第四章六話 辿り着いた記憶
文字数 4,311文字
伯母さんにあんなこと言わなければよかった。私はただ、自分の感情に押し流されて、深く傷ついている伯母さんの傷口を更に広げてしまった。無慈悲に無遠慮に斬りつけ、引き裂いた。相手の痛みも、その悲哀も考えず、自分の負った傷をことさら大仰に振りかざして見せつけた。最低だ、私は最低だ。そんなことをしても誰も喜ばない、誰も幸せにならないのに。ただ、自分の感情を発散させるために、私は伯母さんを傷つけた。深く、とても深く、えぐるように。
十年前、伯母さんが死んで、私の中で何かが変わった。
私は、私が嫌いになった。
ショウタ兄ちゃんが言った。
“このことは絶対に誰にも言うな。言えば……”
その通りだった。言ってはいけなかった。だから、もう誰にも言わないと決めた。忘れようと思った。なかったことにしようと思った。あの日のことは記憶の隅に追いやって、極力視線を向けないようにした。でも、何かの拍子に視界に入ってくることがある。忘れた頃に、ふと自己主張をしているのに気づく。本当は、その存在自体を消し去りたい。でも、忘れ切ることができない。何かにつけて私の心の弱い部分を刺激して、思い出させようとしてくる。とても困る、とてもイヤな記憶。いつまで経っても消えてくれない。
分かっている。自分でも分かっている。私は、過去に感じた恐れを拭えないでいる。未だに過去の記憶の中にあるその恐れを再び感じてしまう怖さに包まれている。その恐れを克服しないといけない。そうしないと今をちゃんと生きることができない。私は今を生きている。時に流され、周囲に流され、自分の人生を生きている実感を希薄にしか感じられなくても、たくさんの思いを抱きながら、たくさんの人と交わり、たくさんのするべきことをして。ただ、私の中で、目を背け、忘れようとすればするほど、意識の下で過去の記憶は大きく育っていく。私の人生は過去の記憶をずっと引きずったまま。いつまでも自分を解き放つことができないでいる。
ちゃんと思い出さないといけない。きっかけになったあの日のことを。
お婆ちゃん家 の奥の部屋。いつもあたしたちが行くと寝室で使う部屋。
その部屋にあたしはいる。
お婆ちゃんもお母さんも伯母さんもマコも出掛けている。
あたしは、一人でお留守番。
ショウタ兄ちゃんはその日、朝からどこかに遊びにいっていた。虫でも捕りに出掛けたのだろう、と誰も心配していなかった。
全身に悪寒が走る。
ここだ、ここからはじまった。あたしのずっと続くイヤな気持ちのはじまり。
とても怖い。ここにいてはいけない。どこかに逃げ出したい。
急に障子戸が開いた。もう、遅い、あたしは悟った。ショウタ兄ちゃんが立っていた。明らかに普段と様子が違う。目が怖い。すぐに目の前まで歩み寄ってきた。手には透明なビニール袋。中に赤い、お肉。少し興奮気味に話し出した。
「なあ、いいこと教えてやろうか。絶対に秘密だぞ。誰にも言うなよ。この肉にな、農薬を入れてみたんだ。下の犬に食べさせたらどうなるか見てみたくないか?きっと、あの犬、頭悪そうだからすぐに食べるよ。なあ、これ、あの犬に食べさせてきてくれよ。あの犬がどうなるのか見てみたいだろ」
下の犬って、健介さん家の?とても大きくて最初は怖かったけど、大人しくてすぐに仲良しになった、タロウのこと?そんなこと見たいはずがない、誰でもそう思うだろう。それはただの趣味の悪い冗談だと思った。だからあたしは軽く、いやよ、と答えた。でも、それはあたしの思い違いだった。
「見たくないのか?こんな面白そうなこと、見たくないのか?」
心の底から発せられた怪訝 そうな声。周囲の空気が重くなった気がした。その声に違和感を感じてショウタ兄ちゃんの顔に視線を向ける。そこには困惑が貼りついていた。お前、大丈夫か?それはお前、おかしいぞ、と言いたげな表情。あたしが何か変なことを言ったの?間違っているのはあたし?
ショウタ兄ちゃんは伯母さんの子ども。あたしの従兄。それまで夏休みの度にお婆ちゃんの家で会っていた。確か五歳年上。小さい頃はマコも含め、三人でよく一緒に遊んでいた。優しいお兄ちゃんだった。それが次第に遊ぼうとしてくれなくなった。いつも一人でゲームをしたり、漫画を読むようになった。あたしたち姉妹には何の興味もないように視線も向けない、話もしない。ここ数年はそんな感じだった。でも、その時はジッとあたしを見ていた。どこか焦点の合っていないような、瞳孔が開いた、そんな目であたしの深奥まで覗き込むように。胸の中がざわついてくるような異質な視線で。
「それじゃ、お前、食べろよ」
ショウタ兄ちゃんはそう言うとゴルフボールくらいの生肉の欠片を袋から出して、あたしの口に押しつけた。あたしは何を言われ、何をされたのか、一瞬分からなかった。自分がそれまで思っていた、人がとる行動のいずれからも逸脱した行為だったから。あたしの理解の範疇 を著 しく外れた行為だったから。それでも唇とその周りに感じられた生々しく血に濡れた肉の感触に思わず、いや、やめて、と声を上げながら自分に差し向けられている腕を手ではたいた。
その拍子にショウタ兄ちゃんの手から肉片が離れてべちゃと畳の上に落ちた。
次の瞬間、頭に衝撃を感じた。頭頂部の少し左側。とっさに瞑 った目を開いて正面を見ると拳を固く握り締めたショウタ兄ちゃんが立っていた。すごく冷徹な目であたしを見下ろしながら。
「食べ物を粗末にしたらダメだろ。何やってんだ。ちゃんと拾って食べろ。早く」
あたしはただ、頭を押さえて見上げることしかできなかった。生まれて初めて殴られた。きっとあたしはそれまで大事に育てられてきた。可愛いね、可愛いね、と言われて、特に責められることもなく、特に否定されることもなく、いつもいい子にしてたから、褒められることはあっても、叱られることはほとんどなかった。まして殴られることなんて……。痛くはなかった。それよりも驚きが勝っていた。どうすればいい?何てことすら考えられず、ただ見上げることしかできなかった。そんなあたしの視線の先でショウタ兄ちゃんが少し笑った。
「いい表情 だな。でも、まだ、足りない……」
それからあたしはただ耐えた。耐えるしかしようがなかった。髪を引っ張られたり、殴られたり、蹴られたりしたと思う。目を固く閉じて声を上げる、助けを呼ぶ。うるさい、黙ってろ、と叱責された。そして、ショウタ兄ちゃんの両手があたしの首を掴んだ。あたしは目を開いた。ショウタ兄ちゃんが満面の笑みを浮かべながらあたしの首を絞めはじめた。
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一行は玉兎 の先導でその家に近づいた。マコは懐かしい風景に相好 を崩していた。
その家は、側溝に渡した小さな石橋を渡った所にあった。砂利道に面して杉板の壁が建っている。側溝を渡って家の正面に回るとコの字型の小さな家。木々が生い茂る小さな庭の奥に玄関がある。全員が玄関に向かって小さな庭を進もうとしたその時、タカシとマコ以外全員が身構えた。
「どうした」タカシが誰に言うでもなく訊いた。
「人ならざる者が、この家の中にいる」ナミがぼそりと言った。
「すごい瘴気 だ。何かまずいものが中にいるみたいだ」玉兎が言った。
「中に人はいるのか?」タカシの言葉にナミが答える。
「分からないわ」
「確認してくる」激しい胸騒ぎを感じてタカシは走り出していた。
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それからの記憶は断片的にしか残っていない。なぜなのか、あたしにも分からない。思い出したくないと努力した結果なのだろうか。
確か、それからショウタ兄ちゃんはあたしに、あの肉を犬にやるか自分で食べるか決めろ、と言う。少しずつあたしの首に巻いている手に力を込めながら。
次の記憶で、あたしはタロウの前に立っている。手に生々しく赤い肉片を握り締めて。眼前の大きな犬は犬小屋から出て、あたしの顔を見上げつつ、音が鳴るほど大きく尻尾を振っている。
それから、それから、それから……
目の前のショウタ兄ちゃんの姿がどんどん大きくなっていく。身体が黒に染まり、ぼやけていく。顔だけがはっきりとそこに存在している。段々、息苦しくなってくる。徐々にショウタ兄ちゃんの指が首に喰い込んでくる。苦しい、もがいても逃げられない。口を大きく開いて助けを呼ぶ。でも、声が出ない。息ができない。ショウタ兄ちゃんは、そんな苦悶の表情を浮かべているあたしの顔を恍惚の表情を浮かべながら見下ろしている。もうすぐ、肉片をあの犬に食べさせてくるようにあたしに言いつけるのだろう。あたしは苦しさに負けて、肉片を持って……
私は最大限に口を開いて助けを呼ぼうとした。少しだけ声が漏れた。
「黙れよ、お前が悪いんだろ。言うことを聞かないから。食べ物を粗末にするから。反省しろよ。それから、このことは絶対にひとに言うな。言えばお父さんやお母さんが悲しむから、絶対に言うな。分かったな」
もう、抵抗しても無駄だと思った。もう、逃げられないと思った。だから黙って頷いた。
その時、マコの声が聞こえた。外から、お姉ちゃーん、と呼ぶ声が。
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玄関のガラス窓のついた木製の引き戸を開いた。建てつけが悪いのか途中で一度止まりかけたが少し力を入れるとすぐに全開した。中は土間になっており、左側がそのまま台所になっている。右側は上がりかまちの上に畳敷きの部屋。奥の部屋につづく廊下もある。その先の部屋から呻くような声が聞こえた。
お姉ちゃーん、タカシが先頭に立って中に入ると、すぐにその後ろから再びマコが姉を呼んだ。返答はない。
「あっちよ」ナミが背後から右奥に向かう廊下を指さす頃には、タカシはすでに靴をその場に脱ぎ捨ててかまちを上がり、そのまま奥の部屋に向かっていった。その後方からルイス・バーネットやタマやヨリモや蝸牛 や玉兎 が続いた。ナミはマコと一緒に土間に残った。
なるべく音を立てないように慎重に奥に進んでいく。進めば進むほどタカシにも違和感が感じられた。空気が違う。どんよりと重い、息苦しくなる。障子の隙間から淀んだような空気が漏れ出している場所に着いた。そっと障子を開いた。
そこには黒い煙が漂っていた。部屋の真ん中で、呆然と立ちすくんでいる少女を覆い包むように渦巻いている。その黒い煙の中に人の顔があった。その顔がタカシの方を向いた。
その顔は知っている顔だった。先ほどまでいた世界の中で自分たちに襲い掛かってきたケガレ、その中でも人に憑依する力を持っていた人型のケガレの顔だった。
十年前、伯母さんが死んで、私の中で何かが変わった。
私は、私が嫌いになった。
ショウタ兄ちゃんが言った。
“このことは絶対に誰にも言うな。言えば……”
その通りだった。言ってはいけなかった。だから、もう誰にも言わないと決めた。忘れようと思った。なかったことにしようと思った。あの日のことは記憶の隅に追いやって、極力視線を向けないようにした。でも、何かの拍子に視界に入ってくることがある。忘れた頃に、ふと自己主張をしているのに気づく。本当は、その存在自体を消し去りたい。でも、忘れ切ることができない。何かにつけて私の心の弱い部分を刺激して、思い出させようとしてくる。とても困る、とてもイヤな記憶。いつまで経っても消えてくれない。
分かっている。自分でも分かっている。私は、過去に感じた恐れを拭えないでいる。未だに過去の記憶の中にあるその恐れを再び感じてしまう怖さに包まれている。その恐れを克服しないといけない。そうしないと今をちゃんと生きることができない。私は今を生きている。時に流され、周囲に流され、自分の人生を生きている実感を希薄にしか感じられなくても、たくさんの思いを抱きながら、たくさんの人と交わり、たくさんのするべきことをして。ただ、私の中で、目を背け、忘れようとすればするほど、意識の下で過去の記憶は大きく育っていく。私の人生は過去の記憶をずっと引きずったまま。いつまでも自分を解き放つことができないでいる。
ちゃんと思い出さないといけない。きっかけになったあの日のことを。
お婆ちゃん
その部屋にあたしはいる。
お婆ちゃんもお母さんも伯母さんもマコも出掛けている。
あたしは、一人でお留守番。
ショウタ兄ちゃんはその日、朝からどこかに遊びにいっていた。虫でも捕りに出掛けたのだろう、と誰も心配していなかった。
全身に悪寒が走る。
ここだ、ここからはじまった。あたしのずっと続くイヤな気持ちのはじまり。
とても怖い。ここにいてはいけない。どこかに逃げ出したい。
急に障子戸が開いた。もう、遅い、あたしは悟った。ショウタ兄ちゃんが立っていた。明らかに普段と様子が違う。目が怖い。すぐに目の前まで歩み寄ってきた。手には透明なビニール袋。中に赤い、お肉。少し興奮気味に話し出した。
「なあ、いいこと教えてやろうか。絶対に秘密だぞ。誰にも言うなよ。この肉にな、農薬を入れてみたんだ。下の犬に食べさせたらどうなるか見てみたくないか?きっと、あの犬、頭悪そうだからすぐに食べるよ。なあ、これ、あの犬に食べさせてきてくれよ。あの犬がどうなるのか見てみたいだろ」
下の犬って、健介さん家の?とても大きくて最初は怖かったけど、大人しくてすぐに仲良しになった、タロウのこと?そんなこと見たいはずがない、誰でもそう思うだろう。それはただの趣味の悪い冗談だと思った。だからあたしは軽く、いやよ、と答えた。でも、それはあたしの思い違いだった。
「見たくないのか?こんな面白そうなこと、見たくないのか?」
心の底から発せられた
ショウタ兄ちゃんは伯母さんの子ども。あたしの従兄。それまで夏休みの度にお婆ちゃんの家で会っていた。確か五歳年上。小さい頃はマコも含め、三人でよく一緒に遊んでいた。優しいお兄ちゃんだった。それが次第に遊ぼうとしてくれなくなった。いつも一人でゲームをしたり、漫画を読むようになった。あたしたち姉妹には何の興味もないように視線も向けない、話もしない。ここ数年はそんな感じだった。でも、その時はジッとあたしを見ていた。どこか焦点の合っていないような、瞳孔が開いた、そんな目であたしの深奥まで覗き込むように。胸の中がざわついてくるような異質な視線で。
「それじゃ、お前、食べろよ」
ショウタ兄ちゃんはそう言うとゴルフボールくらいの生肉の欠片を袋から出して、あたしの口に押しつけた。あたしは何を言われ、何をされたのか、一瞬分からなかった。自分がそれまで思っていた、人がとる行動のいずれからも逸脱した行為だったから。あたしの理解の
その拍子にショウタ兄ちゃんの手から肉片が離れてべちゃと畳の上に落ちた。
次の瞬間、頭に衝撃を感じた。頭頂部の少し左側。とっさに
「食べ物を粗末にしたらダメだろ。何やってんだ。ちゃんと拾って食べろ。早く」
あたしはただ、頭を押さえて見上げることしかできなかった。生まれて初めて殴られた。きっとあたしはそれまで大事に育てられてきた。可愛いね、可愛いね、と言われて、特に責められることもなく、特に否定されることもなく、いつもいい子にしてたから、褒められることはあっても、叱られることはほとんどなかった。まして殴られることなんて……。痛くはなかった。それよりも驚きが勝っていた。どうすればいい?何てことすら考えられず、ただ見上げることしかできなかった。そんなあたしの視線の先でショウタ兄ちゃんが少し笑った。
「いい
それからあたしはただ耐えた。耐えるしかしようがなかった。髪を引っ張られたり、殴られたり、蹴られたりしたと思う。目を固く閉じて声を上げる、助けを呼ぶ。うるさい、黙ってろ、と叱責された。そして、ショウタ兄ちゃんの両手があたしの首を掴んだ。あたしは目を開いた。ショウタ兄ちゃんが満面の笑みを浮かべながらあたしの首を絞めはじめた。
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一行は
その家は、側溝に渡した小さな石橋を渡った所にあった。砂利道に面して杉板の壁が建っている。側溝を渡って家の正面に回るとコの字型の小さな家。木々が生い茂る小さな庭の奥に玄関がある。全員が玄関に向かって小さな庭を進もうとしたその時、タカシとマコ以外全員が身構えた。
「どうした」タカシが誰に言うでもなく訊いた。
「人ならざる者が、この家の中にいる」ナミがぼそりと言った。
「すごい
「中に人はいるのか?」タカシの言葉にナミが答える。
「分からないわ」
「確認してくる」激しい胸騒ぎを感じてタカシは走り出していた。
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それからの記憶は断片的にしか残っていない。なぜなのか、あたしにも分からない。思い出したくないと努力した結果なのだろうか。
確か、それからショウタ兄ちゃんはあたしに、あの肉を犬にやるか自分で食べるか決めろ、と言う。少しずつあたしの首に巻いている手に力を込めながら。
次の記憶で、あたしはタロウの前に立っている。手に生々しく赤い肉片を握り締めて。眼前の大きな犬は犬小屋から出て、あたしの顔を見上げつつ、音が鳴るほど大きく尻尾を振っている。
それから、それから、それから……
目の前のショウタ兄ちゃんの姿がどんどん大きくなっていく。身体が黒に染まり、ぼやけていく。顔だけがはっきりとそこに存在している。段々、息苦しくなってくる。徐々にショウタ兄ちゃんの指が首に喰い込んでくる。苦しい、もがいても逃げられない。口を大きく開いて助けを呼ぶ。でも、声が出ない。息ができない。ショウタ兄ちゃんは、そんな苦悶の表情を浮かべているあたしの顔を恍惚の表情を浮かべながら見下ろしている。もうすぐ、肉片をあの犬に食べさせてくるようにあたしに言いつけるのだろう。あたしは苦しさに負けて、肉片を持って……
私は最大限に口を開いて助けを呼ぼうとした。少しだけ声が漏れた。
「黙れよ、お前が悪いんだろ。言うことを聞かないから。食べ物を粗末にするから。反省しろよ。それから、このことは絶対にひとに言うな。言えばお父さんやお母さんが悲しむから、絶対に言うな。分かったな」
もう、抵抗しても無駄だと思った。もう、逃げられないと思った。だから黙って頷いた。
その時、マコの声が聞こえた。外から、お姉ちゃーん、と呼ぶ声が。
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玄関のガラス窓のついた木製の引き戸を開いた。建てつけが悪いのか途中で一度止まりかけたが少し力を入れるとすぐに全開した。中は土間になっており、左側がそのまま台所になっている。右側は上がりかまちの上に畳敷きの部屋。奥の部屋につづく廊下もある。その先の部屋から呻くような声が聞こえた。
お姉ちゃーん、タカシが先頭に立って中に入ると、すぐにその後ろから再びマコが姉を呼んだ。返答はない。
「あっちよ」ナミが背後から右奥に向かう廊下を指さす頃には、タカシはすでに靴をその場に脱ぎ捨ててかまちを上がり、そのまま奥の部屋に向かっていった。その後方からルイス・バーネットやタマやヨリモや
なるべく音を立てないように慎重に奥に進んでいく。進めば進むほどタカシにも違和感が感じられた。空気が違う。どんよりと重い、息苦しくなる。障子の隙間から淀んだような空気が漏れ出している場所に着いた。そっと障子を開いた。
そこには黒い煙が漂っていた。部屋の真ん中で、呆然と立ちすくんでいる少女を覆い包むように渦巻いている。その黒い煙の中に人の顔があった。その顔がタカシの方を向いた。
その顔は知っている顔だった。先ほどまでいた世界の中で自分たちに襲い掛かってきたケガレ、その中でも人に憑依する力を持っていた人型のケガレの顔だった。