第二章一話 総社の宮のヨリモ

文字数 3,771文字

 その小鳩(こばと)境内(けいだい)に降り立つとほぼ同時に少女の姿に変化(へんげ)した。長い黒髪をうなじの上で束ね、白衣に緋袴(ひばかま)を着け、千早を羽織っていた。そのまま裳裾翻(もすそひるがえ)しながら社務所の大きな窓の前まで小走りに駆けていく。室内が暗いために、色には乏しいものの窓にはくっきりと彼女の姿が映っている。
 そのまま慌てた様子で、髪から白衣の(えり)、袴の(ひだ)まで入念に微調整して身だしなみを整えた。もうすぐやってくる、と思うと何とも落ち着かず、そわそわしてしまい、同じところを何度も同じように直しているうちに、ふと足元に動くものが見えた気がした。視線を向けると、そこには二匹のハツカネズミ。一匹は黒に近い濃い灰色の毛色でちょこまかと彼女の足元を動き回っている。もう一匹は明るい茶色がかった毛色で後ろ脚で立ち上がり拝むように前足を合わせて彼女の顔を見上げていた。
「あら、豆吉(まめきち)豆蔵(まめぞう)、どうしたの、こんな所まで出てきて。お腹が空いたの?ごめんなさい。これからお客様が来るの。私、お出迎えしないといけないから時間がないのよ。大人しくお社で待っていて。後で何か持っていってあげるから」
 灰色毛並みの豆吉は立ち止まり少し不機嫌そうに横を向いた。茶色い毛色の豆蔵は落胆したように下を向いた。
「ごめんなさい。でも、みんなに見つからないように食べ物を持ってくるのは、けっこう大変なんだから。慎重に頃合いを見計らって行動しないといけないから、時間が掛かるのよ。分かって、ね」
 二匹ともにそっぽを向いたままだった。ヨリモは話を変えようと続けた。
「そういえば、豆助(まめすけ)はどうしたの?一緒じゃないの?」いつも一緒に行動しているのに、姿が見えないと思って訊いてみた。すると二匹の背後に群生している、鑑賞用に植えられたのだろうクマザサの茂みの中から、微かにチュ、と鳴き声が聞こえた。彼女が声のした方に視線を向けると茂みの奥に赤い目と白い毛並みが見えた。
「豆助ったら相変わらず臆病ね。まあ、そのくらいの方がみんなに見つからなくていいのかもしれないわ。豆蔵も豆吉も見つかったらほうき片手に追いかけまわされるわよ。もっと慎重にならないと」と言ったとたん、彼女の背後からきつい口調の声が聞こえてきた。
「ヨリモ、何をしている。帰ったのなら先ず報告をせぬか」
 ヨリモはとっさに片腕を伸ばし、その袖口に手を掛けて豆蔵と豆吉に向けた。二匹は瞬時に袖口に飛び込み白衣の(たもと)に身を隠した。豆助はそのままクマザサの茂みの更に奥へと身を隠した。ヨリモは慌てた様子で振り返った。
「申し訳ございません、クレハ殿。少々、着衣が乱れていましたので直しておりました」
 目の前に(かんむり)に黒い装束、紫袴(むらさきばかま)姿の男眷属が一人、砂利(じゃり)の擦れ合う音を(せわ)しなく立てながら近寄ってきていた。細身の身体、顔の輪郭も細長い。眉も目も細く、口はへの字に両口角が下がっている。見るからに神経質そうな風貌。
「それで、タマ殿と民草は変わらずこちらに向かっておるのか」愛想の欠片もない声。ヨリモは萎縮して出にくくなっている声を、気を奮い立たせながら発した。
「はい、真っ直ぐこちらに向かっておられます。間もなく到着されるかと」
「ふむ、分かった。では、そなた社殿前でその二人連れを出迎えい。総社の眷属として粗相のないように、分かったな」細い目が鋭く眼下の少女を見下ろしていた。
「はい」か細くならないようにしっかりとヨリモは返答した。ただ、視線を上げることはできない。相手の腹部をじっと見ていた。クレハは、ふん、と鼻を鳴らすとそのまま(きびす)を返して社殿の方へと去っていった。
 ヨリモはふう、と一息吐いた。クレハと相対している時はいつも緊張する。その一種独特な雰囲気といい、鋭い眼光といい、隠し事などできないような気にさせる。どんなことでも見透(みす)かされて、自分の気づいていないようなことまで指摘されそうだった。どんな小言を言われるのだろう、という不安から身体は強張(こわば)り、声を発しづらくなる。
 この八幡宮の第二眷属であるクレハはとにかく口うるさかった。些末(さまつ)なことでもあげつらわないと気が済まないたちだったが、それは何より彼が規律を重んじるがため。眷属に相応(ふさわ)しい規律に則った行動をすべての同類に求めていた。だから、規律に反する言動や、秩序を乱すような行いなど許せるはずもなく、些細なことでも必ず指摘して是正させようとした。そんな彼だから、他の眷属からは(うと)まれていた。この八幡宮の眷属はもとより、他の社の眷属にもあまり歯向かおうという気を起こさせないほどに。
 そんなクレハの上位には第一眷属であるマコモがいる。体格はがっしりしており、風貌も(いか)つく、見た目、威圧感を濃厚に有する、眷属としての力も比類なく強い、そんな眷属。彼もクレハに負けず劣らず規律を重んじるたちだったが、普段からどっしりと構え、あまり細かいことは言わないので、それほど周りから疎まれることはなかった。それは多分に、彼が気づく前にクレハが問題を指摘して改善してしまうためだったが。マコモもそのことをよく分かっていたので、クレハの行いを容認こそすれ、とどめることはしなかった。だから、いつも八幡宮の境内には、他の社よりも濃い緊張感が漂っている。
 袖口から豆吉と豆蔵がちらりと顔を出し、すぐさま肩まで駆け登ってきた。
「ふふ、見つからなくって良かったわね。じゃ、私、行かないといけないから。また後でね」
 ヨリモが片手を二匹の目の前に差し出すと、二匹ともにちょろちょろと移動し、そのままヨリモは地面近くまで手を下した。地に降りた二匹と(やぶ)の中から再び顔を出した一匹は名残惜しそうに彼女を見上げていたが、ヨリモは、じゃあね、と言いつつ手を振ると、そのまま社殿正面に向かって速足で移動していった。しばらくその様子を眺めていた三匹はついっと藪に入り、自分たちのお社へと戻っていった。
 三匹のお社、“大黒社(だいこくしゃ)”は八幡宮本殿すぐ後ろにそびえる大楠の根本に八幡宮の境内末社(まっしゃ)として鎮座していた。(ほこら)程度の大きさでしかなく、それに比例してか、眷属としての彼らの力は弱く、他の眷属たちのように人型になることもできず、常にネズミの姿のままだった。ただ、彼らも眷属だけに、そこら辺のネズミとは違い一定の知能は持ち合わせていた。
 しかし、その見た目のためか、末社の眷属と(あなど)られたためか、彼らは八幡宮の眷属からは常に冷遇されていた。見つかってしまうと追いかけまわされた。その存在自体が疎ましいという態度をあからさまに見せつけられた。彼らとしては、ずっと昔からそうだったし、それ以外の対応をされた記憶がないために、それが当然のことと思っていた。ただ、ヨリモだけが違った。彼女は食べ物をくれるし、微笑みかけてくれる。ちょっと勝手に変な名前を、とは思ったが、自分たちに名をつけて親しんでくれた。最初は警戒していた彼らも今ではすっかり馴染んでヨリモがいない境内はどこかしら物寂しいと思わずにはいられないほどになっていた。
 そんな彼らの寂寥感に気を回す余裕もない様子でヨリモは社殿の正面に回っていった。
 落ち着かない。そわそわする。どんな風に迎えたらいいの?先ほどは、つい気後れして人型に変化することさえできなかった。でも、今回はちゃんとしないと。これは勤めなのだから。気後れしている場合じゃない。総社の眷属らしく愛想もほどほどに毅然とした態度で接した方がいいのかしら?それとも不安を抱いてやってくるお客様の心を(やわ)らげてあげるために優しく微笑んで、柔らかい物腰で接する方がいいのかしら?そもそもどう立っていたらいいの?こう?それとも、こう?何回か身体の向きを変えている間に、参道の先、境内入り口の大鳥居下に二人の人影が現れた。

 タカシとタマは鳥居をくぐって境内に足を踏み入れた。陽は中天更に高く、陽射しは弥増(いやま)しに激しさを加え、それにつれて気温も容赦なく上がっているようだった。そんな、辟易(へきえき)とさせる暑気をかき分けるように清水の水面に落ちる音が(せみ)の鳴き声と混ざり合って境内を漂っている。すぐ右側に手水舎(てみずしゃ)があり、大きな石の上部を穿(うが)った手水鉢(ちょうずばち)の端に龍を(かたど)った水出口、その口からちょろちょろと水が流れ落ちていた。タカシは、タマが手水舎で手と口を清める様子を見て、真似た後、境内奥へと進んでいった。
 前方には白と朱色を基調とした大きな社殿が建っている。この境内も社殿も先ほどの稲荷神社と比べて一回り以上の大きさがあった。
 その広い境内の真ん中に伸びる石畳(いしだたみ)を進む。行く先の社殿前には石造りの狛犬(こまいぬ)が一対でんと高い台座の上に座し、来訪者を(いか)つく睥睨(へいげい)するように参道に顔を向けていた。両側に広がる玉砂利には無数の鳩が何かをついばんだり、座り込んだり、毛づくろいをしたりしている。見た目そのどれもがただの鳩にしか見えない。しかし、そのどれもがこの社の神使(しんし)かもしれないと思うと逆に全神経をこちらに向けて警戒しているようにも見えた。
 そんなことをタカシが思いながら進んでいると、狛犬の陰からごく静かに一人の少女が姿を現した。袴の(ひも)を結んだ上に両手を重ねた姿で、ゆっくりと足を運んで彼らの前にやってきた。しとやかな様子の白衣緋袴を着たその少女は、彼らににこやかな笑顔を向けていた。
「ようこそ。タマ殿、凪瀬(なぎせ)タカシ殿。大神様がお待ちです」
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