第六章一話 薄闇に潜みて悪を討つ

文字数 4,191文字

 マガは森の中に一人身動(みじろ)ぎもせず(ひそ)んでいた。
 夜は明けていたが、まだ森の中まで陽の光は届いていない。そんな、ぼんやりとした薄闇の中、その東野神社(とうのじんじゃ)相殿神(あいどのしん)である禍津神(まがつかみ)は一点を注視していた。そこには小さな禍い者の姿。木の幹にへばりついている。
 おもむろにマガは懐から鉄の棒を取り出した。それは握るとわずかに先端がはみ出る程度の長さ。少し重みが感じられる。マガはその棒手裏剣の端を持ち、腕を振り上げるとそのまま視線の先に向けて放った。それは木々の間を貫いて一直線に禍い者に向かい、突き刺さった。
 やった、マガは小さく歓喜の声を上げた。やっと手裏剣を標的に当てることができるようになった。本当は十字型の平手裏剣が良かったのだが、そんなものは、お宮はおろか村の中にももちろんない。苦心して調べた結果、棒状の手裏剣もあると知った。だから和子さん家でブロック塀を修復している時に、そこに置いてあった鉄筋を拝借して、おまけに金切鋸(かなきりのこ)もちょっと借りて適当な大きさに切断して持っていた。そして和子さん家の窓越しに時代劇に登場する忍びを観て投げ方を研究した。
 ここ最近、神の目を盗んで外出しては禍い者を相手に鍛錬を積んできた。その成果か十のうち七ないし八投は命中するようになっていた。
 禍い者は縄張り意識が強い。意思や思考はなくても本能的にそれを悟っていた。もとが一つの塊でそこから分裂して生じた場合、同族として群れを成す場合はあったが、それ以外には基本、他の禍い者とは距離を保ち、縄張りを(おか)すことはなかった。そして当然、大きく強い禍い者の縄張りは、広く大きい。
 マガの縄張りはこの東野村全体だった。だからその存在を知らずにこの村にいる禍い者に対して、彼は一吠えするだけで事足りた。どんな禍い者も、自分より強く大きな禍の者がいることを悟れば、早々に他の場所に移動していく。でも、それではあまりに味気ない。自分も戦ってこの村を守りたい、という気がしていた。時代劇の主人公のように、相手をバッタバッタと斬り捨てたかった。闇に紛れて隠密裏に悪を消し去りたかった。その願望のままに、彼は夜な夜な神の目を盗んでは禍い者を捜し、自分の武技を磨いていた。
 そして今晩、自分のお目付け役である玉兎(ぎょくと)が出張中。最近、村に禍い者が多く出没していることもあり、彼にとっては磨いた武技を遺憾なく発揮するいい機会だった。ただ、数ばかり多くて小物しかいない現状に、次第に物足りなさを感じはじめていた。もう少し手応えのある相手と戦いたい、そんな不満がじわりじわりと胸中ににじみはじめた頃、ふと近くの民家から怪しい気配を感じた。
 あれは耕三さん()だ。この東野村に住む人々は七割がた山崎姓だ。だから大抵、下の名前で呼び合う。
 東野村は高齢化率が高い、というよりほぼ高齢者しか住んでいない。だから、夏の早い夜明けに起き出している人がいても何ら不思議ではない。しかしマガの鋭い感覚にはそれは老人の動いている気配とは別物に感じられた。もっと忍び足で、人目をはばかって移動している、そんな不穏な気配。マガは極力音を立てずに木々の間を移動した。
 その気配は耕三さん家の母屋の横に建っている納屋(なや)に入っていった。マガは少し高台になっている林の中から納屋の入り口を見張る。すると、しばらくして気配の主が現れた。手に何か大きな物を持っている。家の横がすぐに高台になっているせいか、まだ朝陽の恩恵に預かっておらず、辺りにはまだかなりの闇が居座っている。人の姿の輪郭しか判別できない。しかしその様子から、盗人である、とマガは判断した。だから棒手裏剣を手に持つとその人影に向かって投げつけた。
 玉兎はそれまで何軒かの村人の家々を回って縄と綱を捜していた。
 この東野村には農家が多い。大抵は敷地の一画に納屋があった。そして村中のどの家も基本的に鍵を掛ける習慣がなかった。だからいくつかの納屋にお邪魔して適当なものを探したが、どの縄も綱も長さや強度が足りなく思われた。そしてこの耕三さん家の納屋でやっと適当な太めのわら縄を見つけた。その輪っか状の固まりに腕を通して肩に掛け、手に大量の凧ヒモを持って納屋から出てきた。だいぶ時間が経ってしまった。あいつらも首を長くして待っているだろう、玉兎はタマたちのことを思い、急いで臥龍川(がりゅうがわ)に戻ろうとした、その矢先、自分の顔のすぐ近くに何かが飛んできて、納屋の土壁に当たってコーンと高い音を立てた。玉兎は驚いて周囲を見渡す、と同時に母屋からドタバタと物音がして唐突に扉がガラリと開いた。そこには甚平姿(じんべいすがた)の老人が立っていた。手には猟銃を持っている。
 そうだった、耕三さんは猟友会々員だった。とっさに玉兎は跳躍して林の中に飛び込み、そのまま一目散に走り逃げた。耕三さんとしては、動物がうろつくことなど日常茶飯事なこの一帯、猿か猪でも納屋に置いてある野菜を(あさ)りにきたのかと思ったが、寸でのところで逃げられた。まあ、追い払うことができて良かったと、そのまま母屋の中に姿を消した。
 玉兎は林の中を、草を掻き分け、枯れ枝を踏み折りながら、凄まじい速さで駆けていった。足下のけもの道は林の奥まで続いていて、走り抜けると東野神社の近くにいたる。しかし玉兎はその途中で急に脇の草むらに飛び込むと、じっと息を潜めて周囲を窺った。
 静かに息を整えながら襲撃者が追ってくるのを待った。彼の足は速い。この恵那郷に鎮座する八社の眷属の中でも随一の速さを誇っている。だから追手があったとしてもかなりな距離を空けている自信があった。ここで待ってじっくりとその正体を見極めてやろう。もし可能であれば肩に担いだ縄でひっ捕らえてやろう。そう思って待っていると一つの影が、彼が走ってきた道の先に現れた。その影は周囲を警戒しながら徐々に彼のいる場所に近づいてきた。体勢を低く構え、歩幅を小さく小刻みに足を繰り出しながら駆けては止まり、周囲を警戒したと思ったらまた駆けた。正に隠密という動きが、薄闇の中でも見て取れた。そしてその正体も。
「マガ、お前、何やってんだ」玉兎は立ち上がり、前方のにわか忍者に声を掛けた。
「え、玉兎?え、何で?隣村に行ったんじゃないの?」
「いや、訳があって戻ってきた」
「え、やっぱり、他のひとたちとケンカした?玉兎、気難しいし、協調性ないから、マガ、心配してた」
「誰が、気難しくて協調性がないんだ。ケンカなんてしていない。縄が必要になったから取りに帰ってきただけだ。それでお前は何をやってたんだ?」
「マガ、この村の正義を守る忍びなの。さっき耕三さん家に盗人が入ってたから撃退した。その盗人が逃げたから懲らしめるために追ってきた」
 やっぱりこいつか、と玉兎は思った。
「ほう、それでその盗人にお前、何か投げつけなかったか?」
「うん、手裏剣」
「それって当たったらけっこう痛いよな」
「うん、たぶん」
「俺、さっき耕三さん家の納屋に縄を借りに行っていたんだけど」
「ふーん……え?」
「お前、その相手が本当に盗人なのか確かめたのか?自分の勘違いだとは思わなったのか?」
「マガ、勘がいい。マガの勘、間違わない」
「でも、盗人だと思った相手は自分のよく知っている相手で、しかも大神様の眷属だったと。大した勘だな」
「でも、悪いことしてる気配だった」
「俺が?悪いこと?そんな訳ないだろ」
「じゃ、耕三さんに借りること言った?」
「あ、いや、それは、後からちゃんと返せば問題ないだろ」
「捕まった悪人は、みんなそう言う。返すつもりだった。ちょっと借りただけ。でも人に黙って借りただけでダメ。ちゃんと言わないと。そんなこと当然」
 普段から自然とマガの世話係兼教育係的な立場に置かれている玉兎としては、返す言葉がなかった。まずい、このままでは自分の立場がなくなる。うまい言い訳を必死に考えた。すると、ふと林の横を通っている人道に気配を感じた。自分の知っている気配。
 玉兎は草を掻き分けながら通りに向かった。
「玉兎、どこに行く。まだ話、終わってない」と言いつつマガが追った。

 通りには夜明けの心地よいそよ風が吹いていた。真夏とはいえ清涼な気で満ちている。まだ山稜に(はば)まれて直接、朝陽の光りは届いていないが、空はもう明るく、足元もはっきりと見え、歩くのに不自由はなかった。
 道なりに進んで行けば隣村に辿り着ける、と(おぼ)しき道を、タカシはリサと並んで歩いていた。
 恵美さん宅からここまで、タカシは他愛もないことを少しずつ質問したり、種々な事柄に対する自分の思いを伝えたりした。リサがあまり自分から長々としゃべる方でもなかったので、会話は途切れ途切れになっていたが、それでも朝ののんびりした時間に相まって、居心地の悪さは感じられなかった。
 小さなリサと話しながら、現実世界で彼女とどんな話をしてたかな、と記憶を辿った。
 いつでも一緒にいれば気分は高揚していた。彼女のことが知りたくてたまらなくて、いろんなことを尋ねていた。世の中のすべてのもののそれぞれに対してどう感じるか、何が好きで何が嫌いか、何をしたいか、どうしたいのか、考えるよりも先に自然と言葉があふれて口から流れ出てくる。リサもこちらのことをよく尋ねてきていた、とても自然な感じで。
 リサと話していると共通点が多いことに気づく。それは趣味趣向とか物事の好悪という類のものではなく、人間性の根本的な部分で。だから、何も気負うこともなく、小鳥が林の中で(さえず)り合うように、流れるように会話が成立していた。他愛もない会話が、飽きることのない楽しいひと時として彼女との間に流れていく。
 でも、今、リサは外見、どう見ても小学生だった。その思考がその見た目に合致するものなのか、現実世界そのままの成人としてのそれなのか、まだ分かりきっていなかったし、こちらのことを覚えていないので、どう接するのが適当なのか、まだ少し迷っていた。ただ、何となく自分のことを信用してくれているようだし、少しずつ打ち解けてくれてもいるようだったので、これから道すがら接し方を模索していくつもりだった。
 そんな二人の目の前に、横の林の中から急に何かが飛び出して、そして言った。
「おう、民草(たみくさ)。こんな所で何やってんだ?」
 玉兎だった。そのすぐ後からマガが姿を現した。
「玉兎、まだ話の途中……
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み