第十一章七話 幼馴染の作戦会議

文字数 4,870文字

 蝸牛(かぎゅう)はタマやヨリモとはぐれてからも、八幡村(やはたむら)の中を黙々と西に向かって歩き続けていた。
 そのうち雨がやんだ。だいぶ歩きやすくなったとはいえ、草木の葉はまだしっかりと雨露を抱いており、地が受け入れ切れなかった大量の雨水が水溜まりやぬかるみになって彼の歩みを鈍らせた。それでも、よろけながら、つまずきながらも一歩々々前に進み続けた。
 雲が次第に晴れはじめ、周囲を薄っすらと見渡せるようになった。かなり歩いたはずだが、まだ着かないのだろうか、そう思いながらも遅々とした歩みを重ねていく。背中に負ったマガはとても静かだった。静かすぎて本当に生きているのか不安になるほどに。息をしている気配すらない。振り返っても、漫然として動かない土気色の身体の一部が見えるばかり。マガ殿、マガ殿、と時折、声を掛けてみるが応えはない。一度、確かめるために屈んで背から降ろそうとしたが、しっかりと貼りついていて、一向に降りてくれない。仕方がないのでそのまままた歩を進めた。
 やがて、少しばかりの坂道を登りきった所で視界が開け、前方に微かに灯りが見えた。きっと八幡宮の社殿だ、と蝸牛の胸に希望の火がぽうっと灯った。それと同時に、それまで豪雨のために御行幸道(みゆきみち)を見出すことができなかったが、今、歩いている人道のすぐ横に御行幸道が灯りのもとまで伸びている様を見つけた。
 蝸牛は嬉々として茂みを横切り、その道に入り、それまでの悪路から解放された喜びを噛みしめながら視線の先に(またた)く灯りを目指した。その頃になってようやく気づいたが、彼の身体に(まが)い者が喰らいついていた。身体が重い、重いとは思ったが、雨のせい、ぬかるんだ地面のせいだと思っていた。
 左足首にしがみついている。腰の右側にぶら下がっている。ともに蝸牛の身体に付着していると小さく見えたが、小動物ならすぐに取り込めそうな程度の大きさはあった。
 やがて、右腰にぶら下がっていた禍い者がもぞもぞと動き出し、身体をぶわっと広げて一気に蝸牛とマガを包み込もうとした。その途端、マガの身体から無数の長い針が瞬間的に伸び、その多くが禍い者の身体を貫いた。瞬く間に粉砕された禍い者の身体が地にぼたぼたと落ちていく。右腰の禍い者も左足の禍い者もすっかり姿を消していた。そのあまりの威力に驚くと同時に、禍い者から解放された安堵感を蝸牛が抱いていると、その背後から微かに、グルルルル、という獣の唸り声のような音が聞こえた。
「マガ殿、落ち着いてくだされ。荒御魂(あらみたま)を顕現されると玉兎(ぎょくと)殿を取り込んでしまうのでしょう?どうか、落ち着いてくだされ。荒御魂を鎮め給え」
 その声に唸り声は低く小さくなっていき、やがて消えた。
 蝸牛は、東野村(とうのむら)を発する際に、恵那彦命(えなひこのみこと)から、マガが我を忘れて荒御魂を発動してしまうと危険だし、腹中の玉兎を取り込んでしまうかもしれないからくれぐれも気をつけて、と伝えられていた。
 こんなことを繰り返していては、やがてマガ殿は獣化してしまうだろう。そうなってしまってはこれまでの苦労が水の泡になってしまう。急がねば、蝸牛は残された力を振り絞って先を急いだ。
 御神幸道に入ってからかなり速度は上がっている。しかし、それでもなかなか前方の灯りにはたどり着けない。その間、更に何体もの禍い者が襲い掛かってきた。どうやら禍い者たちも激雨が降っているうちは行動ができず、やっと動き出せたところに格好の獲物がいるのを発見したのだろう、周囲のいたる所からこちらに集まってきているようだった。
 また、マガの身体から長く大きな針が伸びて、禍い者たちをことごとくばらばらにした。更なる焦りを感じる。マガが獣化してしまえば、玉兎が救われないどころか、自分の身も危ういかもしれない。マガが獣化して理性を保っていられるかどうかは分からないが、この容赦ない攻撃から見て望み薄な気がする。そうなったら禍い者たちと同じように自分も粉砕されてしまうかも。とにかく急ぎながら禍い者に対抗する。蝸牛は肩に担いでいた強弓を手に取り、矢をつがえてすぐに射てるように構えながら先を進んだ。
 周囲に気を張って警戒していると、そこら辺中、いたる所に禍い者が(うごめ)いている気配。急速に包囲網が狭まっている。すぐに、近くにいた禍い者が襲い掛かってきた。矢継ぎ早に矢を放つ。強弓から放たれた矢は禍い者の身体を弾き飛ばしながら貫いていった。
 蝸牛は何体も禍い者を倒した。しかし、それ以上の禍い者が次々に寄せてくる。そのすべてに対応しようとするが、矢が外れたり、対応しきれなかった禍い者が飛び掛かってきた。するとまたマガが粉砕した。
 グルルルル……周囲を威嚇する唸り声。
 弓矢では対抗しきれなくなって、剣を抜き放ち、斬りつける。それでも限界があった。蝸牛の急ぎ足に呼応するように禍い者も更に襲ってきた。またマガの背が破裂するように針を突き立て禍い者を粉砕した。
 グルルルルル……
 まずい、早く境内(けいだい)に入らなければ。きっと八幡宮の境内は結界が張られている。禍い者は中には入れないはずだ。そう思っていると高台になっている右手の方にちらちらと灯りが見えた。こちらに向かっているようだった。
 あれは鬼火?誰かいるのか?

 ――――――――――

 その頃、この世界のすぐ外にナミとルイス・バーネットがいた。
「ちょっと待つんだ。僕と一緒に持ち帰った湖の水を分析してもらったら、やっぱり向精神性の物質が発見された。僕たちは精神の固まりみたいなもの。これ以上、この世界に行くのはまずい。精神的におかしくなってしまうかもしれない。それにまた君は充分に霊力を補充する前に脱け出してきたんだろう。また、霊力が切れて動けなくなったらどうするんだ」
 ルイス・バーネットは少し、いつもより真剣な表情をしていた。脳裏にはナミの感情を表出させた姿が浮かんでいた。彼としてもその世界に入ってから大きな違和感を感じてはいた。胸の中が始終そわそわとしていた。普段から自分を律して、自らの感情を顧みないことが多かった彼は、極力それから目を背けて取り上げないようにしていたために影響はほとんどなかったが。しかしナミは感情を抑制しづらくなり、リサやマコは記憶の一部を欠損していた。そんな顕著に影響が出ている危険に対し、それを回避する手立てを特定できていない今、一先ずは接触を止めないといけない。
「いやよ、私に指図しないで。っていうか、あなた、なぜここにいるの?まだ霊力補充している最中なんじゃないの?」
 ナミは、この世界に戻ることをルイス・バーネットに知られたら、きっと止められる、そう思い、このタイミングなら気づかれることなく脱け出せると思っていた。しかし、彼はそんなことお見通しと言わんばかりにここにいる。自分の行動をすっかり読まれて彼女は何かおもしろくない気分だった。
「君がまたこの世界にまっすぐ向かうのは分かっていたよ。それに満タンまで補充できていなくても、しっかりと能力が発揮できるだけの霊力があれば、後は行動しながら回復を待つつもりなのだろう、と思ったからね。それにはこのタイミングが一番最適なのかなって思ったら、どんぴしゃりだった。嬉しいね」
 またいつもの微笑みを向けてきた。本当にこの人にかかると隠し事なんてできないわ。すべて見抜かれてしまう。それが(しゃく)(さわ)ってしょうがない。それにいつも私のすることを止めようとばかりする。あなた、私の親なの?いい加減、私の好きなようにさせて。
「良かったわね。でも、私は行くわよ。あなたが何を言っても行くわ。これは私個人のこと、私が勝手にすることだから」
「そうか、分かった。じゃ、僕も一緒にいく」
「何でよ。あなたには関係ないことでしょ」
「関係なくはないよ。君が関わることは、僕にはすべて関係がある。それに僕の担当する凪瀬(なぎせ)君も迷い込んでいることだし、関係大ありじゃないか。行かない理由を見つけるほうが難しいよ」
 男のくせにべらべらと。昔っからそう。いつもいつも冷静に理路整然と正しいことを言い並べる。口ではけっして勝てない。だからいつも言うことは同じ。
「勝手にすれば」
 そう言うと決まって彼は嬉しそうに微笑むのだった。
「そうと決まれば、早速、作戦を立てよう」
「作戦?」彼女としてはとりあえず飛び込んで、動き回りながら情報を収拾して状況に対して柔軟に対応するつもりだった。だからほぼ無策だった。
「ああ、正直、この世界での活動は短ければ短いほどいい。しっかりと方針を決めてからじゃないと無駄な時間を費やすだけになるだろう。だから……」
「つまり、どうするつもり?」
「ああ、結局、その世界の中で居場所が分かるのは君も僕も凪瀬タカシ君だけだ。中は御行幸道や境内(けいだい)のように一部、神々の領域になっている場所があって、その居場所が特定できない場合があるけど、僕はもうそれを見分けられるようになった。だからともに中に行って、凪瀬タカシ君を探すんだ。彼さえ見つかれば山崎リサ君の居場所も分かるし、この世界の状況も掴むことができるだろう。そして状況に対応する。その際、凪瀬タカシ君と山崎リサ君のことを最優先する。その他の存在は極力考慮にいれない。神々も眷属も、そして山崎マコ君のことも」
 二人の視線がしっかりと重なった。ルイス・バーネットはナミの納得具合を確かめるように、ナミは処理しきれない感情を示すように、じっと強い眼差(まなざ)しで見つめ合った。
 山崎リサの自我を出てから、時間が経つにつれてだいぶ落ち着いてきた。しかし、ナミの“妹”に対する特別な思いが消えた訳ではない。まだ霊力の充填が終わっていない段階で、急いでここまで来たのは契約に縛られているから、ということもあったが、やはりマコのことが気になっていたためだった。自分の妹でもないし、ついこの間、会ったばかりの若い女、それだけの存在。これまでの自分の人生にも関係なかったし、これからもないはず。だから考慮に入れないという提言は至極正しい。当然だと言える。でも、気になる。気になってしょうがない。きっと一緒に行動している間に、無意識のうちにマコに自分の妹の姿を重ねてしまったのだろう。そのせいで気になってしょうがないのだろう。
「もちろん、君は分かっているとは思うけど、山崎リサの自我世界での彼女以外はすべて想像の産物だ。現実世界の精工な複製品でしかない。この世界のマコちゃんは現実のマコちゃんとは関係がない。しかし、山崎リサと凪瀬タカシの存在は違う。現実とリンクしている存在だ。だから、その二人のことだけを考えるんだ。いいね」
 ナミは軽くこくりと頷くと口を開いた。
「そんなこと分かっているわ。さっさと行くわよ」
 二人がこれから向かう世界は、理性に従って行動することが難しい世界。感情が理性に勝ってしまう世界。そして何が起きるのか予想もつかない世界。控え目に言っても、危険極まりない。しかし、そこに行くことを彼女は望んでいる。
 ナミは強情だ。その望んでいることを思いとどまらせることは至難の業でしかない。だからいつもルイス・バーネットはその手助けをすることになる。
 そもそも山崎リサの魂の欠片に入って、凪瀬タカシの願望に従って行動すること、現実世界で死にかけている山崎リサの命を救うこと、それを彼は反対していた。どだいそんなこと常識的に考えて無理だと思ったから。それをすることによってナミが被るリスクと比べて成功する可能性が極端に低いと思われたから。しかし、ナミはやがて決意ともなり得る確信にも似た予感を抱いて契約をした。そして凪瀬タカシも山崎リサも、もしかしたらと思わせる、運命に対する抵抗を見せた。三人のそんな姿を見せられて、彼もようやく覚悟を決めた。もし、だめでも仕方がない。それにより多大なリスクを被っても、簡単に諦めてこの先ずっと後悔するよりもきっと、ずっといい。何より彼女がそれで満足するのなら、きっと、それが最良なのだ。
「分かった。行こう」
 二人はすぐに姿を消した。
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