第六章十話 女尊男卑な神鹿隊

文字数 4,098文字

 美和村北部、タマとナツミは蛇の道を進んでいた。
 左脇には水面が見える。それはすでに川ではなく湖。静かに(たたず)む流れのない水面(みなも)細波(さざなみ)が朝陽に(きら)めいている。やがて彼らは前方に一つの集団を認めた。それが眷属の集団だということはその雰囲気で察せられた。
 その頃には、湖面上にも何人かの人影が見えていた。ナツミは、そのうちの二人が間違いなく兄たちであると、身にまとっている(よろい)から察した。そしてもう一人、あれは禍津神(まがつかみ)。緊迫した空気が微風に乗って彼女のもとまで伝わってくる。どうなっているの?もっと状況がはっきり見える所まで行かないと。先導するナツミの速度が上がった。タマも遅れないように追いかけた。前方の集団がこちらの動きを察知したようだ。数人がぱらぱらと横に展開していく。その手には弓矢を握っている。
「そなたは三輪(みわ)の眷属か。止まれ。神妙にしろ」
 睦月(むつき)は前方から走り寄ってくる少女の姿を見て、それが三輪神社の眷属であることを確信した。先ほど自分たちに歯向かってきた眷属と同じ鎧、同じ装束を身に着けている、間違いない。
 これ以上ないくらい気が立っていた。自らの所属する神鹿隊(しんろくたい)がこれほど完膚なきまでに敗走させられたことはかつてないことだった。これほど混乱したことも初めてだった。この岸の近くに飛ばされていた弥生(やよい)とミヅキはすぐに見つかり収容できた。しかし何より隊長がまだ見つかっていない。周辺には遠征してきた部隊の半数が集まっている。現在、残りの半数で隊長の捜索を続けている。
 睦月は剣を抜き放ち、今にもナツミに飛び掛からんばかりに身構えた。ナツミも、状況が分からないながらも、それに反応して鎖鎌(くさりがま)を構えた。二人の間の空気が音が鳴りそうなほど硬直した。その間に、追いついてきたタマが慌てて割って入った。
「我は天満宮の眷属であるタマと申す。我らは今、ここに来たばかりだ。何があったか知らぬが、いったん剣を納められよ」
「何?なぜ天満宮の眷属がこの者をかばう。三輪の大神も眷属も神議(かむはか)りに背いた。ここで滅しておかないと後顧の憂いになろうぞ」
「背いた?神議りに?どういうことだ?」
「我らは神議りの要請によりこの地に尾の(くさび)を守護するために参った。その我らの勤めをこの者の仲間が邪魔しおった。これが謀反でなくてなんであろう」
「そんな……」
 タマは戸惑って振り返った。ナツミは二人が話している間に周囲の状況を把握した。左右に二人ずつ弓を持った眷属が待機している。水面までは一町ない距離だ。うちの足なら逃げきれる。
 またカツミが何かやらかしたのね、思わず舌打ちした刹那、ナツミはタマの視線の先で駆け出した。前屈みに姿勢を低くして低木やシダ植物の繁茂する中を身体をくねらせながら流れるように走る。待機していた春日の眷属たちは慌てて弓に矢をつがえて引いたが、草木の葉や枝に邪魔されてうまく狙いが定められない。何射かナツミに向かって放たれたが、(いたずら)に枝や葉を揺らすばかり。ナツミは速度を緩めることなく林を突っ切る。春日の眷属たちは跳躍を繰り返しながらその後を追った。その移動は足元の障害物を気にしなくていい分、速かった。瞬く間に近づいた。しかし、寸でのところでナツミは身体を変化(へんげ)させて湖に飛び込んだ。
 蛇姿のナツミは口に鎌を(くわ)え、身体に鎖を巻きつけた状態で水中を潜りながら進んだ。分銅が重い、泳ぎづらい。しかし今、水面に浮上する訳にもいかない。このまま進み続ける。

 その頃、ナミは林の中に降り立っていた。少しいら立ちの表情をていしながらも、静かに温度の感じられない声を虚空に発していた。
 その少し前、ヨリモと別れてすぐにナミの左耳に着けているピアスが白く点滅した。また、こんな時に、ナミは思わず悪態を()きそうになった。これはきっとアナからの通信だろう。無視しようかしら、とも思ったが、先頃までいた世界で、自分たちの所属するチームを統括するその事務員からの通信を無視した結果、彼女が唯一恐れる存在であるマスターまで駆り出された苦い記憶が蘇った。ただ単に通信器を使って連絡されただけのことだったが、彼女にとっては、それはそれは身の毛もよだつような恐ろしい思いを味わったのだった。思わず身震いする。あんな思いは二度とごめんだわ。
 マスター、彼女たちが所属する送り霊のチームリーダー。無情かつ冷血、顔色一つ変えずに人の命はおろか魂までも消し去ってしまうような存在。誰よりも死神らしい死神。
 仕方なく対応することにした。飛びながらだとすぐに目的地についてしまうだろうから地に降り立ちながら、ピアスに手を触れて話しはじめた。
「何の用?」相手は合理性の権化(ごんげ)のような存在。世間話をする必要もなければ冗談が通じる相手でもない。
「あなたの情動指数が一定時間を超えて乱れているようだから、規定により現状を確認するために連絡したのよ」
 ナミと同じチームに所属している送り霊たちは通信器の携帯が義務付けられていた。それはもちろん連絡を速やかに取るためであったが、各人の所在地を把握するためでもあり、その通信器に内蔵されている計測器によって個々の情動や霊力の状態を常に計測するためでもあった。
 人の生き死にに関わっている分、送り霊は情動の乱れを抱えることが多かった。その乱れが長時間に渡って継続的に続いた場合、かなりの確率で業務に支障をきたすことになる。それを未然に防ぐために彼女たちの情動は常に計測され、監視されていた。
 ナミたち、送り霊の身体は霊力で構成されている。霊力は常に体内を流動しているが、情動が乱れるとその流れが変化する。その変化の度合いを計測して数値化したものが情動指数だった。
 ナミは霊力の流れを落ち着かせるために、目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。
「それにあなた、霊力補充の途中でその世界に向かったわね。そのくせ、あなたのことだから、後先考えずに能力を使いまくってるんでしょう?また動けなくなる前に、一度こちらに戻ってくることをお勧めするわ」
 アナの推測は大抵当たる。どこかそこら辺で見ているのでは?と思いたくなるくらいにこちらの状況を的確に言い当ててくる。常に自分の状態を把握されている。隠し事がしづらい。
「アドバイスありがとう。でも、大丈夫よ。情動が乱れていたのは物事がうまく運びすぎて、つい興奮してしまったせいね。これからは落ち着いて物事に接するわ。それから現状、特に霊力を激しく消費するような状況にはないから大丈夫。なるべく休みながら動くから。また残りが少なくなったら戻るわ」でき得る限り平易に聞こえるように気をつけながら声を発した。嘘がばれないか少しの間、息を呑んで待った。やがて、決して心の底からその内容を信用しているのではないという声が聞こえた。
「分かったわ。でも、これ以上、情動の乱れが強くなるようなら強制的に連れ戻すことになるから。覚えておいて」
「分かってるわ」
 通信が切れた。ナミは思わず一息長く吐いた。まったくあの女は常時三百人近くいるチームメンバーのすべてに目を配っている。そして何らかの異変があれば即座に対策を講じる。それはチーム全体にとってはとてつもなく有益なこと。しかしその有能さが最近ちょっと(うと)ましい、そう思えてしょうがないナミだった。
 
 サホを背に乗せた雄鹿が岸に戻ってきた。
 睦月たち女眷属は安堵の表情をていしながら駆け寄り、サホを降ろして地面に横たえた。
 身体中傷だらけだった。意識もない。見るからに力を消耗しきった姿。恵那郷最強と(うた)われる神鹿隊(しんろくたい)を武とカリスマ性で掌握し、統率する隊長のそんな様に、女眷属たちは声も出せないでいた。その間、サホを運んできた雄鹿が人型に姿を変えていた。しばらく筋骨(たくま)しい体躯のその眷属は四つん這いのままで背を何度も伸ばしていた。
「やはり、水中で皆さんの踏み台になるのはちょっと無理があるで。腰が砕けるかと思ったで」
 同時に戻ってきた他の雄鹿たちも姿を変化させ、それぞれ腰に手を当て、伸ばしながら呻き声を上げていた。
「何を言っているんだ、お前ら。隊長がこんな状態の時に。お前たちがもっと機敏に動いていればこんなことにはならなかったんだぞ」睦月が憐憫(れんびん)の情の欠片もない声を吐いた。
「本当だ。また陣形が乱れている時もあった。訓練不足だな」何とか上体を起こした弥生も同じような声を発した。
「冗談じゃないで。我ら水の中で動くようにはできておらんって。無茶言うたらあかんで」サホを乗せてきた雄鹿だった眷属がようやく立ち上がりながら言った。
「甘えるな。お前たち、最近(たる)んでるぞ。我らの踏み台になるくらいしか使い道がないくせに、不満を言うとはどういうことだ」睦月の更に相手を(さげす)んだ声が飛ぶ。
「何を言う。我を男だと思って馬鹿にして。それは男性蔑視というやつだで」
「そうだ、そうだ、差別反対」
「そうだ、男だって眷属だ」
「そうだ、たまには乗らせろ」
 周囲の男眷属たちが口々に声を上げた。
 その声を聞きながら睦月の目が次第々々に冷たく鋭くなっていった。これ以上、そんな言葉を吐くならそれ相応の覚悟が必要だと、暗に物語るその視線で一人ずつ男眷属を()めつけていく。男眷属たちはとたんに意気消沈し、黙り込んだまま思い思いに自らの仕事に戻っていった。
 その間、座り込んだままの弥生が、タマに向かって声を掛けた。
「そなた、天満宮のタマ殿と申されたな。そなたには眷属の傷を癒す力があるとか、聞き及んだ気がする。それが確かなら我が神鹿隊の隊長であるサホが今、傷を負っている。どうか助けてもらえないだろうか。手を貸す気がないなら、そなたを反逆者を逃がした罪で、この場で……」
「脅しの必要はない。傷ついた者がいれば誰でも助ける。しかし頼みがある」
「頼み?」
「ああ、我らは民草(たみくさ)の女を探してここまできた。その女を取り返すために、禍津神を倒さねばならない。手を貸していただきたい」
「分かった。我らでは相手になるかどうか分からぬが、隊長の傷を治してくれれば、進言してみよう。隊長のことを頼む」
 タマは弥生の顔を見つめて、しっかりと頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み