第三章二話 罠に落ちる

文字数 3,598文字

「先ほどは失礼いたしました。事を荒立てるつもりはなかったのですが……我が大神様の大御神意(おおみごころ)をないがしろにするような言に、つい……」 
 林の中の長い道のりを、周囲を警戒しつつ進んでいく中で、少しずつ冷静になってみるとヨリモは先ほどの自分の行動を反省しきりな気分になっていた。常に冷静さを保つように心掛けてはいたが相手から敵対姿勢を見せられるとつい頭に血が上ってしまう。これは自分がまだ幼い所為(せい)であろう、こんなことではいつまで経っても一人前の眷属にはなれない、と毎度のこと冷静になってから反省するのだった。
「もう、済んだことだし、我もここの眷属たちのひとの話を聞かぬ態度にはカチンときた。我とて一緒に打ちのめしたのだし、謝る必要などない。我らには総社の神の勅命がある。どうどうと行けばいいだけだろう」
 タマがヨリモの横に並び立った。悪びれる様子は微塵もない。
「そうですね」ヨリモはタマに視線を向けた。柔らかい眼差(まなざ)しだった。
 この村の眷属たちの敵対姿勢にこちらも応じた。向こうとしては今後、総動員で対応してくることだろう。途中で待ち伏せされているかとも思ったが、ここまでは無事に通過することができた。もう村の半ばほどに達する。この林をもう少し行けばこの村に鎮座する天満宮の境内地(けいだいち)が見えてくるするはずだった。特にそこの祭神に謁見する必要はなかったが、その氏子区域を通過するからには挨拶の一つも必要だろう、とタマもヨリモも思っていた。ただ、すんなりと境内地に足を踏み入れることができるのかどうか、待ち伏せがないとすると境内地の周りに眷属たちが集合しているかもしれない。自分たちが他の眷属に比べて優れているといっても数が多ければ対応しきれないかもしれない。それだけが心配だった。もちろんのこと、更に事を荒立てたくはない。
 道は緩やかに右に左に曲がりつつ奥へと伸びている。その途中、ある地点から周囲の植生がガラリと変わり竹林の中を彼らは進むことになった。その緑色に染まった空間の中に、かなり前から一人の眷属の姿が認められた。遠目にもかなり大きな身体に見える。烏帽子(えぼし)狩衣(かりぎぬ)姿で、手に大きな弓を持ったまま微動だにしない。その前には竹が何本も倒れていて道を(ふさ)いでいる。あそこで自分たちの通行を(さえぎ)ろうというのだろうか。しかし他に眷属の姿は見えないし、その気配もない。一行は警戒しつつも脇道のないその道を進んでいった。
「私はこの郷の総社、八幡宮(はちまんぐう)が眷属です。我ら一行、この恵那郷(えなごう)の往来は八幡大神様の命によるもの。道を開けなさい。開けないなら力尽くでも押し通ります」
 ある程度、近づいた所で立ち止まりヨリモが声を上げた。その声は澄み切った林の大気を震わせながら目の前の大男に達した。しかし返答がないまま少しの間が空いた。風が竹の枝葉を揺らす音だけが辺りに響いている。と、唐突に大男が口を開いた。
「これより先に行ってはいけない。引き返せ」野太い声。しかし威嚇するような声ではない。ただ淡々と発せられた声に聞こえた。
「そういう訳にはいかない。天神様にはこれから拝謁し、ちゃんと事情をご説明申し上げる。だからここを通せ」そうタマが言い放つ声が達した後もまた少しの間が空いた。そしてまた大男が口を開いた。
「この先、仲間たちが大挙して待ち受けている。このまま行けば双方怪我人が出るだろう。だから通せない。我が戻らないと、こちらにも仲間が来るだろう。傷つかないうちに引き返せ」
 大きい身体に似つかわしくないボソボソと聞こえる声。どことなく、自分たちとは争いたくない気持ちが表れているような。
「そっちこそ、怪我をしないうちに我々を通した方がよいぞ。悪いことは言わぬ。そこをどけ」
 また間が空く。タマもヨリモもだんだん()れてきた。
「それはできない。仲間のために」
「それなら、問答無用です」先ほどの反省の甲斐もなく、ヨリモが走り出した。
 ちょっと待て、とタマが言いながら後を追う。先ほど仲間たちが瞬時に退散させられたことも聞いているだろうに、いくら身体が大きいといっても、たった一人。何か裏がありそうな気がする。しかし追いつかないうちにヨリモは竹の柵まで到達し、一気に飛び越えた。そして着地と同時に大男に向けて槍を突き出そうとしたその矢先、足元が崩れてすぐ後ろで同じように竹の柵を飛び越えていたタマとともに大きな穴に落ちていった。タカシたちがあっと言う間に大男は背後の大岩を持ち上げ、そのまま落とし穴の上にズシンと大地を震わせながら投げ落とし、穴を塞いだ。つづいて大男は傍らに置いていた弓を手にし、(えびら)から矢を抜くと弓につがえて、強く引き絞った。するとすぐにビュンという鋭く重い切り裂き音が鳴り響き、タカシたちの頭上を越えて、背後の大木に激しく音を立てながら矢が突き刺さった。
「次は狙って撃つ。無駄に死ぬな。引き返せ」次の矢を弓につがえながら大男が警告した。
 ルイス・バーネットはその大男の一連の無駄のない、流れるような動きをタカシとともにただ眺めていた。霊体である彼にしてみれば矢が刺さったとしても死ぬことはない。そのため恐怖心はなかったが、もし矢がタカシに当たればどうなるか分からない。意識が消滅して、現実世界のタカシも目覚めることができなくなってしまうかもしれない。それは、まずい、とても。ということで、彼は大男が再び弓を引いた時点で命じた。
「動くな」
 次の瞬間、身体がピクリとも動かなくなった。蝸牛(かぎゅう)は戸惑った。眼球さえ動いてくれない。何が起きた?何をされた?すぐに右腕が悲鳴を上げはじめた。(つる)を離そうにも指が動かない。限界がもうすぐやってくる。
 (まばた)きもできない視界の中、黒い洋服に身を包んだ男がゆっくりとこっちへ近づいてくる。そしてひょいと竹の柵の上に上がり、大岩の脇を通り、彼の前に立つと弓に手のひらを当て、横に向かせた。
「動け」
 ルイス・バーネットの一言が発せられた瞬間、蝸牛の右手指が開いて、コーンと甲高い音を響かせて矢が横にあった木に突き刺さった。
「君の力がとても強いのはよく分かったよ。だけど僕たちも急いでここを通らないといけなくてね。もちろん極力、平穏に、平和裏にね。君たちがどうしても争うというのなら残念ではあるが、仕方がない。しかし見ての通り僕たちはけっこう強い。君の仲間たちにもたくさん怪我人が出るだろう。それでもいいのかな。ここは協力する方がお互いのためになると思うのだが、どうだろう」
 また少しの間が空いた。
 これはもしかして言霊?言霊を使役できる者など神様以外に聞いたことがない。それならこの男は神様なのだろうか?どちらにしても自分など到底敵わぬ相手でしかないのだろう。その少しの間に蝸牛は戦意をすっかり喪失していた。
「分かりました。もう抵抗はいたしません。あなた方に従います」
「聞き分けが良くて助かるよ。じゃ、まずその大岩をどかして生き埋めにした仲間たちを出してくれないかな」
 にこやかな表情で朗らかに発せられたルイス・バーネットの声に従って、大弓を地に置いた蝸牛はゆっくりと大岩を持ち上げ、道横の林へ放り投げた。
「大丈夫かい?もう心配ないから出ておいで」穴の中を覗き込んでそう言うルイス・バーネットの声に、タマもヨリモも飛び上がって地表に手を掛け、穴から這い出てきた。ルイス・バーネットが、槍を手にしている分、動きづらそうなヨリモに手を貸していた。
「我を罠にはめるとはいい度胸してるじゃないか」地上に戻ったタマが蝸牛を睨みつけていた。
「本当です。この大切な槍が折れたらいったいどうしてくれるんですか」ヨリモも冷たい視線を蝸牛に向けていた。蝸牛は自分の足元に視線を向けてただじっと立っていた。
「まあまあ、彼も反省しているみたいだし、こうして君たちを出してくれたし、もう許してあげようよ。これからは僕たちに協力してくれるって言っているし」
「こんな奴を信用するのか?我はこんな(やから)と行動をともにするなどまっぴらごめんだ」タマが言う。ヨリモはそこまでは言わないが、その不満そうな表情からは、その意見に同調しているように見える。
「俺たちは隣の東野村(とうのむら)に行きたいんだ。なるべく急いで。だから協力してほしい。どうしたら東野村に早くいけるかな」
 蝸牛に向かって、タカシがタマやヨリモの背後から声を掛けた。少し間が空いた。
「それには、やはり我が大神様のお許しをいただくことが先決です。我が仲間たちは持久力に関しては他の社の眷属を凌駕します。相手が強いとなると、まず間違いなく持久戦に持ち込もうとするので、このまま力尽くで通ろうとしても時間が掛かるばかりです」
「じゃ、君の仕える神様の所に案内してくれないか。ちゃんと説明させてもらうから」
 少しの間が空いた。
「分かりました。こちらへどうぞ」
 蝸牛が答えて大弓を手にして先導をはじめた。
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