第十一章十一話 何かがはじまる予感

文字数 4,970文字

 森を出た。民家の立ち並ぶその先には八幡宮(はちまんぐう)境内(けいだい)。先ほどまでの激雨の影響はあまりなかったのか、所々の家に明かりが灯っていた。
 見慣れた風景、ヨリモはほっと安堵した。後方にいる蝸牛(かぎゅう)の顔にも安堵の色が見て取れた。ただ、煌々と光を放っている鬼火に照らされた秘鍵(ひけん)とその後ろにいる睦月(むつき)の表情は固かった。二人とも、点々とした灯りにぼんやりと浮かび上がる風景を、じっと凝視していた。
「秘鍵殿、どうかされましたか?」ヨリモはその表情にふと不安を感じた。
「いや、八幡宮の境内から不穏な気配を感じる。何やら殺気立っているような。今、近づくのはやめた方が良さそうだ」と秘鍵。
「そうですね。どうも歓迎される雰囲気ではない」と睦月。他村の眷属に比べ戦闘経験の豊富な睦月は不穏な空気には敏感だった。
「きっと、夜明けとともに村内の(まが)い者たちを退治するために、隊の編成をしているのでしょう。出陣前なので血気に(はや)っている、それだけのことではないでしょうか。ご心配は不要かと存じます」そう言いながらヨリモは境内に視線を戻した。するとふと、視界の端、足元の雑草の茂みに小さく光る二つの赤い点を見つけた。
「豆助?」
 そうヨリモが赤い点に声を掛けると、急にその点が走り寄ってきた。そしてヨリモの身体を駆け上がるとその肩にちょこんと乗った。
「豆助、どうしたの。珍しいわね、あなたが境内の外に出てくるなんて」
 その声に肩に乗っている灰色毛並みの、八幡宮境内社である大黒社の眷属ネズミが何かを訴えるようにチュウチュウ、と続け様に鳴きはやした。
「えっ、どういうこと?みんなが武装してこっちに向かってくるって?それは私たちを迎えに来ているってことじゃないの?」
 更に豆助は鳴き続けた。
「えっ?私たちを捕まえに来るって?そんなはずは。すぐに逃げろっていうの?いったい何がどうなっているの?」
 ヨリモの背後が急に暗くなった。振り返ると鬼火が消えている。薄闇の中、ぼんやりと妖しく見える秘鍵の表情は更に固く険しくなっていた。
「すぐに逃げよう。不穏な気配がすぐそこまで近づいている」そう言ってすぐに(きびす)を返そうとしたが、即座に自分たちがすでに囲まれていることを察した。ここまで気づかれずに自分が囲まれることなど今までにないことだった。これは八幡宮の眷属ではない。もしや、これは熊野の眷属。そう思うと同時に周囲からサササッと背中に黒い羽を生やした山伏姿の屈強な体躯の眷属が複数現れた。
 熊野神社の眷属たちは特殊な修行によって特別な能力を有している、と聞いたことがある。しかし、こうして気配を消し、自分に気づかれずに周囲を取り囲むほどとは、正直、秘鍵は思ってもいなかった。
 逃げ道はもうない。力づくで押し通ったとしたら、どうにか突破できそうな気はするし、稲荷神社の第二眷属として、そのくらいの自信は持ち合わせていた。ただ、そうなったらまず間違いなくお互いに犠牲が出る。相手の力量はよく分からない。しかし、その身体から発せられる気の充実具合から生半可な相手ではなく思える。それに数も多い。恐らく手を抜いて突破できるような相手ではない。遠慮なく相手を滅するくらいのつもりで対峙しないと、こちらが滅せられかねない。そう彼の感覚が訴えていた。
「我は稲荷神社第二眷属、秘鍵である。そなたたちは熊野神社の眷属だな。我らはこちらの大神様に用があり八幡宮に向かっているところだが、我らに何かご用だろうか」
 全身を警戒心で満たしつつも、秘鍵は表向き冷静に構えていた。少し静寂の間が空いた。熊野の眷属たちから返答はない。その間に八幡宮の境内から集団が移動する気配が漂ってきた。秘鍵は試しに数歩後退(あとずさ)ってみた。熊野の眷属たちの包囲もあわせるように移動する。攻撃するでもなく、声を掛けるでもなく、単に包囲を続けている。我らをこの場に足止めするつもりか。
 そうこうするうちに、八幡宮に続く道の先から大きな灯りが見えた。それは両腕で抱えるほどの大きな松明(たいまつ)。それを持って集団の足元を照らしている先導に続き、クレハ以下、武装した八幡宮の眷属たちが固まって進んできた。秘鍵たちは進退窮まった。その前面に達し、足を止めると、クレハはくっきりと眉間に皺を寄せながら、しっかりと相手一人ひとりの顔を凝視した。
「そなたたち、このような時間に突然何をしに来た。(まが)の者もいるのではないか。何を企てようとしている。早々に申し開きをせい」

 ――――――――――

 遠く離れた春日神社境内(かすがじんじゃけいだい)の現状を目婆が見、耳婆が聴き、それぞれが感じ取った内容を口婆がナミたちに向けて言葉にした。
「災厄は朽ちた自らの身体の代わりに()(しろ)を欲しておる。そこでその妹の身体を借りて、依り代の娘のもとに向かった。しかし、神々も依り代の娘を守護し、再び結界を張るためにその身体に天降(あまくだ)った。現状、神々の力が勝り、災厄の分御霊(わけみたま)は動けなくなっておる。ただ、神々の和が乱れた。何柱かの神々が社へ帰ってしまったようだ。これでは結界は張れん。しかも依り代の娘が妹に歩み寄っておる。何をするつもりじゃ?」
 いったいどういうこと?ナミにはいまいち現状が把握できなかった。自分がいない間に姉妹喧嘩がはじまって姉が勝ったけど、神々の間でも仲違いがはじまって、その内に姉は傷ついた妹に歩み寄って仲直りしようとしているってこと?
「とにかくその姉妹はまだ生きているってことね。すぐに向かうわ。二人は今、どこにいるの?」
「待ってくれ、俺も行く」慌ててタカシが言った。
「それはやめておけ」すぐさまクロウが冷ややかな視線で見下ろしながら言った。
「なぜ?俺は行かないと、リサを助けないと」
「そなたが行ったところで何ができる。そなたはただの民草(たみくさ)だ。何の力もない」
 そう言われてもしょうがないほど自分の無力さを痛感していた。しかし、引き下がる訳にはいかない。
「それでも、俺は行かないといけない。リサの力にならないと」
「無駄だ。今のそなたでは何の力にもなれない。しかし、そなたはこの地で力を得る。どのような力なのかは分からぬが、それを引き出さねばこの郷が消滅してしまう。そう卜占(うらない)に出ておった。だから、我はここに来た。そなたが持つ力を引き出すために」
「力?それはすぐに手に入るのか?どうやって?」
「そなたはこれから山に入り、(ぎょう)に身を投じよ。どれだけの時間が掛かるのかは、そなた次第だ」
 タカシは困惑した。クロウの言葉をにわかには信じがたかったが、自分の中に眠る力を引き出してくれるという話はとても魅力的に思えた。極力目を背けていたが、何の能力も持たない今の自分ではリサの助けになど到底なれない。しばらく考え込んだタカシの頭上からクロウが訊く。
「さて、どうする。行をおこなうか否かはそなた次第だ。けっして我らは強いることはできぬ。あくまで行はそなた自身のことだからな。させられて身につくものでもない」
 そう言われてもタカシは困惑したままだった。あまりに話が急だった。状況的に時間がないのは分かるが、考える時間くらいはほしかった。その時、マサルが静かに口を開いた。
「民草の男よ。クロウ殿が言われる行は峰入りと呼ばれる、我々眷属が修行するためのものです。民草よりも格段に能力の高い我らでも峰入りは相応の覚悟がいるし、一歩間違えば二度と戻ってこれないほどの荒行苦行です。そなたがそれをまっとうできる可能性は正直言って低いでしょう。しかし、我は少しの時間、そなたと連れ立って渡り歩くうちに、そなたの諦めない心に感心しました。そなたが、けっして諦めなければ、もしかしたら完遂できるかもしれません。その時、そなたの力が解放されるでしょう。それがどれほどのものか、そなたの望みを叶えることができるほどのものなのか、それはやってみないと分かりません。それを理解した上で峰入りをするのかどうか、決めることです。するのなら我がご助力いたします」
 少しの間、沈黙が洞窟内をおおった。そのだらけた時の流れにナミは苛立ちを覚えた。こんなことをしている場合ではない。話を先に進めなければいけない。
「ねえ、私はマコのところに行くわよ。凪瀬(なぎせ)タカシ、あなたはどうせその修行をするんでしょ。山崎リサを助けられる可能性が少しでも高まるのなら、あなたはそっちを選ぶでしょ、間違いなく」
 タカシはまだ二の足を踏んでいた。ふとナミの後ろにいる仲間に視線を向けた。
「ルイス・バーネット、君はどう思う?」
 そこにはいつもの穏やかな微笑みがたたえられていた。
「君が今、しようかやめようか、二つに一つで悩んでいるのなら、した方がいい。どちらにしても失敗すれば後悔することになるだろう。あの時、あっちの道を進んでいたらって思うかもしれない。でも、やった後悔は、やらなかった後悔より自分に優しいと思うよ。それにこのままならこの世界は崩壊してしまうだろう。彼らも君の命までは取りはしないだろうから、やってみてはどうかな」
 タカシはルイス・バーネットからナミへと視線を移した。みんなが自分のことを真剣に考えてくれている。そしてこの送り霊たちは間違いなく今の自分よりリサを助ける能力に()けている。この二人にリサのことを任せた方が万事うまくいく気もする。ただ、最愛のひとのことを他人任せにする心苦しさが胸中にわだかまっている。その思いに対して彼は語り掛ける。
 自分は誓った。現実の世界で彼女と再会した時、自分たちを取り巻く運命について知った時、必ず彼女を守ると。でも、今の自分では無理だ。それなら、彼女を守れる自分にならなくてはならない。だから……
「やります。行をさせてください。お願いします」
 眼前の民草の瞳に、小さいがしっかりとした決意の火が灯っていた。それを見てクロウは微笑んだ。
 この決断がこの男にとって吉凶どちらに出るかは分からない。しかし、あえて苦難の道を選んだその心根に報いるように、この男が満行できるように手助けしてやろう、そうマサルは心に誓った。
「では、早速参ろうか。時が惜しいのだろう?」クロウが言う。
「ああ、よろしく頼む。ナミ、リサとマコちゃんのことを頼む。本当なら俺も行きたいけど、真に彼女を助けられるようになるために、ここは君に頼む」
 この男もようやく無茶をするだけが、現状打破の手段ではないことを学んだようね、とナミは思いつつ、自分の胸中に渦巻いている言い知れぬ焦りを言葉に乗せて発した。
「安心しなさい。私はあなたとの契約があるから、山崎リサをこんなところで死なせないし、この世界を崩壊もさせない。それにマコのこともどうにかする。さあ、のんびりしている暇はない、行くわよ。マコたちはどこにいるの?誰か教えて」
「間もなく夜が明ける。娘たちはここから南東の方におる。ちょうど陽が昇る方向じゃ。そっちに行った先の開けた平地(ひらち)におるはずじゃ」口婆が静かに答えた。
 それから全員連れ立って外に出た。周囲の山容に阻まれて朝日を拝むことはできなかったが、果たして周囲は朝ぼらけの薄明るさに包まれていた。
 また一日がはじまる。けっして希望に満ちてはいないが、それでも何かがはじまる予感をちりばめた朝の気が漂っている。また新たに何かをはじめられる、その可能性だけは抱くことができる。
 タカシは清々しい朝の気を胸いっぱいに吸った。煙を大量に吸い込んでいたせいか、足元はふらつき、頭の中は混濁していたが、少し(もや)が晴れたような気がした。決意を新たに前に進む力を少しだけ得た気がした。
「じゃ、行ってくるわ」ナミはそう言い浮かび上がるとそのまま樹冠の上まで上がり、そしてすぐに遥か遠く飛んでいった。
「凪瀬タカシ君。君の健闘を祈っている。大丈夫、君ならきっとできる。なりたい自分になれる。守護霊である僕が保証するよ。じゃ」そう言うとルイス・バーネットは瞬く間に白い光に包まれ、ツバメの姿に変化してその場で少し羽ばたいたかと思うとさっと上空へと消えていった。
「大神様の分御霊がお社にお帰りになっておる。ご挨拶して山中での安全を()()み願ってから入山せよ」口婆の言葉に残った全員が歩きはじめた。
 タカシは先の見えない不安を抱えつつも、きっとこの先の苦難を乗り越えてみせると、決意を足に乗せて、歩いていく。
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