第五章十一話 僧兵姿の眷属たち

文字数 4,690文字

 その頃、三輪神社境内(みわじんじゃけいだい)でナミとルイス・バーネットは途方に暮れていた。
 ここにマコが連れてこられたのだろうと思っていたし、もしマコがいなくても連れ去られた先の手掛かりくらいは手に入るだろうと予想していた。しかし、来てみたものの誰もいない。人間はおろか眷属さえ見当たらない。試しに社に鎮まっているはずの神様に問い掛けてみたが、何の答えもない。存在を示す気配すら感じられない。神々も一種霊的な存在だ。存在があれば何らかの気配を感じるはずだった。しかし目の前の社殿(しゃでん)からは何らそういった存在を見出し得ない。
「やはり誰もいない。ここにはマコちゃんはいないみたいだ。戻ってみんなと合流することにしないか」努めて穏やかにルイス・バーネットが声を掛けた。
「そうね……」ナミは社殿背後の山を見つめた。きれいな円錐形の山、とても静かな山だった。静かすぎるほどに。まるで意図的に息を(ひそ)めているかのよう。形のせいかしら、周囲とは雰囲気が違う。そうナミが思っている間に、ふと境内に近づいてくる気配を感じた。身を隠す間もなく、その集団は姿を現した。自分たちに気づかれずにここまで近寄れるとは、ナミもルイス・バーネットも驚きを禁じ得なかった。
 その集団は白布で頭を包み墨染めの法衣を着た僧兵の姿をしていた。腰には太刀(たち)を射し、手には薙刀(なぎなた)を持っている。どの者も体格がよく、眼光鋭く周囲をねめつけながら、ざ、ざ、と足駄(あしだ)で砂利を踏み鳴らしながらずんずんと境内を横切ってくる。そして社殿の前に居並ぶと先頭に立つ男が大音声を発した。
「我ら、山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)が眷属の一団であります。神議(かむはか)りの要請により“尾の(くさび)”の警護に参上いたしました。任務に就く前に、大神様にご挨拶にまかり越しました。お目通り願います」
 僧兵たちは少しの間、待った。しかし何の応答もない。先頭の僧兵が、やっぱりな、という顔つきをして短く一息吐いた。そして間髪入れず、二人に視線を送った。
「ここには誰もいないようですよ」ごく自然な感じでルイス・バーネットが集団に向けて声を掛けた。何とも(いか)つい恰好をした一団相手だが、なるべく友好的にこの場を乗り切りたい。
 涼やかで、聡明そうな雰囲気をまとった先頭の僧兵は、彼らに視線を向けたまま、すぐ後ろにいる僧兵に向かって、山の中を捜してください、と指示した。僧兵たちが数名、返事もせず、どことなく不服そうに社殿の裏山に向かっていった。それから先頭の僧兵は、意識的に目に力を込めつつ声を発した。
「そなたたちは何者です。見たところ民でも眷属でもないようですが」
「我らはただの霊体ですよ。こちらの神様に用があり、さっきからこの境内中捜していたのですが、誰もおられぬようです」ルイス・バーネットは普段よりも一層にこやかに微笑んでいた。
「さようですか。それで、用とは何か、お伺いしてもよろしいですか?」そう返した僧兵も落ち着いた様子だったが、警戒心を含んだ声を発している。
 ルイス・バーネットはナミをちらりと見た。ナミは平静を保っているように見えるが、目の端に次第に募ってくる苛立(いらだ)ちがにじみ出ていた。
「こちらの眷属に仲間を(さら)われたのです。ここにくれば見つかるかと思ったのですが、手掛かりもなく途方に暮れていたところです」
「攫った?そなたたちのような霊体を、ですか」
「いえ、人間の女性です」
「何?民を攫ったですと?何ゆえに?」
「分かりません。突然だったもので」
「ふむ、攫ったのはこちらの眷属で間違いないのですね」
「ええ、(へび)の姿に変化し、(くさり)を扱っていました。そんな眷属はこちらにしかいないと聞いています」
「むう、間違いないようです。しかし何ゆえに……」
 マサル殿、と山に向かった僧兵が駆け戻ってきて、考え込む様子を見せていた僧兵に声を掛けた。
「山の入り口に蛇たちが群れを成しており入山を拒んでおる。いかがする」
「何と、ますます怪しい。それは三輪明神が生み出せしカガシたちですな。仕方ない。そのカガシたちを蹴散らし、入山することにしましょう。何としてもこちらの大神様の御心を確かめなくてはなりません。みな、山に向かってください」
 僧兵たちはマサルと呼ばれた僧兵とあと二名を残してみな山に向かっていった。
「申し訳ないが今、取り込み中です。そなたたちのことも身元を確かめて解放したいところですが、正体不明な分、このまま見過ごす訳にもまいりません。しばし我らとご同道ください」
 まずいな、こんなこと言われたらアザミが絶対反発する。そうルイス・バーネットは思い、実際、ナミが声を上げようとしたので、機先を制して声を出した。
「我らは怪しい者ではありません。信用してくださっても大丈夫です。ただ、仲間を助けたいだけなのです。あなたたちの邪魔をすることはありません。それよりその山の中に何があるのですか?何がこれから行われるのですか?」
「そなたたちが信用できない訳ではないのですが、この地の神について疑義があるのです。あの山中にこの地の神がご隠棲召(いんせいめ)されておられる。捜し出し、その真意を確かめなければなりません。それが済むまで、そなたたちを解き放つ訳にはいきません。しばしお待ちください」マサルと呼ばれた僧兵の目が急に鋭い光を(たた)えた。口調は丁寧で、表情は穏やかだったがその光には警戒心がはっきりと表れていた。
「申し訳ないのですが、我々もあまり暇ではないのです。先ほどから申しております通り、仲間を助けに行かなくてはならない。一刻の猶予もないのです。ご理解いただき我らを解放してください」こちらの口調も丁寧で、微笑みを湛えた穏やかな表情をしていたものの、決してそちらの言う通りにはしない、という断固とした雰囲気を漂わせながらルイス・バーネットはゆっくりと発言した。その雰囲気からマサルは目の前の男が一筋縄ではいかない存在であることを察した。しかし、はいそうですか、と相手の言い分を聞く訳にもいかない。何せ、自分は大神様の信任を得て事に臨んでいるのだから。
「少しの間、お待ちなさい。これ以上、四の五の言うようなら黙らせることになりますよ」
 その言葉にナミの細くて(もろ)い堪忍袋の緒が切れた。ルイス・バーネットは仕方がない、と短く溜め息を吐いた。
「いい加減にして。私はあなたの言うことに従う気はない。勝手にさせてもらうわ。もし邪魔をする気なら覚悟しなさい。ここにいる全員が二度と霊体に歯向かおうって気を起こさないようにしてあげる」
 ナミが前に進み出ながらごく冷たく言い放った。ルイス・バーネットはけっきょく争い事になるのか、と少し辟易(へきえき)としたが、とにかくアザミを助ける、その一点に集中した。
 突然、山の方からいくつかの叫び声が聞こえた。そしてぱらぱらと山に向かった僧兵たちが戻ってきた。
「何千、いや何万もの蛇たちに襲撃されたぞ。中には毒を持っているものもいるようだ。こちらの兵数では太刀打ちできぬ」
 戻ってきた僧兵の一人が、マサルに向かってまくし立てるように言った。そうしている間にも僧兵が次々に撤退してくる。どの僧兵も特段、怪我をしている風でもなく、大して戦った形跡もなく逃げ帰ってきているようだった。
「みな、何をしておるのです。大御神意(おおみごころ)(そむ)く気ですか?カガシたちなど蹴散らして三輪明神のもとまで進むのです」とマサルが僧兵たちを押しとどめようとすると、途端に口々から不平不満が発せられた。
「我らは哀れみを根本となさねばならぬ。無駄な殺生はせぬ」
「大神は御仏の許しを得て、このようなことを我らにさせようとしているのか。おぬしは読経もさぼっておるから知らぬだろうが、こんなこと御仏の教えに背くことじゃ」
「この社の大神が会いたくないと言うなら会わぬがよいのだ。無理に問いただしたところで、何の益がある。この社の神が背くと言うなら背いたらよかろう。御仏の守護があれば怖いものなどない」
「そうじゃ、我らはこんなことをするより、仏前で読経しておった方がこの郷のためだ」
「さっさと撤退するぞ」
「そうじゃ」「そうじゃ」
 何と、情けない……、マサルは思わず呟いた。
 彼らは山王日枝神社の眷属であると同時に、同じ山の中腹に建つ神隠山伏龍寺(しんいんざんふくりゅうじ)を守護する立場でもあった。伏龍寺はこの郷はおろか近隣地域を含めても随一の規模を誇る大きな寺院であり、それだけ檀家も多く、信仰も集めていた。
 かつて山王日枝神社は伏龍寺の一部と(もく)され、その管理は伏龍寺の僧侶が受け持っていた。そういった事情から、山王日枝神社の神も、寺院に入り(びた)り、寺院の威を借りていつしか横柄になり、横暴な立ち居振る舞いも目立つようになっていた自らの眷属たちに強い態度を示すことをどことなく遠慮していた。それが更に眷属たちを増長させた。我が身可愛さに保身を第一とし、何か問題を起こしても寺院の威があればどうにかなると、どの眷属も自らの立場に胡坐(あぐら)をかいていた。その結果がこのていたらく。
 マサルは山王日枝神社の眷属の中で一番若い。しかし、寺院にばかり寄りつき神社に立ち寄ろうとさえしなくなっていた他の眷属たちの代わりに、彼はただ一人、神に常時仕え、その御心を慰めていた。そうであったので、自然と神の意が発せられる場合、マサルがその伝達役となり、他の僧兵たちを統括する立場に就いていた。それが他の僧兵にはおもしろくない。ろくに勤行(ごんぎょう)もせず、寺院の護持を怠り、神社に入り浸っている若造が、と神に遠慮して声には出さないがどの僧兵も思っていた。山王日枝神社は伏龍寺を守護するための神社なのだ。ならば、その眷属が直接寺院を守護するのが当然だ。それをあのバカ者は分かっておらぬ。
 眷属たちの不平不満を聞きながら、マサルはそれまでするべき勤めを放置していた自分を責めていた。
 他には誰もお社にいないがために彼は自然な成り行きで、山王日枝神社の第一眷属となっていた。ただの対外的な肩書でしかないとは自覚していたが、それでも自分が常日頃からきちんとみんなを統率して規律を正し、修練を積ませていたらこんな情けないことには、きっとなっていない。しかし、彼は元来、性格的に人を厳しく律することが苦手だった。自らを厳しく律することには抵抗もないし、苦もない。しかし今、楽し気に日々を過ごしている仲間たちにあまり口うるさく言うことには抵抗があった。別段、嫌われたくないという訳でもなかったが、ただ正直、年長者に対する遠慮は存分にあった。
 とは言え、我が大神様は宣下(せんげ)された。
 --今、この郷の中で不測の事態が起きている。神仏の力をもって鎮めねばならぬ。ただ、一番懸念されること、それは三輪明神の意中である。ちょうど神議りにおいて残った楔をみなで守護することに決まった。そなたたちは、かの村に(おもむ)くことになる。入村の挨拶に向かい、三輪明神の意を確かめてくるように。かの神はもともと疫神であり、蛇神。災厄の神に近い存在。もし翻意(ほんい)を企てているようなら……。
 マサルの周囲には僧兵がほぼ全員集まっていた。そして姿は未だ見えないが彼らの周りを取り囲むように(うごめ)く気配も感じられた。カガシたちか……、マサルは周囲を警戒しつつ、ルイス・バーネットとナミを見た。この者たちにかかずらっている場合ではないようだ。
 マサルはサッと(きびす)を返すとそのまま一人、社殿裏手の山に向かった。彼が近づけば近づくほど、カガシたちが集まって重なり合い、盛り上がり、彼の背をゆうに超える高さにまで積み重なった。大神様のため……、呟きつつマサルは覚悟を決めた。
 歯を喰いしばり、薙刀を構え直し、その蛇の山に突進した。
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