最終章五話 あなにやし

文字数 5,915文字

 ――それが郷内すべての(やしろ)の総意だと言うのなら、我に異論はない。しかし結界を解けるのは大禍時(おおまがとき)(逢魔が時)までの間だ。西の山の端に陽が沈み切る前に戻ってこなければならない。間に合わなければ迎えに行った者も戻ってくることができなくなる。
 熊野神社里宮の社殿内で郷内それぞれの代表者として、マコモ、秘鍵(ひけん)飛梅(とびうめ)玉兎(ぎょくと)、カツミ、サホ、マサル、コズミが平伏して、この社の祭神である伊弉諾命(いざなぎのみこと)の宣下を拝聴していた。先頃に郷中心部にいた眷属たちとリサとルイス・バーネットがこの里宮に集合していたが、狭い社殿内にはそれぞれの代表者だけが中に入り、代わる代わる説得を試みた結果の宣下だった。今まで前例のないことだったので伊弉諾命もかなり結界を解くことには慎重だったが、自分たちが守護するべきこの郷を民草(たみくさ)が代わりに犠牲となって守護してくれたことにかなり心を痛めていた。だから郷内八社の眷属の総意として奏上されると神としても承諾せざるを得なかった。
 ――結界を解けば、ケガレがこの世に噴き出してくる。それをそなたたちで祓い清めよ。そして足の速い者たちだけで黄泉(よみ)の宮に向かうのだ。そして我が(いも)に我が意を伝えよ。必ず大禍時までに戻るのだぞ。陽が沈めば、この世がケガレに覆われる。その前に結界を閉じねばならぬ。加えて、黄泉の国に行った者も、日が暮れるまでに戻らねば夜のうちに黄泉に染まり、もう二度とその身のまま現世(うつしよ)には戻ってこられぬようになる。よいな。では、者ども参ろうぞ。
 それからすぐに眷属たち一団は奥宮に向かって山道を進んだ。伊弉諾命は自ら結界を解くために分御霊(わけみたま)御神輿(おみこし)に乗せ、戦闘に加わっておらずまだ元気な天満宮の眷属たちに担がせて道を急いだ。
 玉兎はこれまでの無理が(たた)ってへとへとに疲れ果てていた。しかし状況の流れでついて行かざるを得ない。やれやれと思いながらとぼとぼとついていく。その間、彼の背に負われているマガが周辺にいるトカゲやカエルなどの小動物や、討ち漏らされていた小さな(まが)い者たちを次々に針を伸ばして串刺しにして捕らえるとそのすべてをやたらと取り込んでいった。
 その分、背中が重くなる。こんな時に何をやってるんだよ、と玉兎は思ったが、文句を言う気力さえなくそのままにしていると、次第に自分の身体に力が流れ込んでくる気がした。薄まっていた身体自体も少しずつ濃くなっていく。少しずつ身体に力が溜まっていく。
「マガがうさぎを養ってやる。でも力の無駄遣いはダメ。大切に使う。分かったか?」
 ぼそぼそと聞こえる。
「分かってるよ。しかしまだ力が足りない。もっと取り込め」
 まったくマガ使いが荒いな、と言いつつマガは更に小動物を取り込み続けた。
 
 道中、眷属たちの間で黄泉の宮に向かう決死隊の編成が行われた。足が速く、怪我や疲労の少ない者たち少人数で編成されることになり、結果的にコズミと睦月(むつき)とミヅキ、更にはルイス・バーネットも加わることになった。
 他の者も一行に加わることを望んだが、怪我をしていたり、もともと足が遅かったりで選ばれず、この世でケガレの流出を阻止する役目を担うことになった。もちろんサホも弥生(やよい)やロクメイのことがあるので一行に加わりたがったが、怪我をした状態で変化(へんげ)もできなかったので、断念せざるを得なかった。その分、睦月とミヅキに経緯と自分の意を充分過ぎるほどに言い含めた。またリサもついて行きたい思いにあふれていたが、自分が行っても足手まといになるだけと重々分かっていたのですべてをルイス・バーネットに託すことにした。
 やがて一団は奥宮にたどり着いた。陽はもう西に傾きはじめている。影が東に伸びている。もう大禍時まで一刻(二時間)ほどしかないだろう。誰もがそう思った。決死隊の者たちもそれまでに戻ってこなければ二度と現世に戻ってくることができない。文字通りの決死隊だった。
「では、只今より祭典を行った後、我らは黄泉へと向かう。日没までに戻れなければ黄泉津比良坂(よもつひらさか)(黄泉に通じる道)を閉じること、我らに異存なし。ためらわずに実行していただきたい」
 コズミの決意表明により、その場にいた者たち全員がその準備に取り掛かった。

 ――――――――――

 タカシたちが底の国から生還すると、彼らのもとに若い女性姿の醜女(しこめ)たちが集まって次々に称賛を口にした。
「あなたたち、すごいわ。あの災厄を倒すだなんて。これで地揺れに悩まされることもなくなるわ。ほんと助かる」
「やったわね。本当に底の国から戻ってくるなんて」
「自分たちがどれだけすごいことしたか分かってる?大神様も喜ばれるわ」
「そうだ、(うたげ)を催しましょう。これをお祝いしない手はないわ」
「そうね、ちょうど鹿肉も手に入ったことだし、今日は宴だわ」
「そうね、そうね」
 キャッキャウフフと醜女たちは盛り上がっていた。呆然とその様子を眺めていたタカシたちは醜女たちに促されるままに引き連れていかれた。
 そして今、タカシとクロウは黄泉大神(よみのおおかみ)の前に並んで座り、平伏してその賛辞を聴いていた。ナミは霊力の回復のために後方で一人(たたず)んでいた。
 ――あんたら、よう戻ってきたな。ようやったな、びっくりやで。これはほんま宴せなあかんな。今、醜女たちが準備しとるさかい、もうちょっと待ってな。
 嬉しそうに言う黄泉大神に対し、一刻も早く地上に戻りたいタカシがその旨、願い出ようとすると、それを察したクロウが、失礼な言動によって大神様の機嫌を損ねてはまずい、と先んじて声を発した。
「大神様、慎みて申し上げます。我ら一行、現世に戻ることを望んでおります。それが何より難しいことも分かっておりますが、せめてこの郷のため、大神様のために身を犠牲にして災厄を消滅させたこの民草だけでも現世に帰すことは叶いませんでしょうか。どうかご高配下さいますようお願い申し上げます」
 第一眷属の平身低頭して言う姿に黄泉大神は答える。
 ――それはちいと難しいなあ。まあ、何か手はないか宴しながら考えようや。難しいことは後回しや。
 その言葉にクロウは違和感を抱いた。大神様は我らを現世に戻すつもりがないのではないか。
「大神様、宴をすれば黄泉戸喫(よもつへぐい)(あの世のものを食べること)になることと存じます。黄泉戸喫をすれば現世には戻れなくなると聞き及んでおります。よって我らはその宴に参加するべきではないと存じます」
 ふん、知っておったか、という顔つきを黄泉大神はした。そしてはっきりと物言いする自分に仕える眷属に向かって不機嫌な声を発した。
 ――あんたらが現世に戻るのは無理やて、あんたならよう知っとるやろ。わての夫が結界張っとるさかい、現世にはわても出れんし、誰も出れん。あのひとは頑固や。何があっても結界を解こうとはせんやろ。せやったらさっさと諦めてこの世でのんびり暮らした方がええやろ。せやから宴したんねん。あんたらもいい加減、観念しいや。
 そう言われると諦めざるを得ない気がした。これまでの歴史の中で里宮様が奥宮様の結界を解かれたことなどないのだ。どう考えても望みが薄いどころかまったく無い。
 その時、奥の方から突然、ドタバタ、ガシャン、ガシャン、キャー、イヤー、という多重な騒乱の音が聞こえ、続いて二人の眷属たちが駆けてきた。その姿を見てタカシもクロウもあっと声を上げた。見知った顔、服装、間違いない春日の眷属。
「弥生殿、何をされておる?」
 とっさにクロウが声を掛けた。その声に弥生とロクメイはクロウの方へ駆け寄った。
「クロウ殿、そなたこそ、ここで何を?」
 その時には数人の醜女たちが黄泉大神のもとに駆け寄って口々に泣き言を言い募った。
「大神様、あの者たちを(さば)こうと思って、鹿姿になれっていったら、縛られたままではなれん、って言うものだから縄解いてやったら、急に暴れ出したんです」
「みんないっぱい殴られ、蹴られました。あいつらひどいです」
「か弱いあたしらをあんなに乱暴に痛めつけるなんて、あいつら鬼です。大神様懲らしめてやってください」
 キャンキャンと頭に響く声を聞きながら黄泉大神はやれやれという感じで口を開いた。
「あんたらやっぱしアホやろ。あのもんらも好きで肉になる訳やないんやから、暴れるのはあたり前やん」
 えー、とか、そんなこと言われても、とか醜女たちが不満を言い募っている時、急に黄泉大神が真顔になって横を向いた。
 ――ん?誰か来おる。
 黄泉大神の呟く声に、タカシもクロウもその方向に視線を向けた。
 するとこの空間の西の端から一羽のカラスと胸の一点から明るい光を放ちながら飛んでくるコウモリと二頭の鹿が雪崩(なだ)れ込んできた。
 コズミはすぐに人型に変化した。クロウと同じように微かに感じる黄泉大神の気配をたどって来たが本当にたどり着けるかどうか不安だったので、ほっと安堵の表情をしていた。しかしそれも束の間、彼はクロウの姿を認めるとその横に座し、そなたどうしてここに?と驚いているクロウの声を聞き流してすぐさま平伏した。
「我は大神様の第二眷属コズミでございます。恵那郷八社(えなごうはっしゃ)の眷属の総意、そして里宮様の大御神意(おおみごころ)により災厄討伐の功ありし民草と霊体の女、そしてクロウ殿を現世に連れ戻すために大前に参上いたしました。どうか御心穏(みこころおだ)ひに(きこ)()せと慎みて申し上げます」
 ――何やて?八社の総意?我が夫の意やと?この者たちを現世に戻すやて?
 さすがの黄泉大神もあまりの展開にすぐには理解も信用もできなかった。しかし実際にこの者たちは来れないはずのこの宮にいたっている。それだけで話の内容が本当のことである証しと言える。加えて鹿姿の二人の眷属が人型に変化して平伏すると口を開いた。
「慎みて申し上げます。我らは春日神社神鹿隊(しんろくたい)々長でありますサホの名代として参りました神鹿隊副隊長、睦月と副隊長補佐のミヅキでございます。大神様と我が隊長との間に交わされた誓約(うけい)により、我らは災厄の討伐を遂行いたしました。よって我らが仲間をお返しいただきたく参上仕りました。どうか大御神意穏ひに聞し召せと慎みて申し上げます」
 そんな約束した気はする。しかし特に気にしてなかったために忘れていた。ただ神として約束を破ることはできない。自分に仕える眷属も見ている。これは信用に関わる問題、イヤでも呑まなければいけない状況だった。
 ――分かった。そんならあんたらそこの二人連れてってええで。それからコズミと言うたかな。あんた、本当に我が夫の意を汲んできたんやな。
「はい、確かに」
 ――あのひとは何か言うてなかったか?
「はい伝言を承ってございます」
 ――何て?
「申し上げます。
“美しき我が汝妹(なにも)の命、我と汝と造れる国を守護りし者らを現世に返し給へ。あなにやし、え娘子(おとめ)を(この上なく愛しいひとよ)”
とのことでございます」
 黄泉大神はしばらくその伝言を味わうように、じっと目を閉じていた。誰もが固唾(かたず)を呑んで神の言葉を待っていた。
 その頃、人型に戻ったルイス・バーネットは周囲を見渡し、ナミの姿を見つけるとすぐさま駆け寄った。ナミは座り込んでいたが立ち上がり、どういう手を使ったのか、来られないはずの場所まで、自分の危機に駆けつけた幼馴染を迎えた。
 ルイス・バーネットはあまり彼女に見せることはない真顔で近寄ってきた。そして眼前に迫ると彼女の肩を掴んで柱の陰に連れていき、更にいきなり彼女を抱きしめて、そして口づけをした。
 ナミは全身に電流が走った気がした。一瞬、全身が硬直した。うううー、と呻く。手をバタつかせる。その間に、一気に口移しで霊力が流れ込んできた。少しの間をおいてルイス・バーネットは彼女から身体を離した。ナミはほんの一瞬、呆然自失のていであったが、すぐに我に返ると「な、な、何すんのよ」言いながら左手のひらを彼の(ほお)めがけて振った。いつもの流れなら彼はひょいとそのビンタをかわして微笑みながらそうした理由を述べるのだが、その時の彼は違った。ナミの左手首を彼はがしっと掴み止め、そして真顔で口を開いた。
「今回はさすがに心配したよ。君の位置情報が消えていたし、もしものことがあったらって気が気じゃなかった。こうしてまた会えて本当に良かった」言い終わってルイス・バーネットはやっと微笑んだ。その全身はぼんやりと薄くなっていた。またかなりの量の霊力をナミに与えたことが分かる。その証拠に薄っすら透けていたナミの身体ははっきりと霊力充実した様だった。
「だからっていきなり公衆の面前でキスすることないじゃない」
「大丈夫、みんな大神様の方に気が向いているから気づいてないよ」
「そういう問題じゃないの。もう二度としないでよ」
「それはそうと地上に戻ろう。早くしないと、時間がないんだ」
 そう言いつつナミの手を取るとそのまま彼はタカシたちのいる場所へと移動していった。そして立ったまま軽く頭を下げると眼前の神に言上げた。
「大神様、突然声をお掛けする無礼をご容赦ください。我らが地上へと戻らねばならぬ経緯はこの者たちからお聞きになられたことと存じます。そして我らに残された猶予はあとわずか。地上で陽が沈むまでに戻らねばなりません。こうしてせっかくお目通りが適って心残りなことこの上ないのですが、我々には待っている者たちがいます。ぜひこれにて退出するご無礼をお許しください。どうか、どうか」
 黄泉大神はそう言われて全員の顔を見渡した。自分の夫、そして郷内の八社の総意となればこれに意を唱えることもない。それに自分の夫が折れて結界を解いた事実もある。それなら妻の自分が固辞するのは正しくない気がする。すっとクロウとコズミに視線を向けた。
 ――あんな、あんたらいつも同じもんばっかり供えとるとこっちは飽きんねん。たまには違うもん、もうちっといいもんを供えてくれんか。
 予想外なことを言われてクロウもコズミも思わず顔を上げたが、すぐに平伏しながら、はい必ず、と返答した。すると黄泉大神は醜女たちの方を向いて優し気な声を掛けた。
 ――ちゅうことやで。あんたらもこの肉あきらめてやり。
 醜女たちはブーブーと不満そうにしていたが、それにつれて黄泉大神の表情が強張っていく様を見るともう黙るしかなかった。
 ――あんたら気をつけて帰り。もう二度と、生きている内にここには来たらあかんで。あと、そや、わての夫に伝言や。よろしゅう伝えてや。
 黄泉大神は真顔になって大きく一息吸うと、ろうろうと恋しさと寂しさと切なさを乗せた声を発した。

 愛しき我が汝兄(なせ)の命、我と汝と造れる国を守護りし者らを現世に返し給ふ。あなにやし、え男を(この上なく愛しいひとよ)。
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