第十一章八話 不協和音

文字数 4,881文字

 その頃、恵那彦命(えなひこのみこと)は、倒れていた。
 東野村(とうのむら)の自らの鎮まる(やしろ)の跡地で動けなくなっていた。
 数時間前、恵那彦命は突然、村に襲来してきた民草(たみくさ)の女や(まが)い者の群れと争い、少々その力を消耗していた。そこで、少し社で力の回復を図ろう、と思って戻ってみると社殿が見るも無残な姿になっていた。誰のしわざか確かめなくても分かる。こんなことするのは……。そんなことを思っていると急に篠突(しのつ)く雨が降り出し、やがて巨大な禍い者まで降ってきた。どうやら境内(けいだい)の結界も弱まっていたようで、禍い者たちは遠慮なく境内にも降り注ぎ、集まってくる。恵那彦命は急いで上空に向かって強く息を吹き掛け突風を起こすと雨雲の一部を吹き飛ばし、雨の威力を削ぎ落した。更につむじ風を起こして周囲にいる禍い者を吹き飛ばし、切り刻み、その大半を退けた。加えて境内に改めて結界を張った。結界を張ることもかなりの力を消耗するが、それよりも少しの間、集中して力の回復を行える環境を手にしようと思ってのことだった。そして結界を張り終えた頃、急に招聘(しょうへい)された。
 普段なら()(まつ)られたとしても、それほどの分御霊(わけみたま)を割く訳ではないので、心配する必要はなかったが、今回は春日(かすが)の大神による降神(こうしん)の儀だった。通常とは比べものにならない、ある意味、強制的に大量の御霊を呼び寄せる儀式。これはちょっとまずいかも、と思っていると急にごっそり御霊が抜け、招ぎ奉られていった。予想の遥か上、いくら春日の大神による儀だとしてもこれほど強力なはずは……。その時、恵那彦命の脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。そうか、あの娘が()(しろ)となったからか。やはり、依り代としてこれ以上ないほどの適正があったのだな。そして恵那彦命は倒れた。力がもうほんの少ししか残っていない気がする。ぴくりとも動けない。こうして倒れたまま力が回復する時を待つしかないのだろう。結界を張り直していてよかった。ああ、こんな時、マガやうさぎがいればなあ。あいつら大丈夫だろうか。マガはきちんと言いつけを守って大人しくしているだろうか……無理かな。うさぎに会いたいな。我が一緒に行きたかったな……

 ――――――――――

 リサが発した心からの叫び声が辺りに響き渡った途端、頭上に渦巻いていた神々の気の動きが止まった。何か場にそぐわない、不適切なことをした空気が漂っている。何だ、いきなり、邪魔をするな、そこでおとなしくしておれ、そんなことを暗に言われている気がする。少なくとも、叫び声を上げたことに対して快く思われていない、それだけは分かる雰囲気。
 しかし、そんなことに怖気(おじけ)づく訳には行かない。あなたたちは私の中にいて、私の身体を使って、私の妹を傷つけようとしている。見過ごせるはずがない。
 マコはと見ると、荒れ果てた春日神社の境内地に(ひざ)を着いてがっくりとうつむいている。全身が小刻みに震えている。どうにか身体を動かしたいが、消耗が激しくてそれも適わないようだった。雷が直撃したのだ。そのまま絶命していても不思議ではない。しかし上体は起きたままだった。まだ動く意思はあるようだった。リサとしては少し安心したが、ほっとけば神々はまた雷を放つだろう。それはどんなことがあっても阻止しないといけない。再び雷に打たれたら、流石にマコは助からないだろう。
「お願いします。マコを助けて。これ以上、マコを傷つけないで」
 そのリサの声に、頭上が一斉にざわついた。また、ボソボソボソボソと話し声が聞こえる。言葉の羅列が幾重にも降り注いでくる。しかし、その内容がいまいち分からない。抑揚の少ない、感情の籠っていない、どこか冷たく感じられる声。声量が小さい訳でも、特にくぐもった声でもないけれどその内容が頭に入ってこない。なぜだろう?
 ボソボソボソボソ……言葉の一つひとつが、雨粒のように無個性にただ降ってくるばかり。何を言っているの?ねえ、分かるように言って。
 そんな思いと反して、頭上の話し声は次第にやみ、ふと身体が動き出した。ゆっくりマコに向かって歩き出し、そして黒く漂う雲を見上げた。
「やめてー!」
 またリサは頭の中で叫んだ。きっと神々はまた雷を放つつもりだ。マコはまだ動けないでいる。このまま好き勝手にさせてはいけない。どうにか話を聞いてもらわないと。
 また話し声が降ってくる。さっきより少し音量が大きくなった気がする。でも、その内容は分からないまま。
 まだ、視線は雲を見ている。雲の中に稲光が走っている。何本も、闇夜を切り裂くように。まだ、やめてくれないの。どうしてやめてくれないの。なぜ、私のことを無視するの……。ふとリサは気づいた。なぜ、神々の話す内容が分からないのか、分かった気がした。
 神々の気は私に向いていない。私に対して話していない。神々は自分たちで話し合っている。そこに私はいない。入っていけない。私は疎外されている。だから、何を話しているのか分からないのだろう。
 思い出した。休憩時間の教室、すぐ近くで数人の女の子が話している。周囲のことなどお構いなく騒がしく話している。私にはその声は届かない。だって、誰も私に顔を向けていないから。すぐそこにいるのに、誰も私の存在に気づいていないかのように振る舞っている。そんな人たちの話はもちろん私には関係のない話。もし私のことを話していたとしても、きっと聞くだけ無駄な話。私には関係のない私の話でしかない。私に向けられていないその声は、私には届かない。どんなに聞こえていても。どんなに酷いことを言われていたとしても。
 ――娘……聞こえるか?我は恵那彦命。東野村の産土神(うぶすなのかみ)、そなたの一族の氏神(うじがみ)である。聞こえるなら答えよ。
 急に分かる言葉が聞こえてリサは慌てた。この声を発している神様は私の方を見てくれているようだ。
「はい、聞こえます」
 ――そうか、良かった。どうやらそなたと意思疎通できるのは我だけのようだ。
「そうなんですか」
 ――ああ、実際、先ほどからの神々の声、そなたには届いていないのだろう?
「ええ、ボソボソって聞こえるばかりで、何を言っているのか分かりませんでした」
 ――ふむ、まあ、他の神々にとってはそなたの存在は不要なもの。この神々が集う場所に相応(ふさわ)しくない、と思われている。だから無視をしている。更には、声を上げたそなたのことを邪魔者と見なして疎外しようとしている。だから、そなたに分からぬように、そなたをどう除くか話し合っている。しかし、我は氏神としてそなたを見捨てられない。そなたと正対し、そなたの話を聴く。そして、そなたがここに居座れるように教導するつもりだ。
「ちょっと待ってください。居座るって、邪魔者って、ここは私の頭の中じゃないですか。私は身体を少しの間、貸しただけ、それだけです」
 ――娘よ。それは無理というものだ。
「えっ?」
 ――もうこの身体は神々の分御霊の器である()(しろ)となっている。もう、事が終わるまで大人しく待つしかないんだ。
「ど、どうするつもりなんですか、これから私の身体を使って何をするつもりなんですか?」
 ――目の前の、災厄の依り代となっている娘を倒し、新たに結界を張って災厄を再び封じ込める。
「マコは死ぬんですか?助からないんですか」
 ――恐らく。
「そんな、マコを助けてください。妹を助けて」
 ――娘、分かっておくれ。そなたの妹を倒さねば結界を張ることもできぬ。この郷のため、ひいてはこの国のため、分かっておくれ。
「マコを乗っ取ったひとの目的はなんですか。それを叶えてあげればマコは解放されるかも」
 ――そなたの妹、というより災厄の目的は、恐らくそなただろう。
「え、私?」
 ――ああ、災厄の肉体は朽ち果てておる。あやつは身体がなければこの地を離れることができない。だから自らの御霊のすべてを受け入れられるような身体、完全なる器となれる依り代の民を求めているのだ。
「じゃあ、私、災厄の依り代になります。それでマコが助かるのなら……」
 ――それはダメだ。そなたが災厄に憑依されぬように我らがこうしてここにおる。もし、あやつがそなたに憑依したら、戦乱が起き、この国は荒れ、多くの民草(たみくさ)が命を失ってしまう。そうならないように我らはこうしてここにとどまっているのだ。
「それなら、お願いです。みなさん、出て行ってください」
 ――は?何を言う?
「私はマコの身代わりになります。みなさんがいるとそれが適わないなら、せっかく来てもらって悪いんですけど、すみません、帰ってください」
 ――災厄を鎮める。それが我らの使命。そのためには他の何事にも頓着しない。そなたのそんな願いなど誰も聞いてはくれない。我らがここを出るのは災厄を完全に鎮め切ってからだ。
「何か、方法はないんですか。マコを助ける方法。みなさんに出て行ってもらう方法」
 ――……
「お願いします。どうか教えてください。私はこの郷のことも、この国のこともよく分からないし、私なんかが何かの役に立てるとも思えません。でも、妹を助けることができるなら、こんな私でも助けることができるのなら、そうしたい。皆さんの期待を裏切ったとしても、マコは私の家族だから、助けたいんです……」
 その時、突然、どんっと重厚な声が頭上から降ってきた。あまりに突然だったこともあり、その声の質もあり、リサの意識は一瞬、縮み上がった。
 ――娘よ。そなたの覚悟、殊勝である。我れは八幡(はちまん)の大神。民草の願いを叶える神である。我れの名を称え、我れに願え。さすれば我れ、(よみ)してそなたの願いを叶えるだろう。
 突然、降ってきた総社(そうしゃ)の神の言葉に、リサはもちろん他の神々も驚嘆したようで、一瞬にしてリサの脳裏は神々のけたたましい声の羅列に埋められた。その中で唯一、恵那彦命の声だけが言葉として認識できた。
 ――八幡様、何を仰っておられるのですか?それはいったいどういう意味で?どうなされるおつもりで?
 ――我れは、この依り代の娘を災厄に渡そうと思う。
 一瞬、脳裏にあふれていた声の洪水が治まった。しかし、すぐに先ほどよりも更に大量な、認識できない言葉たちが降り注いできた。それはリサには、まさに不協和音に聞こえた。そんな不快な言葉たちを掻き分けて八幡神が続ける。
 ――(くさび)が消えた今、再び結界を張ったところで、災厄はそれを破ろうとするだろう。その度に我らは力を使って対抗せねばならない。結界が傷めばその度に張り直さねばならない。そんなことを繰り返していては、村々は荒れるばかり、民草も多大な害を(こうむ)るだろう。我れは総社の神として、この郷を守らねばならない。よって、この娘を災厄の神に譲り渡す。それにより災厄の荒御魂(あらみたま)を鎮め、この郷に災い成さぬようにしたいと思う。これは熊野の眷属の卜占(うらない)によるところ。当然、熊野の神は存じておるし、春日(かすが)の神も承知しておること。我は総社の神としてみなに命ずる。この依り代の娘を災厄に譲れ。各々鎮まる社に戻り、次の命を待て。後は我ら八幡宮と熊野神社の者らで(たご)うことなく、(あやま)つことなく、この郷を平穏に導いてまいる。
 長い長い沈黙。重苦しい粛然とした空気にリサは何も言えず、ただ状況の進展を待った。
 視線はマコに向いている。妹の身体は少しずつ動きはじめていた。でも、まだ充分、回復していないようで、立ち上がることさえおぼつかない。
 視界の端、神々の力により造られた大地の割れ目の近くで二人の眷属が座り込んでいるのが見える。あんな人智を超えた怒濤の襲来から逃れた者がいる事実を素直に喜ばしく思ったが、逆に二人しか助からなかった事実に、胸がぎゅっと締めつけられるような気がした。さっきまでいたはずの存在が消えている。それはどこまでも悲しく寂しいこと。仕方がないとは簡単に割り切れない気分。ただ、そんな感傷に(ひた)る間に先ずは眼前の家族を助けなければ、という気がする。これは、きっと、私にしかできないこと。
「八幡大神様、私はどうしたらいいのか教えてください。どうしたらマコを助けることができるのか教えてください。お願いします」
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