第二章四話 フクが減っていく

文字数 4,966文字

 タマとヨリモの言い争いは、それからもしばらく続いた。
 話すことに夢中になって歩みが遅々として進まない。たまに立ち止まって舌端(ぜったん)火を吐く勢いで言い立て合う。仕える神の御神徳(ごしんとく)自慢から仲間たちの能力自慢、そんなネタが尽きると次第におらが村自慢がはじまった。
 行政区域で言うと、この郷の村々はとっくの昔に隣接する市に編入されていた。今となってはかろうじて字名として各村名が残っているだけだった。しかし、彼らにとってはそんな人間が勝手に決めた区域などどうでもよく、いまだに自分の村はひとつの独立した村のままだった。
 ヨリモは稲荷村にはない役所の出張所や小学校などが存在する事実を次々に列挙していく。やはり豊かで栄えている土地に民草(たみくさ)は集まってくるのですわ、と鷹揚(おうよう)な態度で言い放つ。一方、タマも稲荷村から美和村に向かって流れているこの郷唯一の河川である臥龍川(がりゅうがわ)、そしてその恩恵により発達した稲作、畑作、また、その流れの源流を生み出している、稜線長々と空に描きし山々から伐り出した木材による林業のかつての栄華をことさらに言い募っていた。
 その二人の話を聞いていると郷北部の成り立ちや現状などおおよそ分かるような気がしたが、遅々として進まない足取りにタカシは次第に焦燥感を抱きはじめていた。こうしている時間が惜しい。東野村(とうのむら)まであとどのくらいの時間が掛かるのかはっきりとしないが、日が暮れるまでには到着したいと思っていた。
「なあ、お話し中、申し訳ないんだけど、先を急がないか?」
 黙っているといつまで経っても終わらない。思わず口を開いた。
「そんなことは後でいいだろ。こっちは今、大事な話をしているのだ」
「そうですわ。この際、はっきりさせないといけません」
 タカシにとっては二人の話す内容の方がどうでもいいことだったが、さすがにそうは言えず、ただ、もう付き合いきれないという風に、「分かったよ。じゃ俺は急いでいるから先に行くよ」と言ってさっさと先に歩き出した。
 眷属二人はその後を追わない訳にいかなかった。何せ仕える至高の存在からその男と行動をともにするように命ぜられていたのだ。はぐれてしまえば、命令に背くことになってしまう。
 二人はぶつぶつと言い合いながらも彼の後についていった。
 まったくこの二人は仲が良いのか、悪いのか、と思いながらタカシは二人が離れずについてきてくれることに少し安堵を感じていた。
 それから少しの間、タカシが先頭を行ったが、すぐに禍い者が現れて足止めを喰らった。代わりにタマが進み出て、それー、と言いつつその禍い者を退治して、そのまま先頭を進んだ。
 そのすぐ後ろをヨリモがついていったが、冷静になると、つい先ほどまで興奮気味に話していた自分が急に恥ずかしくなって、ただ押し黙って歩いていた。結局、タカシはまた最後尾を歩くことになった。禍い者に対抗する術のない自分にとっては仕方がないことであったが、他人に頼ってばかりの自分にやるかたない思いがにじんでくる。
 それから一行は休むことなく()むことなく先を急いだ。たまにタマが、あの建物は何だ?とか、天神村まではあとどのくらいだ?とか、あの家は大きいな、金持ちが住んでいるのか?とか、振り返りつつ楽し気にヨリモに訊いたが、彼女はただ、あれは農産物の倉庫です、とか、あと一刻ほどで村境に着きます、とか、あの家は庄屋さんの末裔(まつえい)が住んでいる家です、とかいう風に、ごく短く答えるばかりだった。ふーん、と言うタマは初めての旅路に興奮をいまだ隠せないようだったが、空気はのんびりとした落ち着いたものになっていた。
 タカシはそんな二人をただ、ぼうっと眺めながら進んでいた。御行幸道(みゆきみち)に入ってから、心なしか人道を進んでいる時よりも暑気は抑えられている気がしたが、それでも日なたは苦しいほどに暑い。前を行く二人はさほど気にしていないようだったが、彼はなるべく木陰を渡り歩くように進んでいた。そんな最中、右手に熱を感じた。ふと見るとその場所に陽があたり光っているように見えた。
 あれ?違和感を抱いた。彼の着ていた服は、前にいた世界で、リサに会いたい一心で燃え盛る業火に飛び込み、着ていた服も身体も燃やされた際に、彼を優しく包み癒してくれたリサの力の一部が残ったものだった。それは先ほどまで長袖(ながそで)長ズボンの形で残っていた。それが気づくと(すそ)はまだくるぶしまで残っていたが、(そで)が七分ほどにまで減っているのだった。よく見るとどことなく色も薄くなっているような気もする。
 その服は、全身を覆っており、ある程度、厚みもあった。しかし、羽毛をまとっているような感覚で、ほとんど重さはなく、熱が籠ることもなく、袖や裾が長くても逆に陽射しから身体を守ってくれているように感じられていた。その服が次第に薄く減っている……。このまま減っていったら……これはまずい。タカシは倫理的にそう思った。
 そんなタカシの困惑の様子に、ふと気づいてヨリモが振り返った。
「どうかされましたか?」
 少女に問われて少し言いづらかったが、隠してもしょうがないのでタカシは答えた。
「いや、服が、減っているんだ」
「減ってる?ごめんなさい。状況がよく分からなくて」怪訝そうな表情を浮かべながら少女が言う。確かに説明なしでは分かりづらいだろう。
「これは普通の服じゃないんだ。説明は難しいけど、段々、袖が短くなって、色が薄くなっているようなんだ」
変化(へんげ)しなおしたらいいんじゃないか?」
 気づけばタマがヨリモの傍らに並び立っていた。
民草(たみくさ)の服は私たちのように変化では変わりませんわ」
「え、そうなのか?」と驚くタマの様子にタカシも少し驚いた。
「君たちの服は変身することで変わるのかい?」
「ええ、私たちは自分の仕える大神様からお許しを得た装束(しょうぞく)を、変化する時に、身に着けることができるんです」
「こんな風にな」と言うが早いかタマの身体が白く輝いた。それまでタマは烏帽子(えぼし)を被り、白衣に浅黄色(あさぎいろ)(はかま)を着け、その上に朱色の狩衣(かりぎぬ)をまとっていたが、白い光がやむと狩衣の色が鮮やかな水色に変わっていた。
「我は(かんむり)を被った正服と色違いの狩衣が数着しかまだお許しを得てないが、もっと違う装束に変えられる者たちもいる」
 タカシは素直に驚いた。まるで一流マジシャンの芸でも観ている気分。
「とにかく、服がなくなってしまっては大変です。言われてみれば先ほどより色が薄くなっているようです。どうにかしなくては」
 ヨリモが少し顔を赤らめながらぼそぼそと言う。タカシは少し申し訳ない気がした。
「それなら、人道に移ってそこらの民家で服を調達するしかないよな」
「そうですね。仕方ないですわ」
 二人の会話に、タカシは先を急ぎたい気持ちを抱きつつも、事が事だけにそのままにしておく訳にもいかず、二人の提案に従うことにした。

 人道に移るとどんと暑さが高まった。
「何か、気温と湿度が違うな。御行幸道(みゆきみち)は冷房でも入っていたのか?」
 うだるような暑さに思わず前傾姿勢になりつつ愚痴が口を()いて出た。
「そんなものはない。ただ、御行幸道は清浄さを旨としている。大神様のお力で常に清々しい空気に満たされているから涼しく感じるのだろう」とタマがこともなげに言う。前を行く二人は先ほどとあまり違いがない。背筋を伸ばしてシャキシャキと歩いている。二人ともかなり暑苦しい身なりをしているのだが、どうやらあまり熱を感じていないようだ。
「二人ともそんな格好しているのに暑くないのか?」
「暑くない訳ではありませんが、民草ほどには影響がないようですわね。寒暑で行動に支障が出るということはありません」涼しい顔をしてヨリモが言う。
「へえ、そうなんだ、(うらや)ましいな」心底からそう思った。
 田んぼの間を道は通っている。日陰はない。道の先に少し木立(こだち)が並んでいてそこに何軒かの民家が見える。早くそこに辿り着かなくては倒れてしまう。重くなった足を必死の思いで前に運んでいく。気づくと袖がヒジの辺りまで短くなっていた。早くしなくては……
 やっとの思いで日陰に入った。木立の合間々々に民家が点在している。ここまで見てきた範囲でも、ここら辺には服を売っているような店はないようだ。ということは、ここらの民家で調達するしかない。しかし、どうやって?と考えていると、ヨリモが右側前方に建つ一軒の家を指さした。
「あちらの山本さんのお宅で服を調達しましょう。奥様お一人のお住まいですが、昨年御主人を亡くされています。まだ、その服が残っているかもしれません」
「詳しいね。山本さんって知り合いなのかい?」
「この村の民草のことはみな、把握してます。眷属として当然のことです」
「そうなんだ。それで調達って、どうするんだ?」
「我に衣を供えよ、と言えばいいんじゃないか?」こともなげにタマが言う。
「いや、俺、何様だよ。人は人にお供えなんてしないんだよ」
「じゃ、素直に服をください、と言うしかありませんね」とヨリモが言う。
「まあ、何軒か民家があるから、ダメもとですべてのお宅で訊いてみようか」
「え?今、お家におられるのは山本さんだけですよ。平野さんのお宅も久保田さんのお宅ももう空家になってしまいましたし、松村さんのお宅は夫婦揃って街に出稼ぎに行かれてます。大野さんは今、娘さんの所に旅行に行かれてますし、吉田さんは施設に入ってもう長いですし……」
「ああ、そう」こういった人家の少ない土地に住んだことがないタカシにとっては、人の少ない不便さを痛感した気分だった。どうにか服がもらえればいいのだけど。
「大丈夫だって、我らがついている」そうタマに言われても見た目が少年少女の二人が頼りになるのかどうか疑わしい気持ちが先に立った。まあ、とりあえず訊いてみるだけ訊いてみよう。そう思ってタカシは山本さんの家に向かった。二人の眷属がその後ろに続いた。
「君たちのその格好はちょっと目立ちすぎじゃないか。ついてきて大丈夫だろうか」ふと思い至って訊いた。
「大丈夫だ。普通の民草には我らの姿は見えぬ」
「そうです。あなたがごく稀な存在なのですよ」
 そう言われても実感がないが、そのまま土塀に囲まれた敷地に入る。すぐ奥に平屋の瓦葺(かわらぶ)きの家がある。横に前面の壁がない建物もあり、軽トラックと山と積まれた雑多な器具が見えた。玄関前に辿り着くと引き戸は開け放たれていた。扉の横に呼び鈴もあるが、迷った末に直接奥に声を掛けた。
「すいません」しばらく待っても応答がないので、更に声を大きくして発した。すると、奥の方から、はいはい、と声が聞こえ、もぞもぞと人の動く音も聞こえた。しばらくその場で待つ。玄関は広く、上がりかまちから板敷きの廊下が正面と左に伸びていた。
「どなたさん?」という声につづいて左側の廊下から腰の曲がった老婆が姿を現した。薄い野良着を着ていたがあまり暑さを感じていないのか汗一つかいていない。
「あの、すいません……」タカシは言い淀んだ。急に、自分がしようとしている行為を恥ずかしく感じてしまった。何か物乞(ものご)いのように思える。
「どちらさん?」老婆が今一度言った。タカシはちょっと振り返りタマとヨリモに視線を向けた。タマが、用件を言え、というように(あご)で老婆を指し、ヨリモは、頑張って、というように一度(うなづ)いた。タカシは事ここに至ってはもう仕方がないと覚悟を決めて話しはじめた。
「すいません。実は今、私が着ている服がほつれはじめていて、もうすぐ着ていられなくなりそうなんです。どこかお店でもあれば良かったんですけど、見当たらなくて。何か、私が着れるような服をいただけませんでしょうか。とても不躾(ぶしつけ)なお願いとは思ったのですが……」
「はあ、それは難儀(なんぎ)なことで……」老婆はただ怪訝(けげん)そうな表情を浮かべていた。これからどう対応したものだろうかと苦慮しているようにも見える。確かに、全身真っ白い服を着た、初めて見る若い男が一人でやってきて服をくれ、と言っているのである。あまりひとを疑わない人でも怪しいと思うだろう。予想はしていたが、実際、お婆さんの困った顔を見ると迷惑を掛けている実感が湧いてきた。これは早々に退散した方が良い。でも、このままでは遠くない未来、自分は一糸まとわぬ姿になってしまう。さて、困った。どうしたものか……
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