第四章四話 二人の出会いと蛇娘

文字数 3,646文字

 一行は田園の中、あまり日陰のない道を進んでいた。目的地である祝山(いわいやま)(ふもと)は前方左手に見えている。そこまで遠くはないようだった。しかしねっとりと絡みつくような暑気がタカシとマコの体力を一歩進むごとに奪っていく。
 マコはそんな耐え難い暑さから気を紛らわせようとしたのか、それまでいたナミの傍らからスーッと歩みを早くして、前方にいたタカシの横に並んだ。
凪瀬(なぎせ)さんは、お姉ちゃんと付き合っているんですよね?」
 唐突に訊かれてタカシは戸惑ったが、かろうじて答えた。
「え、あ、う、うん、そうです」
「へえ、私、お姉ちゃんの彼に会うの初めてです。今までお姉ちゃん、私にそういうこと話さないし、何となく男の人、避けてる感じでしたから」
「ふーん、そうなんだ」
「だから、本当はお姉ちゃん、男嫌いなのかな、一生結婚しないつもりなのかな、なんて思ってたんですけど、ちょっと安心しました」
「へ、へえ」
「でも、お姉ちゃん、高校生の時とかけっこうもててたんですよ。あまり自分から話さないし、特に自分のこととか言わないから、謎めいて見えてたんですかね。そういうの好きな男の人って多いじゃないですか」
「そ、そう?」
「だから、お姉ちゃんは気づいていないのかもしれませんが、けっこうお姉ちゃんと仲良くなりたいと思っている男の子、多かったんですよ」
 何か、分かるような分からないような。
「あたしが高一の時なんて、初めて家に彼氏を連れてったら、すっかり彼氏がお姉ちゃんに興味をもっちゃって。お姉ちゃんのことばっかり訊いて、私のことだんだん興味ないみたいになっちゃって、その時はさすがにお姉ちゃんに文句言ってやりました。でも、本人はそんな気なかったみたいで、きょとんとしてました」
「それで?」
「けっきょく、すぐにその彼氏とは別れてそれっきりです」
「ふーん」
「凪瀬さんは、お姉ちゃんとどこで出会ったんですか?」
 いったいどこまで話したらいいものか、タカシは少し迷った。リサが妹にどこまで知られてもいいと考えているか、いまいち分からない。だから当たり(さわ)りのなさそうなところを脳内で手探りしながら口に出した。
「五年前、お姉さんが高校を卒業したての頃、近所のスーパーで」
「え、近所のスーパーってスズナリ生鮮市場ですか?どういうシチュエーションですか?」
「お姉さんがそこでアルバイトしてて、たまたま客として行ったんだ」
「そこ親戚のお店で、人手不足だからって頼まれて、休みの間、手伝ったって言ってましたけど、その時に?一目惚れして、連絡先伝えて、交際に発展したってことですか?あのお姉ちゃんが?へえ」
「いや、一目惚れしたのは事実だけど、その時は会っただけで、付き合いはじめたのはつい最近なんだ」
「え、五年越しに思い続けていたんですか?いったいお姉ちゃんのどこがそんなに気にいったんですか?」マコは次第に興味深いという顔つきを強めていく。
「あ、いや、どこが、というか」
「妹の私が言うのも変ですけど、あまり愛想のいい方じゃないですし、あんまりしゃべらないし、何考えているか分からない時もけっこうあるし、彼女としてはかなり扱いづらいと思いますけど」
「うん、何か、会った瞬間から、お姉さんのことが頭から離れなくなったんだ。絶対に必要なひとなんだと思った。時間が経てば経つほど強くそう思ったんだ」
「ふーん」
「マコちゃんは俺たちが付き合うの、イヤかな?」
「何でです?」
「いや大切なお姉さんを奪われるみたいに思わない?」
「そんなこと思う訳ないじゃないですか。そんなに私、お姉ちゃんに依存してないですし、年頃の姉に浮いた話の一つもないのは逆に心配でしたから。少し安心しました」
「そう、良かった」タカシは微笑んだ。精神の奥底にある根本の優しさがにじみ出ているような笑顔だとマコは思った。きっと、この人は誰にでも優しい。困っている人を黙って見過ごすことができないたちの人なのだろう。とても損な生き方をしてしまいそうな人。でも、お姉ちゃんのことをすべて分かった上で受け止めてくれそうな気がする。この人なら安心して姉を任せてもよさそう、と至極、感覚的にではあったが思った。
 そんな会話を二人がしている間に、オーイ、と後方から声が聞こえた。全員が振り返ると玉兎(ぎょくと)がぴょんぴょんと跳ねるように駆けてきていた。
「何だ、まだ何か用か?」タマが少し警戒しつつ訊いた。
「俺も一緒に行く。道案内してやる。感謝しろ」
「どんな魂胆か知らないが、道案内など不要だ。お社に帰れ」とタマが言い、
「そうですね。道のりはもう聞いていますから、けっこうですわ」とヨリモが言う。
 二人はまだ玉兎のことが信用できていない。警戒心が全身からにじみ出ていた。
「お前たち、仲がいいな。さすが誓約(うけい)で生じた者同士だな」
 そう言われて二人はちょっと驚いた。自分たちの出生の経緯は公然の事実ではあったが、特に大々的に広報した訳でもなかったので離れた村の眷属が知っているとは思っていなかった。
「俺がお前たちについていくのは我が神の大御神意(おおみごころ)だ。俺にもどうしようもない。諦めて同行させてくれ」
 タマもヨリモも納得がいかない様子だったが、大御神意と言われると無碍(むげ)(さえぎ)る訳にもいかず、とりあえず同行させるしかないのだろうと思った。
「さあ、お前たちもうすぐ祝森(いわいのもり)に着くぞ。ちょっと近道を通ろう。ついてこい」そう言うと玉兎は左手の小川に掛かる丸太棒を三本束ねて掛けられたちょっとした橋を渡っていった。その先には田んぼの畦道(あぜみち)が真っ直ぐ森に向かって伸びている。
 タマとヨリモは警戒しつつも玉兎についていった。蝸牛(かぎゅう)ものそのそとついていく。タカシも続いて橋に足を掛けたが思ったより不安定に感じたので、すぐ後ろにいたマコに「足元が悪いから」と言いつつ手を差し伸べた。
「ありがとうございます」と言いながらマコがタカシの手に自分の手を添えた。
 二人が橋を渡り切るとその姿をじっと見ていたルイス・バーネットが、自分よりも橋の近くにいたナミを追い越して、橋に足を掛けて手を差し伸べた。「さあ、お手を」と言いながら。
 ナミはその様子に無感情な視線を投げ掛けると、少し空中に浮かんだままスーッと小川を渡っていった。ルイス・バーネットの片手だけが空しく行き場を失っていた。
 ナミは小川を越えても低空で飛び続けていた。そしてふと違和感を感じて畦道と田んぼの間にある側溝に視線を向けた。そこには緩やかに流れる水と一匹の細長い生き物の姿。
 思わず、えっ!と声が漏れた、と同時にナミは空中高く飛び上がった。他のみんなが何事かと振り返り、ナミの視線の先、側溝の中を覗き込んだ。
「なんだ、青大将じゃないか。何を怖がっているんだ?」空を見上げながらタマが言った。ひょいと槍の柄でヨリモがその(へび)を持ち上げた。
「ほら、青大将ですよ。毒は持っていませんから、心配しなくてもいいですよ」そう言いながらナミの方へその蛇を差し出した。蛇は槍の柄で身体をくねらせている。
「いいから、そいつをどこかにやって!こっちに向けないで」ナミが更に空高くに移動しながら言う。
 ヨリモは首を傾げながらも、ブンと音を立てつつ槍を振って先に引っ掛けている蛇を遥か先の田んぼまで投げ飛ばした。その蛇は空中に波線を描きながら飛び、バシャと音を立てて田んぼに張られた泥水に落ちた。
「青大将は毒はないし、人を襲うこともない。ネズミやモグラも食べてくれる益獣なのです。無碍にするのはよろしくない」
 スーッと空中から降りてくるナミに向かって蝸牛がたしなめた。
「そういう問題じゃないのよ」ナミが不機嫌そうに言った。
「まだ蛇が嫌いなままだったんだね」少し困ったような微笑みを浮かべながら言うルイス・バーネットを、キッとナミが睨みつけた。まさに、あなたのせいでしょ、と言わんばかりの視線だった。

 一行が通り過ぎた後、ヨリモの放り投げた蛇が、落ちた田んぼの中で身体を光らせながら、その姿を変えていた。
 すーと、上に伸びながら光が薄くなっていく。そこにはうら若き女性の姿。古代の兵士然とした、薄い鉄板を鱗状(うろこじょう)に連ねた、胸腹部と背中を覆う甲冑(かっちゅう)を着て、長い黒髪を後頭部で束ねている。その全身は泥にまみれていた。その女性は、うつむいて拳を握り、歯を喰いしばりながら独り()ちた。
「ぐぬぬぬぬ、あのチビ女、覚えていなさい。絶対同じ目に遭わせてやるんだから。きいーっ、絶対許さないんだから。兄様に言いつけてやる。妹をこんな目に遭わされて兄様が黙ってないんだからね。くううううう」言いながら憤懣(ふんまん)やる方ないという様子で田んぼを出て、すぐ近くに流れる小川に入り、再び蛇の姿になると下流に向けて泳いでいった。

 一方、タカシたち一行は畔道を抜けると、森に入り、少しの間、木陰の坂道を進んだ。やがて木立の並びが終わり砂利道に出た。両脇に民家が点在している。黒瓦を()いた大きな家も見える。
「あ、お婆ちゃんの家だ」マコが黒瓦の向こう側に見える民家を指さして言った。
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