第十四章四話 暗闇からの襲来

文字数 4,804文字

 幾重にも闇を塗り重ねたような、漆黒の大穴の中に足を踏み入れる。先ほどまで水で満ちていたせいだろう、壁や頭上から水が(したた)り落ちている。足もとは一直線に急な傾斜の続く下り坂、しかも所々にぬかるみや水溜まりが残っている。その上を松明(たいまつ)を抱えた先導の二名が恐る恐る進んでいき、他の者たちはそれに続く。
 松明に点いた大きな火が揺れる動きにあわせて、壁に映る一行の影が揺れる。大穴は三人並んで歩いても余裕がある程度には広く、高さも同程度にある。しかし行けば行くほど闇が深くなり、閉塞感は否めない。誰もが足を滑らさないように気をつけつつ、そんな閉塞感に抗いながら歩を進めていた。
 特にタカシたちのいる後方は松明の灯りから距離があり、更に暗い。足もとも見えにくい。一歩々々に尚更、慎重にならざるを得なかった。更に少し進んだ所でルイス・バーネットがシャツの中に入れていたネックレスを取り出し、胸に下げたまま少し操作した。すると突然、そのネックレスについていた白い小さな玉が(まばゆ)い光を放って辺りを照らした。
「これも霊力を消費するから、あまり使いたくはないんだけど、君たちがこけて怪我をしてしまってはいけないからね」と驚いて自分の方へ視線を向けてくるタカシやリサたちにルイス・バーネットが言った。その光のお蔭でタカシもリサもかなり歩きやすくなった。
 そのまま一行はしばらくの間、坂を下っていった。どこまで行っても変わり映えのしない一本道。その先は闇が深すぎて見通せない。いったいどこまで続くのか誰の胸にもじわじわと疑問がよぎる。
 サホもカツミも自分が上ってきた道がこんなにも長かったとは思わなかった。先だって災厄のもとから脱出してきた時は何せ必死だったから、道のりが長いとは思いつつも、これほどには感じなかった。そしてこんな長い道のりをよくも逃げ切れたものだ、とその時のことを思い出し、少し身震いした。
 そのうち、進行方向の地下深くから緩やかな風が一行に向けて吹いてきた。それは生ぬるく、そして悪臭を伴っていた。排泄物と吐瀉物を混ぜて熟成させたような臭い。誰もが顔をしかめた。
 その風に思わずタカシは気分が悪くなった。吐きはしなかったが、何度か胃の内容物が込み上げそうになった。何とかそれをこらえていると、ふと彼のシャツの袖を横にいたリサの手が触れた。
 タカシが視線を向けると彼女は目を半開きにして眠そうに身体を揺らしていた。無意識に、倒れないように彼の腕を掴んでいたようだった。そして呟いた。
「呼んでる。私を呼んでる。誰なの?私を呼んでいるのは……」
 その様子に慌ててタカシは声を掛けた。
「リサ、大丈夫か?どうしたんだ?」
 リサは答えない。ただ身体を揺らしながら、呼んでいる、と言うばかり。
 そのかたわらで宙に浮かびながらナミは(そで)で鼻先を覆って顔をしかめていた。気分が悪い。これ以上ないくらいに不快。胸の中がムカムカする。それに無性に腹立たしい。誰かこの悪臭どうにかしなさいよ。誰かに怒りをぶつけたくてたまらない。しかし理性でそれを抑え込む。気を紛らわせるためにも一行の頭上に浮かんで先の様子を視に行くことにした。早くこの臭いの原因を突き止めて除去しなくては、という思いで。
 ナミは飛びながら横髪を指先で掻き上げて左耳を現した。そしてそこについているピアスに触れて操作した。すると先ほどルイス・バーネットが点灯させたように一気に周囲が光に包まれた。そのままナミは先へと飛んでいくが、少し行った地面に細長く曲がりくねった物があった。それはどこからか流されてきた木の根だった。しかし太さといい、長さといい、くねり具合といい、ちょうど彼女の苦手な生き物に見えた。だから彼女はとっさに宙で停止し、そのまま急速に後退(あとずさ)っていった。
「どうした?」その様子に集団の先頭付近にいたサホが声を掛ける。
(へび)よ、そこに蛇がいる」真剣な顔つきをしてナミが言う。サホは怪訝(けげん)な表情をして言う。
「はあ?だから何だ?蛇ごとき気にせず進めばよかろう、襲ってくるようなら斬り捨てればよい」
「そういう訳にはいかないのよ」ナミは不機嫌な顔をして言う。
 そんな会話を聞いて、サホたちのすぐ後方にいたマサルたち山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の眷属たちは、三輪神社境内でカガシたちに襲われた記憶を思い出し、身の毛のよだつ気がした。無数のカガシたちに襲われて死にかけた経験がもれなくトラウマになっていた。だから彼らは二の足を踏んだ。その時、前方から何かが蠢きながら近づいてくる気配。それは押し寄せるような大量の気配だった。
 そしてそれは間もなくやってきた。見ると大小様々な蛇の群れ。各個身体をうねらせながら近づいてくる。サホは灯りに照らされたその群れを認めると反射的に松明を持つ先導の前に進み出た。
睦月(むつき)、ミヅキ、蹴散らすぞ。続け」と剣を抜き放ちながら言うサホにミヅキが慌てて声を掛ける。
「隊長、お待ちください。毒を持っているかもしれません。それにこの洞窟内では我々の動きは制限されます。相手は数も多いことですし、もっと慎重に」
「バカ言うな。蛇ごときに臆してどうする」と言うサホに後方からマサルの声。
「いや、蛇はなかなかやっかいですよ。毒を持っているとなると尚更です。ここは慎重にいった方がいい」
 サホがそちらに目を向けると、マサルの周囲にいる山王日枝神社の眷属たちも、悪いことは言わん。無闇に蛇に近づくな、という顔をしてこちらを見ている。何か山王日枝神社の眷属たちはえらく蛇を恐れているな。いつも山にいて蛇など珍しくもないだろうに、とサホは少し怪訝に思った。そこへ更に後方から声が聞こえる。
「ちょっと、あんたたち、蛇のことならあたしたちに任せておきなさいよ」
 見ると後方からカツミとナツミの兄妹がずんずんと進み出てきていた。
「何を隠そう、私たちは()の兄妹。こんな雑魚(ざこ)たちなんてすぐに従えてやるわよ」
 言いながら二人は更に進み出てサホたちのいる最前部に到達した。その頃には蛇の群れもかなり近づいており、だいたいの群れの全貌が見渡せるようになっていた。それは幾重にも重なり層になっているほどの多量の蛇の群れ。そのどれもが彼らに向かって口を開き、牙を見せて威嚇している。
「あらあら、可愛いこと。うちらに牙をむくなんて命知らずね。でも教えてあげる。威嚇っていうのはこうするのよ。さあ、兄者、見せてやって」
 妹の掛け声に、ああ、俺だけが変化(へんげ)するんだと思いつつ、カツミは身体を光らせて見る間に丸太のような太さの青い大蛇に変化して、鎌首をもたげた状態から一気に口を大きく開けてシャーと前面の群れに向かって威嚇した。
 とたんに蛇たちの群れは動きを止めた。どの蛇も顔を上げて突如現れた大蛇を見上げている。カツミは蛇たちを睥睨(へいげい)しつつずずずと前進した。蛇たちは慌てて壁沿いに身を寄せ合って避け、すぐに道の真ん中が大きく開かれた。
「さあ、みんな、毒蛇ならぬ、どく、蛇よ。今のうちに通んなさい」
 ナツミ、お兄ちゃんの活躍の場をそんなダジャレでしめるのはやめてくれ。みんな微妙な顔をしてるじゃないか、とカツミは思ったが蛇姿なので声が出せなかった。それに妹に苦言を言ったところで聞き流されるだけなので諦めた。
 一行の全員が蛇の群れの間を通過し終えるとカツミも蛇姿のままで後を追い、通り終えるとまた人型に戻った。その頃、ナツミは得意気な顔をして先頭を歩いていた。そんな彼女とかつて(やいば)を交えた睦月が感心しながら声を掛けた。
「やはりそなたたちは蛇の扱いがうまいな。あんな大蛇に変化できるのならもう怖いものなんてないんじゃないか?」
 それをかたわらで聞きながら、もう睦月ちゃんったら、他の社の眷属に自分の弱点になるようなことを言う訳ないじゃない、とミヅキが思っていると、
「そうねえ、まだ小さい頃はトンビが天敵だったけど、今は襲われることもなくなったし、あえて言うなら(はち)かな。小さい頃に蜂の巣から甘くておいしそうな匂いがしたから食べてみたら口の中を何か所も刺されちゃって。顔は腫れるし、熱は出るし、何日も寝込むし、とんでもない目に遭って。それ以来、ちょっと蜂は怖いかな」
 とナツミが答える。え、言っちゃうんだ。とミヅキは思ったが、確かに蜂はあたしも嫌だな。何か(いか)つい顔してるし、刺されたら痛いし、と漫然とそんなことも思っていると、行く先の闇の中から、ぶううーん、という無数の羽音が聞こえてきた。
 それは一気に飛来してきた。
 ぶんぶんぶんぶんと洞窟内に羽音が響く。(またた)く間に闇の中から大量の蜂が姿を現した。
「蜂だ。蜂の大群だ。気をつけろ」とっさにサホが後方に向かって叫ぶ。蜂の群れはあからさまに自分たちを敵視している、そんな勢いで飛来してくる。間違いなく攻撃される、前方にいる眷属たちの誰もが思った。その時、任せて、と言いつつ睦月が最前列に躍り出た。
 左腕が白く光る。同時にぶわっと広がった腕を頭上から振り下ろす。ぱちぱちぱちんと何匹もの蜂を地面に叩きつけた。更に上下左右に左腕を振り、数えきれないほどの蜂を叩き落した。それでもまだその攻撃をかわして何匹もの蜂が睦月目掛けて飛来する。それをミヅキやサホが小さく跳ねながら撃退した。頭上がそれほど高くないのであまり高くは跳べなかったが、それでも空中を飛ぶ相手に対するには追いやすく有効だった。
 そんな先鋒三人の躍動でほとんどの蜂は撃退されていったが、それでも残った何十匹もの蜂が後方に向かって飛んでいく。そこにいる山王日枝神社の眷属たちは薙刀(なぎなた)、熊野神社の眷属は錫杖(しゃくじょう)、八幡宮の眷属は(やり)といずれもこの狭く、ひしめくように仲間たちがいる中では振り回すことができず使いづらい武器を主に手にしていた。
 そんな眷属たちが身構えていると、後方から、
「ちょっと、俺が退治するから、そこ、場所を空けてくれないか」と言いながら玉兎が前に進み出た。そして他の眷属たちの返答も移動も待たずに、ふっと息を吹いて手を回しながら操ると見る見る小さなつむじ風を(こしら)えた。
 少しずつ大きくなっていくつむじ風に飛来してくる蜂たちはなす術もなく巻き込まれ、やがてすべての蜂たちが巻き込まれるとつむじ風はその勢いを弱めていき、そのうちにふっと消えた。
 つむじ風に巻き込まれていた蜂たちはすべてぽとぽとと地に落ちた。もう残りはいないようだ、と眷属たちはほっと安堵の息を吐いた。そしてマサルが前方にいる眷属たちに声を掛けた。
「先ほどはそなたたちが蜂の話をしていたら、蜂が出てきましたね。その前の蛇の時も、あの空を飛ぶ方が蛇の話をしたとたんに現れた。どちらも大量に。これはもしかしたら、我々が恐怖を感じているものが現れる、ということなのかもしれませんね。ですので、これからは軽率に怖いものの話をしない、思い浮かべないようにしないといけないでしょう」
 その話を、何事が起きているのか確認するために前方に進み出てきたクロウが聞いて、
「では、我が後方の者たちにも周知してこよう」と言うが早いか背中の羽を広げて少し浮かぶと全員の頭の上を飛びながら喚起していった。
「先ほどから誰かが怖いと言ったり思ったものが大量に現れている。これから先、怖いものを思い浮かべたり言ったりしないように気をつけろ」
 そう言われると、してはいけないことの対象を思わず思い浮かべるものである。眷属たちの脳裏にも自分の嫌いなものの姿が一瞬、思い浮かんだ。
“我が嫌うはムカデ”
“我は蜘蛛(くも)(いや)じゃ”
“何といってもネズミだな”
“あたしは何よりゴキブリが嫌”
 そんな多種多様な生き物たちの姿がそれぞれの眷属の脳裏をよぎった。
 そして一瞬の静寂が訪れた。そのすぐ後、闇の奥深くから微かな音が聞こえてきた。それは小さな音だった。しかし無数の音の集合体。やがて一気に波となって押し寄せてきた。
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