第五章八話 対決!ヨリモとナツミ

文字数 4,295文字

 タマ、ヨリモ、蝸牛(かぎゅう)玉兎(ぎょくと)の一行は川岸に辿り着いた。目前には薄明の中、悠々とした流れが横たわっている。川幅は広く、流れが速くないと言っても泳ぎ渡るのは骨が折れそうだった。
「さて、どうやって渡ろうか」傍らから玉兎の声が聞こえた。その声に蝸牛は少し考えた後、ゆっくりと答えた。
「玉兎殿。細い縄と太く長い(つな)をどこかで調達できぬだろうか?」
「縄、綱?ああ、泳いで渡る時に万が一、流されてもいいように身体に巻きつけるのか?」
「泳ぐ?誰が?」
「泳がずにどうやって川を渡るっていうんだよ。みんな泳げるだろ」
「あ、いや、我は泳いだことがないから、泳げるかどうか分からない」
「はあ?泳いだこともないのか?一回も?」
「ああ、水辺は危ないからと兄者たちに近づくことを禁止されていたから」
 ああ、あの兄たちなら言いかねない、とタマとヨリモは思った。
「泳げなくて、どうやってこの川を渡るっていうんだよ」
「だからこの川に綱を張って、それを伝っていけば、泳げなくても渡れるのではないかと思ったのだ」
「ほう、そういうことか。分かった。ちょっと待っててくれ」
 玉兎はそう言うとすぐに背後の林の中に駆け込んでどこかに消えた。
 待つ間に蝸牛が、タマとヨリモに自分の考えをゆっくりと述べた。
「縄の端と綱の端を結んで、縄のもう一方の端を持ってヨリモ殿に対岸まで飛んで運んでもらう。対岸に辿り着いたら縄を手繰り寄せて綱を近くの木に結んでもらう。そしてこちら側も木に綱を巻きつけて張るのだ。そしたらそれを辿って川を渡れるだろう。もしヨリモ殿が対岸まで縄を運ぶのが難しければ我の弓矢で向こう岸まで飛ばしてもいい。どちらにしても対岸で木に綱を結んでもらわないといけないから、ヨリモ殿には向こうに行ってもらわなければならないが」
 タマもヨリモもその話を聞いて納得した。タマは川面を走って渡れれば、と思っていたが、走りきることができるかどうかは分からず、こんな距離を泳いだこともないので、蝸牛の案にはまったく異論がなかった。けっきょく三人は仕方なくその場で玉兎の帰りを待つことにした。
 そんな三人のもとに、川上から水面を走ってナツミが急速に近づいていた。移動中、どうやって相手を足止めしようかと考えていたが、次第にそんなまどろっこしいことをするよりも、あいつらを社に近づけなければいいのなら、あいつらをみんな倒してしまえばいいと思うようになっていた。早く倒すことができればそれだけ早く兄様の所に行ける。禍津神(まがつかみ)にうちを近づけたくない、というカツミの思いも分かる。それでも、やっぱり、うちが兄様を助けたい。
 やがて、遠目に三人の眷属の姿が見えてきた。自分より幼く見える二人の眷属、これは大丈夫そう。どうにか倒せるだろう。しかしもう一人がバカでかい。力も強そうだ。祝山(いわいやま)の家で見張りをしていた眷属だろう。何とか動き回って攪乱(かくらん)して倒すしかない。とにかく一度に相手することは難しいから一人ずつ倒していくしかない。先ずはあの忌々(いまいま)しいちびっ子から。
 突如、三輪神社(みわじんじゃ)の眷属が現れて、自分たちの目の前に立ちはだかったので、タマたちは驚きつつも身構えた。鎖鎌(くさりかま)を手にしたナツミが三人、特にヨリモに向かって鋭く言い放った。
「ここから先には行かさない。どうしても行くというなら、うちが相手になる。一人ずつ掛かっておいで。先ずは、あんたよ、ひよっこ」
 そう言われてもヨリモは、突然のことでよく事態が呑み込めていなかったが、努めて落ち着いた様子で答えた。ひよっこと呼ばれてムッとしてはいたが。
「あなた何言ってるんです。突然現れて。何で一人ずつ相手しないといけないんですか?こっちの方が人数多くて有利なんですから、みんなで一斉にお相手しますわ」
 ナツミは、えっ、と戸惑った。普通、一対一の勝負を挑まれたら受けるでしょう?なぜ拒否するの?卑怯なの?ヨリモの傍らでタマと蝸牛も同じように思っていた。自分なら一対一の勝負を挑まれたら避けるようなことはしない。
「何、そんな卑怯なこと言ってんのよ。ちゃんと勝負しなさいよ」
「バカなこと言わないでください。不利な状況が嫌なら、そちらが人数を集めてきたらどうです。何でこちらががあなたに合わせないといけないんですか」
「ぐぬぬ、さっきといい今といい、あんたは本当に腹が立つわね」
「さっき?」
「いいから、うちと勝負しろ、この豆鉄砲チビ!」
「誰が豆鉄砲、誰がチビですか。あなたなんか私には手も足も出ないってこと思い知らせてあげますわ、(へび)だけに」
 結局、相手の口車に乗せられて一対一の勝負をするんだな、とタマと蝸牛は思った。まあ、相手は普通の眷属だし、ヨリモがやられることもあるまい、とそのままタマは後方に下がって静観することにした。
 左手に(かま)、右手に(くさり)を持って、ナツミは川岸から一歩々々ヨリモに近づいていく。右手に持つ鎖を手首を使って身体の横で高速で回している。ヒュンヒュンと風切り音が明けの静寂を鋭く切り裂いていく。ヨリモは槍を構えてその場から動かずナツミの動きを凝視していた。
 やがて鎖の射程距離に達した瞬間、ナツミが鎖の先に着いた分銅をヨリモに向かって投げ放った。
 一直線に分銅が飛んでくる。ちょうど顔の高さ、自分の立ち位置よりやや左側に飛んでくる。これなら避けなくても当たらない、とは思ったものの念のため少し右側に身体をずらした。
 兄たちは自由自在に鎖を操ることができた。狙った方向に投げられるようになったら、次は曲げて投げるんだ。繰り返し投げているうちに、曲がれと思った方向に自然と曲がってくれるようになる、とカツミはよく言っていた。鎖を自分の身体の一部だと思えるくらい稽古に励んだら、自然と自分の尻尾を動かすように鎖を動かすことができるようになる。
 ナツミはタツミに認められたい一心で、常日頃からよく稽古をした。その甲斐あってか、兄たちほどではなくても鎖を自分の意のままに動かすことができるようになっていた。今、使っている鎖は分銅と鎌が付属している。重さも違う。普段使っている鎖よりも格段に扱いづらい。でも、その分、今のナツミは普段とは比べものにならないくらいの強い闘争心を持っていた。
 曲がれ、とナツミが念じた途端、分銅がヨリモに向けて曲がってきた。ヨリモは、え?と思った瞬間、反射的に首を(かたむ)けてやり過ごした。危な、曲がってきた。
 ナツミは鎖を手元に戻すと今度は身体の前で左右に分銅を回して八の字を描きながら更にヨリモに近づいた。ヨリモは体勢を整えて再び待った。
 ヨリモが踏み込んで槍を突いたら先が相手に届くだろう、ギリギリの線の一歩手前でナツミが再び鎖を放った。今度は真っ直ぐ顔の正面に向けて分銅が飛んできた。
 曲がるの?どっちに?ヨリモは無意識に左に避けようと、微かに重心をずらした。するとその方向に分銅がクイッと曲がってきた。とっさにヨリモは屈み込んでそれを避けた。本当に危ないわね、いったんちょっと距離を取って……と思った瞬間、ナツミが自分に向かって飛び掛かってきた。
 その首を刈ってやる!ナツミは左手に持った鎌を、右肩に着けた位置から、横一線に()いだ。とっさにヨリモが槍の柄で、自分の首目掛けて襲い掛かってくる鎌の刃を受け、同時に右肩からナツミの身体に突進した。激しく二人の身体がぶつかり合った。宙を飛んでいた身体が後方に押されてナツミは少しバランスを崩した。その機を逃さず、ヨリモは槍を瞬時に構え直し、気合とともにその刃を相手に向けて突き出した。
 槍先は真っ直ぐナツミの胴に向けて伸びてくる。ナツミはまだ両足を地に着けていない。避けられない、と思った瞬間、彼女は変化(へんげ)した。
 その細長い身体は朱に染まっていた。普段、変化する時は目立たないように青大将と同じ色柄を意識的に選んでいたが、本来、彼女の変化した身体の色柄は無地の朱色だった。
 朱色の蛇が巻きつきながら槍を伝って襲ってくる。口を大きく開いて飛び掛かってくる。相手が無毒の蛇であれば腕を差し出し噛みつかせて、その隙に捕獲しようとするのだが、その時のヨリモは相手の色合いに毒を持っている可能性を強く感じて、思わず身体を横にずらして襲撃を避けながら反対方向へ槍を放り投げた。
 槍とともに投げ飛ばされたナツミは地面に着地する寸前で変化し、再び人型に戻るとヨリモの槍を手に取って立ち上がった。ヨリモはほぼ同時に、ナツミが蛇体に変化する時に手放していた鎖鎌に飛びついて手に取った。
 思ったより重いわね、二人とも手に持った武器に対して同じ感想を抱いた。
 ナツミは槍を長く持ち、大きく後ろに振るとブーンと音を立てながらヨリモ目掛けて横殴りに振った。しかしあまりに動きが大きかったので、ヨリモは楽々後方へ下がって避けた。ナツミはそのまま槍の遠心力に抗えず身体を回転させてヨリモに背を向けた。それを見て好機とばかりにヨリモが分銅をナツミに向けて投げつけた。しかしそれはゆっくりと弧を描きながらあらぬ方向へ飛んでいった。
 そんなことを何度か繰り返した後、ヨリモが声を掛けた。
「ねえ、あなたの鎖、とても使いづらいんですけど」
「あんたの槍の方が無駄に重くて使いづらいんだけど」と返すナツミに向かってヨリモが提案した。
「これ返すから槍を返してくれません?」その槍は神功皇后様(じんぐうこうごうさま)から使用を許された大切な槍なのよ。
「いいわ。その場に鎖を置いて離れて、うちも同時にそうするから」その鎖鎌は兄様のなの。大切なのよ。
 二人はゆっくりと武器を地に置き、そろりそろりと相手を警戒しつつ横に回っていった。そのまま百八十度回転して自分本来の武器を手に取ると互いに構え直した。
 このコ、思ったより強いじゃない。力を出し惜しみしていたら、さすがの私も危ないかもしれない。ヨリモの視界の端にタマと蝸牛が楽しそうに観戦している姿が見えた。もう、あの人たち、見世物じゃないのよ。さっさと終わらせるわ。ヨリモはそれまでより重心を低く構え、身体中から殺気を(みなぎ)らせた。
 相手の気配が急に変わった。どうやら本気でくるようね。ナツミは生唾(なまつば)を呑み込み、そして覚悟を決めた。うちは負ける訳にはいかない。絶対にこいつらを倒すの。ヨリモを睨みつけながら再び鎖を回しはじめた。
 ピンと張り詰めた空気を鎖の風切り音だけが振動させていた。二人は少しずつ少しずつ横に移動しつつ攻撃する機会を探っていた。するとそれまで山の端に隠れていた暁が急に顔を出して、陽光がサアッと河原に雪崩(なだ)れ込んできた。
 二人の影が細長く地面に伸びる。その一つが瞬間的に動いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み