第十一章九話 夜明け前

文字数 5,008文字

 洞窟内でマサルは椅子に腰を掛けて、タカシの治療の終わりを待っていた。この数日、状況が大きく変転するばかりで気が休まる間もなかったので、久しぶりに一息()いた気分だった。
春日神社(かすがじんじゃ)境内(けいだい)で、神々の()(しろ)と災厄の依り代が対峙しておる。どうやら神々の力が災厄の力を圧倒しておるようじゃな。ただ……」
 いつの間にか目(ばあ)がいなくなっていた。きっと洞窟の外に状況を見にいっているのだろう。その見ることによって生じた思考を口婆が言葉にして発していた。
「ただ?」
 (くさび)がなくなり災厄の力が解放された状況ではあったが、マサルはどこか安心していた。いくら災厄の力が解放されても、神々の力が結集すれば何を恐れることがあるだろう。我々のことも村のこともきっと大神たちが御守護くださる。
「ただ、依り代の娘が抗いはじめた。神々に対して。その気が次第に強くなっておる。それと神々の間にも何かひずみのようなものが出はじめておる。これは、いったい、どうなるのやら」
 部屋の隅で、耳婆がじっと座ったまま、あらゆる音を集めている。
「お山から何か飛んできておる。あの羽音、クロウ殿だな」
 まだ未明である。当然、外は暗い。しかし、その修験者然とした身なりの通り、熊野の眷属であるクロウは常日頃から厳しい修行をこなしていた。そのお蔭で、闇夜でも不自由なく飛ぶことができる。
 口婆の言葉から少し間を空けて、羽ばたきが外で鳴り、誰かが入り口に立つ気配がした。
「婆様たち、まだ起きておられるか?」
「起きておるぞ。中に入られよ」
 入り口をおおう、つる草のカーテンを分け、クロウが中に入ってきた。
「クロウ殿、お帰りをお待ちしておりました。(じい)は息災でしたか?」マサルが立ち上がり、進み出ながら訊いた。クロウは穏やかな微笑をたたえながらマサルに近づいた。
「ああ、元気そのものだ。衰えるどころか益々活発になっておられる。それより、民草(たみくさ)の男は今、何処(いずこ)に」
「今、(こう)の間で治療しております」
「それなら、もう安心だな。婆たちの香で治せない病はないからな」金剛杖(こんごうじょう)を戸口に立て掛けながら穏やかな表情をしてクロウが言う。耳婆がいるのでこの部屋の中では小声で話さないといけない。マサルは更に歩み寄りながら続けた。
「それで、その民草の男についてですが、先ほどこの郷にとって掛け替えのない存在だと言われていましたね。それがどういう意味か、お伺いしてもよろしいでしょうか」
 そのことは訊かれなくても喋るつもりだったと言わんばかりに、目に力を込めつつクロウは口を開いた。
「その男は、この大地を揺るがす者なのだ」
 マサルは、言葉の意味が分からず、思わず怪訝(けげん)な表情をした。
「それはその男が災いをもたらすということなのでしょうか?」
 ほぼ間違いなく卜占(うらない)の結果なのだろう、とマサルは思った。しかし熊野の眷属の卜占はよく当たる。しかもクロウはその第一人者、誰よりもその精度は高いと聞いている。少し不安に(さいな)まれた。もし、あの民草が災いをもたらす存在なら、郷を守る神の眷属として放っておく訳にもいかない。
「いや、その揺らぎが災いになるのかどうか、そこまでは分からぬ。しかし、この郷は、その民草の存在に関わらずそのうち崩壊を迎える。たとえ神々が災厄を再び結界の中に封じ込めたとしても、この地の崩壊はやむことはない、そう卜占で出ておった」
 マサルの表情が更に変化した。この地が崩壊する?神々の力をもってしてもそれを防ぐことはできない?その表情から察してクロウは続けた。
「この地の崩壊はどうやらもう避けられない。生けとし生ける者に死が必ず訪れるように、これは不変の運命(さだめ)なのだ。我々にもどうしようもない。ただ、ここにいる民草の男だけは、その運命に抗う可能性を秘めているようだ。その民草がどんな力を有し、どんなことができるのかは分からぬ。しかし、もしかしたら、その力を引き出すことができたなら、この地の運命を変えられるかもしれぬ。だから我は飛んできた。その男に会いにきた」
 もしやそんな可能性を秘めているとは、とマサルは驚いた。自分の連れてきた、ただの民草の男がそのような大仰な表現に値するとは思いもしなかった。しかし、昨今のこの郷の状況を(かんが)みて、あながちこの地の崩壊もあり得ないことではない気もする。もし、そうなら、どんな可能性にも、たとえ望みが限りなく薄いものだとしても、すがりついてみたい気もする。
「その民草は、春日の神に気を封じられた。まだ回復には時間が掛かるぞ」口婆がおもむろに声を発した。「して、その民草の力を引き出すと言っておったが、いったいどうするつもりなのじゃ」
「ええ、そのことについては皆様にお願いせねばなりませぬ。どうか、その民草にお山に入るお許しを」
「民草をお山に?それで力を引き出すことができるのですか?……もしかして、クロウ殿」
 マサルは言っている間に、察した。
 あの民草を三行峰(さんぎょうほう)へ入れるのか?そんな無茶な、今まであの高峰に民草が入ったことはないし、入って耐えられるはずもない。
 三行峰とは、上隠山(かみかくしやま)の山頂を形成する三つの高峰のことだった。
 その(みね)の連なりは外界とは隔絶された空間だった。人の目には映らず、もちろんその存在を意識することもない。神々や眷属、そんな人でない存在が修行するために、この山の神である大山咋神(おおやまぐいのかみ)がその一画を外界から隔離していた。そんな特別な空間にあの民草を?
「さよう。その民草を峰入りさせようと思う。今しがた爺様の許しも得た」
「それは無茶です。民草が峰に入って無事に出てこれる訳がありません。山の神の眷属である我々でも気を抜けば消滅の憂き目に遭う危険があります。(ぎょう)の過酷さはそなたも存じておられるでしょう」
「それは重々」
 峰入りは山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の眷属はもちろんだが、熊野神社の眷属も必ず行うことだった。この上隠山での行が満願せぬうちは一人前とは扱ってもらえないしきたりがあった。もちろんクロウもすでに数回満願していた。
「それは卜占で出たことなのですか?民草を峰入りさせよ、と」
「いや、そんなことは出ておらぬ。ただ」
「ただ?」
「この地でその民草は力を得る。その力を以て大地を揺るがし、大地を鎮める、と出ておった」
「大地を揺るがし、鎮める?いったいどういう意味です?」
「分からぬ。しかし、それほどの力を得るにはただ入山するだけでは難しかろう。やはり峰入りをさせる必要がある、そう思うてな」
「それは……」
 マサルはそう言ったきり言葉を失った。峰入りはとにかく過酷だった。体力的にも精神的にも。それに、いったん峰入りしたら満願するまで外界に出ることはできない。果てしない時間を山上で彷徨(さまよ)わなくてはならなくなる可能性もある。それではあまりに不憫(ふびん)だ。普通に考えれば可能性は無に等しい。しかし卜占に、その民草が力を得る、と出ておるのなら、もしかしたら……
 そんな風にマサルが熟考していると、唐突に口婆が声を発した。
「また誰かがこちらにきおる。民草でもない。眷属でもない。霊か?男と女、二人連れじゃ」

 山の麓で二人は彷徨っていた。
 間違いなくこの辺りにタカシがいるはず。ナミの手のひらに浮かんだ画像には、確かにその存在が示されていた。しかし、先ほどからよくよく探してみるもののどこにもいない。ルイス・バーネットが、首に下げた通信器兼、霊力や情動などの計測器であるネックレスの先についた白い球を操作して、発光させて辺りの闇を追いやっていた。
 彼は上空を見上げた。ここら辺にいるのは間違いないのだが、まるで神隠しにあったように見当たらない。もしかしたら頭上の樹々の梢に引っ掛かっているのかも、と思い見上げてみたのだが、もちろんそんなところにはいない。一息長く吐くと改めてそそり立つ山の威容を眺めた。
 とても闇が濃い。決して人を拒んではいないが、その懐の深さに安易に近づけない威厳のようなものが感じられる。レジャーで登る山ではない。踏破する山でもない。対峙する山でもない。その懐に抱かれれば、人は自分自身と対峙する。山の険しさに自らの業を認め、山の豊かさに自分がこれまで与えられた恩恵を知り、山からの容赦のない責め苦に自身の弱い心を見出す。この山はただここにある、それだけのこと。そんな、一言で言えば霊山であった。
 そんな山の(いただき)から吹き降ろしてくる重く静かな風を感じていると、前方の少し離れたところから枯れ葉を踏む音が聞こえた。先ほどまでの大雨でどこもかしこも濡れており、湿った葉が潰れる音だった。二人はその音のした方に意識を向けた。
「やはり、そなたたちでしたか」
 マサルが二人の方へ歩き寄ってきていた。
 彼は洞窟の中で、口婆が言った“霊的存在の男女”に心当たりがあった。だから洞窟を出て、目婆が指し示す方へと向かってみると、果たしてそこに二人の姿があった。
 あなたは……二人は僧兵姿のマサルをもちろん覚えていた。美和村で出会い、その後、タカシたちと行動をともにしていた眷属。この男ならタカシの居場所を知っているかも、そう二人ともに考えているとそれを察したのかマサルから声を発した。
「民草の男を捜しているのでしょう?その男ならこちらにいます。ついてきてください」
 そう言うとマサルは(きびす)を返して来た道を戻りはじめた。ルイス・バーネットはもとよりナミもマサルの一本気な嘘の()けない性格を薄々感じ取っていたので、よもや騙されることもないだろうと、言われるがままについていった。

――――――――――

 まだ明けやらぬ闇夜の中、遠く視線の先には数多(あまた)篝火(かがりび)に照らされた八幡宮の境内(けいだい)がぼうっと浮かび上がっていた。
 きっと仲間たちが、我らがいつ到着してもいいように、待っていてくれているのだろう、住み慣れた境内地を臨んで、先行して天満宮の眷属たちが報せてくれているものだとばかり思っていたヨリモはホッとした思いに満たされていた。これでタマ殿も助かるだろう。玉兎(ぎょくと)殿だってきっと助かるだろう。さあ、早く行こう。ヨリモの足は疲れも忘れて勢いづいた。
「ヨリモ殿、そう慌てるな。いくら磁場を感じられるようになったからといっても、いつまた足を取られてこけてしまうか分からない。それにこちらは夜分、突然押し掛ける身。境内の様子を窺いながら近づいた方が良かろう」
 後方から秘鍵(ひけん)が声を掛けた。タマを両手に抱えたままだったが、特に重さを感じる様子もなく、軽々とヨリモの後をついてきていた。
「それには及びません。天満宮を出る際に、飛梅(とびうめ)殿がお宮に伝令を走らせてくださったので、もう私がお客人を引き連れて戻ることは、みんな知っているはずです。その証拠があの篝火の数です。さあ、あまり待たせてもいけません。急ぎましょう」
「まあ、待ちなさい。彼が追いつくまで少し待ってあげようではないか」そう言う秘鍵の後方にはマガを背負った蝸牛(かぎゅう)が、息を切らせながら重い足を何とか前に進めていた。
 ここまで数多(あまた)(まが)い者に襲われた。その大半を秘鍵が撃退したが、残った多少のそれらが蝸牛たちに襲い掛かってきた。彼はなるべくマガに力を使わせないように、禍い者から遠ざかるように移動していたが、それでも何体かは追いついてきた。蝸牛は剣を手に、何体かを退けた。逃げながら、撃退しながら、置いていかれないように懸命に前に足を運び続けた。その間、ヨリモは槍がなく、禍い者に対抗する術がない現状ではあったが、日中に目視するのと変わらず周囲の有り様を感じられるようになっていたので、その素早さで禍い者の襲撃をかわしていた。かわしながら、もう八幡宮が近いことを感じて、心に渦巻いてどうしようもないタマを助けるという一事に一刻も早く目処(めど)をつけたくて気ばかり()いていた。だから、蝸牛たちのことまで気を配る余裕がなかった。でも、いったん思い出してしまうと足を止めるしかない。気がつくと呼吸は荒く、そこいらの草や木の枝でできたのか、全身に小さな傷があり、ひりひりと肌に感じられた。
 そんな肌にふと冷ややかな風が吹いてきた。ヨリモは東の空に視線を向けた。まだ暗い。でも、微かに陽のにおいがする。夜明けが近い。ここまで紆余曲折色々あったけど、新しい陽はまた希望を乗せて昇ってくることだろう。そう思うと胸の中に、少し安堵の思いが膨らんでいく気がした。
 きっと新しい日は、もっと良い日になってくれる……
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