第九章十一話 灰色の夢と楔の警護

文字数 4,946文字

 八幡宮の眷属たちに、休憩所として使用されている平屋建ての廃屋にたどり着いた時には、すでに夕闇が辺りを包んでいた。もう、その頃になるとヨリモの目には物の判別がほぼつかない。鍵の掛かっていない玄関の扉を開くと手探りで下駄箱の中にあるはずのロウソクを捜した。確かこの辺に……、と幾度か手が弾んだ後にロウソクとマッチが見つかった。これまた手探りでマッチを一本取り出し、火を点けた。ボウっと屋内が明るく照らし出される。ヨリモはその火をそのままロウソクに移す。
 他の眷属たちやマガは少しくらい暗くても視認することに不自由はなかった。真夜中でも月や星の明かりがあれば山道を駆けることができるくらいだったから、次々とロウソクに火を灯し屋内の要所々々にヨリモが設置し出すとかなり屋内が明るく見えた。
 タマや蝸牛(かぎゅう)は屋内を見渡した。天井がかなり高い。(はり)がむき出しになっていて、外からは鉄板に覆われていたために見えなかったが茅葺(かやぶき)の屋根が梁の奥に広がっていた。玄関入ってすぐは土間になっており、一段高くなって畳敷きの広い空間。その中央に囲炉裏(いろり)が組まれていた。その囲炉裏に火を点ける。火口(ほくち)の木切れも乾燥した小枝もちゃんと完備されていたので、すぐに炭にまで火が点いた。炭の上に五徳を置き、ある程度、火が大きくなると水の入った鍋を乗せた。水は家の横に地下水を汲み上げる手動の井戸があるので不自由しない。湯が沸くと蝸牛が天神村から持ってきた干し(いい)を入れ、干し魚を小さく折り入れ、最後に干し味噌を入れて味を調えた。
 彼ら眷属は神々と同じように食物の気を取り入れる。食物のうちに残存している生命の気、それが神々や眷属たちの糧となる。それを自らの身体を構成している力を維持するために取り込むのだ。
 眷属たちとしては、干し物の中に保存されている生命の気を取り入れるだけでも良かったのだが、彼らは今日一日力を(いちじる)しく使っていた。回復を図らなければならない。そのために直接、体内に食物を取り込む方が確実に気を摂取でき、早く回復を実感できる。それに何より形あるものを取り込むという(まが)い者の習性からか、マガが食べるという行為をしたがったためにみんなで食事をすることにした。
 疲労感が身体の芯をおおっていたために、みんなあまり喋ることもせず黙々と食べた。特にタマとヨリモは準備の段階から食事中まで言葉を交わすことはおろか目を合わせることもなかった。
 ヨリモはとても寂しく悲しい気持ちに(さいな)まれていた。タマがナツミの心配をしていることに対して嫉妬して、不機嫌な態度を見せてしまった自分の行動が恥ずかしかった。それがために、それ以来、話すこともできていない。タマもずっと話し掛けてこない。
 そんなことを気にするべきではない、気持ちを切り替えないといけない、とは分かっているが、どうしても気持ちが(ふさ)いでしまう。何をしても楽しめない。タマ殿はきっと私のことなど何とも思っていない。だから平気な顔をして蛇女の心配などする。悪いのは私の方だ。変な期待を持った私が悪いのだ。まったく情けない。自分の気持ちが自分でどうにもならない。
 そんなヨリモのことをタマは著しく意識していた。しかし、逆に意識しすぎて何もできなくなっていた。自分で自分の気持ちを扱いかねていた。得体の知れない気持ち。何だろう、この気持ち。ヨリモが今までと違う存在に見えた。とても好ましい存在に思える。気になってしょうがない。だからその姿を目で追う。でも、少しでもヨリモがこちらを見ようとするとすぐに目を逸らした。それがどうしてか自分でも分からない。自分が見ていることを知られるのがとても気恥ずかしい気がした。
 ヨリモも視線を感じてタマの方に視線を向ける。でもタマはこちらを見ていない。少し残念な気持ち。何かモヤモヤとした気分。もう、いい、気にしない。そう思うけどまた視線を感じるとどうしてもタマの方を見てしまう。でも、やっぱりこっちを見ていない。もう、悲しくなってきた……。
 そんな二人の世界の間近にいながら蝸牛(かぎゅう)は邪魔にならないように、大きな身体をなるべく小さくしていた。こんな時、どうしてやればいいのか、どんな言葉を掛ければいいのか、兄者も飛梅(とびうめ)殿も教えてくれなかった。だからじれったい思いを抱きながらもただ見守るしかなかった。
 そんな煮え切らない空気の中、マガだけは一人お腹をさすりながら旺盛な食欲を満たしていた。その顔は以前から丸かったが更に角が取れ、全身が丸みを帯びているよう。目の光も柔らかくなっているように見える。腹中にあるものを何よりも愛おしく思う、そんな表情。
 食事が終わり、食器を片付けると眷属たちとマガはそのまま就寝することにした。明日の朝も早い。それに今日はみな、疲れていた。泥のように眠ってしまいたい欲求が強かった。
 この休憩所に寝具はなかった。マガは身体を丸く変化(へんげ)させて囲炉裏端で寝た。タマも子狐に変化して部屋の隅で丸まって寝た。蝸牛は土間に降りて牛姿で寝た。ヨリモだけは隣の小部屋に移動して、小鳩に変化して眠った。

 そして、ヨリモは夢を見た――

 あ、お社だ。一日離れただけだったが、それもめったにないことだったので、すごく懐かしく感じた。先ずはクレハ殿に報告しないと、そう思いながら境内(けいだい)を進んだ。
 とても静かだった。誰もいない。それどころか気配さえしない。みんなどこに?
 足を止める。周囲を見渡す。心なしか色が少しずつ薄くなっている気がする。暖かみが失せていく。やがて、色が消えた。ただの灰色の世界。不安が満ちてくる。戸惑いでいっぱいになる。そんな時、ふと背後に気配を感じた。
 振り返ると、そこには大勢の眷属たちの姿。八幡宮の眷属たちが、手に弓矢や剣を持ち、数人の眷属を取り囲むように臨戦態勢を敷いている。その包囲の中にタマも蝸牛もいる。そして荒御魂(あらみたま)が発動しているのか、姿を変形しかけているマガの姿。
 どういうこと?なぜ争っているの?やめて。話せば分かるから。私がちゃんと話すから、剣をおさめて。矢を下ろして。クレハ殿、クレハ殿はいずこ?叫びながらヨリモは集団の中へと駆け込んでいった。すると、また誰もいなくなった。あれだけいた眷属たちの姿がどこにもない。狼狽する。混乱する。もう、争いは終わったの?それとも、他の所でまだ続いているの?誰か、教えて。誰か、誰か。
 その叫びに呼応するように背後に一つの気配が現れた。
“タマ殿?”ヨリモは瞬間的にそう感じた。一抹の期待と高揚感に満たされて振り返った。しかしそこには衣冠装束姿(いかんしょうぞくすがた)のクレハが一人立っているだけ。
「クレハ殿?」ヨリモは落胆した。そして、そうよね。タマ殿は蛇女の所に行きたがっていた。気づかぬうちに行ったのだろう。私のことなど気にしてない。私の言葉に応える訳がない、となぜか思った。
「ヨリモ」クレハが重々しく声を発した。
「クレハ殿、争いは終わったのですか?もう誤解は解けたのですか?彼らは我が村に災い成す者ではありません。今、どちらにおられるのですか?」ヨリモは気を取り直して八幡宮の第二眷属に訊いた。
「あやつらはもうこの世にはおらぬ」表情を変えずに重々しいままにクレハは言い放った。
「え、それはどういう……」極めて濃い戸惑いに満たされていく。私は何を聞かされているの?
「あの者たちはこの郷に、神議(かむはか)りに災い成す者である。よって成敗した。そなたもあやつらをこの村に導き入れた責がある。申し開きがあるなら聞こう。ないなら追って処罰する。粛々と従え」
 胸にとても深い、地の底にまで続くような大きな穴が空いた気がした。ああ、なぜ、なぜそんなことに。ヨリモは目を固く(つむ)り、うつむいてただじっと耐えた。すると自分の身体がふと軽くなった気がした。目を開く。自分の身体が光っている。細かい粒子となって空気中に溶けていく。自分の身体を構成する力が次々に消えていく。
「残念だ、ヨリモ。やはりそなたは八幡宮の眷属にはなりきれなかったか。そなたは元々、稲荷神の持ち物ゆえ、我が大神、我が村への思いが足りなかったのであろう。これは仕方のないことだ。粛々と消えよ」
「待ってください。私は、私は……」言い終わらぬうちに存在が消えた気がした。

 ――――――――――

 今宵は満月だった。
 変に明るい、赤みを帯びた月光が世界を包んでいる。どこか不気味さを感じる明るさだった。
 そんな月明かりに照らされた湖西側の岸辺で睦月(むつき)は、春日村(かすがむら)に戻った本隊と分かれて、三番、四番隊を率いて尾の(くさび)の監視をしていた。
 そよとも風が吹かない中、湖面も穏やかに()いでおり、微かに波が足元に打ち寄せていた。何とも静かすぎる。睦月の心中は周囲の状況に反してざわついていた。何か良くないことが起きる前兆のように思えてしょうがない。それに間もなく天満宮や稲荷神社の眷属たちがこの地にやってくる。周囲を警戒している隊員からの報告もあったし、実際に稲荷の眷属が一人先行して知らせてくれた。その対応もしなくてはならない。実際、渉外的なことはすべてサホと弥生に任せていた。おおまかな作戦の打ち合わせくらいならいいが、詳細な交渉事をすることになると手に余りそうで不安に苛まれた。そんなことを思っていると北方向から伸びてくる御行幸道(みゆきみち)を稲荷の眷属たちが群れ成してやってくる姿が見えた。
「我は宇賀稲荷神社眷属の(おさ)宝珠(ほうじゅ)である。春日神社の方々、これまで尾の楔の警護、誠にご苦労でござった。遅ればせながらこれより我らも尾の楔を警護いたす。ともに力を合わせ尾の楔を守護いたそう。よろしくご協力のほど」
 低く圧力のある声。睦月は腹部がきゅっと引き締まる気がした。稲荷神社は第一眷属を寄越してきたか、それに総勢三十人程度の眷属がいる。稲荷神社の眷属の半数以上の数。何とも威圧感のある一団だった。睦月は気を許すとその威圧感に気圧(けお)されそうだったが、自分は今、春日神社の眷属を代表しているのだと、自らを鼓舞して口を開いた。
「我は春日神社、神鹿隊(しんろくたい)副隊長、睦月。ご足労、痛み入る。現状、見ての通り何ら異常はない。お好きな所に陣を張り、警戒にあたっていただきたい」
「了解した。では、我らはそなたたちの北側、あの岸辺に陣を張ることにいたす」
「承知いたした。ともに郷のために尽力いたしましょう」
 お互いに神議(かむはか)りの席で顔は見知っている仲だった。しかし、長同士であれば何かと話し合うことなどあり互いのことをよく知る仲になり得るが、日頃からサホや弥生に着き従ってばかりの睦月は、こうして他の(やしろ)の長と直に話をするのは、ごく簡単な挨拶を除いては初めてだった。
 それから二人は、情報を共有するために現状、知っている事柄を開示しあった。
 睦月からは他の神鹿隊の状況、今、彼女たちが陣を張っている熊野村の土地神である熊野神社にはすでに使いを走らせ、陣を張ることの通達を済ませていること。また熊野神社の眷属たちは夜間移動が難しいために明朝、やってくるとの報告があったことを伝えた。
 宝珠からは八幡宮の眷属たちが同じく夜間の移動が困難なため明朝こちらに来ることと、天満宮の眷属たちが間もなく対岸に布陣するだろうことを聞いた。
「夜が明けるまでは我らで尾の楔を死守せねばならぬ。しかし鳥の眷属らは夜目(よめ)が利かぬから何かと不便なものだな」
「ええ、まったく。ただ、臥龍川(がりゅうがわ)が氾濫してからは、村と村との行き来が困難になってしまったので、その点、飛べるのは少し(うらや)ましい気もしますね」
「ああ、まったくだ。とにかく明朝、鳥の眷属らがやってくるまで協力して警護に当たろう。よろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
 宝珠たち稲荷の眷属はそれから北側に移動して陣を張った。まだ夜の(とばり)が下りたばかり。朝までかなり時間はある。負傷者が村に帰ってしまったので、総勢九名になっていた三、四番隊。かなり心許(こころもと)なく思っていたが、これで、もし先ほど出現した禍津神(まがつかみ)のような災禍が現れても何とか対抗できるだろう。睦月は少しく安堵して長く吐息を漏らした。そのころには対岸にちらほらと松明(たいまつ)だろう灯りが見られるようになった。恐らく天満宮の眷属たちが布陣しているのだろう。睦月は更に弛緩する思いだった。
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