第十一章四話 洞窟に住まう三老婆

文字数 4,505文字

 他の眷属と離れたマサルは、タカシを背負ったまま御行幸道(みゆきみち)を進んだ。
 次第に、緩やかな上り坂になっていく。周囲には民家が増え、店舗の姿もちらほら見える。その家屋の間をまっすぐに伸びる道の先に石鳥居と、その奥に急斜面にへばりついているような石段が見える。石段の両脇には石灯籠(とうろう)、等間隔に並びそのすべてに火が入っていた。その(あか)りのお蔭で闇夜でも歩行は難なくできた。それに次第に、背に負ったタカシから伝わる温もりをマサルは心地よく感じていた。その温もりによって身体中の疲れがとろけて抜けていくような感覚を抱いていた。
 やはり、この男、ただの民草(たみくさ)ではなさそうだ。そう思っていると参道入り口の鳥居にたどり着いた。マサルは鳥居を潜ると石段に向かわず、すぐに左手に進路を向けた。山の麓を囲むように人一人がやっと通れるくらいの通路が伸びている。しばらくその道を進む。もちろん舗装などされていない道だったので所々ぬかるみが残っていたが、ひょいひょいと跳び越えて進み続ける。薄くなった雲の合間から、ちらほらと星が顔を出している。マサルは益々意気揚々として歩を進めた。やがて進路を山側に向け、更に細い、けもの道のような林の中の通りを進んだ。そして通りの先にある切り立った斜面の前で足を止めた。目の前には斜面をおおうようにつる植物が群生している。その分厚いカーテンのような茂みに手を掛け脇に寄せた。そこには人一人が入れるほどの岩盤の割れ目。中からムワっとお香のにおいが流れ出てくる。
 マサルは、その長年焚かれ続けて内部に染みついた煙のにおいの中に入っていく。すると短い通路の先から声が聞こえた。
「マサル帰ったのかい。我らはこっちにおる。おいで」
 マサルは声のした奥の部屋へと向かった。通路を少し行くと広い空間に出た。ここが(ばあ)たちの生活空間であり、作業場所であった。その部屋には三人の老婆の姿があった。
 一人の老婆は机を前にして椅子に座り粘土のようなものをこねている。朗らかな表情を湛えながらマサルに、お帰り、と声を掛けた。その目は閉じられたままで顔の向きもマサルたちのいる方には向いていない。
 もう一人の老婆はそのかたわらに、低い背を最大限伸ばすように姿勢よく立ってマサルたちを見定めるようにじっとその姿を見つめていた。
 そしてもう一人は部屋の隅でうずくまり、(おび)えたように両手で耳を抑えつけ、身体を小刻みに震わせていた。
「ただいまもどりました。雨がすごかったから心配しましたが、みなさんご無事のようで安心しました」マサルは少し抑えた声で答えた。この洞窟内では大きな声を発するのはご法度なのだ。
 奥でうずくまっていた老婆が耳から手を離し、穏やかな表情を見せた。この老婆の目も閉じられている。
「いや、ここに雨が入り込むことはなかったんじゃが、えらい音やったものじゃから、すっかり耳が怯えてしもうてな。今の今まで使い物にならんかった。被害といえばそれぐらいかの」
 椅子に座った老婆がそう言っている間に、立っている老婆がマサルの背後に歩み寄って、タカシの姿を穴が開くほどに眺めはじめた。その間、マサルは室内を見渡した。クロウ殿が先にここに来ているはずだが姿が見えない。
「熊野神社のクロウ殿は来られませんでしたか?」マサルは奥にうずくまっていた老婆に顔を向けて訊いた。
「おう、さっきまでおったぞ。じゃが、そなたたちが来る前にクソ(じい)に挨拶してくるというて出ていったわ。それでその民草(たみくさ)が、クロウ殿の言っておった者か?一見、何の変哲もないただの民草じゃな。本当にこの者なのか?」
 マサルは、座った老婆にそう訊かれて、タカシを背負ったままこれまでの経緯を説明した。
「ほう、()(しろ)の娘の連れか。我ら眷属の姿を見ることができ、神々と意を通じることもできる。確かに通り一遍の民草ではなさそうだ。しかし、春日明神(かすがみょうじん)に盾突いて気を封じられるとは、なかなか向こう見ずな男じゃな」
「はい。どうやら依り代の娘に関することでは後先考えなくなるようで。まだ命があるだけ不思議なほどに」
「ほう、とにかく目にその男をよく見させ、耳にその男をよく聴かせよう。(こう)の部屋に連れていって寝床に寝かせよ」
 そう言われてマサルは入り口の反対側に空いた穴から更に奥にある部屋に向かって進んだ。そこは部屋中に香のにおいが染みついた小さな部屋、灯りはロウソクが数本立っているだけで薄暗い。壁際にこの部屋を掘削する際にそう形作られたのだろう寝台があった。そこにマサルはタカシを横たえた。背中の暖かさがすっと消えた。マサルは少し軽くなった背中に物足りなさを感じた。そこに目の老婆が、口を開いていた老婆と部屋の隅にうずくまっていた老婆の手を引いて入室してきた。

 ――――――――――

 睦月(むつき)は慌てて右手を剣から放し、タマの身体へと白く伸びている左腕を抑えつけた。すると白い流れはすうっと元の左腕に戻っていった。ただ、手首とヒジの中間辺りから先が欠損していた。
 睦月はただただ驚き困惑した。貰い物とはいえ、こんなに勝手気ままに動くなんて。これからは重々気をつけないといけない。
 ヨリモは、思い掛けない事象に一瞬、呆気(あっけ)に取られていたが、すぐさまタマのかたわらにヒザを着いた。更に悪い状況になってしまったのではないか、心配でたまらない。
 タマ殿、と声を掛けようとした。しかしとどまった。秘鍵(ひけん)が人型になってもそのまま従えている鬼火に、青く照らされているタマの顔にほんのり生気を感じたから。そして大きく目を見開いて秘鍵に視線を向けた。
 秘鍵もタマのかたわらに屈むとそっとその頬に触れた。そして、すぐに上体を起こすと穏やかな声を発した。
「これは、驚きだね。気が回復している。ふむ、きっと睦月殿の腕に宿った宝珠(ほうじゅ)の治癒の力が作用したのだろう」
「おかげで我の腕はこの有り様です。これはいったいどういう訳なんですか」
 欠けた腕を押さえたまま、ちょっと不機嫌そうに睦月が言う。
「眷属の傷を癒す力は宝珠が有する能力です。その腕はそなたに与えられたものですが、同時にその能力も受け継いだようです。大丈夫、その腕はすっかりそなたに馴染(なじ)んでいるようですので、時間を掛ければ元に戻ることでしょう」
 秘鍵の説明を聞きながら、ヨリモは交互に二人の姿に視線を送っていた。訳が分からない。でも、タマ殿は回復したの?もう、大丈夫なの?あの眷属の腕のおかげ?でも、まだタマ殿は目を開かない。まだ足りないんじゃないの?もっとあの腕をタマ殿に与えたらいいんじゃないの?
 ヨリモは急に立ち上がり、駆け出すと瞬時に睦月が落とした剣を拾い上げた。そしてその剣先を睦月にぴたりと向けて構えた。
「何だ、貴様、我に刃を向けるとは、どういうつもりだ。この神鹿隊(しんろくたい)副隊長である我に刃を向けてただで済むと思っているのか?子どもとて容赦はせぬぞ。痛い目に遭いたくなければ剣を下ろせ」
 睦月は、いつも荒くれ女どもに囲まれているせいか、こんな状況にも慣れている。だから落ち着いて、多分に凄味を効かせてヨリモを睨みつけていた。
「お願いします。もうちょっと……」ヨリモも負けじと睦月を睨みつけながら声を出す。
「は?」何を言ってんだこのチビは、と睦月はヨリモを見下ろしながら言う。
「あなたの腕を、もうちょっとください。タマ殿に……」
「はあ?いやいやいや、嫌だ」
「じゃ、問答無用です」目が()わっている。本気で言っているようにしか見えない。
「何だ貴様は、無茶苦茶だ」
 そんな二人の間に秘鍵が割って入った。
「ヨリモ殿、待ちなさい。タマはもう回復した。まだ目を覚ますまでには時間が掛かるが、この状態ならもう、消滅することもないだろう。それにこれ以上、欠けたら睦月殿の腕が回復できぬかもしれん。だからここは剣を置きなさい。もう、タマは、大丈夫だから」
 そう言われてヨリモは少し迷った末に、屈みながら足元に剣を置いた。何だ、貴様は、と言いつつヨリモから視線を外さないようにして睦月は自分の剣を拾い上げた。
「紹介が遅れましたね。睦月殿、こちらは八幡宮のヨリモ殿。ヨリモ殿、こちらは春日神社の睦月殿ですよ」
 睦月は、これまでヨリモとは会ったことがない。神議(かむはか)りの時にいたのかもしれないが、言葉を交わしたこともなければその存在を意識したこともない。だから初対面と言って差し支えなかったが、初印象が悪過ぎて、そのままじっと睨みつけたままだった。
 ヨリモは、自分が思わず取り乱してしまったことが急に恥ずかしくなってきた。同時に、睦月への申し訳なさがにじみ出てきた。だから、大変失礼しました。初めまして、八幡宮の眷属、ヨリモです、とうつむいて呟くように言った。
 睦月としては秘鍵がいるので怒鳴り散らす訳にもいかず、そのまま苦虫を噛み潰したような顔つきをしていた。ヨリモは居心地の悪さを払拭(ふっしょく)しようと話を変えた。
「……そういえば、秘鍵殿はなぜここに?このような雨後の、闇夜に、我が村に」
 秘鍵はなるべく場を和ませようと微笑みながら答えた。
八幡大神様(はちまんおおかみさま)に用があってこちらに参っていたのだが途中、そなたの助けを求める声が聞こえたので駆けつけたのだよ」
「私の声が?秘鍵殿に?」ヨリモは確かに助けを求めた。しかし、それは心中で叫んだに過ぎず、声に出した訳ではない。だから心当たりがなくてただ、きょとんとしていた。
「ああ、そなたの声が磁場を伝わって聞こえてきたのだよ」
「磁場とはなんでしょう?私はそんなことした覚えはないのですが。それに私は八幡大神様の眷属。その声がなぜ秘鍵殿に伝わったのでしょう」
「磁場とはこの大地の気の流れのようなものだ。我ら稲荷の眷属はみな磁場を感じることができる。そなたはもともと稲荷大明神様の身にまとっていた御神宝(ごしんぽう)であった。それを誓約(うけい)の時に八幡大神様にお渡しになられ、そして互いに眷属を生み出され、そなたは八幡大神様の眷属となった。しかし、身に着けるもの、身を飾るものには魂が宿りやすいのだ。そなたの元は勾玉(まがたま)だ。特に魂が宿りやすい形なのだよ。だからそなたの根本の部分、芯となる部分は稲荷の大神様と繋がり、ひいては我ら眷属とも繋がっておるのだろうね。だから声が伝わったのだろう」
「???」
「まあ、これは感覚の問題だから、言葉で説明するのは難しいかな。さあ、それではタマを八幡大神様のもとに連れて行こう」そう言いながら秘鍵は伏し目がちになった。「きっと、八幡大神様もタマがこのような状態であることを察して、心配していることだろう。一刻も早くご安心いただかなくてはならない」
「ええ、そうですわね」そう言いながらヨリモは安堵の息を漏らした。秘鍵殿が一緒ならこれからの道中、迷うこともないだろうし、安心この上ない。きっとタマ殿も助かるに違いない。今まで心を包んでいた闇が一気に希望の光に払われ消え去った気がした。そんなヨリモの耳朶(じだ)に秘鍵の諭すような声。
「ヨリモ殿、そなたはすぐに我が稲荷村に向かわれよ」
 ……え?一瞬、ヨリモは何を言われているのか分からなかった。私が稲荷村に行く?どうして?こんなタマ殿と離れて?
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