第十一章六話 ヨリモ、磁場を見出す

文字数 5,011文字

 三人の老婆たちが生み出された頃、山には多くの修行僧や修験者が出入りしていた。それらの人々が入山する前には必ず山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)参詣(さんけい)したために神社も社頭も賑わっていた。
 婆たちはまだ若い時分、次々に入山していく僧侶や修験者たちに憧れた。自分たちも修行に身を費やし、もっと立派な眷属になって大神様のためになりたいと思っていた。しかし、聖地である山への女性の立ち入りは、民草はもちろん眷属でも認められなかった。それはいくら大神様に懇願しても許されることではなかった。しかし諦めきれない婆たちはある時、境内に来た僧に話し掛けた。その僧はどうやら名のある高僧だったらしく、立派な袈裟を着て、無事に修行を終えた御礼のため(やしろ)に参詣にきていた。
 話し掛ける役は決まっていた。それまで幾度となく下山していく者たちに話し掛けたお蔭で、その眷属だけはある一定の験力を会得した者とは話ができるようになっていた。他の二人は話をするのが得意でなかったので、ただ黙って聴いていた。
「我らは山王権現(さんのうごんげん)の眷属である。我らはこの上隠山(かみかくしやま)の麓に住み続けて幾星霜(いくせいそう)、数え切れぬほどの修験者、修行僧を迎え、送り出して参った。その者たちの修行がどのようなものであるかは知らぬが、その者たちのように我らも力を得たい。しかし我らは女人であるという、それだけで入山が適わぬ。修行することが適わぬ。見たところそなたはなかなかの高僧のようだ。我らが入山できるように取り計らってもらえぬだろうか」
 その高僧は何の前触れもなく、人ならざる者に話しかけられたにも関わらず、驚くこともなく静かに返答した。
御前様(おまえさま)たちは、この社の大神様を守り、麓の人々を豊かにする、大変尊い存在であると存ずる。しかし、それに甘んじず更に修行なされたいとは、誠に頭が下がります。ただ、決まりは決まり。それを破ることはなりませぬ」
「では女は修行して功徳を積んではならぬというのか。伝教大師殿は一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と言われた。女でも仏性を得ることはできよう」
「確かにそうです。しかし修行の身の男と女は、十善戒を守るためにも、ともにいることは許されぬのです。まあ、修行はしようと思えばどこでもできます。適当な場所を探されて修行されたらいかがでしょう」
「山に入らずとも修行ができるのか?」
「修行などどこででもできます。拙僧(せっそう)が入山したのは、ただ日常のしがらみから逃れるため。寓居(ぐうきょ)となる堂宇(どうう)にいる時には、人々のことを考え寺院のことを考え、後に来た者たちの世話を焼くことに日々を削られ、なかなか修行に身を入れることができません。そこで一念発起し、入山することにしたのです。拙僧も自らの堂宇で修行ができるならばここへは参っておりません」
「どのようにすればいいのだ?」
「例えば安居というものがございます」
「あんご?」
「ええ、お釈迦様がおられました天竺(てんじく)には、夏に森や洞窟に籠って修行する夏安居というものがございました。それが伝わり本邦でも行われておるものですが、人を避け、しがらみを避け、ただひたすら祈祷を(しゅう)するのです。不要なものを極限まで削り落とし、感覚を研ぎ澄ませ、真理を感得するのです。山上で行う修行にも勝るとも劣らない厳しい修行です」
 三人はその僧の言葉に感銘を受け、それを実践することにした。それ以来、三人は安居するに相応(ふさわ)しい場所を探し、山の麓に洞窟を見つけた。その頃には他の眷属たちも生み出されていたので、社の勤めを任せ、大神様に修行する旨を伝えて許しを得ると、三人揃って洞窟に籠った。ただ、真理を感ずるために。
 一人は、音と言葉を不要なものとして、ただ見ることで真理を見出そうとした。
 一人は、言葉と光を不要なものとして、ただ聴くことで真理を見出そうとした。
 一人は、光と音を不要なものとして、ただ言葉を(つむ)ぐことで真理を見出そうとした。
 やがて、見ることで真理を見出そうとした者は、山上から麓、民家の隅々にいたるまで村内はおろか周囲のあらゆる事象を見通すことができるようになった。
 聴くことで真理を見出そうとした者は、山上の人の足音から村外の風の吹く音まですべての音を聞き分けることができるようになった。
 言葉を紡ぐことで真理を見出そうとした者は、人はおろか声なき者の声をも感得し、言葉にして伝えることができるようになった。
 そのうち見ることで真理を見出そうとした者は、“目”と呼ばれ、聴くことで真理を見出そうとした者は“耳”と呼ばれ、言葉を紡ぐことで真理を見出そうとした者は“口”と呼ばれるようになった。それは最初、自分たちで使用しはじめた呼び名だった。名などどうでもよかったから各自の一番特徴的な部分を適当に呼び名にしたのだった。
 やがて目は見ることには長け、耳は聴くことには長け、口は話すことには長けたが、それ以外のことが不自由になった。逆に言えば、そういった余分なものを削り落とすことによって誰よりも長けた力を得たのかもしれなかった。
 三人はいつもともにいた。だから互いに補い合った。目は他の二人の分まで見、耳は他の二人の分まで聴き、口は他の二人の意を酌み言葉にした。それで特に不自由はなかった。
 そんな三人を他の眷属たちが次第に頼りにしだした。その能力はもちろんだが、修行の一環として薬草を採取、調合し、香草からお香を作るようになると更に頼りにするようになった。とはいえ男ばかりの他の眷属たちは、普段は山上にいてあまり彼女たちのもとに来ることはなかったが。
 そんな眷属たちとは一線を引いた存在としてマサルは生み出された。マサルだけはずっと社にいた。そして大神様の使いとしてたびたび婆たちの洞窟にやってきた。幼く素直で礼儀正しいマサルのことを婆たちは何とも好ましい存在に思った。だから何かと世話を焼いてやった。自らの身内のような存在と思っていた。

 そんなマサルと並び立ち、横たわるタカシのかたわらに集まって、目はタカシの頭の先から爪先までジッと見渡した。耳はタカシの胸の上や顔の上に顔を近づけてジッと体内から漏れる音を聴いていた。そんな二人の意を酌んで口が言葉を紡いだ。
「ふむ。気が封じられておる。だが、死ぬことはない。香で封を切ることができるだろう。しかし、この民草、体内に呪いの影が見える。深い(ほら)から吹く、黒く渦巻く風の音が聞こえる。何やら根源に刻み込まれているような深く強い呪いのようだ」
「呪いですか。それはいったいどのような?」
「そこまでは分からぬ。しかし最近、生じた呪いではないようだ。どこかの祈祷師や修験者や陰陽師が使う呪いとも違う。我らの知らぬ(たぐい)のものかもしれぬ。ともあれ、先ずは気の封じを解かぬとな。治療をはじめよう」
 口がそう言うと、目がさっさと部屋の隅で香を焚きはじめた。
「我らを外に連れ出してそこの扉を閉めよ」と口がマサルに言った。マサルは三人の婆と連れ立って室外に出ると、普段は壁に立て掛けてある扉を入り口にはめ、そこにあった大振りの石やつっかえ棒で倒れないように固定した。
「あの香には人の気の流れを良くする効能がある。気がうまく流れはじめれば封じておる力も自然とその流れに溶かされ消えていくだろう。少し時間が掛かるが、まあ、夜明けまでには治っておるじゃろう」
「ありがとうございます。いつも婆たちには助けられます」
「はは、気にするな。そなたには薬草採りや大神様への使いとして、いつも助けてもらっている。お互い様だ」そう言いながら広間に移動した口が微笑むと、そばで椅子に座りかけている耳も、それに手を添えてやっている目も同じように穏やかに笑った。

 ――――――――――

 秘鍵(ひけん)の足は速かった。道なき道をものともせず飛ぶように地を駆ける。睦月(むつき)は何とか遅れずについていったが、ヨリモはすぐに置いていかれた。その度に秘鍵は立ち止まり、ヨリモの到着を待った。
「申し訳ございません。私は夜目が利かないので、あまり速くは走れません。どうぞ、気にせずお先に……」
 申し訳なさそうに言うヨリモに秘鍵は穏やかに答えた。
「ヨリモ殿、磁場を感じなされ」
「磁場を?」
「ああ、磁場を感じられるようになれば、目が見えずとも走れるようになる。感覚的に、ここは地が下がっておる、とか、ここには木がある、とか自然と分かるようになる。これは我ら稲荷の眷属に特有の能力だが、そなたならば感得できるだろう。まあ、聞いたばかりですぐにできるようにはならないかもしれぬが、自分にそういう力が秘められていることを常に意識してみなさい」
「分かりました」そう言ってはみたものの自分にそんな能力があるなどとは信じられず、かと言って秘鍵ほどの者が根拠のないことを言う訳もないので、とにかく半信半疑ながらも、それまでより足元に意識を深く向けてみた。
 しばらく行くうちにまた秘鍵から大きく後れはじめた。秘鍵がまた足を止め、しばし待つ。その姿が鬼火に照らされ浮かび上がっている。じっと穏やかな顔つきをしたまま、ほら、頑張って、というような雰囲気を(かも)し出している。ヨリモは、暗に自分が磁場を感じられるかどうか試されているように思えた。とはいえ、先ほどから試みてはいるものの、なかなか磁場などというものは感じられない。そもそもどう感じるものなのかも分からない。そんなことを考えていると木の根につまずいた。すぐに反対の足を前に出そうとするがいつの間にかその足につる草が絡んでいた。とっさに前に手を着こうとしたが間に合わなかった。ヨリモはびたん、と派手にこけた。
 思わず固く目を閉じた。たいして痛みはなかったが、人前で思いっ切りこけてしまった恥ずかしさと情けなさが全身に充満した。もう、と思いながら目を開く。すると眼前の地面に、ほのかに青白く輝く光。はっと思い、こけたことも忘れて集中した。次第にはっきりとその光は輝き、広がりはじめた。長く伸びていき、辺り一面、ぼうっと青白く光り出した。もしかして、これが磁場を感じる、ということなのかしら?そう思いながら立ち上がりかけている彼女の元に秘鍵が戻ってきた。
「どうやら磁場を感じることができたみたいだね。やはりそなたは大神様という根源を同じくする我らの仲間なのだ。さあ、これで歩くことに不自由はないだろう。行こう。タマの状態も落ち着いているが、急ぐに越したことはない」
 そう言うと秘鍵は先ほどより少し速めに先を進んだ。ヨリモは薄っすらと見える磁場の流れに沿って、最初は恐る恐る、そのうち普通に歩くように、やがて飛ぶように走って秘鍵の後を追っていった。
 しばらくするとまた秘鍵の足が止まった。ヨリモはすぐに追いついた。
「秘鍵殿、いかがされましたか?」
「そこに眷属がいる。それに(まが)い者なのか、とても強い気を感じる。ただの禍い者ではないようだ。あの眷属も八幡宮の眷属ではないな。あの装束(しょうぞく)は、天満宮の眷属か。なぜ、こんな時間にこんな所にいるのだろうか」
 秘鍵は力が強いせいか、特にここまで人目をはばかりもせずに来た。今、鬼火は後方に隠れるように移動させているが、身を隠そうとするつもりはなさそうだった。ただ、相手がなぜここにいるのかその目的が分からない現状、わずかばかり警戒する様子を見せた。
「それはきっと天満宮の眷属である蝸牛(かぎゅう)殿と東野神社(とうのじんじゃ)相殿神(あいどのしん)でありますマガ殿です。心配いりません。先ほどまで私は彼らと行動をともにしていたのです。彼らも八幡宮に参ります。ぜひ、同行いたしましょう」
 分かった、と秘鍵は鬼火を前方からよく見えるように少し高めに浮かせて、再び前に進んだ。
 秘鍵も蝸牛とマガのことは聞き知っている。蝸牛とは直接、話をしたことはないが、天満宮の眷属の中で一番若いが一際、身体が大きく、力が強く、有能だという話を白牛(はくぎゅう)他、天満宮の眷属から嫌というほど聞かされていた。彼らに会うたびに末弟の話ばかりするのですっかり蝸牛とは知り合いのような気がしている。
 また公然の秘密として、東野村に禍津神(まがつかみ)が棲み着いているという話を聞いたことがある。東野神社の恵那彦命(えなひこのみこと)からもそのことについて神議(かむはか)りにおいて弁明があり、その結果、他の神々から不問に付されたことも。しかし、その時の条件の中に、東野村から一切出さないこと、というのがあったはずだが、なぜここにいるのだろうか?
 秘鍵が疑念を抱いたまま一行は、蝸牛たちと合流すべく進んでいった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み