場から追い立てて移動させることにした。
 蝸牛の頭の中には、このまま北方向に行けば東野村(とうのむら)に入る。そこを過ぎれば天神村に着く。我が村に着きさえすれば兄者たちが異変を嗅ぎつけて必ず駆けつけてくれる。兄者たちの手を借りればこんな敵など大したものではない。我も矢を補充して存分に戦うことができる。もし我々の手に余るようなことになっても、我が村であれば大神様がお力を顕現してくださるかもしれない。今、できることはただ我が村までこの群れを追い立てるだけ、という思いがあった。

 そんな三人が向かう先、東野村の結界近くで恵那彦命(えなひこのみこと)は大きく長く溜め息を()いた。巨大な禍い者が正面から右から左からうじゃうじゃと次から次に集まって、結界に取りつき見上げるほどの土気色の壁を成していた。
 どうせこの者たちは、この村が一番手薄だと気づいて集まってきたんだろうな。敵陣の弱い所を突くのは正しい行為とは言えるが、清貧なだけが取り柄なこの村を襲うなど、良心が痛まないのだろうか?元から心などなさそうには見えるが。
 恵那彦命は仕方ないという顔つきをすると開いた手のひらを上向きにして顔の前に上げた。そしてその(たなごころ)に一息フッと鋭く息を吹きかけた。手のひらから指先に移動する間にその息は細かく分裂し、先に進むにつれてその一つひとつが次第に大きな大気の波となっていった。そして突然、何体かの禍い者の身体が真っ二つに分断された。いきなり壁の中ほどが消えたために壁全体がぐらつき揺らいで、どどど、と音を立てながら崩れ落ちた。しかし、すぐにその周囲から新たな禍い者がぞくぞくと壁を築きはじめた。
 やれやれ、長い戦いになりそうだ、恵那彦命は再び長い溜め息を吐いた。
 息吹(いぶき)が抜けた身体に一抹の心細さが顔を覗かせる。
 眼前の敵に対して不安がある訳ではない。いくら多いとはいえ力量の差は歴然としている。完全に駆除するまで時間が掛かるかもしれないが、手こずる相手ではない。
 ただ、一人である。確実に味方だと言えるマガや玉兎(ぎょくと)はここにはいない。さりとて他の村の神や眷属に助力を仰ぐのは(はばか)られる。現状、差し迫ってその必要がある訳でもないし、元からそんな弱みを見せることは極力避けねばならない。
 神々の世界は血統主義。どこまでも富貴尊重な世界。気を許せば無名な神は高名な神に追いやられ、取って代わられる。名を奪われ、社を奪われ、土地を奪われ、いつの間にか忘れ去られる、(あわ)れみなど微塵もない世界。純粋で素朴な者ほど生きていけない世界。利己的で狡猾(こうかつ)で残酷でなければ生き残ることができない、そんな世界でしかない。弱みを見せれば、そこにつけ込まれてしまう。やはり無名な神などに任せてはおけぬと。
 自分たちでどうにかしないといけない。マガがいればそれも訳ない。マガがいれば……そういえばあいつ、いったいどこに行ったんだ?もう、目を離すとすぐに消える。変なことに巻き込まれていなければいいけど……というより変なことを巻き起こしていなければいいけど……

 一方、玉兎(ぎょくと)とマガは東野神社境内で恵那彦命の帰りを待っていたが、帰ってくる様子がない。その上、境内に禍い者がちょこちょこと顔を出していた。これは何とも忌々(ゆゆ)しき事態。通常、神社境内は鎮座する神の力によって一種の結界が張られ、禍い者はその中には入れない。可能性としては鎮座神である恵那彦命がこの地から縁を切り離れたか、他の何かに意識を集中して、こちらに意識を向ける余裕がないかのどちらかだった。
“神のやつ、どこに行ったんだろう。まったく自分の社くらい自分で守れよな”そう思いつつ、玉兎は地中から顔を覗かせたばかりの小さな禍い者を踏みつけた。
 いつもなら、たとえ禍い者が現れたとしても、マガの存在を察してすぐに他の村へと逃げ去ってしまうか、いてもまだ分別もつかなそうな小さな成りたての禍い者くらいだったが、今、境内には兎型(うさぎがた)に変化した玉兎なら軽く丸呑みにできそうな大きな禍い者もちらほら出現していた。
“何か変だ。こんなこと今までになかった。この村に何か起きようとしている”そう独り言ちた玉兎の横でマガが体勢を低く構えながら唸り声を上げていた。
「我の、縄張りに入るやつら、我、許さん」そう言ったかと思うと、マガは一瞬にして前方に(うごめ)いていた何匹かの禍い者に襲い掛かった。
 太い腕を振り上げ、力任せに振り下ろす。両手で抑えつけ、今までになく口を大きく開き、ごく獰猛に噛みつき、喰いつき、噛みちぎり、体内に取り込んだ。跡形もなくなるまでそれを続けた。そうして何体もの禍い者を取り込んだ。
 まずいな、自らも禍い者を蹴り上げて消滅させながら玉兎は呟いた。マガは普段大人しいとはいえ基本、禍津神なのだ。禍い者の進化した姿なのだ。何かの拍子に本性が現れたら、自分では止める(すべ)がない。
「マガ、もういい。退()がれ。こっちに来い」
 マガはその声には応えず、更に禍い者に襲い掛かっていった。次第々々にその身体の形が変化していく。肩が大きく盛り上がり、腕は更に太く長くなり、顔が少し前に伸び、その先から喉にかけて大きく口が割れていた。全体的に一回り大きくなり、普段の丸っこい雰囲気とは打って変わってごつごつとした角の多い見た目。背中に鋭い突起の連なりも見える。そして、一声、境内中の木々の葉が揺れ動くほどの咆哮(ほうこう)を放った。
 周辺にいた禍い者たちはその示した威に(おく)した。動きが止まった。しかしマガは容赦なく更に襲い掛かる。
「マガ、もういい。戻れ。もうやめろ」
 恵那彦命と暮らすうちに穏やかになっていったとは聞いていたが、本来マガは荒ぶる禍津神だった。これが元々の姿なのだろう。そんなマガの姿を初めて見た玉兎は、恐れを感じていた。マガの現状の姿や様子に対してというより、いつものマガに戻れなくなるのでないか、という一抹の不安。思わず玉兎は駆け寄った。
 その時、禍い者の一体がさっとマガの横をすり抜けて逃げていった。その禍い者につられて近くにいた禍い者の数体も同じ方向へ向かった。その先には社殿があった。屋根や壁や床も破れ、損ない、トタンや木切れで簡単に補修してあるかろうじて建っているようにしか見えない社殿、禍い者たちはその所々空いた穴から屋内へと逃げていった。
 玉兎は悪い予感がした。これは何としても止めないと、と思った矢先にマガが走り出していた。
「ちょっと待て……」という声も虚しくマガは突き進んでいった。空いた穴から入ろうとしたのだろうが、身体が大きいために壁板の何枚かを突き破って中に押し入った。
 あちゃー、と玉兎が思っていると社殿内でどたばたと暴れ回る音が聞こえた。駆け寄りながら、もう手遅れだろう、と思った。案の定、社殿の細い柱は耐え切れず、めきめきと音を立てながら傾き、折れて、やがては壁がぐしゃりと潰れて屋根とともに地に伏した。
 ズシン!とけたたましい音と砂煙が境内中を舞い上った。
 東野神社の本殿は、他の建造物とは別棟になっている造りだった。倒壊したのは一続きになっていた幣殿(へいでん)拝殿(はいでん)だったが、その瓦礫(がれき)の奥で本殿だけがこじんまりと佇んでいた。
「マガ!おい、どこにいる」まだ砂煙が漂っている中、ほぼ原型のまま地に伏せている屋根の下にいるのだろうマガを呼んだ。こんなことでくたばるような奴ではないとは思ったが、動きがないので少し不安になった。すると唐突に、屋根がばきばきと()ぜるような音を立てながら片側に傾いた。そして、いきなりその一部を突き破り太い腕が出てきた。更に数度、突き破り今度は上半身が出てきた。
「お前、何やってんだよ」とぷりぷりしながら、屋根の上に脱してきたマガに玉兎が言った。マガは声のする方へ視線を向けた。
 普段からマガには表情がない。目の色も変わることがなかったが、何となくその感情を察することはできた。しかし今、姿形が変わったためかその感情を読み取ることができない。
「おい、マガ。何か言えよ」
 マガは身体の奥から(あふ)れてくる激情の流れの只中(ただなか)にいた。目の前の男が何か言っているような気がするが、その言葉を理解しようとする思考やそれに言葉で返答するという行為が激情の陰に隠れて意識の上に出てこない。自分はただ外から縄張りに入り込んだ侵入者を喰いちぎる、そのことしか考えられない。
「おい、聞いているのか?」その声にマガは小首を(かし)げた。
「何言ってんだ、こいつ?みたいな顔してんじゃねえ。大丈夫なのか?もういいから落ち着け」
 何か、頭の中をわんわんと声が鳴り響いている。とても聞き覚えのある声。しかし彼の意識は声よりも、目の前の存在よりも、その背後にいる侵入者の存在に向いていた。
 瞬間的にマガは玉兎の頭上を飛び越え、その先にいた禍い者に噛みつき、喰いちぎった。その奥にもいる。更にその奥にも。気配を辿(たど)れば連なるように奥へと続いている。
 そのすべてを消し去らなければならない。マガの心中にはすでにその思いしかなかった。
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