第十一章二話 ヨリモの思い出

文字数 4,449文字

 幼い頃、周囲の眷属たちは、とても優しかった。それは、まるでよそよそしさを感じるくらいに。
 みんなからいろんなことを教えてもらった。
 御行幸道(みゆきみち)の見つけ方。
 装束(しょうぞく)の種類や着方、片付け方。
 食物の気を上手く取り込む方法。
 大神様や目上の方への拝礼の作法。
 やがて私に理解力がついてくるとこの郷の歴史や成り立ち、その存在意義なんかも細かく教えてくれた。
 みんな丁寧に指導してくれた。私はそのどれも難なく覚え、難なく身に着けていった。みんながさすが誓約(うけい)の子だと口々に言った。その当時は、それが褒め言葉だと思っていた。私が一つ覚える度に、何かできるようになる度に、淡々と発せられるその言葉を、ただ素直に喜んでいた。そしてそう言われれば言われるほど、自分を律して誰からも嫌われないようにしないといけない、そう自然と思うようになった。
 私には一つだけ、できるまでに時間が掛かったことがあった。それは変化(へんげ)すること。
 それ以外のことは他の眷属たちと比べてもすんなりと理解し、実行することができた。でも、変化することだけは、なかなかできなかった。羽を出そうとすると尻尾が出てくる。口ばしが出てくるはずが耳が生える。時間を掛けてその一つひとつを是正していく。手間も時間も掛かり指導してくれた仲間も、口に出しはしなかったけれど、少しあきれ気味の様子だった。そんな仲間の顔に、やっぱり誓約の子だから、私たちとは違う存在だから仕方ない、という表情が浮かんでいるような気がした。
 それから更に成長すると、少しずつ武芸も教えてくれるようになった。(まが)い者という村にも民草(たみくさ)にも災い成す存在を退治しなければいけないことやその方法も。
 特に、八幡宮(はちまんぐう)(まつ)られている祭神の一柱である神功皇后(じんぐうこうごう)様から特別に下賜(かし)された(やり)を拝受した後は、その使い方を徹底的に教え込まれた。大神様から槍を下されたからにはこの郷一の槍の使い手にならなくてはいけない、と暗に言われているかのような徹底した指導だった。ただ、それはけっして厳しくはなかった。とにかく粘り強く、一つひとつ丁寧に、根気よく教えてくれた。
 仲間たちにはみんな、自分たちが郷の総社の眷属だという自負があった。だから若い眷属に対しては通常、厳しく指導していた。総社の眷属に相応しい言動を身に着けるよう、常日頃から叱りつけ怒鳴りつけることも茶飯事だった。でも、私は叱られたことがない。誰にでも、それこそ他の社の眷属に対しても遠慮のないクレハ殿以外には。
 やがて私は、自他ともに認める槍の使い手となった。総社の眷属という自負心も身に着いた。その頃には、自分が他の若い眷属と比べて特別扱いをされていることに薄々気がついていた。周囲の若い眷属たちはもっと早くに気づいていたのだろう。もしかしたら最初から。
 私はどうしても若い眷属たちと打ち解けることができなかった。別に勤めに関する話もするし、一緒に稽古もするし、生活の細々したこともともにした。しかし彼らと私の間には、彼らが引いた見えない線が確かに存在していた。
 どうしたら良かったのだろう。そんな線など(また)いで越してしまえば良かったのだろうか。それはきっと、たぶん、とても容易(たやす)いこと。でも、そんなことをしても、みんなはただ戸惑うばかりだろう。困らせてしまうかもしれない。それに、そんなことしたところで、誰が、喜ぶのだろう。私に対してよそよそしいのは大人の眷属からしてみんななのだ。私はみんなが引いた線に囲まれている。無数に引かれた線のどこから外に出たらいいの?線の向こうにまた線がある。跨いで、跨いで、跨ぎ続けたところで、その先にはまだ線がある。更にまた新たな線が引かれていく。線を越えることも、線のことを考えることもとても疲れる。だから、無くならないならそのままでいい。囲われたままで。そんな風に思いはじめた頃、神議(かむはか)りが開催された。
 神議りは、基本的に重大な変事が起こって臨時に召集されることがなければ二十年に一度、八幡宮の境内(けいだい)で行われる。旧暦の十月、神無月(かんなづき)にこの郷に鎮座する神々の分御霊(わけみたま)を各社の眷属が御神輿(おみこし)に乗せて参集する。神々の乗った御神輿は社殿内に鎮座させられ、そこで神々はこの郷のこと、災厄のこと、結界のこと、その他、種々雑多なことを議り合った。
 神議りは毎回、持ち回りで当番の社があてがわれる。どちらにしろ地元開催のため主催者側に立つことになる我が八幡宮と眷属数が少ない東野神社(とうのじんじゃ)三輪神社(みわじんじゃ)を除いた天満宮、春日神社(かすがじんじゃ)山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)、熊野神社、稲荷神社が順に当番を受け持っていた。その回は稲荷神社の番だった。
 神議りの準備は時間を要する。その回も前年から準備を開始した。その間、当番社である稲荷神社の眷属たちが時には数人、時には数十人と八幡宮の境内に出入りをした。
 神社境内は、神社の境内というそれだけで一重の結界が張られている状態にある。それに加えて、先ず準備の手始めとして更なる結界を張り、境内を外界から隔絶する。そうすることによって民草が、眷属や眷属の手による神議りの準備の様子を視認することができなくなる。もちろん民草が境内に入ることはできる。しかし、そこで見るのは通常の境内であって、神議り仕様の境内ではない。
 そんな状態の中で、境内中に仮設の木造宿舎が建てられ、他にも種々設備が整えられていく。私にももちろん八幡宮眷属として勤めが課せられたが、それはあまり難しくはない、御行幸道の点検や宿舎に使用する資材の数量点検や神々への供え物の調達準備などだった。早々に準備を済ませてしまうと日々に時間の余裕があり過ぎて困ってしまった。他の仲間たちは稲荷神社の眷属たちと協力して準備を進めていく。しかし、何事にも慣れない私は両方の群れから浮いた存在でしかなかった。日々、自分でやるべきことを探してそれをこなしていく。やることがなくなると手持無沙汰にまたやるべきことを探す。そんな中、ふと、ぼーとしている眷属の姿を見つけた。タマ殿だった。生まれた日以来、数年振りにその姿を見掛けた。
 彼はいつも一人でぼーと、何か考え事でもしているのか遠くを眺めていた。いつ見ても、見かける度に、同じように。どれだけ怠け者なのだろう、それともただの役立たず?と私は最初思ったものだった。しかし、時々、彼は仲間の眷属から声を掛けられていた。その度にどこかに行って、少し経つとまた戻ってきて遠くを見つめていた。そんなことが何度もあり、私は察した。彼もきっと要領がいいのだろう。指示を出す側が追いつかないくらい、言いつけられた勤めをすぐに終わらせてしまって時間を持て余しているのだ。他の眷属がまだ立ち働いているのだからそれを手伝えばいいのだろうけど、それをすれば動きも早く要領もいいために他の人の仕事を奪うことになりかねない。だから、タマ殿は自制してただぼーとしているのだろう。他の人が勤めをまっとうしている状態を壊さないために。
 そう思うととても親近感を感じた。同時に生まれた私たちはやはり似ているのだ。少し嬉しくなった。脳裏にいつも抱いていたが、なるべく目を逸らしていた周囲からの疎外感がすうっと溶けていく気がする。胸の中で凝り固まっていたしこりがすうっと消えていく気がする。
 そんな思いを抱いていると、タマ殿が急にこちらを見た。そして立ち上がり、ためらうことなく近づいてきた。その動きが自然だったので、私は視線を逸らすことも忘れてただ、目の前にタマ殿が来るまで待っていた。
「久しいな。時々、姿を見かけていたので声を掛けようと思っていたが、いつも忙しくしているようだったので時機を逸していた。息災そうで何よりだ」
「そちらもお元気そうで何よりです」そう言いながら、タマ殿が自分のことを覚えていて、しかも声を掛けてくれたことに胸の辺りがぽわっと暖かくなるのを感じた。
 それから私たちはよく話をした。ふと視線を感じてその方に顔を向けるとそこにタマ殿がいた。自然と二人で寄り添いながら腰を掛けて大して重要でもない種々の出来事を話し合った。
「我は変化するのが苦手でな。時々、尻尾の代わりに羽が生えてしまう」ある時、タマ殿が言った。
「私は羽を生やそうと思ったら尻尾が生えてしまうことが時々あります。顔は鳩なのに尻尾が生えているから周りのみんなが気持ち悪がって。ひどいと思いません?」
 そんな他愛もないことを延々と話していた。そんな私たちを見て、その準備の(おさ)を勤めていた秘鍵(ひけん)殿は、私たち二人が一緒に行えるような仕事を割り振りしてくれた。秘鍵殿、とても優しく、気の利く眷属。心から尊敬できる方。
 そうして私たちはともに親交を深めていった。
 その回の神議りが終わって、当然のこととして私はタマ殿と疎遠になった。それでも時々、タマ殿は、稲荷神の使いとして八幡村に遣わされた眷属の従者として来ることがあった。会う度に話をした。いろんな季節を感じながら、その時の流れの中でただ無邪気に。
 ああ、タマ殿と話がしたい。タマ殿は今、いずこに……。

 はっと目を覚ました。目を見開く。しかし、変わらぬ闇の中。いったい自分がどの方向を向いているのか皆目検討がつかない。それどころか目を開いているのかさえ心許(こころもと)なくなってくる。
 慌てて手探りでタマを探す。身体中から激痛を感じる。
 恐らく自分たちは崖から落下したのだろう。それもけっこうな高さから。落ちている途中で気を失ったようで、タマ殿が一緒に落下したのか、ここが底なのか、まだ下があるのかさえも分からない。しかも、気づけば周囲に不穏な気配を感じる。ぞぞぞ、ぞぞぞぞと近づいてくる。こちらに敵意むき出しで。 
 今、襲われれば自分もタマ殿もひとたまりもない。絶望まで紙一重の心境。息苦しい。不安に押しつぶされそう。槍もない、何も見えない、タマ殿がどこにいるのか分からないから逃げることもできない、できることと言ったら戸惑うことと祈ること。だからヨリモは祈った。地に(ひたい)を着けるほどの平身低頭振りで、熱くなる目頭を必死に抑えつけながら。
“助けて、誰か、助けて。大神様、どうか私たちをお助けください”
 そんなヨリモの額がふと何かを感じた。地面から湧き上がってくるような、おぼろげな何かの感覚。違和感を覚えて彼女は顔を上げた。自分のいるこの場所が何か特別な場所なのだろうかと思った。しかし、周囲は変わらぬ闇の中。分からぬままに不安が(つの)る。そんなヨリモの視界の端にごく小さな光の点。とっさに視線を向けた。
 その小さな青い光はかなり離れた場所にある。移動しているのか細かく左右に動きながら、たまに木の陰になり姿を消しつつも、こちらに急速に近づいてくる。
 風のように樹々の間を、何らためらうことなく、突き進むようにその光は近づいてくる。そのうちその光が空中に浮かんでいる火の玉であることに気がついた。あれは、鬼火?
 近づくにつれ、鬼火に照らされたその一隅に真っ白い何かが見えてきた。
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