第九章二話 売り言葉に買い言葉

文字数 4,574文字

 タカシは集団から遅れないように、ロクメイの(くら)の端をこっそり握って、リサのかたわらで歩みを進めていた。ロクメイもそのことに気づいており、少し歩きにくさを感じていたが、先ほどまでタカシが見せていた、自分たちに一心不乱に追いつこうとする姿に、民草(たみくさ)のくせになかなか根性がある、と感心していたので、振り払うことをせず、そのままにさせていた。
 リサは、ロクメイの背に揺られながら、ちらりちらりとかたわらに見えるタカシの頭頂部に目を向けていた。髪の毛に葉っぱや小枝が(から)んでいる。別段長髪でもないので、すぐに取れそうだった。さっきからずっと気になっている。タカシは転ばないように足元をじっと見ながら歩いている。たぶん気づかれない。取ってあげようかしら。でも黙って取ったら気づかれた時に変に思われるかな。でも、わざわざ声を掛けて取るほどのものでもない。それに、ちょっとしたゲーム感覚で、気づかれずに取ってみたい気もしていた。だから、そっと片手を差し出した。もうすぐ指先がタカシの頭頂部に届く、とその時、先頭を行くナツミが短く鋭い声を上げた。
「止まって。誰かこっちにくる」
 突然、周囲に緊張感が走り、不穏な空気が押し寄せてきた。リサはビクッと揺れた手を慌てて引いて、ほぼタカシと同時に前方を確認した。じっと目を()らしていると木々の間に飛び跳ねながら近づいてくる眷属たちの姿。そして空中を飛ぶ女性の姿。
 タカシは久しぶりにナミの姿を見た気がした。いったい彼女は何をしているのだろうか?マコちゃんは見つかったのだろうか?と思っていると突然、前方の草むらがざわついて、いきなり一人の眷属が姿を現した。
「カツミ」と声を上げるナツミに向かって、
「話は後だ。敵がくる。すぐに逃げろ」とカツミ。その背後からナミが、
「そこを動かないで。もう逃げられないわ、観念して」と声を上げながら急速に飛来してきた。更に、
「謀反人め、観念しろ。もう逃げられないぞ」と怒鳴るような声を上げながらサホが近づいてきた。
 カツミはかなり焦っていた。思ったより速く追いついてきた。特に空飛ぶ女はもう、すぐ背後にいる。だから鎖鎌(くさりがま)を握り締め迎撃姿勢を見せているナツミに再度強めに声を掛けた。
「何してる。逃げるぞ」
「カツミ、大神様と兄様からの特命よ。うちらはこの娘を守らないといけない」
「何だって?大神様と兄者からの?どういうことだ?」
「説明は後よ。とにかくここは敵を迎撃するわよ」ナツミがそう言い放つ頃には後方にいたマサルもナツミのかたわらまで移動して、カツミに向かって軽く会釈(えしゃく)するとそのまま前方の敵に向いて薙刀(なぎなた)を構えた。カツミも訳が分からないまでも後方からくる敵たちに向き直った。
 急に寄り集まってきた喧騒(けんそう)にリサは戸惑い(おび)えた。その感覚はすぐ横にいるタカシにも即座に伝わった。とにかく状況を把握したい、と思い、ナミが飛来してきた途端に訊いた。
「ナミ、どうなってるんだ?何が起きてる?」
 その声に、いるはずのない契約者の存在に気づいてナミは問い返した。
凪瀬(なぎせ)タカシ、あなたこんな所で何やっているの?お婆さんの家で待ってるんじゃなかったの?」
「いや、やっぱり俺たちもマコちゃんを捜すことにした。それで、見つかったのか?」
「その男がマコを(さら)った張本人よ。捕まえてどこにマコがいるか問いただそうとしているところよ」
 タカシはカツミの姿に視線を移した。マコが攫われた時には姿を見ていなかったので初見だったが、その着ている(よろい)装束(しょうぞく)でナツミと同じ所属の者だと分かる。
「このコもマコちゃんの誘拐に関わっていたらしい。だからここまで、このコの案内でマコちゃんのいるだろう場所に向かっていたんだ」
 ナミは空中に停止していた。タカシが指し示す先のナツミにちらりと視線をやり、一行の他の眷属たちを見やり、リサに視線を移した。ナツミやマサルが警戒して今にもナミに襲い掛かろうと身構えている。
「みんな大丈夫だ。このひとは敵じゃない。リサとも縁のあるひとだ。警戒を解いていい」そう言われても眷属たちはすぐに警戒を解く訳にはいかなかったが、とりあえず襲い掛かることには二の足を踏んだ。ナミはそのかたわらを平然と飛び過ぎてタカシの眼前に移動して地に足を着けた。そしてリサに視線を移すと口を開いた。
「あなたもやっと重い腰を上げたのね。殊勝なことだわ」
 どこかトゲがある言い方に聞こえた。この世界にきてからナミはリサに優しくない。マコに対するのとは正反対に思えるほど。思わずタカシは反論した。
「リサだって、自分が動くことで自分が役に立つのか、君たちの邪魔にならないか、分からなかった。だから迷ったんだ。誰もが君みたいにすぐ行動に移せる訳じゃない。誰もが君みたいに空を飛べる訳じゃないし、身を守ることができる訳じゃないんだ」
「何、言ってんのよ。そのコはこの世界の創造主なのよ。望めばいくらでも身を守ることはできるはずよ」
「この世界では創造主かもしれないけど、もとはただの人間だ。どんな能力があるのか分からないし、例え能力があったとしてもおいそれと使うことなんてできない」
「何、甘えたこと言ってるのよ。自分の能力が分からないなんてことは、まだ必死に生きてない証拠よ。必死に現状を打ち破ろうと血がにじむほど考え抜いて、傷だらけになっても行動して、倒されても倒されても抗って初めて能力は活かされるものなのよ。他人にばっかり頼って、人の後についていくばかりの弱い人間には一生、自分の能力なんて分からないわ」
「ちょっと待て。何を言っているんだ?本当におかしいぞ。俺たちはここにリサを救いにやってきているんだ。リサを責めるために来ているわけじゃない。それにリサは責められることなんて何もしていないだろ」
「何もしていないことが問題なのよ」
「いや、何もしていない訳じゃない。現に、今も三輪神社の神と会って、自分の能力のことを知り、自分がするべきことを決めた。こうして一緒に行動する仲間もできた。リサは責められるべきことを何もしていないって言っているだけだ」
 その頃にはサホたち春日神社(かすがじんじゃ)の眷属たちも追いついてナツミたちの前に並び立ち、お互いにすぐに攻撃を加えられるように対峙しながら二人の会話を聞くでもなく聞いていた。何?三輪明神と会った?あの娘が?能力とは何だ?
 リサは、険のある言葉を交わす二人の姿に代わる代わる視線を向け、それぞれの段々と激しくなる口調に耳を傾けていた。
「今だってあんたがかばってくれてんのに自分は高みの見物してんだから、さすが創造主。いいご身分よね」
 その声にリサは思わず身をすくめ、うつむいた。そんなことを言われる(いわ)れはないけど、事実だから何も言い返せない。
「やめろって言ってるだろ。本当にいい加減にしろよ」
「何をえらそうに。契約したからって何でも言うことに従うとは思わないでよ。やめなかったらどうするって言うのよ」
 タカシは一瞬、言い淀んだ。確かに自分にナミに対抗し()る力など何一つない。しかしそれでもリサのことを言われているだけに後には引けない。何とか言い返そうと言葉を探している間に、ふと、前にいた世界でのことを思い出した。ナミの唯一恐れているだろう、唯一逆らえない存在のことを。前の世界でそれを察してからは、たぶんきっとそのことには触れられたくないのだろうと、察したこと自体忘れることにしていた。しかし、思わず意識のたがが外れて口から漏れ出た。
「それなら君の不適切な行動をマスターに報告しよう」
 それまで口調はきついものの、ナミの表情は平坦な普段と変わりないままだった。しかし、その言葉を聞いた途端、その目はかっと見開かれ、そして瞬時にキッとタカシを睨みつけた。
「バカなの?冗談でも言っていいことと悪いことがあるわ。もし、またその人の名を口に出したらこの世界もろともあなたの意識を消し去ってやるわ。そのコは死に、あなたはもう一生目覚めることはなくなるわよ」
 本当にやりかねないと思わせる冷徹な視線だった。タカシは心臓が凍りついたような気がした。しかし更に抗った。彼の人生で諦めたことはそれこそ数えきれないくらいある。しかし、数は少ないにしても、どうしても譲れないことがある。リサに関することはその最もたること。自分の恐れや不安や苦痛で見過ごす訳にはいかない。どうあっても抗わなければ自分の身は助かっても自分の心が大切な思いを失くしてしまう。そんなこと承服できない。
「そんな脅しを言うなんてやっぱり死神だな。品性の欠片もない」
「何ですって?」
 二人の間から険悪な雰囲気が周囲に漂ってサホたちのいる場所の空気にも濃厚に混ざり合っていた。眷属たちは基本的に聴力に優れている。だから二人の会話はほぼすべて聞き取れていた。こんな時に何をケンカしているのだろうか?気にせず目の前の謀反人(むほんにん)たちに制裁を加えようかしら、サホがそう考えている時、ふと背後に気配を感じた。

 ナミが飛んで行ってアナは草むらの中、一人取り残されていた。足元こそスニーカーを履いていたが、タイトスカートが足にまとわりつくダークスーツを着ている。どうみても草むらや林や山の中で活動する服装ではない。だから早くナミとルイス・バーネットを回収して本部に戻りたかったが、ナミが戻ってくる様子もなくルイス・バーネットも捜さねばならない。刻一刻と仕事は溜まっていく。いくら通信器を鳴らしてもナミは応答する気配がない。その姿が遠目にも見えているだけに、このままこの場で待っていることは何とも時間の無駄に思えた。
 アナとしては、いったんこの自我を出て、ナミのそばに狙いを定めてまたこの自我に入ってくることも考えた。しかし、あまり現場に出ることがないアナは、ナミやルイス・バーネットのように瞬時に狙いをつけて自我に入ることができなかった。慎重に目標地点の周囲を確認してズレがないように細心の注意を払いながら入らないといけない。それほど時間がかかる作業ではなかったが、その少しの時間、目を離した隙にナミがどこかに移動してしまわないとも限らない。その居場所を特定するのは容易だが、恐ろしく勘のいいナミが何かを察して逃げ回る事態になると、捕捉するのにかなりの時間を要することになる。 
 仕方ない、アナはナミに向けて歩きはじめた。霊力がもったいないので、最初は能力を使わずに歩を進めたが、足元が悪いせいで一向に前に進めない。遅々としてナミのもとにたどり着けない。仕方がない。霊力より時間を優先せねばと、一時的に能力を使うことにした。
 足元の小さな石に足を取られる。草が足首に絡みつく。低木の枝を屈んで避ける。
 その気配にサホが振り返って視線を向けた。そこには目にも止まらない速さで右に左に頭を、身体を振りながら急速に近づいてくる女の姿。何なの、あれ?得体のしれない生き物としか言いようのない動きを見せながらこちらに凄まじい速度で近づいてくる。
 サホは身が縮む思いがした。あれは先ほど禍津神(まがつかみ)を退治した女か?あれは果たして味方なのか?その恐ろし気な動きに思わず警戒心がフルに稼働した。
 そんなサホのすぐ横を、アナは右に左に大きく揺れながら一瞬のうちに通り過ぎ、言い合いをしている二人のもとに近づいていった。
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